古傷 06
「俺に指図するなど、不敬よな」
ウトラ国王はそう呟き、一瞬で恐怖と混乱に包まれた大広間を眺めて愉快そうに唇を歪める。我先にと逃げ出す人々の中、ワズはその場から動かずに床の血溜まりをじっと見つめていた。胸を貫かれた兵士は既に事切れてその上に転がっている。驚愕と衝撃に見開かれた目、赤黒く染まる胸元、抜かれることのなかった腰の剣。
逃げる気配のないワズとその隣で己を睨むネデリスに目をやったウトラ国王は、最後にリュトレンゼがいる辺りを見る。
「ほう?」
否、その目は確かにリュトレンゼ自身を見ていた。男が一歩踏み出すと、赤髪の女は呼応するように一歩後退する。
「……………………あ、ぁ」
その喉から、言葉にならない声が洩れた。床に崩れ落ちそうになったリュトレンゼの腕を掴むと、恐怖に見開かれた赤い目がワズを見る。
「――触らないでっ!!」
弾かれたように手を振り払い、リュトレンゼはワズから距離をとる。掴まれた腕をもう片方の手で強く握りしめ、敵意を剥き出しにして睨みつける。尋常でない様子に目を丸くする彼の、その横合いから声が聞こえた。
「知っているな?」
ウトラ国王は、ゆっくりとリュトレンゼへと歩みを進めながら繰り返す。
「俺を知っているな、小娘。俺もその赤い髪には見覚えがあるぞ。あのとき捕らえた中に、同じ色の髪の女がいたからな」
「……ぅ、ぁ」
「抵抗もせずにあっさり死んだゆえ、ただの女と思ったが……まったく騙された。子供を助けるために命を捨てるなぞ馬鹿な女よな――貴様の母親は」
「ぁ、ああああああっ!」
リュトレンゼが叫ぶと同時に、その足元を中心に術式が展開された。生み出された爆炎がその骨まで焼き尽くさんと男へと降り注ぐ。それに対して、ウトラ国王はただ剣を振るった。
「はははっ、その力だ!」
炎が一閃され、消える。否、消えるのではなく吸い込まれていく。剣身に纏わりつく火花を振り払い、男は唇を舐める。獲物を見定めた捕食者のように、ウトラ国王はリュトレンゼに剣の切っ先を向けて獰猛な笑みを浮かべた。
「やはり力ほど王に相応しいものはない! さあ、もっと寄越せ。その力、骨の髄に至るまで吸い尽くしてくれる」
後ずさる足をもつれさせ、リュトレンゼは床に崩れ落ちた。そのまま逃げる様子も立ち上がる様子もない相手に、眉をひそめて歩を進める。
「もう戦意を失ったか。まあよい。ならば、その血肉を糧としてやろう」
目の前までやってきた王は、血に濡れた剣をゆっくりと持ち上げる。我に返ったネデリスが飛び出して庇おうとするが、その体を抱えてワズは大きく飛び下がった。
「……なんだ?」
首を落とすその直前でぴたりと止まった己の剣に、ウトラ国王が眉をひそめた瞬間。
形なき魔力が、その体を吹き飛ばした。
***
ロードンは呆然と足元を見下ろしていた。そこに転がっているのは、先程まで護衛をしていたはずの兵士たちだ。
「……謀反か?」
騒ぎを聞いて応接間を出た途端に剣を向けられた。ルーヴァンスの老人が応戦しなければ、ロードンは間違いなく死んでいただろう。
「恐らくは違いましょう」
応接間に飾られていた豪奢な剣を扱いづらそうに軽く振り、老人は続ける。
「彼らが本気で陛下を殺すつもりならば、わざわざ部屋を出るところを狙わずとも簡単な方法があったはずでございます。どちらかといえば、ただ目の前に現れた人間を狙っただけのように見えましたな」
「護衛の兵士たちが狂ったと?」
「いえ、狂わされたというのが正しいかと」
「……一体、何を」
言いたいのか、と続けようとしたところで廊下に足音が一つ鳴った。
「ああ、ここに居たんですね」
振り向けば、そこにはケインが立っていた。武官としての正装に身を包んだ彼は穏やかに微笑んでいる。
「そろそろ広間に戻りましょう、陛下。あまり要人の方々をお待たせするわけにもいきませんから」
「ケイン、先程の悲鳴は何だ?」
「陛下が自分でお確かめになられればよろしいかと」
「……」
何か妙だ。この男は、主君に対してこのような物言いをする人物だっただろうか。無言になったロードンを見て、ケインは僅かに首を傾げる。
「陛下?」
「お前は――」
「お久しぶりですな、レルナス殿」
割り込むようにルーヴァンスの老人が口を開いた。
「最後に会ったのは二年前になりましょうか。あの約束は、まだ覚えておりますかな?」
「……ええと、」
問われたケインは言葉を濁して微笑む。しばらくその顔をじっと見つめた後に、老人はにこりと笑った。
「おや、覚えていらっしゃらない? これは残念でございます。このような老獪の言葉なぞ、覚えておく価値もないということでございましょうか」
大袈裟に肩を竦めて見せた老人に、なぜかケインの表情が怪訝に歪んだ。
「まことに残念ですな。同じ立場の者として、私はあなたの純真なところを好く思っていたのですが」
大きな溜め息を挟んで、老人は呟く。
「――本当に、残念だ」
一瞬で男の懐に踏み込んだルーヴァンスが剣を振り下ろす。しかしその一撃は、男の鼻先でぴたりと止まった。
「精神操作が効かないから何事かと思いましたが」
ケインと同じ姿をした男が、素手で剣を受け止めて口角を上げる。無造作に伸ばされたもう片方の手が身体に届く前に、老人は舌打ちと共に剣から手を離して飛び下がった。鈍い音を立てて床に転がった剣の刃には、まるで柔らかい粘土のように手で握られた痕がついている。
「結界ですか。しかも、あなたが作ったものではない」
「陛下、お逃げください」
男の言葉を無視して、老人はどこからともなく新たな剣を取り出して構え直す。
「だ、だが」
「ああ、その結界の魔力には覚えがありますね」
「さすがに陛下を巻き込めば、私もお叱りを受ける程度では済まされませんゆえ」
「広間で魔力の暴走を起こしている、あの赤髪の女のものでしょう?」
「……………………は?」
ルーヴァンスの老人が目を見開く。警戒も忘れて立ち尽くすその横腹に、肥大化した異形の腕が叩きつけられる。弾き飛ばされた老人の体は、そのまま廊下の壁を破って部屋の中へと突っ込んでいった。
「ルーヴァンス!」
思わず駆け寄ろうとしたロードンの足が止まった。もはや人間のものではない片腕を引きずりながら、ゆっくりと男が近づいてくる。目の前までやってきた男は、その借り物の顔に歪んだ笑みを浮かべた。
「逃げたければお好きにどうぞ、陛下? あの男を殺したらすぐに追いつきますから」
彼の横を通り過ぎて、男は半壊した部屋へと足を踏み入れる。その腕が瓦礫の山へと叩きつけられる前に、ロードンは背を向けて駆け出した。




