西の魔術士たち 11
目を開いて、最初に見るのは隣の寝台だ。
そこに誰もいないのを見て、ワズの表情が僅かに暗くなった。
昨日の夜から今朝まで誰もこの部屋に入ってきていないことなど、睡眠をとらない彼はとっくに知っている。しかしそれでも、この部屋で寝起きするたびにそこを確認することを止められない。そうして肩を落とすのが彼の日課になりつつあった。
寝起きらしいぼんやりとした様子もなく、彼は寝台から起き上がる。その服は護衛をしている時と同じものだが、着替えという概念のない彼が何かを思うことはない。
軋む床に足をつけ、隣に立てかけていた剣を腰に佩く。そのまま扉へと向かう――途中で、ワズはぴたりと足を止めた。
その視線は備え付けの机へと注がれている。飛びつくように机の上に手を伸ばした彼は、そこにある一枚の紙を凝視する。恐る恐る手にとり、それが確かにそこに存在していることをようやく理解し――
その日、宿屋の店主は蝶番ごと吹き飛んだ扉を、事前に支払われていた迷惑料で数枚修理した。
***
五日で戻る。
その一言だけが書かれた紙から顔を上げ、机の前で満面の笑みを浮かべている青年に目をやる。
「これが、ユーアさんから?」
「起きたら書いてあった」
「なるほど……」
もう一度紙に視線を落として、アルマはしばらく考え込む。
「……これは昨日の午後に決まったのですが、ツツへの攻勢は一週間後に開始することになりました。私はそれよりも前に同盟軍の拠点に向かう必要がありますから、ユーアさんが五日後に戻ってきてくれるのはとても都合がいいですね……少し良すぎるくらいですが」
「よすぎる?」
「いえ、お気になさらず」
さらりと答えつつワズに紙を返した彼女は、机の上にある書類の一つを手に取る。
「ということで、ワズさんの最初で最後になるかもしれない大きな仕事が四日後にあります」
「何がある?」
「戦前の出陣式です。とはいっても出陣するのは私だけですから、城内で収まる程度のものにしてもらいました。その代わりに今回の件で不安な民たちのため、魔術でちょっとした儀式を行う予定です」
「おれは何すればいい?」
「基本的にはシウと一緒に後ろに控えているだけです。その上で、もしも私に危ないことが起これば護衛として動いてもらう形になりますね。こちらが当日の配置になります」
差し出した見取り図は城の大広間のものだ。矢印や注意書きなどがびっしりと書き込まれたそれにざっと目を通した青年は、ふと顔を上げた。
「第三部隊はいるのに第二部隊がいない。グリダはスタインツと同じくらい強いのに」
「ああ、第二は……って、どうしてワズさんがそれを知ってるんですか?」
「昨日剣を教えてもらった。第二部隊のやつともいっぱい話した」
「……なんというか、さすがワズさんですね」
第二部隊はそのほとんどがシゥルドのことを嫌っているため、この青年もそのとばっちりを受けていたはずなのだが。たった半日で何が起きたのだろうか。思わず遠い目になったアルマに、ワズは不思議そうに首を傾げた。
「――さて、お仕事の話は終わりです。ユーアさんが戻ってくる日も分かったことですし、ここからは西部についての勉強の時間……としたいのですが」
いつもの机から応接兼休憩用のソファーへと移動したアルマは、テーブルを挟んだ向かいに座る彼に目を向ける。
「実際のところ、私が説明できるようなことはほとんど話してしまったんですよね……ワズさんに何か気になることがあるならそれについてお話ししますけれど、どうですか?」
「気になること?」
「正確には、旅を続けるかここに残るかの判断材料にするために聞きたいこと、でしょうかね」
「ユーアと離れずに西部のことをどうにかするためには、」
「すみませんそれ以外でお願いします」
言い切るまえに片手で制止され、ワズは再び質問を考え始める。
「……難しい」
「うーん……じゃあ試しに私から少し質問してみましょうか」
少し考え込むような素振りを見せてから、アルマは口を開く。
「そもそもワズさんは、どうして西部に残ろうとしているんでしょう? 西部に来たのはこれが初めてなんですよね?」
「? 生き物が死ぬのはよくない」
「……はい?」
端的に答えたワズに、アルマが怪訝そうに聞き返した。その反応に首を傾げつつ続ける。
「生き物は何もしなくてもすぐ死ぬのに殺し合う。おれはそれが嫌だ。本当は戦争が起きなければいいし何も死ななければいい。でも戦争は起きるし生き物はいつか死ぬ。だから、できるだけ死ぬ人間が少なくなればいいと思う」
「…………」
「アルマ?」
「あ、す、すみません。つまり、これから戦争で人が死ぬ可能性が高いからそれを防ぐために残ろうとしている、ということでしょうか?」
「ああ」
「そう……ですか」
歯切れ悪く沈黙したアルマは眉を寄せて目を伏せ、何かを考え込む。
「変か?」
「結論自体はそこまで変ではないと思いますが……そこに至るまでの考え方が随分と個性的だとは思いました」
「?」
「あ、いえお気になさらず……一応お話しした通り、現在タグゥレを占領しているツツの軍と同盟軍全体では、総合的に見てこちらに優位があるのですが」
「でも確実はないってシゥルドが言ってた」
「そうですね、戦に絶対はありません。ましてや向こうにどれほどの手練がいるのかは分かりませんし、武装についても未知数です。斥候によれは、少なくとも兵たちの武器は剣だったそうですけれど」
「それに、援軍が来るかもしれないってアルマが言った」
「はい。私たちが知っているのは、ツツという名前とその本国が西の海の島国であることのみです。彼らがどのような文化や考えを持っているのか、なぜ今侵攻してきたのか、どれほどの兵力があるのか……そういったことは全く分かっていません。少なくとも、今来ているのが全軍である可能性は極めて低いと考えています。ここは彼らにとって極めて危険な地でしょうから……あ」
ふと声を洩らした彼女は、一度立ち上がって机の上の書類を数枚手に取り振り返った。
「そういえば、話していないことを思い出しました。ツツがこの大陸に侵攻してくるのは、記録にある限りではこれが二度目なんです」
「そうなのか?」
「はい。一度目は魔術戦争よりも前の時代のことでしたから、魔術大国の魔術士たちが対応したそうです。ツツには魔術士という存在が居ないそうですから、彼らからすれば悪夢そのものだったでしょうね」
書類を眺めながら、再び腰を下ろしたアルマが続ける。
「侵攻の後、魔術大国は西部の沿岸に砦を建設しました。それが遺跡として戦争後も残っていたんですが、防衛機能や結界もそのまま残っていたためどうすることもできずに長らく放置されていました。ですが初代の魔女様がそれを解いたことで、残されていたツツに関する情報を手に入れることができたんです」
「おかげ?」
「その通りです。また、西部には『海から恐ろしい化け物たちがやってくる』といった類の話がいくつか伝わっています。きっとそれは、かつての侵攻から得た教訓を伝えやすく残したものなんでしょう。外敵の脅威というものが西部の人々の意識に深く根付いていたことも、こんなに早く軍の編成に踏み切れた理由の一つですね」
そこまで言って、不意に彼女は沈黙する。やがて顔を上げた魔女は先程までのどこか緩い雰囲気をひそめ、ワズをまっすぐに見つめた。
「西部の魔女として、強い力を持つあなたに手を貸して頂けることは歓迎すべきでしょう。総力戦など望みません。損失は少なければ少ないほどよい。戦が終わろうとも、人々の生活は続いていくのですから――ですが、」
ほんの一瞬だけ痛みを堪えるかのように顔を歪めたアルマは、小さく息を吐きつつ再び口を開く。
「ですが私個人としては……どうかあなたの個人的な望みを優先してほしいです。今のあなたが自由に生きていけるのは、旅人という立場あってのこと。ましてや大切な方がいるのなら、彼女の隣を優先できるその立場を守るべきだと私は思います。やりたいことではなくやるべきことを優先した結果、多くを失うことになった人を……私は知っていますから」
静かに目を閉じ、魔女は俯いた。
「……アルマは、悲しいのか?」
「……いいえ。それを悲しむことは、私には許されません」
「何でだ?」
その問いかけに、彼女は呟くように、あるいは囁くように答える。
「その喪失は――私の存在が原因だからです」




