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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
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古傷 07

 床に座り込んだ女を中心に起こった暴風が、広間にある全てを巻き込んで破壊していく。捲りあがった床の破片がその頬を切り裂くが、リュトレンゼがそれを気にする様子はない。柱の一つに掴まってその様子を見ていたワズは、もう片方の腕に引っかかっているネデリスを揺さぶる。


「生きてるか?」

「ぅ゛……生きてますが、」


 げほ、と咳き込んでから顔を上げる。二人が見ている目の前で、かろうじて残っていた階段がちぎりとられて巻き込まれていく。被害の範囲を広げていく破壊の渦を見て、ネデリスが顔を険しくした。


「このままじゃいずれ巻き込まれて私達も死にます。どうにか彼女を止めないと」

「ネデリスには何か方法があるのか?」

「今はありませんけど……なら、ワズさんはどうするつもりなんですか?」


 問われたワズは、堂々と胸を張って答えた。


「ユーアが来るのを待つ」




 その瞬間、二人の背後で小さな靴音が鳴った。




 荷物のように抱えられたまま、ネデリスは思わず息を呑む。

 その少女はまるで、空から落ちてきた星のようだった。


 闇を切り取った黒髪の下には、強い輝きを孕んだ白銀の瞳が覗く。夜の色に染まるドレスの裾からは、白い足が惜しげもなく晒されている。広間を蹂躙する暴風の中を散歩でもするかのように歩く少女は、ネデリスの傍でその足を止めた。嬉しそうに顔を綻ばせているワズを見上げれば、人形のように整った顔が顰められる。


「何でここに居るんだお前は」

「隣に立ってるように頼まれた」

「せめてまともに説明する努力をしろ」


 全く、とため息をついて少女は広間の中心へと歩いていく。瓦礫を数秒で噛み砕く風に足を踏み入れても、その細い体に傷がつくことはない。靴音はやがて止まる。少女の目の前には、体中に小さな傷を作り続けている赤髪の女がいた。


「リュトレンゼ」


 膝をついた少女が、その名前を口にする。しかしリュトレンゼと呼ばれた女は、ただ虚空に視線をさ迷わせるだけで反応を返さない。全く、と再びため息をついた少女は両手で女の頭を優しく捕まえ、その目をじっと覗き込んで口を開く。


「リュトレンゼ」

「………………あ……、」


 赤い瞳に理性が戻る。




「……ユーア、さま(・・)?」




 少女の顔を呆然と見つめて、女はそう呟いた。



***



「もう行っちゃうの?」

「ああ。私にも目的がある」

「……また、会える?」

「どうだろうな。次に私がこの国に来るのは、既にお前たちが死んだ後かもしれない」


 初めて会ったときよりも背が伸びたリュトレンゼを、少女は眩しそうに見上げて満足気に微笑む。その目は一見リュトレンゼを見ているようで、もっと遠くの何かを見ている。柔らかい銀色の眼差しに、無性に胸が苦しくなった。こうやって、この少女は一体何人の知り合いを見送ってきたのだろう。どれだけの記憶を思い出に変えてきたのだろう。


 このままこの少女を行かせて、いいのだろうか。

 決断は一瞬だった。


「……リュトレンゼ?」


 不意に手を握られた少女は、不思議そうにしながらもリュトレンゼが口を開くのを待ってくれる。少女は優しい。けれどそれの優しさが甘さに変わることは決してない。だからこそ、彼女は安心してその言葉を口にできる。


「私、ユーア様の友達になる。ここでクロフと一緒に過ごして、あなたにまた会えるのを待ってる」


 そこで一度口を噤んで、リュトレンゼは恐る恐る続けた。




「だからその…………ユーアって、そう呼んでいい?」





***



 大広間は酷い惨状だった。あらゆるものが破壊されて辺りに散らばっている。唇を噛むリュトレンゼの頭に、そっと手が置かれた。


「最悪の条件が重なっただけだ。気にするな」

「……ええ」


 それでも目を伏せるリュトレンゼに苦笑して、ユーアは一歩その前へと歩み出た。


「――さて、そろそろ出てきたらどうだ? それとも王ともあろう者が怖気付いたか?」


 ユーアの挑発に応じるように、瓦礫の山の一角が爆発した。そこから現れた男は、怒りに染まった目で少女を睨み付ける。


「小娘……俺が誰なのか分かっているのか?」

「ああ勿論だ、アッケルド。馬鹿は死んでも治らないというがその通りらしいな」

「貴様ァ!!」


 激昴した男が剣を振るう。その先から溢れ出た炎が、少女の張った結界にぶつかる前に掻き消された。振り返る少女と目が合って、リュトレンゼは術式に干渉した手をひらひらと振る。


「私の放った炎だもの。私が防いだ方が効率がいいわ」


 血の気が引いた手を開閉して体の具合を確かめる。体は強ばっているが、この程度ならば気にするまでもない。一体自分が誰に師事して魔術を学んだと思っているのか。立ち上がって足を踏み出し、少女の隣に並ぶと残っていた僅かな震えも消えた。


「そして、あの男の狙いは最初から私。それなら相手をするべきなのは当然私よ」


 不敵な笑みと共に片目を瞑ってみせる。


「任せてくれるわよね、ユーア(・・・)?」


 その名前を呼ぶのに、敬称など必要ないのだから。



***



「――何だ」


 服の裾を引かれたユーアは、立ち去ろうとしていたその足を止めた。床に座り込んでいる青年は、彼女の後ろをじっと見つめている。


「ユーア、どうして人間は人間を殺す?」

「さあな」

「……」


 激しくなっていく戦いを、ワズは腑に落ちない顔で眺め続ける。その手が服を握ったままなのを見て、ユーアは大きくため息をついた。


「理由が知りたいのなら直接聞けばいいだろう。誰かが死ぬことが嫌なら直接止めに行けばいい」

「直接?」

「自覚がないのかもしれないが、もうお前は傍観者じゃない。何を目的としてどう行動するかも、全てはお前自身が選ぶことだ」


 青年の姿をした生き物は、目を瞬かせる。


「おれが選ぶ?」

「そうだ」


 青年が服から手を離したのを確認して、ユーアはその隣を見る。


「何か言いたいことがあるのなら言え。ないのなら私はもう行く。人に会う約束がある」


 そこに居た女は、少女に気圧されつつも口を開いた。


「……さっき、あの男をアッケルドと」

「ああ」

「でも、彼は確かに死んだはずです。仮にあれが苛王アッケルドだというのなら、今のウトラ国王はどうなったんですか? それに、200年近く前の人間と面識のあるあなたたちは何者ですか?」


 真実を見極めようとする目がユーアを真っ直ぐに見つめる。少し考えた彼女は、ひとつ頷いた。


「付いてくるといい。お前にも関係のあることだ」



***



 幸いにも、執務室までの道程で狂った兵士に出くわすことはなかった。机の引き出しを開けたロードンは、書類の中に隠すように仕舞ってあった一通の手紙を取り出す。それは、ウトラ国王の手紙と共に届けられていた手紙だ。何の変哲もない白い封筒だが、その封蝋には不思議な生き物が描かれていた。


「……これだ」


 藁にもすがる思いで、開封済みの手紙に改めて目を通す。


 広間や賓客たちの被害がどれほどなのかも、城にいる兵士たちの何割が狂っているのかも、これを引き起こした相手の狙いが何なのかも分からない。今の状況で頼れるのはこれだけだ。もしもこの手紙が誰かの悪戯なら、もはやロードンにできることはないと言っていい。


 指定された場所は城の上層にある露台だ。手紙を持って廊下へ出ようとしたロードンは、扉の向こう側に誰かの気配を感じて息を詰めた。執務室に置いていた剣は護身用に持っているが、彼の剣術は王族として最低限程度のものだ。兵士が相手となればまず勝ち目はない。


 葛藤するロードンの耳に、コツコツと妙に間の抜けた音が聞こえた。


「居るか?」


 向こう側から扉を叩いた人物がそう声をかけてくる。誰かがここに居ることに確信を持っている声。


「……何者だ?」

「手紙の差出人」


 悩む間はなかった。扉を開くとそこには夜を具現化したような少女が立っていた。その銀色の目で見られると、まるで遥か高みから見下ろされているような感覚に陥る。


「ゼレムナ国王だな」

「……ロードンという。あなたが、黒竜の魔女か?」

「その通り」


 あっさりと肯定した少女が話を続けようとするのを、ロードンは片手を上げて止めた。


「あなたにいくつか聞きたいことがある」

「言ってみろ」

「……この騒ぎは、あなたが引き起こしたものなのか?」


「――は?」


 数段低い声と共に少女の表情が消えた。場の空気がぐっと冷え込んだのを感じ、物理的に凍りつく前にロードンは慌てて釈明をする。


「い、いや待ってくれ! 本気でそう思っているわけではない! あなたが敵ではないことを確認しておきたかっただけだ!」

「ゆ、ユーア様、国王陛下の考えは尤もですよ! 誰が味方か分からない状態なんですから!」


 少女の隣に立っていた女が援護してくれたことで何とか気温が元に戻り、ロードンと女が同時に安堵のため息を吐いた。まだ不機嫌そうな少女は、腕を組んで口を開く。


「で?」

「あ、ああ……その、広間の状況は今どうなっている? 式典の客は無事だろうか?」

「客なら全員私が送り返してやった。ゼレムナ国王の名を借りたから後でどうにかしろ。広間には近寄るな。そのうち塵になる」

「塵……?」


 説明を求めて隣を見れば、女はこくこくと頷いている。心做しかその顔が強ばっているのは見間違いだろうか。


「それで? まだ何かあるのか?」


 面倒くさそうに次を促され、ロードンは最後の質問を投げかける。怪訝そうに聞き返した少女へ全ての事情を話し終えた頃には、その顔からはすっかりと表情が抜け落ちていた。

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