第五話 運命の出会い
憧れの赤毛……赤銅色の髪のお姉さん。
振り返ると、彼女に瓜二つの少女が俺の背後に立っていた。年の頃は今の俺より一回り下だろう。まだあどけなさが残る顔には、何か強烈な意志を感じさせる表情と、海のように青い瞳が収まっている。
「…………」
少女の身に纏った服は既製品ではなく、気品を感じさせるワンピースのブラウスだったが、ここ数日間洗っていないのか、妙な匂いと所々に汚れが目立つ。……まるで、そう、家出娘のいでたちだった。
「……どいてくれない」
それが、彼女が発した最初の言葉。俺の後ろには崖しかないのに、彼女は何をするつもりなのだろう。……いや、彼女のような存在にとって、崖に用事があるとすれば、俺は一つしか考えられない。というか、俺だってその用事を今日考えなくもなかったが、今この瞬間、それは吹っ飛んだ。
「どいたら、何かくれるのか?」
俺は間抜けな言葉を放つ。彼女が、『今の』彼女が何も持っていないのは承知の上だ。
「この着ている服をあげるわ。もう私には……不要だもの」
彼女の裸を拝めるというよこしまな想像が一瞬頭をよぎったが、頭を振って振り払う。何より、承諾した後に拝める時間があるとは思えない。
「駄目だな、そんなボロボロの服じゃ一か月分の税金にもならないよ……そして、君の命の値段にもな」
貴族の愛人となったお姉さん……彼女に、娘がいると聞いたことがある。娘が母親の思い出の場所で人生の最期を迎えたいと思っても不思議ではない。
「君の母さんを知っているんだ。……多分、だけどな。君が死んだら彼女が悲しむ」
「母さんは死んだわ。だからそこに行かせて」
「死んでも母さんには会えないぞ。……俺は高風ケイジ。君の名を教えてくれないか?」
地球とかいう、今やただの岩の塊となった人類発祥の地から俺達が両足を離して果たしてもう何千年過ぎただろう。その頃地上を支配していた思想の一つ『宗教』とやらは衰退し、したがって死後に人間とその意識は無に還るということは、今でも頑なに宗教を信じている一部の星の人間達を除いて歴然とした事実認識となっていた。
俺は自分を無に還そうとする少女を止める為、自分の名を名乗る。これで、俺たちは赤の他人同士ではない。……少女は俺の名を聞くと、少し目をつぶって考えるが、
「…………カサンドラ。カサンドラ=フォン=ハッカネン……3日前までは」
俺にそのまま、自分の身の上をそのまま表すかのごとき言い回しで名乗った。
ハッカネン、それはこの惑星の名前、そしてその領主の名前だった。あの憧れのお姉さんが貴族の愛人となった事は知っていても、それがまさか領主の元だとは思ってもいなかった俺は驚愕する。そして、彼女が名乗ったことにより少なくとも表面的な事情は明らかとなった。父親と愛人の……つまり妾腹の子である彼女は、父、フェルディナント伯の死と共に家を追放されたのだ。
「……そうか……」
「名乗って分かったでしょう。あなたは私と関わると不幸になるわ。領主……3日前までは兄さまだったあの人からつけ狙われることなる。だから何も見なかったことにして、私をこのまま死なせて」
兄さま……フェルディナント伯の長男カール=アルブレヒトは品行方正、成績優秀、周囲の人間には優しく気配りの出来る、評判の人物だった。それこそ、女にだらしのない面のあった父親と比べてどちらが領主に相応しいかと問われれれば、彼と答える者が数多くいたほどである。
……だけど、俺はそんな彼が気に入らなかった。彼の優しさはまさしく、飼い犬に対する主人の優しさだったから、それを、俺が社内から持ち出した内部資料が示しているから。一度だけ直接会ったことがあるが、その人物評が覆ることはなかった。
カサンドラをこうして一族から追放し、自殺寸前まで追いやったのを見て、俺は自分の観察眼が正しかったことを再度確認した。……一方で秘密裏に処理せず追放するにとどめたのは、彼のその中途半端な優しさから来るものだっただろう。だけど……だけど……
「カサンドラ。兄さんに復讐したいか」
「え……?」
お陰で俺は思いついた。思いついてしまった。
「いや、兄さんだけじゃない。君をさげすんだ全ての人に……そして、父の仇に復讐したいか」
俺の夢を叶える方法を、カサンドラの復讐を叶える方法を。
「…………」
きょとんとした目をしているカサンドラに、俺はいつも身につけて持ち歩いていた、例の内部資料の一部を見せる。
「これが何か、分かるか?」
「……第四惑星アンドラからの冷凍魚類の輸入量のデータね」
「そうだ。うちの会社はアンドラからの冷凍魚類を野菜類とセットで系外へと売りさばく形で利益を上げてきた。ところで……去年6月以降の額に着目してくれ」
「……輸入量が大幅に減っているのに、相手側へ支払う額が減っていない?」
「直接、うちの会社と取引していたのはアンドラの卸業者だったが、そこはカールが共同設立者として人集めに一役買ったところでね……。実際に差額分が行ってるのは、カールのポケット。表向き奴は品行方正な振りをして、裏ではこういう形で賄賂を受け取っているんだ」
この資料を見せたカサンドラの目が、輝きを取り戻し始める。
「カサンドラ。君の知り合いに、絶対に信用できる、社会的地位の高い人間はいないか」
「……いるわ、いるけど彼女が居るのは第六惑星ナイトロードよ」
ナイトロードか……遠いな、だけど丁度いい。
「構わない。たしか、……いまザンナーシュバリエはナイトロードに曳航されて修復を委託されていたな」
「そ、そうよ……それが……あなた、まさか!」
「ああそのまさかだ。専門学校で一通り習ってある、操縦は任せろ。……どうだ、俺の作戦に乗るか?」
俺はカサンドラへ手を差し伸べる。
「……乗るわ」
彼女はその手を握り返した。