西の魔術士たち 05
乾いた風が頬を撫でる。
また一歩踏みしめた地面は日差しの下で白銀に輝き、その強い光に網膜を焼き焦がされてしまいそうだ。
さらさらと崩れる足場の悪い砂の上を一人、少女は慣れた様子で進む。ふと顔を上げた彼女の正面、そう遠くは離れていない場所では、二頭の巨大な存在が激しい争いを繰り広げていた。
鳥とワーム。
本来であれば捕食者と被捕食者でしかない二つの存在は、双方が魔物であることによってその力を拮抗させている。
広げた翼が民家五軒ほどある鳥の魔物は、その鋭く尖った嘴でワームの六つある目を執拗に狙う。凄まじい音とともに尾羽が火花を散らすのを見るに、どうやら突き刺した嘴からワームの体内へと直接雷撃を流し込んでいるらしい。
対するワームの魔物は、10人の大人が手を繋いで囲んでも足りないほどの巨体で地中から飛び出しては、その円形に牙が並んだ口から何か液体を吐き出す。狙いを外れて地面へと落ちた液体は、一瞬だけ激しく青白い炎を上げて消えた。
――魔物が動物と異なる点は大きく分けて二つ。一つは、言わずもがな魔術を使えること。もう一つは、その身体の中に臓器として魔力袋を持つゆえ、許容量を超えた魔力を一気に取り込めば魔力袋が破裂してほぼ確実に死ぬことだ。
メキメキと耳障りな音を立てて、所々が焦げた鳥の翼が噛みちぎられる。悲鳴と共に墜落した鳥が急いで身を起こすが、その足が砂を蹴るよりもワームの動きは早い。首に噛み付いたワームは、圧倒的な質量で鳥を叩き潰すように何度も何度も地面に頭突きをする。弱々しく火花を散らしたのを最期に、鳥は動かなくなった。
苦労して討ち取った獲物を前にして、さあ食事の時間だとその口を広げたワーム。その動きが、不意にぴたりと止まる。ワームの一つしか残っていない目には、少し離れたところからこちらを見上げている小さな小さな生き物が映っていた。
この大陸において最も危険な土地に、奇妙な沈黙が流れる。
びっしりと牙の生えた口だけをしばらくもぞもぞと動かしていたワームは、やがてゆっくりと、極めてゆっくりと動き出した。恐る恐る、相手の機嫌を伺うような仕草で鳥の片脚に噛み付いたワームは、地中に潜ることなく砂の上を泳いで静かに去っていく。その背(?)を無言で見送って、少女は片手に作り上げていた術式を消した。
――許容量を超えた魔力を取り込めば、魔物は死ぬ。
しかし、実際にそれが起きることはあまりない。というのも魔物というのは、得てして何かしらの方法で相手の魔力量を推し量る能力を持っているからだ。その能力は己に相応しい獲物を見つける他、己に相応しくない強者との争いを避けることに使われる。
この大陸において最上位に近い魔物との戦いを、極めて平和的な方法で回避した少女は再び歩き出す。
その視線の先には、砂の海に埋もれかけた低い塔があった。
***
「――どうしたんだ?」
怪訝そうに声をかけられ、ワズは自分が立ち止まっていることに気づいた。少し前で、シゥルドが振り返って不思議そうにこちらを見ている。
「何か気になるようなものでもあったか?」
「……分からないから、いい」
「ん、そうか。なら案内を続けるよ」
こっちだ、と再び歩き始めた男の背を追いかけて、ワズは磨かれた床に足を踏み出した。
アルマの護衛を引き受けた翌日、ワズはキーバルの城に来ていた。
廊下を歩く見知らぬ青年を、文官や侍女が遠巻きに見ている。それはワズの容姿がこの国で珍しいものであることもそうだが、彼らの興味を何よりも惹き付けているのは、彼と共にいるのがあのシゥルドであるということだった。
そういった機敏には特に気がつくこともなく、ワズはシゥルドの案内で城内を歩く。門から城内に入って一通りを巡った二人は今、軍の訓練場が見える一階の廊下を歩いていた。
「あんたが助けたのは、キーバルの軍の中でもかなりいい奴らが集まってる部隊だ。実力も十分あって、状況に応じて柔軟な対応ができて、性格もいい。基本的に、俺が動けないときにはあいつらに任せることが多かった。でもあんたがこの城にいる間はそれがあんたの仕事になる。だから、まずはあいつらに会いに行く」
「会って何する?」
「特別何も。あんたが城に来たっていうことを伝えて軽く世間話でもするだけだよ。でもそれが重要なんだ。ちゃんと納得の上であんたに引き継がれてるってのと、あんたがあいつらに認められているってのが広まることがな。いい牽制になる」
「けんせい?」
「ああ。つまり――」
「――貴様、なぜここにいる!」
突然、大きな声が廊下に響き渡った。シゥルドが小さく舌打ちをする。普通の人間であれば耳が痛くなるような怒鳴り声に、ワズは目を丸くして向かいから荒々しく歩いてくる男を見つめた。
「……質問の意味が分からないが。俺が城内を歩いていることが不満か?」
平坦な声でそう問いかけるシゥルドに、兵士の制服を着た男は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「不満? 不満だとも! だがそんなことはどうでもいい。貴様の仕事は偉大なる魔女様の護衛だ。魔女様をお守りするのが仕事だというのに、なぜこんな場所にいる! 今すぐ魔女様のお傍に戻れ!」
「あのな、うちの魔女様はよちよち歩きの赤ん坊じゃないから四六時中近くで護衛してる必要はないんだよ。それに今は、」
「赤ん坊だと!? 貴様、魔女様を愚弄するか! だいたい貴様はいつもそんなだらしない服装をしおって!」
「……うぜー」
ぼそりと呟いたシゥルドの言葉に気付かず、うるさい兵士は顔を真っ赤にして捲し立てている。話の本筋と全く関係ない内容で、一通りシゥルドの悪いところを主観的に吐き出した男は、疲れたのか荒い息を吐いて呼吸を整えた。と、その視線がシゥルドの後ろにいたワズへと向く。
「……なんだ貴様? 何者だ!? おのれシゥルド、魔女様の護衛という権限を使って不法侵入者を招き入れるとは!」
「あー、こいつは……」
ぽかんとしたままのワズを振り返って、シゥルドが初めて言葉を濁す。少し迷うような素振りを見せてから、小さくため息をついて口を開いた。
「こいつは俺と同じ、新しく魔女様の護衛につく奴だよ」
その瞬間、再び怒りを爆発させようとしていた男がぴたりと止まった。大きく目を見開いて、口すら開いたまま立ち尽くしている。まるで石像になってしまったかのように固まった男に「それじゃ」と声をかけ、シゥルドはその横を抜けて再び歩き出す。固まったままの男を気にしつつも、ワズはその後に続いた。
「――まあ、ああいう奴がいるからだ。驚かせて悪いな」
廊下にあった扉から外へと出たところで、シゥルドは肩をすくめる。
「軍部だけじゃないんだが、魔女様のことを勝手に神格化してる馬鹿がこの城にはそこそこいるんだ。そしてそういう奴らのほとんどが俺を嫌ってる。『魔女様に相応しくない』ってな。面倒臭いことこの上ない」
「アルマは神なのか?」
「あいつらにとってはな。うちの魔女様は割とポンコツなんだが、あいつらは都合のいいところしか見えてないんだ」
「……よく分からない」
「だろうな。別に分かろうとしなくていいよ。なんていうか……あんたはそういうのとは生涯無縁そうだ」
けらけらと笑って、シゥルドは石造りの無骨な建物が並ぶ方へと向かっていく。似たような四角い建物のうちの一つで立ち止まったシゥルドは、分厚い木の扉をコツコツと叩いた。ややあって、向こう側から扉が開かれる。
「はーい、どちらさんっすか? ……って、シゥルドさんか。隊長なら今……」
若い兵士がどこかのんびりとした調子で続けようとしたところで、視線を上げて固まる。数秒ほどワズを見つめていた兵士は、無言で両手を顔の近くまで持ってくると勢いよく自分の頬に叩きつけた。バチンと大きな音がして、その頬が手の形に赤くなる。
「……黒髪? ワズさん? え、マジで? 本物?」
「誰だ?」
「うわ本物だ! 二人とも入っててください! 隊長呼んでくるっすー!!」
ドタバタと慌てて奥へ走っていく兵士と、訳も分からないままに取り残されたワズを見て、シゥルドは盛大に吹き出した。




