第四話 例外的な放課後
神楽高校の正門前には四人の人間がいる。
ある者は散歩をし、ある者はジョギングをしている。またある者が読書をしている中で、四人のうちでスマホをいじっていた一人が俺に気づき俺から見て右側に歩き出した。
平日、時刻は午前十一時になろうかという時に、高校の近くに誰かがいることはさして変なことではない。
ただ、今日は少しおかしなところがある。四人のうち三人が、俺に気づくや否や各々が行っていたことを中断し、壁を背にして俺の方を見ている。加えて、その視線は決して優しいものではないため、今の正門には春ならではの陽気はどこにも存在していないのだ。
居心地の悪い雰囲気を堪能できるような肝は据わっていないので、そそくさと正門から出る。
学校から出ても三人の視線を背中には受けたが、少し歩いて視界の外に出るとそれ以上目で追われることはなかった。
それから数分歩くと、お目当ての人物を見つけた。
「よっ。昨日ぶり、ていうかさっきぶり」
俺の声を聞いて振り返った、お目当ての人物。
帽子を深くかぶり顔は良く見えないが、唯一片手に持っているスマホが彼女の存在を俺に認識させた。
「入学おめでとうございます。変わり者しかいないクラスに」
そのスマホを半ズボンのポケットにしまうと、帽子のつばを僅かに上げて白い歯を少し見せて笑って言った。
彼女の名前は苗代ゆかり。訳あって俺と同じ苗字だが、俺と血のつながった妹でもなければ義理の妹でもない。
ゆかりとは三年前に出会い、今では仕事仲間として仲良くやっている。
そして今、二人で並んで向かっている所こそが俺たちの仕事先の本部である。
「そういえば、今日は全員集まれるのか?」
仕事仲間はゆかりを含めて、全部で三人。
ただ、仕事仲間といっても普段はそれぞれの日常を送っているため、常に全員の都合が合うとは限らない。
「そうみたいですよ。どうやらあのお嬢様も来れるみたいですし。ま、せいぜいいじってやりますよ」
お嬢様とは、文字通り今年からお嬢様学校に通うことになっている、俺たちの仕事仲間の一人であり俺とは同年代、ゆかりよりも一歳上である。
そんなお嬢様は、少し前から海外で過ごしており今日帰国する予定となっている。
「空旅を終えたばかりなんだ。あんまり疲れさせるなよ、お前たちは時々加減を忘れるからな」
「分かってますって。今日はひたすらいじるだけで済ませますよ」
いいカモを見つけたと言わんばかりの表情をしているお前が俺は怖いよ。
「あ、そういえば今年はジンクスを破れますかね?」
数分前に見せた笑顔とはまるで異なる感情を含んだ笑顔を見せた後に、ふと思い出したように言った。
「去年それに一昨年も、年度の始まりのお祝いには必ず邪魔が入り、若干一名が間違いなく荒れる嫌なジンクスのことか」
「そうそう、あれもおもしろいですよね~。何せ、当日になって急に邪魔が入るんですよね」
懐かしいことについて話していると、ズボンのポケットから振動を感じた。
ゆかりと顔を見合わせ、苦笑いをしながら通知をタップすると懐かしい記憶は最新のものにアップデートされることとなった。
送られてきたメッセージはいたってシンプル。
「むり」
付き合いというのはすごいもので、この二文字を見ただけで送り主が酒瓶を片手に持っている姿が容易に思い浮かぶ。
「どうやら今年も、みたいですね」
「しょうがない、酒を飲まれないように急がなきゃだな」
春の陽気さとは正反対の空気を背負っているであろう人物のいるところに向かって走ること数分。
神楽高校からは歩いて約三十分の距離にある、落ち着いた雰囲気の建物。
白い壁に木製のドア、さらに観葉植物が外に置かれていて清潔感も感じられる建物こそ俺たちの本部である。
ドアを開けると暖かな光を遮断するように引かれた厚い黒のカーテンが見え、そのカーテンを背にして座っている人物こそ我らがリーダーである。
「お~い、帰ったぞ」
「駄目、みたいですね」
酒でつぶれたかのように机に突っ伏しているが、周りに缶は落ちていないし右手に持っている酒瓶も開封はされていない。
それゆえ、返事ができない道理はないはずだが未だに指一本動いていない。
いよいよ時間を止めることができる存在でも見つけたか、そうでなければ我らがリーダは仕事が嫌すぎたのだろう。
「ふて寝ですね」
「ふて寝だな」
まあ、気持ちは分からんでもない。
今回のようなイベントの妨害は、誕生日よりも遥かに短い頻度で訪れてくる。
「同情はするさ。だが、流石にオープンの看板を出しっぱにするのはな」
何を隠そう、我々の仕事は信頼関係が不可欠な宅配業である。
もし業務時間中に酒瓶を持って人形のように眠っているリーダーの様子を見られたら、それだけで信用が急降下することも十分にあり得る。
ゆえに、部下であるゆかりがリーダーの耳元で、飲みたくても飲めない「お酒」というキーワードを連呼することもしょうがないことなのだ。
ちなみに、この起こし方に効果があることはすでに何度も検証済みである。
目の前で起きているように、まず悲しそうな目をする。次に、どうしようもないことと悟ってしまった、あきらめの笑みを浮かべる。そして最後に、仕事の内容を伝えるからと椅子に座るよう、目で伝えてくる。
「楽しい楽しい仕事の時間で~す。場所は駅近くの公園、時間は二十一時ちょうど。監視カメラにちょっかいをかけているのがいるらしいから、それに注意。何か質問は?」
「あのお嬢様も参加するんですか?」
「いい質問だ。残念ながら彼女から、今日中に帰国することが出来なくなった、との連絡がさっき入った。だから、今日の仕事は二人だけでやってもらう。ほかに質問は?」
他に気になることもなく首を横に振ると、リーダーはようやく酒瓶を放し書類とにらめっこを始めた。
それを見て一度家に帰ろうとドアノブに手をかけたところで、リーダーが俺を呼び止めた。
「一つ、聞いていいか?」
変わらず背筋は曲がったままだが、リーダーの視線は俺の目を真っ直ぐに捉えている。
リーダーはオンオフが激しいタイプだ。数秒前までは完全にオフの状態だった。
長い紫がかった黒髪はぼさぼさで、そのスタイルにより一層際立つはずの制服も少しばかり乱れている。日中から外すことはあまりない眼鏡も、テーブルに無造作に置かれた新聞の上にある。
今もあまり変わり映えはしないが、それでも間違いなく今はオンに切り替わっている。
「仕事とクラス、この二つを天秤にかける時が来たらどちらを選択する?」
仕事とクラス、そのどちらを選ぶ、か。
この考えについて、これから先変わることがあるのだろうか。
答えは実に単純だ。
「それは今まで同様、行動で示すとするさ」
「......そうか。じゃ、一時間前くらいには来てくれ」
了解と伝えドアを開け、家に向かって歩き出す。
そんな中で頭に浮かぶのはリーダーのことだ。
付き合いとは偉大なもので、長ければ長いほど曖昧な表現をしても意味がしっかりと伝わる。
ただ、やはり理解のできないこともまた存在する。
例えば、何故リーダーは俺の答えを聞いた時に一瞬とはいえ悲しい表情を浮かべたのか、とか。
ま、そんなことを考えても仕方がない。どうせ今頃は、ゆかりを相手に散々愚痴をぶちまけていることだろうし、少なくともリーダーを心配することはない。
「さてと、家に帰って昼飯としますか」
何を作ろうかと考えながら歩き出した足は、ポケットからの振動により再び止められた。
「おなかへった」
そのメッセージを見た俺は、泥んこ遊びで泥まみれになって帰ってきた子供を見た親のように、ため息をつくも笑うしかないのだった。
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