11.MANA
それは獣医のメアリー・チェリーズがフリーホイールに越してきて五日目のこと。
開業初日の日暮れ前にやって来たのは左足を骨折した三歳の黒猫。
その猫を抱えて来たのはビンセントだった。
「あ! パン屋さん!」
ビンセントは新聞の折り込み広告を手にしている。
「……あんたそういえば……この前店に来てくれた」
メアリーはケットをめくって見る。
「車に轢かれたらしい。助けてやってくれ」
〝チェリーズ動物病院〟。
メアリーはこの街で再出発する。
偶然にもビンセントの店にはあらためて挨拶に行こうと考えていたところだった。
雌の黒猫の左下腿部をレントゲンで調べる。
骨折の具合からどうやら、走ってきた車を避け損ね、着地した時に足を折ったようだとメアリーは診た。
苦しむ黒猫をなだめ、麻酔を。
切開して骨を接合し、プレートで固定する。
ビンセントも見守る中、やがて手術は無事終わった。
メアリーは長い時間耐えたその猫を優しく撫で、ベッドに移し、そっと毛布を掛けてあげた……。
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――ぅ、う……? ……ここは? え?
マナは目を覚ました。
――ここは……どこなの?
清潔で静まり返った白い壁の空間。
薄明かりで窓の外はもっと暗い。
マナは立とうとした。『うっ! 痛い!』
固められた足を見つめる。
――そ、そう。わたしは蝶を追いかけて……でもここはどこなんだろう。
『やあ! 気がついたんだね!』
誰かが彼女に声をかけた。
マナは振り向いた。
声の主は眼下の柱の影にいる一匹の白い猫だ。
『初めまして……あらためて』
『あ、あなたは?』
『ぼくはトム。トム・ジョードっていうんだ。よろしく』
『ねえ、ここはどこなの? あなた、ここの猫なの?』
『ああ、違うよ。ぼくはジョードさん家の猫で……ここは……病院さ』
『……びょういん?』
『そう。ぼくらのための……怪我や病気を治してくれるところ。きみは……街で倒れていたんだ』
マナははっと思い出し、その時の恐怖に震えた。
突然走り出した車を避けジャンプし、着いた足先が苔で滑り、側溝の金網に落ちてしまったのだ。
朦朧と通りを這って渡るのも死ぬ思いがした……。
『あなた……わたしを助けてくれたのね?』
『うん……でも気づいたのはぼくだけど、ここに連れてきたのはビンセントさんなんだ。ぼくとアルフレッドじいちゃんで呼びに行って』
『ビンセントさん?』
『ぼくのご主人様さ。優しい人だよ』
『……そうだったの』
俯くマナ。その目は潤んでいた。
『……ありがとう、トム。わたし、何て言ったらいいのか……こんな、わたしを』
『そんな、当たり前だろ? 放ってはおけないさ。それより先生にも感謝さ。きみの足を手術した先生に』
マナは頷き、辺りを見回した。
トムはベッドにぴょんと上り、体を横たえたマナの側に座った。
『女のお医者さん。さっき出てったけど……そう。ところできみは何て……呼ばれてるの? 名前は?』
『マナ』
『……マナ。か』
『そうよ。お父さんが〝おれの愛娘〟ってわたしのことを。だからみんなマナって呼ぶの』
『そっか……。ちょうどそのお父さんが窓の向こうに来ているんだ』
『え?』
『少し前に窓越しにきみの様子を見て、怒ってぼくを睨んだけど……多分、今アルフレッドじいちゃんが事情を説明してるはず』