西の魔術士たち 12
「――今日はいつもにも増して上の空だな?」
「あ」
突きつけられた刃の向こうから、呆れにも似た眼差しが向けられている。地面に尻をつくワズを見下ろし、スタインツは小さくため息をついて剣を下ろした。
「今日はこれくらいでやめておこうか」
「? おれはできる」
不思議そうに反論した青年に首を振り、スタインツは落ちている剣を示す。視線を追って見下ろしたワズは、そこに落ちているのが剣身だけであることに気づいた。握ったままの自分の手を開けば、ぐにゃりと変形した金属の塊が現れる。最近はずっと訓練用の剣を借りていたのだが、力加減を誤ってしまったようだ。無意識にむしり取っていた剣の柄をワズはまじまじと見つめた。
「集中できない時は身につくものも身につかない。君は十分強い。たった一日だけ剣を握らないくらいで腕が落ちることはないさ。訓練用とはいえこれ以上剣を壊されても困るし、そのやる気は明日に残しておきなさい」
「……わかった」
渋々、といった様子で頷く彼にスタインツが小さく笑った。手を差し出そうとした男は、己の片腕にちらりと目をやって眉を下げる。自分で立ち上がったワズは、白い布で吊られているそれをじっと見る。
「スタインツの腕はいつ治る?」
「まだ数ヶ月はかかるだろう。本当は休養でも取りたいところだが、仕事は待ってくれない……やってくれたものだな、全く」
「痛いか?」
「これくらいなら慣れたさ。兵士とはそういう仕事だ」
軽くそう返したスタインツがふと遠くに目をやり、焦りの表情でこちらへと走ってくる部下に気づく。同じようにその方向を見たワズは、訓練場の外に留まっている見覚えのない人間を見つけた。
兵舎の一室で、ワズは首を傾げてテーブルの向こうを見つめていた。そこに座っているのは彼が見たことの無い男だ。歳はシゥルドと同じか少し下ぐらいだろう。服装は兵士のものと似ているが、隣に座るスタインツと比べると汚れやほつれがない。
「君が新しい魔女の護衛だね」
「誰だ?」
「セフィスと呼んでくれていい。僕もワズと呼ばせてもらう。お互い、堅苦しいことは無しにしよう」
差し出された手を握りつつ、ワズは無言でセフィスの顔を凝視する。感情の読みづらい漆黒の瞳で穴が空くほどに見つめられ、男は目を泳がせた。
「ええと……何かおかしなところでもあるかな?」
「ない」
「そ、そうか。ならその、話を始めていいかい?」
「ああ」
即答しつつも尚、己を凝視している青年を気にしつつも、セフィスは気を取り直すように咳払いをして口を開いた。
「これから僕が話すことはこの国、ひいてはこの西部全体にとって重要なことだ。だから、本当に信頼できる人間以外には他言無用で頼むよ」
「シゥルドを知っているだろう? 当代の魔女様が魔女と名乗るようになった頃から、あの男は護衛として彼女の隣にいた。けれど歴代の魔女の護衛たちと違うのは、あの男が魔女様の隣を度々離れることだ。挙句の果てにはこの前のゼレムナだ。いくらあの国が穏やかな気風だとしても、他国に向かう主の護衛よりも優先すべき事柄があるとでも? そして魔女がゼレムナに行っていた間、シゥルドはキーバル国内に居なかった。護衛を第三部隊に任せてまで一体どこに行っていたのか、という話だけれど」
言葉を途切れさせたセフィスが、ワズの隣を見る。そこに座ってずっと沈黙を保っていたスタインツは、視線を受けて静かに頷いた。
「先日捕らえた盗賊共だが、妙な証言をしている。奴らはあの道を通る人間を殺すよう、ある人物から依頼されたらしい。そうすれば莫大な報酬を渡すことを約束されていた。その人物は全身をローブで覆い隠して素性を隠していたそうだが、背格好や声から若い男であることは間違いないという話だ」
セフィスは机の上で組んだ自分の両手をじっと見つめる。
「……君にとっては衝撃的なことだと思う。けれど、偶然と言うにはあまりにも出来過ぎている。元々、魔女はシゥルドを信頼しすぎていた。あるいは、シゥルドが魔女の弱みにつけ込んで自分に依存させているのかもしれない。いずれにせよ、この国のためにも歪みは正されなければならない――しかし、国や貴族が魔女へと干渉することはできない。魔女は独立した存在でなければならない上、彼女自身もあの男の処遇に関しては周囲の声に耳を貸さないからだ。……でも、そこに君が現れたんだ。護衛という立場で制約に縛られず、彼女を呪縛から解き放つことのできる君が」
熱に浮かされたように滔々と語っていたセフィスの視線がワズへと向く。変わらない表情でテーブルの向こうに座る青年は、ただ静かに男の言葉に耳を傾ける。
「彼女を助けられるのは君だけだ。あの男に比べれば、君の方が護衛としてふさわしいのは当然のことだろう。だから――協力してくれないか」
話し始めた頃と同じように、しかしそれとは違う意図をもってセフィスが手を差し出す。
目の前にあるそれをじっと見つめて、ワズは考える。
考えて、考えて、考えて――その末に、首を傾げた。
***
吸い込んだ空気の冷たさに、鼻の奥がつんとした。
眩しいほどに赤く光っていた夕陽は山脈の向こうへと沈み、弱々しい月の光がバルコニーを照らしている。
かじかまないよう、軽く開閉した手で腰の剣を確かめるのも何度目だろうか。身につけた革の手袋はあまり温かいとは言えないが、剣を振るうためには致し方ない。今日新調したばかりの剣にはまだ慣れていない。少々重く感じるそれから意識を外し、少年は伏せていた瞼を上げる。
「――魔女様」
かけた言葉に返答はない。静かに佇むその後ろ姿は動かない。
手摺に添えた華奢な手が強く、強く握りしめられているのを見て、少年は目を細めて足を踏み出す。抱えていた防寒用の上着をその肩にかければ、少女は弾かれたように振り返った。まるで迷い子のような、触れたらばらばらに砕けてしまいそうなその表情に、あえて気づかない振りをした少年はただ手を差し出した。
「魔女様、そろそろ中に戻ろう。風邪引くから」
「……ごめんなさい」
「いいって。俺は魔女様の護衛だからな」
そう返した彼を見て、少女は痛みを堪えるように目を伏せる。上着の裾を握ってしばらく沈黙していた彼女は、やがて静かに振り返った。
「私は、何もできませんでした」
屋敷を囲む塀よりも国を囲む城壁よりもさらに向こう、うっすらと銀色に輝く荒野をじっと見つめてぽつりと呟く。
「去っていくあのかたを、見送ることしかできなかった」
「違うよ」
驚いたように彼を見上げる少女に、少年は微笑みのまま続ける。
「魔女様が何かをするのは、これからだろ?」
新緑の瞳が大きく見開かれる。ややあって、少女は小さく笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます」
「俺は何もしてないよ」
「いいえ、そんなことはありません。あなたがそばに居てくれなければ、私は自分のするべきことを見失うところでした」
小さく息を吐いた少女は、差し出されていた手に冷えきった手を添える。
「遅くなってすみません。屋敷の皆にも心配をかけてしまったでしょう」
「魔女様が元気になったならあいつらも気にしないだろ。さ、戻ろうか」
少女の手をそっと引き、少年は踵を返して歩き出す。思い出したように襲い来る冷気にぶるりと身を震わせつつ、少女は一瞬だけ手摺の向こうを振り返る。
細められたその目の奥では、熾火のような光が燃え続けていた。




