第六話 例外的な二日目、朝
「秋の便り」
これは、俺やゆかりが働いている宅配会社の名前である。その本部でリーダーから少し話を聞いた後、俺は神楽高校へと向かった。
相変わらずの人けのなさを体感しながら、一年ゼロ組の教室のドアを開けると既に一名先客がいた。
「お、今日は遅刻せずに来たね」
「そうそう同じ信号に嫌がらせをされることもないからな。雲居以外にはまだ誰も来ていないのか?」
「昨日と同じく、私が一番のりなのだ」
えっへんと腰に手をあてているクラスメートを横目に、机の上に置かれているプリントを手にとって見る。
まだ来ていない二人の机の上に置かれているプリントも、どうやら同じもののようだ。
「これ、雲居の机の上にも置いてあったか?」
「あー、それね。今日学校に着いたら先生に渡されたの。皆の机の上に置いとけって」
バッグを机のフックにかけて、椅子に座ってプリントに書かれた文言を読む。
まとめるとこうだ。
今日は、二、三年生の一般生徒たちが実技の練習をする。それを他の一年生とともに見学する、というだけのことらしい。
気になるのは、今日もお昼で終了だというのに午後二時半にこの教室に集合との旨が、最後に書かれていることくらいだ。
「わざわざ生徒全員が下校したあとに集合かけるなんて、何するんだろうね」
「詳しいことは分からないが、なんとなく見当はつく。むしろ、それこそがゼロ組が存在している理由の一つだろう」
「やっぱ、そういうことだよね〜」
元々分かっていたことをこれ以上話すこともなく、他愛もない話をしていると三人目の生徒によりドアが開かれた。
「おはようございます。今日は、苗代さんも遅刻しなかったんですね」
天川も挨拶をした後プリントに気付くと、大して反応を示さず会話に混ざってきた。
「そういえば、一つ聞いてもいいですか?」
雲居の方を見てそう尋ねた。
「私に答えられることなら、なんでもどんとこいだよ」
「それなら遠慮なく。昨日、形式さんが実は私はモブでは無いと言っていたときの話のことなんですが。天川さんが、見落としがあると言ったことがどうにも気になりまして」
そういえば、そんなことも言っていたな。
どうせ下らないことを言うのだろうと思っていたが、天川は違ったようだ。
「それはひどく簡単で、されど絶対に見逃してはいけないことなんだよ。それは、」
「それは?」
咳払いを一つ挟んで、雲居は厳かな雰囲気を醸し出して語った。
「眼鏡を外したら、まず間違いなく可愛いってこと」
「......はい?」
考えを巡らしても理解できなかったのか、首を傾げた。
ちなみに、俺も同じ気持ちである。
「私には分かる。その眼鏡の奥には、とんでもないものが潜んでいるってことが」
立ち上がって自分の机の周りを少し歩くと、またもやこちらを置いてけぼりにすることを口にした。
かと思いきや、突然天川に近づき両手を合わせた。
「だからお願い! 一瞬でいいから眼鏡を外してくれない?」
しっかり腰を曲げて礼をしているあたり、真剣なのだろう。
天川もそれを感じ取ったのか、少しだけですよと言って眼鏡を外した。
その瞬間、俺は雲居の発言の意味を否応なく理解させられた。
「化けた」
気づけば俺は、そう口にしていた。
驚いた、これが今の俺の心情を表すのに一番の言葉だろう。サンタさんはいないというカミングアウトの比じゃない。
眼鏡一つでこんなにも印象が変わるのか、と思わざるを得ない。
黒い髪も深紅の瞳も顔立ちも、その全てが美しさを形作っている。そして、それが目を離すことを許さない。
「いや~、これは参ったね。正直、私の想像を軽く飛び越えられたよ」
驚いたのは、雲居も同じようだ。天川の顔を至近距離でまじまじと見て、ブツブツとつぶやいている。
「そんなにですか? 私も眼鏡を外した自分の顔を何度も見ていますけど、大したことはない気が」
「その顔で大したことなかったら、私はどうなるのさ!」
雲居もかなりレベルは高いと思うが、そのことを正直に言えるほど俺はラブコメの主人公属性を有してはいない。
ゆえに、俺は二人の様子を無言で見ていたのだが、雲居がニヤリと笑ったことに途中で気づいた。
「そんなに疑うなら、試してみよっか」
「試す、ですか?」
「そうそう、幸いこの教室にはまだ男子が一人来ていないからね。もし形式君が私達みたいな反応をすれば、少しは信じられると思うんだけど」
「......分かりました。せっかくの機会ですし、挑戦してみます」
進んで眼鏡を外した顔を見せたことはないのか、しばし思案していたようだがどうやら決心したらしい。
それじゃあと、雲居がレクチャーを始めて数分。準備万端となった頃に、タイミング良くゼロ組の最後の一人が教室に現れた。
「お、おはよう!」
「おう、おはよう」
「おい、俺は聞いてないぞ。あんな美人が転校してきたなんて」
何とか挨拶は返したものの、すぐに俺のもとまで来て肩をつかむと、声を震わせながら言った。
ちらっと左の方を見ると、手でお腹のあたりをおさえ必死に笑いをこらえている雲居と目があった。
大満足、そう形容するのが最もふさわしいだろう。
だが、これ以上形式に肩を揺さぶられるのも勘弁だ。
「落ち着け、形式。お前が挨拶したのは天川だ」
「い、いや冗談だろ。言っちゃなんだが、天川が眼鏡を外すとこうなるってのは無理があるぜ」
ただただ失礼なことを言ったが、よほど動揺しているのかブレーキが壊れたようにまるで止まらない。
「昨日のうちに結構な数の生徒を男女問わず見たが、天川は高く見積もっても上位三十パーセントだぞ。それに」
女性に失礼なことを言うとどうなるのか、よく勉強させてもらった。
形式がさらに続けるその直前で天川の拳がみぞおちに入り、教室には鈍い音だけが残った。
仰向けになりながら、雲居の説明で状況を把握し説教をされたのち、形式は眼鏡をかけ直した天川に誠心誠意の土下座を決めて無事に許しをもらったことで、一件落着となった。
「それにしても、気持ちのいいパンチだったね~」
「や、やめてください、私も反省しているんですから」
「いやいや嫌味とかじゃなくてさ、私も身体を動かしたくなったな~って」
「流石に教室だとマズいんじゃないか」
「形式君、これをごらんなさい」
そう言うと、雲居は形式の机の上からプリントを手渡す。
最後の一文までしっかりと目を通したのか、形式は納得の表情を浮かべた。
「確かに、早いうちにお互いのことを知っておいて損はないかもな」
俺は不参加で、そう発言する前に三人はブレザーを脱いで動きやすい格好になった。
「ほら苗代君も。昨日も言ったでしょ、こういうのは早い方が良いって」
しょうがない、四分の三が既にやる気なのだ。ここで抵抗してはクラスの連帯感やら何やらにも支障が出てしまうだろう、知らんけど。
それに、どうせちょっとした遊びだ。そう大事にもなるまい。
「教室内でそのような行為は認められていない」
訂正、どうやら大事になるらしい。
突然ドアが開かれたかと思うと、我らが担任が入ってきた。そして、その後ろから大層硬そうな服を着て大きな盾やらを持ったのがぞろぞろと教室に入ってきた。ここは高校一年生の教室だというのに。今から危険地帯に行くかのようだ。
「参ったな」
何が参ったかといえば彼らは前方のドアから入ってきて、俺は一番前の自分の席でちょうどブレザーを脱いでネクタイを緩めたところだった。
一方他三人は、教室の後方にいた。
つまり今の状況はこう受け取られかねない。
入学して二日目の一人の生徒が、学校関係者を相手にやる気を見せてしまった。
「いや、本当に参った」
三連休、明日も気合入れていきます。
多分、きっと大丈夫。