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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
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残り香 06

「――村についてはもう知ってるね」

「魔術士の?」

「そう、魔術士の末裔。僕もメオも彼女――レーレインも。だからこうして、僕らは長いことこの森で暮らしてきた」


 その話ならあの少女に聞いた。半日眠っていたせいですっかり腹を空かせたメオは、父が持ってきてくれた食事を口にしながら頷く。


「森の中は確かに外の人が来ることなんてほぼないけど、危険がないわけじゃない。たまに迷い込んでくる魔物はもちろん、人を襲う獣や天災にも僕らができる対処は限られている」

「でも……それは仕方がないことでしょ? 森で暮らしてるんだから」

「そうだね、僕もそう思う。だけど、僕達の先祖はそんな風には考えられなかった。それもまた仕方がないことではあるよ。もっと便利な道具が使えるのに、それを使っちゃいけないんだから」


 まだ納得がいかない表情の息子に苦笑しつつ、ライカは口を開いた。


「一度魔術を捨てた人々も、魔術がない生活の不便さや危険を知っ自分たちの決断に悩み始めたらしい。本当にこのまま魔術を捨て去ってもいいのかってね。そんなときに現れたのが――魔女なんだ」

「魔女って……大きな国の偉い魔術士のことじゃないの?」

「元々は違う。魔女っていうのは、魔術を捨てた人々を守るために魔術士であり続けた人達のことだったんだ。その中でも表立って政治に介入する方法を選んだのが、今は国の魔女と呼ばれている人達だね。でも200年も経った今、古い意味での魔女はほぼ居ないと言っていい。人々が魔術のない生活に慣れれば、魔女が魔術士であり続ける必要もなくなるから」

「……でも母さんは魔女だったんでしょ? どうして今更?」

「それは……」


 言葉を途切れさせ、深くため息をついて父は目を伏せる。


「……それに関してはまた別の機会に話すよ。ただ、レーレインは戦うのが苦手だったから、武力とは違う形で皆を守ることにしたんだ」

「薬師として?」

「そう。だから僕が今やっていることは、彼女のやっていたことをなぞっているだけだ。まあ、僕は魔術が使えるほど魔力を持っていないから、同じものは作れないけど。……本当に、ちゃんと思い出せたんだね。よかった」


 安堵と嬉しさが滲んだ笑顔に、なんとなく照れ臭さを感じる。ごまかすように首の後ろに手をやったところで、手に触れた髪の感触に首を傾げた。眠っていたあたりを振り返ってみても、見慣れた飾り紐が見当たらない。


「ああ、あれならあの方が持っていったよ」

「え」

「昔レーレインから聞いた話だけど、魔術士には親から子供へ、師匠から弟子へと飾り紐を贈る文化があったそうだよ。紐に魔術を織り込んで、いざというときには相手を守ってくれるようにってね。メオが持ってたのも、元はレーレインがあの方から贈られたものなんだ」

「……勝手に使ってたの謝った方がいいかな」


 初めて会ったときを剣幕を思い浮かべて顔を青ざめさせるメオに、父はなぜか目を丸くした。


「……ん? ああ、ごめんね。僕の言い方が悪かった。没収されたんじゃなくて、魔術を織り直すために借りていったんだよ」

「え?」

「10年前のときそのまま行方不明になったと思っていたらしい。むしろ嬉しそうにしてたから心配しなくていいよ」

「よ、よかった……」


 ほっと息を吐けば、もう一度ごめんねと謝った父が笑った。



***



 メオがどんな気持ちでも、森が優しくなることはないから。


 見送りの言葉にそう付け加えた父に頷いて、メオはすっかりと日の落ちた森を歩く。いつもなら、過保護な気のある父が遅くの外出を許すことはないが、母に報告しておきたいというメオの気持ちを尊重してくれた結果だった。


 涼しい風が吹き抜ける。夜の森を歩くのは久方ぶりだ。湿り気を帯びた空気の中で深呼吸をしたところで――不意に強烈な既視感に襲われた。少し前にもこうして一人で夜更けの森を歩いていた気がする。いや、違う。わざわざ夜に危険な外に出る理由はメオにない。父も余程の理由がなければそれを許さないだろう。だが、いくら否定してみても、こびりついた既視感は拭い去れない。


 考え込むメオの顔に明るい月の光がかかる。母の墓がある空き地の手前まで来ていた。顔を上げたところでぴたりとその足が止まった。



 ――誰かがいる。



 しばらく逡巡してから、木の陰からそっと身を乗り出す。眩いほどに輝く月の下、母の墓の前に立っていたのは見知らぬ男だった。


  華のある男、という表現が似合う出で立ちの人物だ。色素の薄い髪はきっちりと整えられている。纏っている服はメオが見たことのない形のものだが、こんな深い森の奥よりも大きな城の広間にでもいる方が相応しいように思えた。


 あるとすれば道に迷った可能性だが、式典にでも行くような格好で森に入る人間がいるとは思えない。何かがおかしい。このまま家に帰って何も見なかったことにした方がいい。そう思うのに、妙に惹き付けられる雰囲気に思わず口を開いていた。


「あの…………こんばんは」


 躊躇いがちに声をかければ、男が振り向く。


「……へーぇ?」


 色の違う双眸を細めた男は、上から下まで観察して愉快そうに口角を上げる。


「あの女がわざわざ時間をかけるっつぅからどんなもんかと思ったが、なるほどなるほど」

「あの女……?」


 想像よりもずっと粗野な口調に戸惑いを隠せず聞き返せば、男が眉を顰めた。


「あぁ? あの女の魔力の匂いが染み付いてやがるてめぇが知らねぇはずがねぇだろ」

「魔力って……魔術士? ユーアの知り合いなの?」

「……ああそうだ。あの女のことならよぉーく知ってる」


 一瞬、その瞳に追い切れないほどの感情が過ぎった気がしたが、すぐに底の読めない笑みに隠された。どこか忌々しげに、それでいて楽しそうに答えた男に困惑する。


「えっと……もしわざわざこんな森の奥まで訪ねてきたなら、ユーアのとこまで案内しようか?」


 この男の正体はよく分からないが、とりあえず少女のところまで連れていけばどうにかしてくれるだろう。そう思って口にした申し出に、しかし男は首を振った。




「いーや? その必要はねぇ。どうせすぐに来るだろうからな」



 その瞬間、頭の奥からぶちりと鈍い音が響いた。




「……あ……ぁ、あ、あああぁぁっ!!」


 空白の後、思考が激痛に支配される。右目を押さえてその場に蹲った。眼球の裏側に焼きごてを押し付けられているかのようだ。呼吸がうまくできない。閉じた瞼の隙間から零れるものが涙ではないことは、手に触れるぬるつく感触で分かった。


 草を踏む音が近づいてくる。無事な左目を薄く開いたメオは、すぐ目の前にある両足に背筋を凍らせた。


「まーなんだ、運が悪かったと思えよな」


 小石に躓いた人間に向けるような言葉を口にして、男は無造作に手を伸ばしてくる。瞼が開いているはずの右目は血に覆われているのか何も見えない。男の指がメオの手を押し退け、その右目へと触れる――その直前、無表情だった男の顔が驚愕に染まった。



***



 広がる。広げる。


 その感覚は、暗い底にずっと広がっていた(・・・・・・)彼にとってひどく馴染み深い。


 彼は暗闇だ。深く暗い、底の底にある暗闇。


 広がりすぎる必要はない。ただ少し、水を降らす白いものが存在できない程度に、()で塗り潰してやればいい。


「……ぅ」


 その小さな音が、彼の意識にさざ波を起こす。


 否、揺らいでいるのは意識ではない。彼そのものだ。


 ぼんやりと、ただ広げて塗り潰すことだけを考えていた『自分』が形をもつ。より鮮明に、より繊細に。何かが入り込んできている。だが悪いものではない。むしろ彼を後押しするように動き回る何かを好いと思った。


 その鱗に覆われた瞼が開き、大きな黒い目に青が映る。上の白いものにはぽっかりと丸い穴が空き、そこから光が差し込んでいた。だが彼の視線はただ一点、目の前で身動ぎをしている小さな存在に注がれていた。


 ゆっくりと立ち上がった生き物は、その白銀の双眸で彼を見上げて小さな口を開いた。


「――この、大馬鹿者が!」


 魔力中毒で殺す気か。そう()を発した生き物を、彼はまじまじと見つめる。


 それが、のちにワズと呼ばれることになる彼が、初めて聞いた『言葉』だった。

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