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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
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空の夢 07

 ミティールス——無形無色の槍。


 かつて国宝とされていたその槍は、繊細な装飾から昔は芸術品としても知られていた。だが、この槍の真髄はそこではない。

 かつてフェーデルシアを去った白き竜。その手によって作られたとされる特異な槍は、魔道具としての側面も持っているのだ。


 そして歴史の中、それが実際に振るわれてきたところを幾度か見てきた彼は、その槍の厄介な性質をよく知っていた。




 舞い上がった砂埃の中で、何かがが煌めく。


「ったく……普通の魔術士なら、これで終わりなんだがな」


 防御結界ごと破壊する力が炸裂したにも関わらず、激しい衝撃に見舞われた城が崩壊することはない。床に走った大きな亀裂は、少女が前へと向ける槍先の下で途切れている。


 ——魔術の切断。


 その刃で斬った魔術は、白銀の魔力に侵食され力を失う。

 魔術士や魔物を相手取るのであれば、間違いなく優位に立てるだろう。ましてや、魔術そのものである魔族に向けるのであれば、傷の程度によっては致命傷となりうる。


 柄を握り直した少女が、とん、と床を蹴った。


 軽く前へと飛び出したその姿が消えるよりも前に、男は直上へと転移する。

 真後ろから薙ぎ払われた白銀の刃が、その場に僅かに残っていた転移術式の残滓を掻き消す。だが、構っている暇はない。

 降り注ぐ業火を上に伸ばした掌で散らし、空気と砂塵を圧縮した槍を反対の手で下に向けて放つ。


 直後に身を捩れば、先程まで頭があった場所をミティールスが貫いた。

 洩れ出た力の飛沫が頬をチリチリと焼く感覚に、ヒューロオッドは口角を上げる。


「ははっ、本気ってわけかよ」

「当然だ」

「なら——少しは付き合ってやるよ」


 投げた槍を追いかけるように跳んだ少女のすぐ後ろで、彼はそう嗤った。

 彼女が振り返る前に、その姿は霧に包まれて見えなくなる。



「……なあ、てめぇにとって()()にはもう価値がないのか?」



 転移封じの霧の中で、男は囁く。


「戻る算段さえつけば、何もかも用済みか? ……戻ったところで何になる。あそこがてめぇに何を与えてくれるっつうんだ? ただ死ぬまで全てを搾取され続けるだけだろ」


 ——魔術士同士の戦いで、転移封じというのはごくありふれた方法だ。だが、ただ一人でこの広い空間に満遍なく影響を維持し続けることができるのは、彼が最上位魔族という膨大な魔力を持つ存在だからだ。


 霧の向こうからは、絶え間なく激しい音が聞こえてくる。

 その原因の半分である己を自覚しながら、表情の抜け落ちた顔で男は呟く。



「そんな生き方を選ぶくらいなら——いっそ、もうここで死んどけよ」



 甲高い破壊音が響くと同時に、激しい音は止む。

 ゆっくりと霧が晴れていった広間には、転移封じの術式を詰めていた硝子玉の残骸が落ちていた。


「言ったよな? 並列思考はてめぇの強みでもあるが、同時に弱点にもなりうる」


 片膝をつき荒い息を吐いているぼろぼろの少女を見下ろして、男は目を細める。


「戦闘の中で要素が増えたとき、てめぇはさらに思考を分割して対処するだろ。まとめて対処できるものは個別に対処しようとすんじゃねぇ。それだから、それほどまでに精密なことができるっつうのに、俺に絶対的な優位をとることができねぇんだよ」


 彼女の羽織っているローブの片側は肩の下から切り裂かれ、その下にあるはずの腕がない。床にできていく血溜まりを冷めた目で眺めていた男は、不意にその目を見開いた。



「——おい、逆行はどうした?」



 肩口を無事な方の手で押さえている少女は、俯いたままただじっとしている。だというのに、どこかに吹き飛んだその片腕が戻ってくることもなければ、広間に飛び散った血が傷口から肉体の中に戻っていこうとすることもない。


「……っ、…………だ」

「何だって?」

「245年、だ」


 ゆっくりと顔を上げた少女は、血の気の失せた表情で虚ろに繰り返す。



「恐らくもう……限界が近い」



 わずかな沈黙ののち、ヒューロオッドはその言葉を理解する。


「ったく、クソッタレが……! おい、もう喋んな」


 ぐしゃりと顔を顰めて悪態をつき、再び下を向いた少女の傍に転移する。

 切り落とされた腕に止血を施し、小柄な身体を慎重に横たえ、






 白銀を纏った槍が、その脇腹を貫いた。




 ***



 前にもこんなことがあった。

 ひび割れた床を蹴りながら、思考の片隅で考えがちらつく。


「ユーア、逃げろ」

「……」

「ユーア!」


 手を引こうとしても両肩に触れようとしても、彼の手は空を掴む。今ほど実体のない自身の体を疎ましく思ったことはない。

 背後から迫る足音が焦燥を煽る。

 必死に彼女を救う方法を考えるワズの前で、目を閉じたままの少女が薄く唇を開いた。


「……お前が見たこの城が廃墟となっていたということは、私はここで死に、この国は滅んだということだろう」

「それはユーアが死んでいい理由じゃない」

「私は私という存在の歪んだ在り方を許容できない。歪んだ私によって成り立つこの国の在り方も許容できない。歪みは正されなければならない」

「嫌だ。死ぬな、ユーア」


 下りていた瞼が、ゆっくりと開かれる。

 迫り来る死を前にしても穏やかな白銀の瞳に、くしゃりと歪んだ己の顔を見た。


「この一年だけが、私の人生の意味だった」


 少女は顔を上げる。

 夜空を仰ぐその瞳の中では、引っかき傷のように細い月が揺れている。



「——名前を。私の名前を、呼んでくれ」



 その小さな呟きは、風音に掻き消されることもなく彼の耳に届く。


 ——分かってしまった。

 これが本当に、別れなのだと。

 己ではもう、この少女の運命を変えることはできないのだと。


 震える唇を開く。

 最初に教えてもらったというのに——思えば『彼女』の名を呼んだことは一度もなかった。



「ユーア…………()()()()()()()



 細められた隻眼の端から、透明な雫が零れ落ちる。

 そっと口許を緩めた彼女のその首に、汚れ一つない両手がかかるのをワズは見た。


 目を見開いた彼が言葉を発する——その前に。





 全てが暗闇に消えた。





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