西の魔術士たち 15
男は歩く。
「あいつを止めろ! このままじゃ広間に入られるぞ!」
「無理だ! さっきから何人も斬られてるのが見えねぇのか!」
陽気な口笛を吹きながら、男は歩く。
「クソッタレ、あんな化け物が居るなんて聞いてねぇ! 俺は降りるぜ!」
「てめぇ! ……っ、な」
「ぎゃぁぁっ! お、俺の腕がぁっ!」
横をすり抜けて逃げようとしたその腕を極めて軽い動作で切り落とし、男は歩く。
「お……おい! 向こうの部屋に居た女を連れて来い!」
「わ、分かっ、ぁ?」
トン、と踏み出した一歩で大きく距離を詰め、最後の二人の首をあっさりと落とす。再び歩き出そうとした男はふと首を傾げた。ひょいと近くの部屋を覗き込めば、ロープで手足を拘束され口に布を押し込まれている若い侍女と目が合う。
「……」
数秒の沈黙ののち、その口から深々とため息が零れた。肩をすくめ、剣についた血を無造作に拭ってから鞘に戻す。まだ恐怖に震えている侍女の拘束を解いて抱え上げた男は、とぼとぼと来た道を戻っていった。
***
短剣と直剣がぶつかり合い、軋んだ音を立てる。
「魔女様!」
「っ、行きなさい!」
振り向いた大臣に鋭く言い放つ。自分の非力に内心歯噛みしつつ、刃を表面を滑らせるようにして剣の軌道を逸らした彼女は、その勢いに身を任せて後ろへと距離をとる。
痺れを切らした敵側の兵士が、強引に味方側の兵士を押し切って攻撃してきたのは、要人の最後の一人を逃がしているときだった。
咄嗟に腿のベルトから抜いた短剣で攻撃を防いだ彼女は、少し遠くなった扉の方に一瞬だけ目をやり、立ちはだかる兵士たちへと視線を戻す。いずれも知らない顔だ。傭兵だろうと断定する。思えばここまでで彼女を直接弑そうとしたのは、最初を除いて全て傭兵だった。その事実と己の持つ知識を照らし合わせ、魔女は僅かに眉を顰める。
「お、おい……本当にやるのか? だって魔女ってことは……」
「……やるしかねぇだろ。それにあの王子の話じゃ魔術は使わねぇって話だ」
傭兵たちの言葉に耳を傾けつつ、彼女はこれからの展開へと思考を巡らす。
護衛の青年の姿は近くにはない。どうやら、広間の中央まで来たことで再びスタインツに捕まってしまったようだ。
先程の流れで今も手にしている短剣は、お守り程度に身につけていた護身用だ。傭兵や兵士と渡り合えるほどの技術はない。先程の攻撃をいなせたのは偶然と、相手の油断に助けられただけだろう。
息を吐いて、短剣を鞘に納める。唯一の武器を自らしまった魔女の姿に、傭兵たちが戸惑いの表情で顔を見合わせる。
「な、何のつもり……で……」
強気に出ようとしたらしい傭兵の言葉は、途中で恐怖に呑まれて消えた。
緩く開いた右手を静かに前へと差し出した彼女は、弓使いが慎重に照準を定めるようにその指先の向きを微調整する。傭兵たちの顔から血の気が引く。しかし、彼らは既にその指先から目を離すことができない。目を逸らしたその瞬間に絶命する自分を想像する。まるで心臓に直接刃物を押し当てられたかのような感覚に、指一本さえ動かすことができない。
異質な恐怖が男たちから周囲へと、遅効性の毒のように伝染していく。一人、また一人とその視線が魔女へと釘付けになる。いつしか広間から剣と剣のぶつかる音は消え去り、誰もが固唾を飲んで魔女の一挙一動に神経を集中させていた。
――魔女が魔術を用いて人を害する。それは今まで幾人もの魔女たちが長い時間をかけ少しずつ築き上げてきたものを、彼女がその手で破壊することに等しい。
ゆえに。
今にも放たれようとしていた弓矢が下ろされたかのように、張り詰めていた空気が奇妙に弛緩する。腕を下ろしてあっさりと広間の支配を解いた魔女は、ふ、と表情を緩めて口を開いた。
「まったく――身辺警護の責任者が新人に任せて遅刻なんて、いいご身分ですね?」
その瞬間、広間の横の扉が勢いよく蹴り開けられた。
「――いやぁ、悪い悪い。どこかのじゃじゃ馬が、王子殿下の部屋への潜入なんて命令してくるもんだからな。俺の仕事は護衛だってのに、まったく人使いが荒くて困るよ」
静まり返った空間にその声が朗々と響く。己の存在を誇示するように歩く男に、兵士だけでなく兵士の姿をした傭兵たちさえ思わず道を空ける。魔女の前までやってきた金髪の男は、人混みを掻き分けてやってきた黒髪の青年を見て口の端を上げた。
「よ、お疲れさん。交代の時間だ」
***
「遅くなって悪いな。でもあんたなら大丈夫だったろ?」
朗らかな問いかけに、ワズはしょんぼりと肩を落とす。
「……あまりうまくいかなかった」
「気にしなくていいよ。あんたはまだ新人なんだ。今も魔女様が怪我なく生きてるなら上出来だ。よく頑張ったな」
ワズの肩を親しげに軽く叩いて、シゥルドは笑う。
奇妙に弛緩した空気の中で、我に返った周囲の兵たちが無言で目配せをした。気配を消して陣形を変えた中から、左右にいた二人が同時に切りかかる。
「――殺気がうるせぇんだよ」
鼻先を浅く切り裂いてぴたりと止まった剣先に、今にも剣を振り下ろそうとしていた一人が硬直した。たたらを踏む反対側では、ワズの一振りで武器ごと弾き飛ばされたもう一人が壁に叩きつけられて呻き声を上げる。
驚きに止まった足を払い、うつ伏せに倒れたその肩を強く踏みつけて縫い止める。どうにか逃げ出そうと暴れる男を面倒そうに見下ろした彼は、無造作に剣を振り下ろした。びくりとその体が大きく跳ね、やがて脱力する。顔を上げてぐるりと周囲を見回したシゥルドは、暗緑の瞳を細めた。
「あんたらもキーバルの正規の兵士じゃないんだろ? なら手加減する理由もない。死体になるか罪人になるか、今ここで選びな」
魔女の護衛の言葉に傭兵たちが殺気立つ。彼らが武器を握る手に力を込めた、そのとき。
「――そこまで、だ」
重々しく威厳を感じさせる声が、染み渡るように響く。
広間の奥の扉からゆっくりとした足取りで、一人の男が広間へと踏み入ってくる。顔には年月を感じさせる皺が深く刻み込まれているが、その目には理知的な光がある。手に持った杖に凭れかかるようにして足を止めた男は広間をぐるりと見渡し、やがて魔女をみとめて目を伏せた。
「第一部隊に命ず――」
呟くようなその言葉とほぼ同時に、キーバルの兵士たちが後ろの扉から現れた。後方にずらりと並んだ彼らは、石像のように静止して命令を待っている。
剣を構えようとしたワズの腕に、華奢な手が触れる。
「……アルマ?」
「大丈夫です」
小さく微笑んで、魔女は囁く。
「この局面で正しい判断をできないのでは、盟主国の王は務まりませんから」
「――侵入者と第三部隊、そして王子を拘束せよ」
直後、下された命令に従って第一部隊の兵士たちが動き出した。




