残り香 08
2024/1/21 一部加筆
倒れ込むように仰向けに寝台に横たわる。木々の葉が揺れる音に耳を傾け、彼女はぼんやりと天井を眺めていた。
『あなたが居てくれてよかった』
そう微笑んだ女は、静かに目を閉じた。少しずつ冷たくなっていく手の感触と、ひどく鼻につく血の臭いを忘れることはない。
ぎしり、と寝台が軋んだ。こちらを見下ろす青年は、どこかしょぼくれた表情を浮かべている。
そっと、安易に触れて傷つけることを恐れるように、その手が彼女の頬に触れる。いつもの無遠慮さが冗談のような仕草に思わず目を丸くすれば、さらに情けない表情になったワズが口を開いた。
「……ユーア、痛いのか?」
「どうしてそう思う。私はどこも怪我なんてしていないだろう?」
「でも、昨日の夜と同じだ。おれがメオを守れなかったからか?」
「あれは人の体や術式のことを教えておかなかった私の責任だ。お前が気に病むことではない」
「でも……」
浮かない顔の青年に苦笑して、彼女は体を起こす。失敗の反省は重要だが引きずるのは良くない。いつものように抱きしめて安心させてやればいいだろうか。そう思って差し出した手を引かれ、気がつけば少女の体はその腕の中に収まっていた。
「ワズ?」
顔を上げれば、じっとこちらを見つめる漆黒の双眸があった。その暗闇の中の溢れんばかりの悲痛に目を見張った彼女は、少し遅れてから状況を理解して困ったように笑った。
「私の魔力に影響を受けたんだろう? 近くに居ればもっと辛くなるだけだぞ」
「……嫌だ」
「まったく……仕方ないな」
指先を襟足に絡めるようにして頭を撫でてやれば、腕の力が強まる。包み込むような体勢になったワズは、目に焼きつけることが目的かのように彼女を見ていた。
「……ユーア」
「何だ?」
「ユーアはじゆうか?」
「ああ」
「なら――いいものを選べたか?」
その問いかけに、彼女は目を閉じて小さく微笑んだ。
***
ふわりとローブが広がる。空中に身を躍らせたユーアが軽い動きで黒い毛並みに跨る。森の外、広大な草原を背にして佇む狼とその上の少女は、一枚の絵のように馴染んでいた。
「……すご」
見送りのために着いてきたメオは思わずぽつりと零す。聞こえたらしい少女は眉をひそめた。
「一応言っておくが、普通の狼にやろうとするなよ」
「やらないよ。ワズが特殊なのはよく分かってるし」
元気でね、と首元を撫でてやれば大きな尻尾が揺れる。
「一つ、頼みがあるんだけど」
ふと思い立って声をかければ、少女は首を傾げる。その姿を見上げた彼は己の右目――魔道具の義眼を指さした。
「もしも俺の右目を取り戻せたら、何にも利用されないように壊してもらうことってできる?」
「いいのか? 眼球を戻すのは無理でも、遠見はお前の義眼に返してやるつもりだったんだが」
「勝手に他人の記憶を覗き見るのってやっぱり気分のいいものじゃないから。左目とはこれからもうまく付き合ってくよ。こんなのでも、まだ自分の体だし」
「いいだろう。だが――」
そう言葉を区切ったユーアは、一度表情を消してから薄く微笑んだ。
「お前にとってもう価値のないものでも、それが理不尽に奪われたものであることに変わりはない。あの男にはきっちりと対価を払ってもらおうか」
陽射しに照らされ輝く草原の中、大きな狼とその上の小柄な人影が小さくなっていく。その後ろ姿が草の波に消えても、凍りついたメオはしばらくその場から動けなかった。




