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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
43/109

西の魔術士たち 07

 土の感触を確かめながら、男は少し離れたところに立つ青年を睨みつけた。


 野次馬に囲まれた訓練場の中心で、これから訓練を積んだ五人の兵士が一斉に襲いかかってくる状況。だというのに黒髪の青年には緊張も恐れも、それ以前に戦意も見られない。呑気に好奇心に駆られて辺りを見回している様は、都会に出てきた田舎者か物を知らない小さな子供によく似ている。


 こんな人間が魔女様の護衛になるなど、思い上がりも甚だしい。


 話を聞いたときから燻っていた苛立ちが増す。この青年はあの(・・)シゥルドが拾ってきた旅人だという話だ。それをどうして魔女様の護衛と認めることができようか。あの軽薄な男はやはり魔女様の護衛として相応しくない。ここで目の前の青年を打ち負かせば、青年自身とシゥルドの判断の両方を否定することができる。その資格が、自分たちには与えられている。


 公平を期するために連れてこられた他部隊の兵士が、開始の合図をする位置に立つ。思い思いに構えをとる自分たちとは対照的に、黒髪の青年は相変わらずそこに立っているだけだ。


 だらんと下ろされた手に握られたその剣が、鞘から抜けないよう縄で戒められているのは、刃を潰した訓練用の剣を使うことを青年が拒んだからだ。やたらと自分の剣に固執する様は妙に思えたが、隊長であるグリダが検分した以上こちらに不利ということはないだろう。


「――始め!」


 合図と共に、彼らは一斉に動き出す。


 男は事前の作戦通り、後ろに回り込むために地面を蹴った。

 相手は囮として正面から向かっていった仲間を注視しているようだ。好都合だとほくそ笑み、右斜め後ろから一気に切りかかる。




 その瞬間、視界の中心で捉えていた青年の姿がぶれた(・・・)




「……ぁ?」


 どこか間の抜けた声が洩れる。自分の目に見えたものにようやく疑問を感じたとき、男の体は既に宙を舞い地面に叩きつけられていた。



***



 騒がしかった訓練場は、水を打ったような静けさに満ちていた。


「……なーるほどな。こりゃ、確かに参考になるもんじゃないな」


 呆然としている第三部隊の若い兵士を横目に、シゥルドはともすれば引き攣りそうな顔をなんとか苦笑いに収めていた。


 ――人間の体には限界がある。力を強くするために筋力を鍛えれば速度が落ち、かといって速度を上げるだけでは効果のある一撃を与えることができない。そして強い力も凄まじい速度も、持続時間が短ければ意味がない。だからこそ、ほとんどの人間に必要なのはある程度の筋力、ある程度の速度、ある程度の持久力だ。そこに幾度もの戦闘経験が加われば、強者と呼ばれる域にまで辿り着ける。


 結局のところ、ある程度までは努力と経験でどうにかなる。才能不足を嘆くのは、才能の価値を正しく理解できるようになってからの話だ。そうシゥルドは考えている。


 だが――まれにその『ほとんど』には該当しない人間が現れる。


 剣の振り方などまるで知らない、それこそ子供が木の棒をでたらめに振り回すような攻撃。しかし、それが目で追うことすら難しい速度で、軽く触れただけで大の大人が弾き飛ばされる力でなされたらどうなるのか。


 その答えが目の前の惨状だ。


 まさに、『蹴散らされた』という表現がふさわしい。地面に倒れた兵士たちは呻き声を上げてはいるが、起き上がる素振りは見せない。随分と幸運な奴らだ。シゥルドから見れば、どうして即死していないのか分からない。あの青年が振るった一撃は、それだけの威力があっておかしくなかった。


「これでいいか?」


 相手が起き上がらない様子を見ていたワズが、審判役の兵士に首を傾げる。一瞬の決着に呆けていた兵士は、慌てて試合の終わりとワズの勝利を宣言した。

 一つ間を置いて、訓練場には一気に騒がしさが戻ってくる。倒れている兵士を運んでいく者、仲間内で興奮して試合について話し合う者、勢いこんでワズの方に集まり矢継ぎ早に話しかけている者。


「ほら、十分だろ?」


 手で合図をして人波に揉まれるワズを呼び寄せながら、すぐ近くにいたグリダに笑う。感情の読めない目でシゥルドをちらりと見て、男は無言で瞼を下ろした。



***



 殺風景な部屋の中は、張り詰めた空気に支配されていた。

 腕を組む女の前、机を挟んだ向かい側には気まずそうな顔をした男が立っている。


「……」

「……シウ、何か弁明はありますか?」

「いやー……だってあいつらあのままだったら、そのうち魔女様に直談判やらかしてたよ?」

「だからって、どうして大勢の前で試合をするなんてことになるんですか!」


 まったく、と大きくため息をついたアルマは椅子に腰を下ろして脱力する。


「悪かったって。でも、これでしばらくは難癖つけられることもないよ。魔女様だって、くだらないことに忙殺されずに済むだろ」

「私はそんなことを言ってるわけじゃ、」

「それより、だ。ほらあんた、こっちに来てくれ」


 まだ何か言いたげなアルマの言葉を遮って、彼は扉のすぐ側に立っていた青年に手招きをする。きょろきょろと部屋を見回しながら、ワズは大きな机の前にやってきた。


「アルマはここに住んでるのか?」

「いいえ、違いますよ。ここは代々魔女がキーバルからお借りしている執務室ですね。私の屋敷は城下にありますから」

「うちの魔女様はキーバルだけの魔女じゃなくて、西部同盟全体の魔女で同盟国の中立者だからな。どこかの国に肩入れしてると思われないよう注意しなきゃならないんだ。本来ならこの執務室も使うことなんて滅多にないんだが、今はツツが居るからな。緊密な連携を、ってやつだよ」

「きんみつなれんけい?」

「そそ。敵対的な軍が近くに駐留してるってのは、誰が何を言おうと非常事態だ。仕方ないと言えば仕方ないんだが……ってそうじゃなくてだな」


 一度言葉を区切ったシゥルドは、ワズの手に握られたままの剣に視線を落とした。


「少し確かめたいことがある。それ借りていいか?」

「ユーアにこれ以外使うなって言われてる」

「そんなに長く借りるつもりはないよ。すぐ返す」

「ならいい」


 差し出された剣を受け取った男は、そのままそれをアルマへと差し出す。訝しげに二人のやりとりを見ていた魔女は、なんの脈絡もなく渡された剣に目を丸くした。


「え、私に? ……ってこれ、なんで抜けないようになってるんです?」

「まあちょっといろいろあってな。いや、中身はどうでもいいんだよ。魔女様が見るべきはその鞘だ」

「鞘? あ、本当ですね。よく見ると何か模様が……」


 鞘の表面を眺めていたアルマの目が、不意に大きく見開かれる。その新緑の目で鞘に刻まれた紋様を凝視しながら、震える唇をゆっくりと開いた。


「これ……魔道具……?」

「やっぱりか……なああんた、これはどうやって手に入れたんだ?」

「剣を買ったら付いてきた」

「……うん、今のは俺の聞き方が悪かった。この新品っぽい鞘を魔道具にしたのは誰だ?」

「ユーアだぞ」


 ワズの答えに、夢中で鞘を観察していたアルマが石のように固まる。ギギギ、と音がしそうなほどぎこちない動きで顔を上げた彼女は、引き攣った笑みを浮かべて口を開いた。


「…………あの、もしかして、もしかしてなんですけれど……私、とんでもない方に声をかけてしまったのでは?」

「だと思うよ。むしろ、とんでもない人だったからいろいろ哀れに思って懇切丁寧に説明してくれた可能性が高いな」

「……わーい」

「ちょっと落ち着け魔女様。ほら、滑らない。ちゃんと座る」


 倒れ込むように背もたれに体を預け、そのままずるずると足から机の下に滑っていく彼女をシゥルドが引き戻す。にこにこと虚空を見つめたままのアルマに「こりゃしばらく駄目だな」とぼやいて、男は机の上に置かれたままの剣へ視線を落とした。


「それにしても、まさか作られたばかりの魔道具を目にする機会があるなんてな」

「珍しいのか?」

「珍しいなんてもんじゃない。魔道具を作る技術っていうのは失われて久しいんだ。まれに遺跡から見つかってもほとんどの魔道具は解析しようとすると壊れるし、仮にどうにか解析できても技術の水準が違いすぎて参考にならない。今の時代の俺たちに分かってるのは、少なくとも人間が使う術式をそのまま刻むだけじゃ機能しないってことくらいだ」

「ユーアは普通にやってた」

「ふ、ふつう……これを……これが……ふ、ふふ、ふふふふふ……」


 ぶつぶつと呟きながら、溶けたアルマは再び机の下へ滑っていった。




「――ってことで、ほら」


 べたりと力なく突っ伏す主を横目に、シゥルドがワズに剣を差し出す。


「とにかく、その鞘はものすごく貴重なものだから失くすなよ。あと……まあ、俺が言うのもなんだが簡単に他人に渡さないこと。そして聞かれたからって何でもほいほい答えないこと。多分だが、魔道具の作り方を知ってる魔術士なんてその子くらいだよ。魔道具は物によっては魔術士じゃなくても使える。そんな技術が広く知られているなら、今頃この大陸は魔道具で溢れてるはずだ」

「魔道具で溢れるとどうなる?」

「魔術戦争じゃなくて魔道具戦争が始まる」

「……それはすごくよくない」

「その通り。だから気をつけろ」


 真剣な顔でワズが頷いたところで、ふと何かを思い出したようにシゥルドが振り返る。少し待ってろ、と言い残して部屋の奥に向かっていった男は一つの包みを手に戻ってきた。


「朝に説明した通り、今日のあんたの仕事はこれで終わり。明日からは、一時的とはいえ正式に魔女様に付いて回ってもらうことになる。そこで必要なのがこれだ」


 手渡された包みはその大きさに反して随分と軽く、中身は柔らかい。ワズは首を傾げる。


「これは?」

「服。その余所者ですって格好で城の中をうろついてたら、あのアホ共みたいに不審者だと思う奴がいても仕方ない。だから明日からはこれを着てくるようにしてくれ」

「服……」


 何事かを考え込むワズをよそに、シゥルドは誰もいないように見える机の方へと声をかける。


「魔女様、こいつを城門まで送ってくるよ」

「ふぁうぇあ」

「はいはいそうだな」

「アルマはなんて言った?」

「さあ? 俺が理解できるのは人間の言葉だけだからな」

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