西の魔術士たち 09
闇夜の中に、松明の光が煌々と輝いている。
見張りの男が大きな欠伸を洩らせば、隣に立つ同僚が咎めるような目線を送ってきた。
「……仕方ねぇだろ。こうやって見張っててもどうせ何も起きねぇよ」
「分からんだろう。この大陸には魔女とかいう存在が居るんだ。俺達も知らないうちにその術中かもしれん」
「んなの御伽噺だろ? もし本当だとしても、あれから300年以上経ってんだぜ。今も生きてんならそれこそ本物の化け物だ。あんた幽霊とか信じてたっけか?」
からかうように嘯く男に、同僚は不愉快そうに眉を顰める。
「……ならお前は、我々の軍がかつて何によって壊滅したと考えているんだ?」
「さあ?」
「さあ、じゃないだろう。この地にいる以上、俺達だってその二の舞になる可能性はあるんだ……全く、閣下は何を考えていらっしゃるのか」
「何も考えてなさそうだよな。お父上サマの言いなりだし」
「無礼だぞ」
「本当のことじゃん。ま、俺は殺せるなら何でもいいけどな」
男は腰にある得物を指で軽くつついてけらけらと笑う。同僚の男は軽蔑を隠さずにそれから目を逸らし、先程よりも数段不気味に思える暗闇を睨むように見つめた。
背後で交わされている会話に、少女は静かに耳を傾けていた。
彼女が腰掛けているのは、船の砲で破壊されつくした街中で唯一残っている高い建物の縁だ。侵略者に占拠された今では見張り台代わりになっているそこからは、廃墟と化したタグゥレが一望できる。活気の消え去った大通りには巡回の兵士が通り、埠頭には漁船や商船の代わりに砲門のついた大きな船がいくつか泊まっている。
下らない会話の中から必要な情報を拾い上げつつ、その白銀の瞳が細い月を見上げる。恐ろしいほどに整った顔には、ひどくつまらなそうな表情が滲んでいた。
かさり、と不意にその手元で乾いた音が鳴る。どこからともなく手の中に現れた紙束は、使わなくて済むことを期待しつつ彼女が持ってきたものだ。小さく畳まれたそれを広げていく。
最初に目に入るのは、紙の中心に描かれたいびつな楕円。それには切り分けるようにいくつかの線が引かれており、分けられた部分それぞれに短い名前がついている。
ある程度知識がある者が見れば、それが魔術戦争が起きるよりずっと前の時代に存在した国と国境を記録した地図であると分かるだろう。戦争を経た今ではすでに失われている知識であり、その価値を適切に理解できる者が見れば喉から手を出してでも求めるはずだ。
しかし少女の視線は大陸ではなく、海洋を示す余白へと注がれている。大陸を離れて西へと向かった先、地図の端にある手書きの丸。一抱えほどに描かれている大陸と比べて、親指と人差し指で作った輪ほどの小さな島――ツツ。
走り書きをなぞって、少女は黒々とした海を見つめる。弱々しい月明かりを映した海は、まるで質量を持った闇のようだ。だが、それが彼女に恐れや警戒を抱かせることはない。
――今頃、何をしているだろうか。
いつも厄介事を持ってくる連れのことを思い出し、少女は目を細める。あれを害することのできる人間など存在しない。懸念があるとすればそれに関わる周囲だろう。とはいえ、そちらにも手は回してある。取引をした以上、悪いことにはならないはずだ。
地図を虚空に消し去り、少女は建物から飛び降りる。ふわり、と重さを感じさせない動きで着地した彼女は、そのまま闇の中へと消えていった。
***
扉を開ければ、そこに立っていた男は満足気にワズを見上げた。
「誰かが来たらまずは扉を開けずに名前と用事を聞くこと……うん、護衛の仕事にも慣れてきたみたいだな」
「シゥルドが教えてくれた」
「そうそう。そして開けるときも注意すること、な。もし相手が複数人で来たら押し入られる可能性もある。まあ、あんたの馬鹿力ならどうにかなりそうだが……で、入っていいか?」
「大丈夫ですーお腹空きましたー」
ワズが答える前に、部屋の奥から間延びした声が響く。扉を開いて入ってきたシゥルドがその手に持っている籠を見せれば、アルマは書類の上に両手を投げ出してぐにゃりと脱力した。
「今日のお昼はなんですか?」
「名前忘れたけどなんか辛い肉が挟まってるパン。屋敷の奴らが作ってくれた、魔女様が好きなやつだよ」
「本当ですか! わーいお昼ご飯!」
「はいはい、あんたもおいで。午前中おつかれ」
てきぱきと応接用のテーブルの上に料理を広げ、シゥルドが手招きする。こくりと頷いて、ワズは扉の前を離れた。
「――そういやゼレムナでの話は聞いてなかったが、魔女様が何も言わないってことは微妙だったか?」
包みごと食べようとしていたワズの手からパンを取り上げつつ、シゥルドが思い出したように口を開く。早くも一つ目を食べきって二つ目に手を伸ばしていたアルマは、僅かに顔を曇らせて頷いた。
「はい、ロードン陛下にお会いして来ましたが……やはり、噂は噂でしかないってことでしょうか」
「うわさ?」
「ああ。聞いたことないか? 『黒竜の魔女』っていう、南のイルニードに現れた魔術士の話。巨大な魔物を使役してたとか、街全体に幻影を見せたとか、いろいろな噂が流れてくるんだが」
「……………………」
ワズはどう答えればいいのかを考え始める。突然の無言は普通であれば不審に思われるはずだが、彼の奇行に慣れつつあるシゥルドは気に留めず、包みを剥がしたパンを渡してそのまま話を続ける。
「それでうちの魔女様は、少し前にゼレムナの建国式典で起きた騒ぎで、他国のお偉いさん方を逃がした魔術士がその『魔女』なんじゃないかって疑ってるのさ。公にはなってないんだが、アルマの代理だったおっさんもその魔術士に逃がされて帰ってきたんだ」
「ロードン陛下の話では、少なくともその魔術士とゼレムナには何の関係もない、とのことでした。あの夜は随分と城が混乱していたそうでして……まあ、大広間が全焼するほどの騒ぎですからそれは仕方のないことですね。ゼレムナにとって、ウトラの苛王は恐怖の代名詞みたいなものでしょうし。式典に私が行っていれば、もう少し何か分かったのかもしれませんが、あの頃はツツの出方が分かりませんでしたから……仕方ないといえばそうなのですが」
「俺は違うと思うけどな。イルニードで騒ぎを起こした魔術士がどうして要人を助けるんだよ。大体、魔術士なら国とは関わろうとしないだろ?」
「だったらシウは、そんな強大な力を持つ魔術士が短期間にいきなり二人も現れたというんですか?」
「……魔族とか?」
「それこそ御伽噺の中の存在では……」
しばらく腕を組んで考え込んでいたアルマは、やがて大きくため息をついて肩を落とした。
「こういうとき、近くに魔術について相談できる人がいないのは不便ですね。ウトラは一度も魔女が居たことはありませんし、ゼレムナも50年以上前に最後の魔女が亡くなってからは新しい魔女を迎えたことはありません。北は……まあ、できればあまり関わり合いにはなりたくないところです。中央部を横断できない以上東部はさすがに遠すぎます……やっぱりユーアさんとどうにか……」
「俺、魔女様に自殺願望があったとは知らなかったよ」
「ワズさん、私に優しくしてくれるようユーアさんに頼んでくれませんか……?」
手を組んで懇願するアルマに、シゥルドが呆れた目を向ける。肝心の青年は、きょとんと目を丸くして首を傾げた。
「ユーアはだいたいいつも優しい」
「ぐ……ワズさんに勝てる気がしない……!」
「まあ魔女様割と小賢しいところあるし」
「純粋さ……純粋さが足りない……!」
頭を抱えて唸り声を上げる主を放置して、シゥルドは籠に手を伸ばした。




