西の魔術士たち 01
5話は長めなので、二日に分けてだいたい半分ずつ投稿させていただきます。
石造りの砦の中は、寒々しい静寂に包まれていた。
松明の火は全て吹き散らされ、崩れかけた壁から差し込む朧気な月明かりが床を埋めつくしているものを照らす。
それは首のない人間の死体だ。
大柄な者も小柄な者も、強い者も弱い者も、位の高い者も低いものも全て関係ない。悲鳴を上げるどころか、誰一人として襲撃されたことにも気付くことなく、彼らの首はどこかへと消えてしまった。
その片隅の暗がりで、一人の兵が震えながら蹲っていた。男は別に何かに秀でていたわけではない。ただ、その瞬間。不可視の刃が振るわれたそのときに、偶然にもその場でかがみ込んでいたというだけ。
噎せ返るような鉄の臭いに耐え、男は必死に息を殺す。夥しい数の死体に囲まれながら、男が逃げ出すことも失神することもできずにいる理由は、その大きく見開かれた視線の先にあった。
「ほとんど終わったわ。あなたはどうかしら?」
それは、穏やかな雰囲気を纏った女だった。春の日差しの下に咲く花のように可憐な笑みは、見る者の視線を虜にする魅力がある。もしもその微笑みを向けられれば、どんな男でも都合のいい勘違いをしたくなるだろう――彼女が立っているその場所が、無数の死体から流れ出た血溜まりの中心でなければ。
「ええ……そう、そうね」
まるで目の前に誰かがいるかのように、女は窓の外の海を眺めて呟く。
その視線の先では、急いで陸から離れようとする船の一隻が、巨大な火球によって船体の半分を消し飛ばされているところだった。必死に広がる炎を消そうとしている船員の姿が見えるが、半分しかない船で海を渡ることはできない。そう時間もかからず、闇そのもののような夜の海に沈むだろう。
悪夢ですら見ることのないような、現実離れした光景。しかし、肌に突き刺さる恐怖がそう思うことを許さない。
「可哀想ね。何にも知らずにこんなところで死ぬなんて、ね」
潮風に巻き上げられた髪を押さえて、女はぽつりと哀れみの言葉を吐く。姿の見えぬ話し相手に言ったのか、独り言なのか。定かではないそれを口にした女の目には、ひどく嗜虐的な、それでいてまるで熱のない色が浮かんでいた。
「でも大丈夫よ。あなたたちが死んだことは、逃がしてあげたあなたの上官さんが国に戻ってちゃんと伝えてくれるもの。そう、大事なのは教えてあげることなの。だって知らないままだったら、また同じようにお馬鹿さんになってしまうのが人間というものだもの、ね」
歌うように言葉を紡ぐ。女が血溜まりの中でくるくると回れば、その足先から飛び散った赤が冷たくなった仲間たちの体に跳ねた。恐怖に支配された男は強く目を閉じ、ただ全てが過ぎ去ることを祈ることしかできない。
目の前に敵がいる状態でそんなことをするのは兵士としてあるまじきことだが、迫り来る死を自覚せずに済んだ男はある意味で幸せだったのかもしれない。
「――だから、もう怖がらなくっていいのよ?」
甘い甘い囁きは、すぐ耳元で聞こえた。
その意味を理解する前に、男は事切れた。




