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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
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古傷 05

 その日のことを少女はよく覚えている。


 見知らぬ怖い顔の大人が何人も家にやってきた。彼らは母とよく似た明るい色の髪をじろじろと見て、親を呼ぶようにと言う。少女に呼ばれてきた母は、おっとりと不思議そうに首を傾げて少女と共に難しい話を聞く。どうやら、これから二人揃ってどこかに行かなければならないらしい。


 準備をしなければならないから、と母娘は一度家の奥に戻る。無知な女のふりをやめた母は、厳しい顔で後ろを振り返りつつ少女の長い髪を飾り紐で結わえてくれた。その不思議な紋様が描かれた飾り紐は大切なもので、触ってはいけないと母にきつく言われていた。


 椅子に座った母は、上機嫌な少女を膝に乗せて頭を撫でてくれる。優しく笑う母の顔がなぜだか今にも泣き出しそうに見えて、少女はその体にぎゅっと抱きついた。


 それが母と会った最後の記憶になることを、少女はまだ知らなかった。




***



 人が集まる大広間を、一人の青年が歩いていた。広間の誰よりも高い身長に、珍しい黒髪。そして何よりも、このような場に似つかわしくない無邪気な好奇心からの行動が人目を引く。だが、その青年――ワズは注目を集めていることには気づかない。


 一緒に来たネデリスは近くにいない。どうやら彼女の後見人は人気者らしく、その代理のネデリスも人に囲まれている。気がついたころには随分と距離が離れていた。とはいえ、たとえ大広間の端から端までの距離でもワズにとっては『ネデリスの近く』であるので、この状況を特に問題とは感じていなかった。


 手に持っていたグラスの中の液体を飲み干して、ワズは広間を見渡す。


 彼の目線からは広間のほとんどの人間の頭が見えるが、その中に黒髪はいない。思えば今までワズが今まで見た人間の中でも黒髪はユーアだけだ。自分の髪を摘んでみる。ワズの髪と目は大きいときのワズと同じ色だ。そしてそれは、あの暗い底と同じでもある。なら、ユーアの黒はどこからやってきたのだろうか。


 ふと、景色の一点に目を留める。目が合った女はこれでもかというほど顔を顰めて背を向ける。広間から出ていく背を追いかけて開け放たれたドアを通り抜け――そこで何かに足を引っ掛けてワズは盛大に床に転がった。


「お前、馬鹿なの? 追いかけてくるんじゃないわよ」


 逆さまになった視界で、リュトレンゼが呆れたように言った。


「お前に追いかけられると目立つのよ」

「リュトレンゼは誰よりも赤いから追いかけなくても目立つぞ」

「目立たないようにしてるのが分からない?」


 リュトレンゼが手を振る。よく見ると、その指先にはうっすらと何か薄いものが重なっているようだ。


「認識をすり抜ける術式よ。私を知らない人間は個人の特徴を認識できなくなるわ。でもそこに人間がいることは分かるから、目立つお前に話しかけられたら意味がなくなるのよ」

「リュトレンゼは何でここに居るんだ?」

「ユーアを見に来たの」


 弾かれたように立ち上がり、広間を覗き込んだワズは肩を落とす。


「……いないぞ」

「まだ来てないわ。あの子が来たらみんな注目するはずだもの。それともこっちには顔を出さないつもりかしら……とっておきのドレスだったんだけど」


 そう呟いたリュトレンゼは、ふと顔を上げて広間の方を訝しげに見つめた。ワズも一番大きな扉の方から、何か言い争うような声を聞き取る。


「……何かしら?」

「ユーアか?」

「あの子がこんな場所でわざわざ騒ぎを起こすわけないでしょ」


 肩を竦めてそう返したリュトレンゼは、人混みを器用にすり抜けて騒ぎの中心へと向かっていく。追いかけていけば、ぽっかりと空いた人垣の中心が見えた。


 そこに立っていたのは若い男だった。見た目だけならワズと同じくらいの歳だろうか。広間へと入ろうとしている男は、険しい顔をしている警備の兵士と何かを話している。


「あれは誰だ?」

「ウトラの国王ですよ」


 ようやく合流できた、と隣でネデリスが息をつく。その視線はワズの前に立つリュトレンゼを通り過ぎて、人垣の向こうの男へと注がれる。


「隣国の国王です。式典に招待されたみたいですけど、こんな場所に抜き身の武器を持ち込むなんて一体何を考えてるんでしょう」


 ネデリスの言う通り、兵士と言葉を交わすウトラ国王は一振りの剣を握っていた。ワズは眉間に皺を寄せる。何か妙な感じがする。だが、どうすればいいのか分からずに――その剣が兵士の胸を刺し貫くのを見ていた。



***



 時間は少し遡る。


 正装に身を包んだロードンは、危うく引き攣りそうになる顔を押し留めて正面を見る。テーブルの向こうでは、ここには居るはずのない老人が穏やかに微笑んでいた。


「……式典には代理の者が参加すると聞いていたが」

「よくご存知でございますな」

「ルーヴァンスの動きを、俺が見逃せるわけがなかろう」

「ふぉほほ。何、少々情報の行き違いがあったのでしょう。そう疑り深い目で見ないで頂きたいものです。これでもこの国の民の一人でございますゆえ、国王陛下に睨まれるのは居た堪れないのですよ」


 心にもないことを言いつつ、老人は丁寧に整えられた髭を撫でる。


 ルーヴァンスとは、ゼレムナの貴族である家の名前だ。しかしながらその名は、各国を股に掛ける大商人という意味での方が広く知られている。王家に仕える貴族という立ち位置にありながら、むしろその名声によってゼレムナという国の格が数段引き上げられているのだ。仮にルーヴァンスがこの国を離れれば、ゼレムナの経済は間違いなく衰退するほどにその影響力は大きい。早い話が目の上のたんこぶだ。


 既に建国記念式典は始まっている。しかし、とある事情からロードンはそれを中座してまで応接間で老獪と向き合っていた。


「時に陛下、ウトラの噂についてご存知でございましょうか?」


 ロードンの疑いの眼差しをそよ風のように流し、老人は本題なのか分からない話を切り出す。


「噂?」

「ウトラ現国王が、最近とある剣を肌身離さず持つようになったという話にございます。聞けば、その剣はある王の墓所より持ち出したものだそうで」


 ちらり、と式典の行われている大広間に意識を向ける。ロードンが下がった時には、まだウトラ国王は現れていなかった。


「……それが?」

「ふぉほほ、面白いのはここからでございます。その剣を遺した王とは苛王アッケルドなのです。クーデターによって討たれた王の墓所など、作るとは思えませぬ。つまりその出自は恐らく偽り。一体国王はどこからその剣を手に入れ、なぜよりにもよってアッケルド王の遺物などと喧伝しているのか?」


 苛王アッケルドの名はロードンも知っている。ウトラの随分前の国王であり、暴君と恐れられた存在だ。ロードンが詳しく知っているのは、かの王は突然ゼレムナへと攻め入ろうとしたことがあるからだ。その報せを聞いた当時のゼレムナには戦慄が走ったという。しかし、それは結局杞憂に終わることとなった。苛王は実の息子であった王子に殺されたのだ。そのまま王となったアッケルドの息子は、類稀なる手腕で荒れた国を建て直して今では賢王と称されているという。


「よりにもよって苛王アッケルドの剣を帯するウトラ国王が、わざわざこの国と交流を持ちたがるとは、一体どういうことだとお考えですかな?」

「……なぜ知っている」

「商いには何よりも第一に情報が入用ゆえに」


 芝居じみた仕草で一礼する老人に、ロードンは眉を顰める。仮にその情報が確かならば、ウトラ国王に対する警戒を数段高めるべきだろう。今まで国政に干渉せず中立を保ってきたルーヴァンスが動いたのも、国の危機であるならば納得ができる。だが、と彼は腕を組んでテーブルへと視線を落とした。


「ウトラの調査報告にはそのような情報は全くなかった。ケインがその噂を見逃すとは思えん。貴殿の話が偽りでないと証明できるものはないか?」


 ルーヴァンスは利益を追い求める商売人だが、さすがにこのような嘘をつく男ではないはずだ。この用意周到な老人ならば、証拠の一つ二つ持ってきているだろう。そう思いつつ顔を上げたロードンの目に入ってきたのは、愕然とした表情を浮かべる老人の姿だった。


「……二年前にこの国を去ったケイン・レルナスのことですか? 彼が今、この城にいると?」

「それがどうした?」


 老人は険しい顔で口を開く。しかし、その声は絹を裂くような悲鳴に掻き消された。

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