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第七話 〜魔人は密かに笑う〜

 当時のウェールズは、ブリテン島の西部に勢力を伸ばすケルト系小部族国家が乱立する、一種の地方名だった。


 南部のドゥムニア王国と同じく、マーシア王国を筆頭に栄えたアングロ・サクソン人の支配から必死に抵抗する者たちの集まりで構成されているため、その確執は時を経てあまりに深い。


 特にウェールズは、隣接した国がマーシア王国のみであったため、両者の軋轢は想像以上に長い冷戦にもつれ込むまでに至っている。


 マーシア王国の全盛期であったオファ王の時代―――当時の780年ごろ、オファ王はウェールズ地方とマーシア王国との間に、歴史的偉業とも言える建築物を建造した。


 それは現在のイングランドとウェールズの国境線をも画定するほどで、かのフランク王国カール大帝も同様の城壁建築計画を企ていたが、断念したほどのものである。


 ゆえに、その名は“オファの防塁”と呼ばれている。


 これは、マーシア王国より更に北部に存在する七王国の最後の一つ“ノーサンブリア”と、更にその北部に広がるスコットランドとの境界線に利用されている“ハドリアヌスの長城”に勝るとも劣らぬとされ、ウェールズの侵攻を防ぐ防波堤の役割を担っていた。


 そのため、マーシア王国はウェールズとの永い戦争において、比較的少数の兵で領土を守ることができ、かつ、東部のイースト・アングリアとの戦いに戦力を集めることができたのである。


 しかし、それは一年前までの話だった。


 ウェールズにおいて新しく誕生した、三人目の聖騎士の存在。


 それが、マーシアがウェールズにも本腰を上げねばならなくなった最大の要因であり、剣聖バールゼフォンが赴かざるを得ない理由でもあるのだった。


 聖騎士は、同じ聖騎士でなければ倒せない。


 たった一人で一騎当千の活躍を担う、戦場の怪物“聖騎士”たちの圧倒的な実力は、同じ聖騎士でなければ太刀打ちできないと言われるほどだ。


 従って、聖騎士同士の戦争は必然と苛烈を極める。

 特に、同じ時代に三人もの聖騎士が誕生することは極めて稀であるため、その睨み合いだけでも各国の戦力バランスを維持できるほどであった。


 しかし二人は、両国の内情が足枷となっていて、互いの実力を最大限に発揮できぬまま、現在は冷戦にも似た睨み合いに終始していた。 マーシアの内情は、一見すると潤沢に見える。


 東西の二面戦争で疲弊しているはずの軍備や低下するはずの民意を損なうことなく維持できているのは、自分たちが未だ優勢であるとする情報操作と、軍力の象徴たる“剣聖”の健在、そして忘れられぬオファ王の栄光がその背景にある。


 無論、それを裏付けるかのように勝利をもたらす剣聖の神懸かり的な働きがあったのだが、逆に言えば、彼の人間離れした活躍があればこそ兵の士気を維持できているとも言えなくはない。


 二面戦争下において、隷属国である北部ノーサンブリアの叛乱をわずか二年で制圧し、さらに北部のスコットランドからの侵攻を壊滅的な打撃を与えて退けたとされる武勲は、まさしく聖騎士最強と誉れ高い“剣聖”の異名を持つに相応しい。


 それゆえに彼の存在こそが、民意と兵力の危ない綱渡りを何とか保っている要であり、現マーシア王ベオルンウルフからも絶対の信頼を寄せられているのである。


 ―――しかし。


 その実情に目を向けたなら、マーシア王国の逼迫した内政外交が浮き彫りとなってくる。


 マーシアの傀儡だったウェセックス王国前国王ベルトリックが死亡した事実は、二面戦争で疲弊した国力を補う上納の多くを失うことを意味していた。


 本来ならば、ウェセックスの次王にはベルトリックの子息が選ばれるはずであったが、当時のフランク国王カール大帝やローマ教会の意向が強く働いた結果、現国王エグバートが即位したのである。


 これによって、マーシアの隷属国は北部ノーサンブリア王国と、東部のケント王国に絞られた形となり、両国から送られる上納資源によって、辛うじて内政を維持できているに過ぎなかった。


 加えて現マーシア国王ベオルンウルフは精力的な好戦派であり、和平外交よりも征服支配に重視していたため、各国との交流は愚かにも眼下に見た物腰で進めており、なかなか進展することはなかったのだった。


 そのために、看過すべからざる問題を両脇に抱え、さらに南部より宣戦を布告したウェセックスがフィッチ王国を制圧したとの報せを受けたベオルンウルフは、現在ウェールズ攻略に赴いている剣聖バールゼフォンを早急に呼び戻したのであった。 マーシア王国を統べる現国王ベオルンウルフより、ウェセックス軍のフィッチ王国制圧が告げられた瞬間、バールゼフォンはわずかに眉を顰めた。


 マーシア王国の中心に聳える“シルヴァネール城”、その巨大な白亜の王城の中層に位置する玉座の間。


 あからさまな侮蔑と非難の視線を送る国王に跪きながら、しかし剣聖には寸耄の動揺さえもない。


 歳は60代半ばか。

 歳相応の白髪を後ろに流し、整った口元の髭も白いが、それらが実に男性的な魅力を醸し出している。

 聖騎士の証である“聖銀の鎧”に隠された肉体は屈強で、無数の死線を潜り抜けた熟練の精鋭のみが持つ、研ぎ澄まされた刃の如き鋭い目が印象的であった。


 ベオルンウルフは、目の前で微動だにせず言葉を待つ剣聖に、湧き上がる苛立ちを抑えながら言葉を繋げた。


「この時期に、よもやウェセックスまでもが参戦するなど百害あって一利なし、…あって良い事態では断じてないな。

 閑却しておけぬ北の問題がようやく片付いた今、やっと小煩い西のウェアールどもを叩き潰そうと腰を上げたは良いが、次は南ときている。

 これは、我が国がナメられている証ではないか?」


 国王が苛立ちを隠し切れぬ様子で小刻みに足拍子を踏む音を聞きながら、剣聖は静かに次の言葉を待つ。


「これほどの屈辱、我が国が始まって以来の失態であるぞ…!

 表層のみで物事を計りたがる愚妹な他の七王国どもが勝手に士気を上げるなど、面白くもなければ笑い話にもならんわ!

 奴等…、まさか我が国に衰微の兆しありとでも思い込むやもしれぬぞ…!

 バールゼフォン!

 貴公はこの失態をどう挽回するつもりだ?」


「恐れながら陛下―――」


 バールゼフォンは、王を不必要に不安がらせぬよう、ゆっくりと顔を上げた。


「―――フィッチ王国は建国以来、難攻不落として諸国に名を馳せた、堅牢なる自然要塞でございます。

 聞けば、ウェセックスが我が国に宣戦布告をしたのが一週間ほど前のこと。

 いかに聖騎士が指揮を取ろうと、かの国をこの短期間に陥落させることは困難。

 ならば、フィッチ王国は我が国と袂を分かち、ウェセックスに寝返ったとも言えるかと。

 なぜなら、フィッチ軍を束ねるカイン将軍は南の聖騎士スレイン卿と親交が深い。

 かねてより計画された宣戦布告である可能性がございます」「なんだと…?

 ならば、フィッチ王国が我が国を裏切ったとでも申すか」


「でなければ、これほどの早期決着は不可能です。

 そもそも、かの国は篭城戦をこそ武器とし、これまでにも数多くのヴァイキングを退けた実績を誇ります。

 間者を放とうにも、王都に入る新参者が現れた時点でカイン将軍自らが身分証明に対面するほどの慎重ぶり。

 仮に、私がウェセックスの立場でも、グロスタシャーを陥落するには最低でも一ヶ月の猶予を必要とします」


「う、む…」


 ベオルンウルフは少し逡巡してみせたが、すぐに顔を上げた。


「だが、それがどうしたと言うのだ?

 むしろ、フィッチ王国がウェセックスについたとなれば、これは我が国にとって相当の痛手であるぞ。

 それとも、三国を同時に相手取る自信が貴公にあると申すのか」


「いいえ。

 我が国の国力と軍事力は、現状を維持するのに精一杯です。

 ましてや三国を同時にとなれば、国民感情は一気に厭戦へと傾き、他国に付け入る隙を与えることとなるでしょう」


「ならば、どうすると言うのだ?」


「簡単なことです。

 まずは東のイースト・アングリアと和平を結び、次いで西のウェールズと不可侵協定を結びます。

 イースト・アングリアは度重なる我が軍との衝突で幾度も敗退し、その国力は疲弊する一方。

 今回の和平によって、下降を辿る国力の恢復に重視することができます。

 また、西のウェールズも、昨年に現れた三人目の聖騎士によって士気は高まっていますが、所詮かれらは常に自らを至高と考える絶対君主たちが集う土地。

 しかも我が軍はウェールズの王国の一つである“ポウィス”を陥落しており、どの国に対しても進軍を可能としている状況です。

 あの聖騎士ならば、この不可侵協定を利用し、各国の連携を確固たるものとするべく必ず動きます。

 我らは、その間に軍備を再編成し、南のウェセックスを迎え討てば―――」


「ならぬ!」


 颶風の如き王の一喝であった。

 剥き出しの怒気がそのまま迸り、玉座の間を駆けて剣聖に突き刺さる。「そのようなヌルイ言を訊くために貴殿を呼び戻したのではないわ!

 我が国に歯向かう敵をすべて殺し尽くし、そして生き延びて繁栄してこそ、このブリテンの支配者たりえるのだ!

 かつて、かの騎士王も我らがアングロ・サクソンを皆殺しにしてブリテンを守り抜いたように、我らもまた敵を皆殺しにすべきであろう!」


「陛下…!

 敵は一国ではないのです。

 ましてや三方向からともなれば―――」


「おやおや。

 聖騎士最強を謳う剣聖ともあろう者が、まさか王の御前で弱音を吐こうとは―――」


 突如として、その声は玉座の間に響いた。


 雷に撃たれたように狼狽する王と。


 さらに眉間に皺を寄せて玉座の横に視線を刺す剣聖。


 それは周囲の空気を直接振動させて奏でる“風”系統の初級精霊魔術であったが、二人はそれを知らなかった。


「―――さしもの剣聖も、老いて博愛主義に鞍替えでもしたのでしょうか? バールゼフォン卿?」


 玉座の裏側に据えられた二つの燭台に炎が灯り、闇に包まれていた空間を照らし出す。


 何が起きたのか、王と剣聖はすぐに理解していた。


 バールゼフォンが生まれる前、ベオルンウルフが生まれる前、さらに溯れば、マーシア王国建国よりも遥かな昔から、すでにこのブリテンに存在していたとされる闇の落とし子が今、忽然とそこに姿を現したのである。


 しかし直前まで、玉座の裏側には誰もいなかったことを、視覚に頼らず第三者の気配を探っていた剣聖は確信している。


 五感を研ぎ澄ませた自分に気付かせることなく、現れただけで戦慄を撒き散らす理不尽な存在にバールゼフォンはすぐさま立ち上がり、何時でも抜剣できるように姿勢を正した。


 この怪異に剣聖が反応するよりも早く、魔人の目が細く開かれる。


 真円に磨かれた黒曜石の冷たい光のように、何の感情も表さぬ瞳。


 それはバールゼフォンの闘気を含ませた視線を飄々と受け流しながら、口元にひどく邪悪な笑みを浮かべて肩を竦めて見せた。


 外貌だけを見る限り、魔人はまだ、どことなくあどけなさを残した、少なく見積もっても二十歳前後の青年であった。


「現れたか…。

 この国に巣くう悪鬼め…!」


 静かな殺気が剣聖から放たれた。 国王は悲鳴を漏らして傍らの魔人に縋り付いたが、当の本人は剣聖の声の圧を柳枝の如くに受け流した。


「やれやれ、ずいぶんとせっかちですね、剣聖殿は…。

 そう慌てなくとも、隙あらば何時でもこの首を斬り落として良いのですよ…?

 …ふふふふふ…」


 多分に嘲りを含ませた微笑に、ベオルンウルフは両者の緊張感に居心地悪くなって、合いの手を入れた。


「な、ならば、そなたは何か名案があるとでも申すのか?

 ヴェンツェル殿…」


 ヴェンツェルと呼ばれた若き魔人は、仰々しく頷いて見せる。

 ただ彼が立っているだけでも大気が重く、まるで光も届かぬ深海の重力になおさら墜ちていくような威圧感がそこにあった。


「陛下の思想は大変に素晴らしく、私もその意志に応え、微力ながらお手伝いをさせていただきたく存じます」


「おおッ!

 それは頼もしい!」


 ベオルンウルフは喜々として破顔したが、バールゼフォンはすぐにその真意を計るべく思索する。


「しかしその前に一つ、剣聖殿の的外れな推理を訂正しておかねばなりません」


「なに?」


「剣聖殿は先ほど、フィッチ王国がウェセックス王国と款を通じ、我が国と干戈を交えるつもりだとおっしゃっていましたね?」


「………」


 魔人の意図が判らず、バールゼフォンは沈黙に徹して次の言葉を待つ。


 ヴェンツェルは、そんな彼の仕草一つ一つを舐めるように見つめながら、充分に間を置いて口を開いた。


「残念ですが、フィッチ王国はウェセックス王国と志をともにしたわけではありません。

 むしろ逆。

 フィッチ王国の必死の抵抗も虚しく、王都グロスタシャーは、聖騎士率いるウェセックス軍に壊滅させられてしまったのですよ」


「バカな!?」


「これは事実です。

 あなたがかつて、剣術指南をした一番弟子が、何の罪もない民をも殺し尽くして街を破壊したのですから…フフ」


 途端、二人の中の緊張感が膨れ上がったかに思えた。


 しかし、殺気の暴風は刹那にも満たず霧散し、剣聖は忌々しく魔人を見上げた。


「…ヴェンツェル…。

 貴様、何を企んでいる…!」


「別に何も。

 私はただ、陛下の夢を実現させようと尽力する忠実な僕ですよ。

 …ふふふ…」「し、しかしだな。

 ヴェンツェル殿の言う通り、本当にウェセックス軍がフィッチ王国を陥落したとなれば、これはもう一刻の猶予も許されんぞ!」


 ヴェンツェルは頷いた。


「陛下の言う通りです。

 幸い、南の聖騎士がかの地で犯した悪虐非道の行いは国民感情を高め、王は大手を振って迎え撃つことができるでしょう。

 しかしながら、我が国はすでに二面戦争中であり、南にまで割くほどの戦力はない…。

 剣聖殿も、そうお考えなのでしょう?」


「………」


「しかし、ご安心ください。

 東西の侵攻に関しては防戦に徹し、私が直接に指揮を取りましょう。

 …そうですね。

 剣聖殿に送る兵は二万ほどとなりましょうか。

 この兵力ならば、ウェセックスと対等に戦えるでしょう?」


「それでは、東西を守る戦力が一万もない!

 易々と国境を突破させるつもりか!」


「まさか。

 マーシアへは誰一人として入れませんよ。

 ですから、剣聖殿は安心して、師弟対決に汗を流してくださいませ…ククククク」


「貴様…!」


 並の兵士なら怯えて竦むほどの視線がバールゼフォンから魔人に向けられる。


 ヴェンツェルの隣に座るベオルンウルフですら、次の瞬間には自らの首が宙を飛ぶ幻覚が鮮明に目に映るほどであった。


「おお、怖い、怖いですねぇ…。

 少しでも目を外せば、すぐにでも剣を振るいそうだ…フフ」


 沈黙が、無数の針山となって肌を貫くようだった。


 呼吸するにもためらうほど重苦しい静寂はしかし、王の声で唐突に破られた。


「止せ、バールゼフォン卿。

 ヴェンツェル殿は我が国にとって大切な存在だ。

 マーシアがここまで勢力を広げてこられたのも、ひとえに、ヴェンツェル殿の助力あってこそなのだぞ」


「陛下、こやつは魔人。

 いつ寝首をかかれるか―――」


「今はそれどころでもなかろう!

 ヴェンツェル殿が東西を引き受けてくれると言うのだ。

 バールゼフォン卿。

 そなたは南部より侵攻する、ウェセックス王国軍を撃破することに専念しろ!

 …間違っても、昔の弟子だからといって手心を加えるような真似はするなよ」


「、…御意」


 最後に、薄く笑う魔人を一瞥し、剣聖は玉座の間を後にした。


 その背中を、魔人はさも楽しげに見つめていた。


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