乙女は祈る
「最も魔術や奇跡と親しい者達に術がかかったようだぞ。これは勝敗は決したな。」
リーダー格らしき奥の巨人が満たされた表情で笑う。
気付くのも、理解するのも今回ばかりは遅すぎた。
あの巨人達の氷漬けからの再生、そしてパストアやアレクシアの身に起こっているのもまた"奇跡"に違いない。
人語をべらべらと喋るファイアージャイアントが"奇跡"を使っている。
"奇跡"にも様々なものがある。回復や防御、探索に役立つ"灯り"のようなものの他に、攻撃的なものや、敵への妨害手段のようなものも存在する。
そして、俺達の間を先程駆け抜けた嫌な気配はおそらく"静寂"という妨害の奇跡だった。
それにかかった者は自分の発する音が完全に外界と遮断される。精霊への呼びかけも、神への祈りも、全く届かなくなり、実現が不可能となる。
パストアの様子からして、俺達の声は届くようだが、彼からの声や音は全くこちらに聞こえることがない。煉瓦の床を蹴りあげアレクシアへと駆けつける足音のひとつすら一切響かなかったのだ。
魔術師が倒れ、さらに僧侶と共に音を封じられた。
水薬だって持ち合わせてもあと4つとチャンスに予備を持たせている程度だ。
アレクシアの見掛け倒しの策が為り、勝ったつもりでいた。
自分達より遥かに大きな者達を相手に知恵で勝利を掴み取ったと、そう思っていた。
今の状況はなんだ。
相手が巨人だからと、魔術や奇跡など使わないものと想像した。
文明的ではない格好だからと、その身なりや得物だけを見て、接近戦だけが脅威だと判断してしまった。
その結果、術者を編成したパーティーにとって最も絶望的な局面を迎えてしまった。
"魔術"や"奇跡"には戦況を覆す程の力がある。
そしてその力は俺達からは奪われ、今や相手にのみ残されている。
「ケットくん!?」
『…アレクシアは生きてます!けどパストアさんとアレクシアの声と音を封じられた…!』
「それは…良くないねっ…っと!」
スゥもシルバもかなりの近接戦闘の達人だが、油断を許さぬ重撃への対応の連続に疲れが見え始めていた。
「"不滅の巨人"などふざけた名前だと思っていたが…くそっ…ただの喩えというわけでもなかったらしいな…!」
肩を大きく揺らしながらシルバが悪態をついた。腰元から"水薬"を取り出すと、グイと飲み干して構え直す。
酒場の手配書で目にした事がある"妨害者"だ。
6人組の赤肌巨人。人並外れた再生能力。多くはない特徴情報から言えばシルバの言うとおり彼等がそうなのかもしれなかった。
人並外れた再生能力というのが、特異体質によるものではなく"奇跡"によるものだったとは。
スゥやシルバは避けるだけでなく、反撃を加えている。
しかし、浅い傷、そして時には深そうな傷も、その度合いや間合いを見計らってはリーダーの巨人の"奇跡"によって塞がれてしまうのだ。相手の"奇跡"も無限ではないのだろうが、かなり余裕のある様子だった。
「さぁ、頼みのちっぽけな"水薬"もそろそろ空になるだろう。わかったろ。貴様らより俺らの方が身体も脳ミソもデカイんだ。」
リーダー格の巨人が自身の頭部を指差しながら高らかに笑う。
相手の"奇跡"の存在が、勝機というものを真っ暗な闇で覆い隠してしまっている。
そのリーダー格の巨人を護るように他の巨人達が立ち塞がり、スゥの攻撃もシルバの攻撃も"奇跡"の巨人まで届かない。
チャンスもパストアにアレクシアの事を任せ、弩での援護に入ったものの彼らに対しては威力が足らない。肝心の矢も巨人達が引き抜いて彼等の足元に転がったものを除き、残り少ないようだった。
煉瓦や石ばかり投げていた右手を腰元の鉄球へと伸ばす。
こんなもの、あいつらに対しては弩よりも役に立たない。
それでも、あいつに届けば何か変わるだろうか。
思い切り力を込めて、鉄球を振り上げる。
「良かった!諦めてはいないようだね。せっかくならこいつを投げてみるのはどうだろうか。」
いつの間にか巨人達から距離を取り、すぐ近くまでスゥが来ていた。
そして彼女愛用の槍を俺によこそうとしている。
豪快な笑い声がリーダーの巨人からあがり、巨人達の攻撃の手が止んだ。
リーダー格の巨人がなにやら巨人達に囁くと迷宮がひっくり返るような巨人達の笑い声が轟いた。堪らず足を踏み鳴らす者までいる有様で地響きがする程だ。
恐らく、スゥがこれまで主武器としていた槍を手放し、俺に投げさせるという行為を取ろうとしていることを馬鹿にしたのだろう。
正直俺も、それでどうにかなるとは到底思えなかった。
「だってこのままじゃマズイだろう?それこそ"奇跡"でも起こらない限り私達に勝ち目はないんだから。だったら起こすしかないじゃないか。」
何を言っているんだろう。
俺が投げる物が槍に代わった所で、この形勢がそう簡単に逆転することなどありえない。
それに俺は"奇跡"は一切ーーー
「あ〜。ケットくんは倒したい奴に向かって思いっきり投げるだけでいいよ。私がその分しっかり祈りを捧げてみるからね。困ったときは神頼みさ。」
つまり、スゥが"奇跡"に挑戦してみるということなのだろうか。
「あいつら俺を笑い死にさせるつもりらしい!見るからに槍しか振り回せない小娘が"奇跡"だ"祈り"だなどと!」
リーダー格の巨人が俺達に放った言葉を訳して他の巨人へと伝えると、またも地鳴りのような笑いが起こった。
「失礼な。私はこれでも信心深いんだよ。今はまだルーンが得意じゃないってだけで。こう、しっかりと捧げれば、きっと祈りが通じるはずさ。」
スゥは槍を半ば強引に俺に手渡すと、両の膝を付き、手を胸の前でぎゅっと組んで、やや視線を落とした。
「せっかくだから付き合ってやろう!その一発芸でさらにひと笑いしたところでじっくりと叩き潰してやる。」
巨人はなおも笑う。
「賢しい巨人よ。笑い疲れたでしょうから、この私が寝かしつけてあげましょう。」
槍を俺に託し、巨人の前で祈りを捧げる彼女の姿は、決して彼等に命乞いをしている風ではなく、まるで彼等の非礼な振る舞いを代わりに天に謝るかのようだった。