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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
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鱗の石 04

 飴細工の屋台に目を奪われていたことに気がついて、シェリンは両手で頬を叩いて己を諌めた。


 近くに姉の姿はない。急用が入ったというので、シェリンは一人で帰ることにしたのだ。サリアは心配していたが、歳の近い子供も住んでいてよく見知った場所だ。大丈夫だと言えば、姉は不安げながらも頷いた。


 いつの間にか陽は傾き、並んだ屋台のランプにはまばらに火が入っている。急がないと夜になる前に帰れないかもしれない。そう思って足を踏み出したシェリンは、思い切り目の前の誰かにぶつかってしまった。尻餅をつきかけ、しかし伸びてきた手がその背を支えて事なきを得た。サリアが戻ってきたのかと見上げたシェリンは、人違いだと気づいて少しばかりがっかりする。


「気をつけろ」

「ごめんなさい……」


 姉と同い年くらいの少女はそのまま立ち去ろうとしたが、途中で足を止める。振り返った彼女は、戸惑うシェリンをフード越しにじっと見つめて口を開いた。


「黒髪の男を知ってるか?」

「ワズのこと? どうして分かるの?」


 目を丸くした少女に、彼女は小さく笑って首を振る。


「それは秘密。どこにいるか分かるか? 探してる」

「お昼頃におじさんのところに連れて行ってからは分かんない……」

「おじさん?」

「詰め所にいる衛兵のおじさん。案内する?」

「充分だ。ありがとう」


 シェリンの頭を撫でてお礼を言うと、彼女はふと辺りを見回す。


「一人で遊びに来たのか?」

「ううん、お姉ちゃんとは途中で別れたの。でももう家に帰るから大丈夫。お姉ちゃんもそのうち帰ってくると思うし……どうしたの?」


 話の途中から口に手を当てて考え込んでいた彼女は、不思議そうに見つめる少女の視線に気づくとその口元に笑みを浮かべた。



「すまないな。まだ帰せそうにない」



 聞き返す前に、シェリンの意識は暗闇に落ちた。



***



 どうしてこんなことをしているのだろう。


 胸の裡に問いかけても答えなどあるはずもない。祭りの終わりを惜しむように大通りは未だ賑わっている。しかし、そこから幾分か離れたこの塔は暗闇に包まれていた。


 壁に沿って続く螺旋階段に二人分の足音が響く。手に持ったランプの火が頼りなく揺れている。かつて罪人を捕らえていたという塔は、既に廃墟となった今でも不気味な気配に満ちている。だが、ここで行われていることを思えばむしろ当然のことのように思えた。


 宿から連れ出した黒髪の旅人は、一度注意したきり大人しく口を噤んでついてくる。いっそ、全力で抵抗して逃げてくれれば見逃す理由もつくというのに。甘い考えに小さく首を振る。もし逃がしてしまったら今まで必死に耐えてきたことが無駄になる。だが――こんなことまでして生き続けることに、意味があるのだろうか。


 大きな扉が見えてきたことでサリアは思考を断ち切る。扉を叩いて返事も聞かずに開いたそこには、牢獄の跡には相応しくない派手な内装の部屋があった。部屋の主は豪奢な長椅子に横たわってサリアを見ていた。


 美しい女だ。だが、その性質は毒を持つ花に似ている。サリアの眉間に皺が寄る。嫌悪感を隠しもしないサリアを見て、女は愉快そうに唇を歪めた。


「嬉しいわ。ちゃんと連れてきてくれるなんて」

「あの子と居るときにわざわざ呼び出しておいて何を」

「あなたが協力的であり続ければ、私が手を出すことはないわ。……ああ、でも今は余所者がたくさん居るし、他の誰が手を出すかは分からないわね」


 サリアは思わず振り向いて閉じた扉に目をやる。いつの間にか、壁際に控えていた女の部下が阻むようにその前に立っている。女はサリアの後ろに目をやって、恍惚とした笑みを浮かべた。


「やっぱり素晴らしい魔力だわ。街に入ってきたときからずっと目をつけてたのよ」


 魔力、という言葉を聞いてサリアは固まる。それは、今では滅多にいない魔術士が持っている力だと聞いた。サリアにもその力があり、それがサリアの作品を呪われたものにしているのだとも。


「ねえ、私のものになって?」


 甘い毒のような女が、蠱惑的に微笑む。見上げれば、その闇色の双眸がそれをじっと見ていた。咄嗟にその腕を引いたがそれが無駄だとサリアは知っている。その微笑みを向けられた男たちが皆、おかしくなっていくのを何度も見てきたのだ。


 だが、女に囚われているはずの彼の目に一切の感情が乗っていないのを見て、サリアは目を丸くした。


「……サリア」


 不機嫌そうに女が呟く。数秒遅れて、名前を呼ばれたことに気がついた。同時に硬い音を立てて何かが足元に転がってくる。


「使い方ならよく知ってるでしょう?」


 その大粒の宝石は、確かにいつも扱っているものと似た形をしている。だが、触るのを躊躇うほどの形容できない不快感をもたらすそれを、同じものとは思えなかった。精神をおかしくするだけではない。何か得体の知れない影響が含まれているのが、魔術をろくに知らないサリアにもわかった。


「……彼をどうするつもりなんですか。今までに呪いにかけた女の人たちも、何のためにそんなことを」

「あなたに教える必要がある? 好奇心は猫を殺すらしいけど、人も殺せるのかしら?」


 女の部下が引き摺ってきたものを見て、サリアは瞠目する。


「知り合いと余所者、どっちを選ぶかなんて分かり切ってることじゃなくて?」


 刃物を首に当てられてもドミアスに動く様子はない。人形のように投げ出された手足は、意識がないことを示していた。親のように思っている男の顔に暴力の跡があるのを見て、目の前が真っ赤になった。


「誰にも手を出さないって話だったでしょ!?」

「協力的ならね。私の命令を拒むあなたは協力的?」


 言葉に詰まった彼女を、女は鼻で笑った。


 唇をきつく噛んで、サリアは足元の宝石を拾う。宝石の呪いを人に直接使ったことはない。だが、そんなことをされた相手がまともな状態を保っていられるとは思えない。


「ほら、早く」




「――その必要はない」




 透き通った声が部屋に響く。同時に、サリアの手の中で宝石が粉々に砕け散った。同じように目を見開いた女が、刃の砕けたナイフに目をやる。


「こんばんは」


 いつの間にか開け放たれていた窓に座っているのは、ひどく美しい少女だった。

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