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第六話 〜王都の黄昏 後編〜

 今回は、少し長めの14ページとなっております。


 本当なら半分ずつ分けても良かったのですが、それだと中途半端に区切ってしまうため、結局は一話分にまとめてしまいました。


 これからも、また今回のように一話が長くなってしまうこともあるでしょうが、どうか生暖かい目で見守っていただけますよう、よろしくお願いします。

 正門は内側に開かれた。


 広間に続く通路には、白い石が堂々と連なっている。


 その表面にはやはり大量の血が付着していて、見る者に生理的嫌悪を催させた。


 折れた剣もあれば、持ち主がいなくなってしまった剣も落ちている。


 それらはあたかも、スレインを奥へと導く案内者のようだった。


 歩くたびに擦れる鎧の音が、奥に潜む静かなる敵との遭遇を予感させる。


 緊張感を研ぎ澄ましながら長い通路を歩いた先に、かつての栄華を記憶する広間が侘しく佇んでいた。


 玄関の意味合いも込める広間の面積は、余裕をもって広く保たれている。


 正面の壁を大階段が上がっていて、中二階から左右に分かれる様式だ。


 男は、その踊り場にいた。


 聖騎士と同じく銀の鎧。


 握る剣の煌めきが、殺気の閃光となって網膜に映る。


 白皙の美貌を持ち、文武に秀でた才をもって、わずか25歳で“将軍”の地位を戴く者。


 二人は互いを見据えたまま、永い沈黙に思い出を巡らせる。


 口を開いたのは、フィッチ王国が誇る守護騎士カイン将軍だった。


「久しぶりだな、スレイン卿。

 こうして直に会うのも三年ぶりか。

 …いやはや、時が経つのも存外に早いものなのだな」


 聖騎士は静かに頷いた。


「できることなら、あなたとは、このような形で会いたくはなかった。

 …無粋な話だが、あなたとは、一人の騎士として正々堂々と決着をつけたかった」


 カインは苦笑した。


「我らの決着ならば、三年前のあの日についている。

 かつてブリテンに君臨し、我らが祖のアングロ・サクソンをバトン山の戦いで退けた伝説の騎士王アーサー・ペンドラゴン…。

 彼に伝説の聖剣を譲った湖の乙女の前で、我らは聖騎士の称号を勝ち取るべく戦い、貴公が残った。

 その事実は今更かわらんよ」


 二人が出会ったのは、ブリテン最強の代名詞とも言える最高位の称号“聖騎士”を選出する“湖の試練”の時だった。


 そもそも聖騎士とは、かつてのブリテンに君臨していた騎士王の忠実なる騎士ランスロットに由来する。 彼はニミュエと言う前任者の湖の乙女に育てられ、名を“湖の騎士”とも呼ばれるようになるのだが、現在の湖の乙女ヴィヴィアンは、このブリテン島に暗躍する危機を打破するため、自らの力を分け与えるに相応しい騎士を選抜していた。


 ヴィヴィアンに選ばれた騎士たちが、何時、何処で、どのような試練を受けるのかは不明である。


 だが三年前、二人は選ばれた。


 そして最終試練の日、無呼吸状態における騎士百人抜きの戦いでスレインが勝ち残り、カインが倒れたのである。


 カインは唇の端を吊り上げ、スレインを見た。


「あの時、貴公は最後まで膝を折ることなく戦い抜いた。

 だが、私は無様にも倒れ、聖騎士の資格を失ってしまったのだ。

 …そう、私はまさしく敗北者だった。

 全てを失った私と、全てを手に入れた貴公の立場が、それを何よりも雄弁に語っているではないか…。

 …クックック、これ以上の優劣をつける決着はなかろう」


 カインの眼が狂気の色を宿していく様に気圧され、スレインは慌てて口を開いた。


「それは違うぞ、カイン卿。

 聖騎士の戦いは我らにとって、あくまでも通過点にすぎぬはず。

 最終試練の前日、我らは確かに誓い合った。

 戦乱に荒れるブリテンを、いつか必ず平和にしてみせると。

 あの時、私にそう言ってくれたのは、他ならぬ貴公ではなかったか!?

 …いったい、ここで何が起きたのだ?

 どのような悪意が、貴公の瞳をそこまで翳らせたのだ?

 答えよ! カイン!」


 スレインの投げ掛けた言葉を斬り捨てるように、カインは剣を振るって眼を細めた。


 それは、紛うことなき殺意となって広間を駆け抜け、スレインを射抜く。


「その答えを聞きたければ、私を倒せ。

 貴公がヴィヴィアンより授かった力と。

 私があやつより授かった力。

 どちらが強いか、ここで我らの雌雄を決し、証明するとしよう…!」


 助走もなく、カインはわずかに膝を曲げて撓めた瞬発力だけで天井まで跳躍した。


 スレインの頭上、見上げる彼に向かって、カインは天井を床に見立てて踏み込み、さらに速度を増して聖騎士に滑空する。


 それは隼のように鋭く、しかし人間の質量を秘めた破壊力を伴って迅い。

 剣を突き立てた一点突破の貫通力が、鉄をも貫く矢となってスレインに襲いかかる。「―――クッ!」


 スレインは後方に飛び退いた。

 元より、頭上から高速で飛来する攻撃を防ぐ手段は皆無に等しい。

 ましてや、それがピンポイントを狙い撃つ突きであるならば、防御よりも回避に専念するのが上策である。


 カインの雷光の如き突きが床に落ちた。

 そこはコンマ一秒前までスレインが立っていた場所。

 穿たれた床が塵と埃に塗れた煙を上げ、その中に隠れた騎士が嬉しそうに笑う。


「さすがは聖騎士…。

 そうでなければ面白くないな…!」


 スレインの二の句も待たず、カインは再び聖騎士の懐へ踏み込んだ。

 塵煙からの、黒犬を一瞬にして葬った横一閃の斬り払い。

 並の兵士なら、斬られた後で自分が攻撃されたことに気付くほどの迅さだ。


 が、これにスレインは反応していた。

 剣を縦にしてカインの踏み込みを受け止め、金属がかち合う高い音が広間に幽かな残響を残して響く。


「なぜだ!?

 なぜ我らが戦わねばならない!?

 貴公が言ったあやつとは、あの魔人のことであろう!

 ならば、奴は我ら共通の敵だ!

 ここで、我らが戦う理由などないのだ!」


 どちらも押し負けぬ鍔競り合いを経て、互いの距離がゼロになる。


「何を今更!

 貴公はフィッチ王国に攻め込んできたのであろう!

 ならば、私は敵だ!

 倒さねばならぬ敵なのだ!

 甘い希望にすがりつき、あわよくば無傷で私を懐柔しようなどという魂胆が通用するとでも思うたか!」


 カインの剛剣がスレインの剣を弾き、両者は互いに間合いを取った。


「バカな!

 我々は決して、民を巻き込むような真似はしない!

 貴公も知っているだろう!

 この街の惨状を!

 この理不尽な無差別破壊を許していいのか!?

 貴公を慕い、散っていった部下や民も、今のあなたの姿を見てどれほど嘆いていることか!」


 カインが動き出すと同時に、今度はスレインも疾走した。

 互いに触れ合う制空権。

 隙を見せれば即必殺に繋がる死の間合いの中で、二人の騎士がかち合う剣のハーモニーを奏でていく。

 空を斬り裂き、宙を貫き、大気を唸らせる凄まじい攻防戦。

 荒れ果てた広間に二人、壮絶であるがゆえに美を醸し出す両者の剣の軌跡が、煌めく残像となって高速に展開されていた。


 紛れもなく二人の技量は互角だった。 だが、攻撃を仕掛けているのは専らカインの方であった。

 そもそも、上下左右の多角的な剣撃は、実際に相対すれば目で追うことも難しい。

 それがカインによって高速で襲いかかるなら尚更、視認することも困難を極めて、勝負はすぐさま決着するはずだった。


 相手が、聖騎士でなければ。


 スレインは息つく暇もないカインの猛攻を精確に捉えた上で、紙一重の太刀捌きをもって躱し続けていた。

 相手の踏み込み度合いや速度、更には本当の気迫と偽りの殺気を全て見極め、かつ最も効率的な摺り足をもって初めて成る防戦である。


「そうだ!

 私は守れなかった!

 民も部下も、王でさえも!

 私は何一つとして守り通すことができなかったのだ!

 華々しい貴公には分からぬだろう!

 どれほど崇高な理想を掲げても、それを実現せしめる力がなければ所詮は空中楼閣!

 圧倒的な暴力に屈する正義など、存在する価値もなければ意義もないのだよ!

 スレイン…!」


 カインは攻撃のリズムを崩さぬまま、スレインに語りかけた。

 これほどの斬撃を仕掛けておきながら、未だ息を乱した様子のないその体力は、やはり尋常ではない。


 雄叫びを上げるカインの剛剣が、再び聖騎士を弾いた。

 スレインはカインの剛剣による衝撃を利用して間合いを取り、再度カインを説得しようと顔を上げて、ぎくりと表情を強張らせる。


「高き天蓋より在り

深き混沌より在り

永き黄昏より在り

暗き深淵より在り―――」


 ここにきて、スレインは思い出した。

 カインは騎士としての技量もさることながら、その実、魔術にも深い造詣を持つ“魔導騎士”であるのだと。


「汝、灼き尽くす者よ。

 世界の理より居出て、我が敵を焼滅せん!」


 カインの適性は確か、“火”系統の精霊魔術だったはず。

 しかし、この詠唱と並々ならぬ魔力量を見る限りでは、まるで“魔法”の領域―――!


「させるか!」


 だが、スレインの踏み込みは後一歩遅かった。

 世界に働きかけるカインの言霊が最後まで紡がれる。


「―――“猛き万物の火精霊”(サラマンダー)」


 カインの足下に魔導陣が浮かび上がる。

 赤色の五芒星が輝き、戦慄する大気の震動に呼応するように、ソレはスレインの前に現れた。 精霊魔術の根幹は、世界に満ちる活力はすべて、四系統に分かれた四大精霊が生み出す活力であるのだとする思想に定義されている。


 即ち、四大精霊の各活力は概ね均衡を保つように絶えず循環され、世界を養う活力源として大気に満ちているとする考え方であった。


 例えば、夏の海辺で一日を通して最も活性化している精霊は水であるが、昼間、太陽が盛んに活動している時は火が次いで、夜間、静かな大気に満ちる時は風が次ぐというように。


 時間と場所によって千差万別に精霊の活力バランスは異なるものの、世界全体を通して見た場合、各精霊の活力バランスは四等分に保たれているのである。


 ゆえに、この青き星は活力が枯渇することなく、健やかな環境を維持できているのだと。


 多くの魔術士が精霊魔術に適応しているのも、このように自然元素の影響を常に受けているからであり、自らもそれらを手放してはもはや生活できぬほどにまで日常に浸透しているからだった。


 カインもまた、確かに精霊魔術士であった。


 それも、局所的な破壊力であれば最大を誇る、攻撃型の火系統精霊魔術士である。


 だが今、彼が操って見せた魔術は、ともすれば魔法域に達するほどの高難易度魔術―――俗に“奥義”と呼ばれる神秘の発現であるのだった。


 魔導陣から人型をした火焔が現れる。


 一つ一つは掌サイズほどに小さいが、合計で三つ、トカゲのような顔をした異形がカインの周囲に漂っていた。


 精霊魔術奥義

 “精霊召喚”


 各属性系統の概念を深奥まで理解し、かつ各精霊と契約を交わした上で初めて使用可能とされる神秘だ。


 だがそれは同時に、最も魔法に近い魔術の一つとされていることから、魔術士の間でも“奥義”として最高難易度の魔術の一つに区分されている。


 なぜなら、奥義の名にも記されている通り、それは“召喚”―――“神秘”の力である魔術ではなく、“奇蹟”の力たる魔法の一つ“召喚魔法”に最も近い魔術であるからだ。


 しかし、それが魔法でない理由は、四大精霊が目には見えぬだけで絶えず、世界に存在しているからである。


 砂漠にも、大気圏にも、海中にも、山奥にも。


 ゆえに正確には召喚ではなく、召還と呼ぶべきなのだが、精霊は人類よりも高位存在であるため、あえて召喚と呼ぶようにしているのだった。「これが私の力だ、スレイン―――」


 一体一体が強大な力を持つサラマンダー三体を従えながら、カインは言葉を紡ぐ。


「―――この程度の力を破れぬようであれば、その源泉たるあの魔人を倒すことなど夢のまた夢…!

 ましてや、平和という理想郷など、初めから貴公らの夢物語と消えて当然だ。

 伝説の聖剣に護られた騎士王でさえ、ついに実現できなかったその悲願…。

 貴公の信じる理想が正しければ、そしてそれを、この世界が真に望んでいるのなら、この程度の逆境を見事、我が前で乗り越えて見せよ!

 スレイン!」


 カインが命令を下すまでもなく、サラマンダーはスレインを標的にして一斉に攻撃を展開した。


「くっ、カイン…!」


 前方から飛来する火球を剣で斬り落とし、しかし更に襲いかかる雨のような火球を高速のステップで躱し、あるいはやはり斬り払いながら一足飛びで後退する。


「後ろを取られたぞ!」


「!!!」


 壁伝いに移動したカインの奇襲に、スレインは辛うじて反応した。

 だが、カインの攻撃を防ぐだけの踏み込みも浅く、太刀捌きのみの一時凌ぎでしかなかった。


 背後の殺気。

 サラマンダーの突進を避けようと右に飛ぶやいなや、さらなる火焔弾の追撃がスレインを襲う。

 この炎の雨は、ついに防ぐことができなかった。

 顔と胴体のみを守る最低限の防御姿勢をもって火球をやりすごすが、肩や脚、腕などの細部に被弾し、その衝撃と熱気が聖騎士を襲う。

 ヴィヴィアンより譲り受けた、精霊魔術にある程度の耐性を持つ聖銀の鎧がなければ、すでに火球によって火ダルマと化していただろう。


 スレインは火球の勢いに押されて壁際に追い込まれた。

 左右から急速に接近するサラマンダーの突進にただ防御したまま、不意に肌が粟立つ上空の殺気に顔を上げる。


「遅いッ!」


 天井を踏み抜くほどに撓めた、カイン最速の雷光牙突。

 必殺を謳う好敵手の王手はそのままスレインに直撃し、背の壁をも砕いて塵煙を巻き上げる。


 人影を飲み込む塵煙から現れたのは、カインだった。


「…手応えはあった―――」


 そう呟いたカインの表情は、しかしどこか哀しそうだった。


「―――我が必殺の一撃を受けて、無事に済めば沽券に関わるが…。

 しかしさりとて呆気ない…。

 呆気ないものだ…」 カインは、一人の騎士としてスレインを親友と認めていた。


 同じくヴィヴィアンの試練を受ける者、互いの技量や理想が同じであったことが、二人を結びつけたのかもしれない。


 カインは、互いを最大の好敵手として切磋琢磨しながら、一瞬の油断が死を招く“湖の試練”を幾度も潜り抜いたことを、今でも昨日のことのように思い出せた。


 当時は苛酷としか言い様のない日々であったとしても、こうして思い返してみれば、それは紛れもなく輝かしい思い出に相違なかった。


 ―――全力で。


 ただひたすら、親友とともに前だけを向いていられた時間。


 それは誇りだった。


 たとえ夢破れたとしても、その記憶だけは確かな事実として生涯を誇るに値する思い出だったのだ。


 嬉しかった。


 一つ一つの試練を越える度に、自分が一皮も二皮も剥けて成長したのだと実感する、充実した毎日が嬉しかった。


 だが、真の悪夢を前にした時、カインの誇りは音を立てて崩壊した。


 勝てるわけがないと。


 有無を言わせぬ圧倒的な暴力に、成す術もなく王都が蹂躙されていく様を、彼はただ無表情で見つめるしかできなかったのである。


 それは、絶息しそうなまでの無力感だった。


 今までの努力の日々を笑い飛ばしてやりたいほどの絶望と空虚感が、カインを支配した。


 誇り高き騎士道も。


 輝かしき夢も理想も。


 アレの前では、砂で造り上げた王国のように、気紛れな台風で消えてしまうモノであったのだ。


 カインは、全てを棄ててでも力を欲した。


 何者をも寄せ付けぬ、圧倒的な力を欲した。


 力がなければ理想は実現できない。


 子供の涙も、厳かな天変地異の前では無意味であるように。


 カインは、力こそが全てだとして悪魔に魂を売り渡したのである。


 力こそ正義。


 力があれば、正義も悪もコインの裏表のようにクルクル回る。


 この世は弱肉強食。


 ならばカインは、強者として世界に君臨することを選んだ。


 力がなければ何も守れぬと言うのなら、誇りなど何の役にも立たない精神論でしかないのだ。


 …それを、証明してほしかった。


 それが間違いであることを、証明してほしかったのに…!


「さらばだ、スレイン卿…」


 カインが背を向けた。 ―――その時だった。


「…、貴公は、とことん哀れだ―――」


 聞き間違えようのない親友の声に、カインが素早く振り返る。


 徐々に薄れゆく塵煙の奥に、剣を床に下ろして支えとしながら、濃い輪郭を形作る人影がゆらりと立ち上がる。


「―――力が一人で担うモノだと、いったい誰が決めたのだ?

 元より我らは、身の丈ほどの責任と力しか担えぬ弱者。

 ゆえに人は知恵を得、手を取り合って共存することを選んだのだ。

 そのための家族。

 そのための国家。

 力で奪い合うなら畜生でもできる。

 家族を守るだけならば畜生でもできる。

 しかし、名も知らぬ他人に手を差し延べることができるのは、人間以外にいはしまい!

 それすらも忘れてしまえば、人間はもはや畜生にも劣るのだぞ!

 カイン…!」


 聖騎士の強烈な太刀が一閃、塵煙を切り裂いて吹き飛ばした。

 カインの雷光牙突は聖銀の鎧を貫いていたが、スレインは身体を捻ることで急所を外し、致命傷を避けたのだった。


 スレインの眼に、今まで以上の強い光が宿っていた。


「この程度の逆境を乗り越えて見せろ、と言ったな…。

 ならば、もはや私は語るまい。

 元より、我ら騎士は剣によって意志を語る者。

 …いいだろう。

 ヴィヴィアンより託されし力、その目でしかと見るがいい!」


 その時、聖騎士が地に突き刺した剣に異変が生じ始めた。


 剣に刻まれた四つのルーン文字のうち、一つが光り輝いて、剣とスレインを螺旋状に包んでいく。

 緑色の光はやがて宙に解け、後には元通り、何ら変わった様子のない剣とスレインとが残されていた。


 カインは呆気に取られたように茫然と立ち尽くし、次第に何も変化がないと悟ると、猛々しく目を細めた。


「貴公の言う力とは、よもや光を操って見せただけの子供騙しか。

 …私もつくづくナメられたものだな。

 もういい。

 貴公に期待した私がバカだっただけか。

 …もはや、私は何も問うまい。

 灰燼と帰して早々に無へと帰るがいい!」


 サラマンダー三体が同時に動き、未だ動きを止めたままの聖騎士に向かって高速度で接近したかと思うと、突如として彼らの体が木っ端微塵に破裂した。 細分化された火焔は、一つ一つが意志を持つように散開し、そのままスレインに強襲する。


 これぞ、実体をもたぬ精霊の真骨頂。


 霊体でありながら、魔術によって仮の肉体を得た精霊たちは自らの意志で体を細分化させ、それぞれが独立した動きでもって敵を攻撃することができた。


 これにより、精霊一体で約一千の敵を同時攻撃することが可能となり、戦場では環境を破壊することなく、敵兵を全滅させることができるのだった。


 これが、魔法に最も近い魔術としてもさることながら、この精霊召喚が“奥義”と位置付けられる所以である。


 精霊が存在する間、術者は魔力を消費し続けるのだが、逆に魔力に余裕があれば、精霊は大多数同時攻撃に加えて、通常の物理攻撃を無効化し、火属性魔術を吸収する肉体を備えて術者の敵を葬るのだ。


 それが三体―――合計三千もの自立火焔弾が、負傷する聖騎士に向かって飛来した。

 防ぐ手段はない。

 四方八方から高速で展開する小型火球は、頭から腕、胴体に脚、頭上と背中へと襲いかかる。

 全火球の動きを捉えることは不可能に近い。

 スレインの生命は、ここで途絶したかに思われた。


 しかしカインは、己の脳裏に思い描いた未来が覆されていくのをまざまざと見せつけられた。


 まず一発目が着弾したその刹那、スレインの身体が陽炎のように揺らめいて消えた。

 不可思議な現象に目を丸くするカインは、次いで襲いかかる無数の火焔弾をことごとく躱していく聖騎士の超人的な動きを目の当たりにする。


 火球と火球のわずかな隙間を通り抜け、あるいは切り裂いて“道”を作る。

 それぞれが独立した変則的な動きで敵を翻弄する火焔弾は、術者であるカインですら見切りようがないのだが、スレインは火球と火球の間隙を縫って突き進んでいくのだ。


 それは、人間ではまず到達不可能な領域の身体能力であった。

 降り注ぐ雨の中を一滴の雫も浴びることなく走る動作に近かったが、それが敵意をもって自在に襲いかかるなら、これはもう足掻くだけ無駄だと誰もが思うところである。


 しかし、スレインはその常識を越えて、逆に数千もの数に及ぶ火焔弾を翻弄しつつあった。

 ただの一発も直撃を許さず、聖銀の鎧に掠めさせて被害を最小限に留める。


 カインは、そのあり得べかざる超人の名を叫んだ。「スレイィィィン!」


 カインは剣を構えた。

 だが、スレインは残像を残して目まぐるしく動き、その実体を捉えるのは至難である。


 途端、何かがカインの左を通過した、ように感じた。

 それは一陣の風であったのかもしれない。

 しかし、ドサッ、と小さな物音が足下から聞こえ、左半身の奇妙な空虚感に違和感を覚えて首を巡らせた時、彼は初めて己が身を襲った聖騎士の斬撃を理解した。


 左腕が、肩から先にかけてバッサリと断ち斬られていた。

 カインがそう認識したのと同時に夥しい出血が始まり、サラマンダーが二体も消滅する。

 残ったサラマンダーは再びトカゲめいた姿を取り戻してカインの傷口に自らの体を押し当て、その熱で出血を焼いて止めたが、それを最後の仕事として別次元の精霊界に帰還した。


「これが、私の力だ―――」


 背後から聞こえる声に導かれて、誇り高き親友に向き直る。

 そこには、悠然と立つ聖騎士の姿があった。


「―――ヴィヴィアンより託されたこの剣は、名を“四大元素の祝福”(ルーンブレイド)という。

 これには四大精霊に応じた各属性に適合する四つのルーンがあってな、今、解放して見せたのは地のルーンだ―――」


 健やかな成長を促す、大地の精霊の力。


 それは魔導剣の硬度を大幅に高めると同時に、持ち主の身体能力を数倍に向上させる効果をもたらした。


「―――このルーンは、身体増強型の大型魔術と同じ効果を持っていてな。

 持続時間は少ないが、魔術を使えない私には鬼に金棒というわけだ―――」


 運動神経伝達物質の速度上昇と、イオンチャンネルの誘電率向上、さらには受容体の信号回収の超効率化によって、五感そのものを常時の三倍以上にまで引き上げ、さらには全身の筋肉に、その五感に見合った瞬発力と耐久力を与えるのである。


 ただし、その代償として魔力を大量に消費するうえ、持続時間は三分足らずといった欠点を持つが、それゆえにこの魔術効果を得た人間は、まさしく神速の動作を可能とした超人と化す。


「―――この剣には、ヴィヴィアン殿の切なる願いが込められている。

 私がこの剣を持つ限り、その想いに応える義務があるのだ―――」


 ゆえに、その大型魔術の名を“三分間の英雄”(インスタント・ヒーロー)


 魔導剣ルーンブレイドに付与された“地”の神秘であった。 しかし、その力は無限ではない。

 いかにヴィヴィアンの魔力が強大とはいえ、世界が定めた魔導の絶対法則“大前提の原則”からは逃れられないのだ。


 神秘の力、魔術。

 奇蹟の力、魔法。


 その二つを総称して“魔導”と言うのだが、それは無から有を生み出す業ではない。


 そもそも、魔力とは、人間で言えば第二生命エネルギーのことを指す。


 例えば、人間の生命維持に絶対的に必要不可欠な血液や臓器が第一生命エネルギーであるならば。


 第二生命エネルギーとは、日々の感情変化や食事といった、その人間を取り巻く環境から養われる“活力”なのである。


 この活力を、先天的な概念才能である“魔力器”によって魔力へと濃縮変換できる者が、魔導を使う資格を有するのだった。


 そして魔導は、事象に残留する魔力が尽きた瞬間に、あらゆる効果を失うのである。


 これが、魔導における絶対的法則―――即ち、“大前提の原則”である。


 カインの精霊召喚も然り、左腕を斬り落とされた分の活力がごっそりと奪われたがゆえにサラマンダーが二体も一息に消滅し、残る一体も維持できぬほどにまで消費してしまったのである。


 ゆえに、これは魔導剣ルーンブレイドにも当てはまる。


 この絶対的法則を補うため、ルーンブレイド最大の特徴がある。


 伝説の騎士王アーサー・ペンドラゴンの強力な助言者、マーリン・アンブロジウスをも幽閉せしめた湖の乙女、ヴィヴィアンが最初から創成した魔導剣には、周囲の空間から四大精霊の活力を少量ながら取り入れる能力を秘めていた。


 これによって魔導剣の力は、たとえ魔力器を持たぬ凡人であろうと使用可能とする強力な宝具だったが、しかし一度に使用可能な力は一つ限りと限定されている。


 なぜなら、各四種類の強力な効果は、消費する魔力こそ等しいが、その消費魔力と、周囲の活力を吸収する剣の最大魔力保管量もまた同等であるからだ。


 さらに、一度消費した魔力を再度使用可能にするまでに必要な待機時間は、約一週間と永い。

 これは、一度に膨大な活力を取り入れてしまえば、周囲の精霊バランスを崩しかねない上に、所有者にも甚大な影響を与えてしまうかもしれないからであり、ゆえにルーンブレイドは、おいそれと容易く使える代物ではない、切り札なのであった。 カインの傷は致命的だった。

 このまますぐに治療すれば命は助かるだろうが、それは最初から彼に許された選択肢にない。

 左腕を失った肩の傷口に当てた右手を放し、地に落ちた剣を握る。

 聖騎士を見上げる顔には、背水であるがゆえの凄味を帯びていた。


「カイン卿、もう勝負はついた。

 これ以上の戦いは無意味だ。

 我らの敵は魔人ただ一人。

 それが分からぬ貴公ではあるまい…!」


 蒼白となった表情には夥しい脂汗が吹き出していて、それが、カインの死期が近いことを物語っていた。


 スレインはもはや、聖騎士としてではなく、ウェセックス軍の司令官としてでもなく、ただ一人の親友として説得する。


「なぜだ…!?

 いったい何が貴公をそこまで駆り立てるのだ?

 奴に肩入れする理由など、貴公にはないはずだ…!」


「…これは、貴公のためなのだ、スレイン卿…」


「私の、ため…?」


「そうだ。

 貴公がアレを見て絶望せぬうちに、私の手で殺しておきたかった。

 そうすれば、お前は私のように、悪魔の呪いを受けることはないのだから…」


「か、カイン卿…。

 そ、その腕は…」


 スレインは、斬り裂いたはずのカインの左肩口から、蛇がのたうち回るように蠢く膨大な細胞を見て取った。


 人間ではまず再生不可能なはずの左腕が、時間をかけて再生しようとしている。


 カインは剣を構えて猛々しく踏み込んだ。

 まだルーンの力を宿すスレインの目には、その体感速度はスローモーションのようであったが、しかし反撃をためらって防ぐに留まった。


「私は奴に殺され、そして改造された。

 その結果、私は力を得たのだが、しかし代償として“人間”を辞めてしまったのだ。

 …いつの間にか、辞めさせられてしまったのだ。

 起き上がってしまったのだ。

 あのまま死んでいけたら、どれほど楽だったことか。

 あのまま人として死ねたなら、どれほど楽だったか。

 本物の悪魔の前では、神も手を差し延べてはくれない。

 物語の主人公なら、その時に誰かが助けてくれるのだろう。

 …だが、それはほんの一握りの幸運者だけだ。

 人でなくなった私は、今度は人から狙われる立場になった。

 誰も助けてくれない。

 誰も救ってくれない。

 誰も恵んでくれない。

 …私は、神に見捨てられたのだ…」 カインの剣は明らかに力が弱まっていたが、剣撃を受け止めるスレインの手にはしかし、これまで以上の重みを体感していた。


「カイン卿…」


 言葉にならない彼の無念が、太刀筋に込められて果てしなく重く感じられた。


「私には、最初から選択肢などなかったのだ。

 ならばせめて、私の手で貴公を殺し、奴の魔の手から遠ざけるか。

 ―――それとも。

 貴公の手で、まだ私が人間のカタチをしているうちに…」


 突如として右から迫る鞭のような剛腕がスレインを襲い、右手で受けて直撃を防いだ。

 反動を利用して間合いを取り、再び開いた両者の距離は五メートル。


「カイン卿…。

 やはりあなたも、何かに寄生されていたのか…」


 カインの左腕は、まさに蛇の如き長さと鞭のしなやかさを宿して、床すれすれに垂れ下がっていた。

 再生するたびに、人であることをカタチから失っていく呪われた存在。

 それが、魔人に殺された有能な死者の末路であるのだった。


「…来い、スレイン卿。

 私の寄生体は心臓に宿っている。

 そこを貫けば、私はもはや再生することなく死ぬだろう。

 …迷うな。

 最期に貴公に会えて、私は本当に嬉しかったのだから」


「…カイン…!」


 カインが最期を望んで最速に踏み込む。

 寄生体の右腕が、別の意志を持つかのように忙しなく宙に泳ぐ。


「私がまだ、人であるうちに…!」


 三メートル。


 スレインは、歯の奥をぎりぎりと噛み合わせて、それでも最善を“思考”錯誤する。


「私は、人間でありたいのだ…!」


 二メートル。


 カインの痛切なる想いが、広間に反響した。


「―――斬れ…!

 斬れェ!

 臆病者ォォォ!!」


「―――ぉぉぉぉおおおおオオオオ―――!!」


 一メートル。


 二人は互いに雄叫びを上げて、剣を閃かせた。


 文字通り、死力を尽くしたカイン渾身の上段斬り落としを。

 スレインは半身で躱し、そのまま右腕を突き出して親友の心の臓に剣を突き刺した。








 騎士の咆哮は、静寂の中に解けて消えた。


 ごふッ、と吐血したカインは、しかしどこか満足げに微笑んでいた。


「…ありがとう、我が、親友よ…」


 剣から、親友の硬直していた体が、緩やかに弛緩したのが伝わってきた。


 スレインはもはや意識を亡くした親友の亡骸を抱き抱え、密やかに泣いた。


「…私は…。

 私は、それでも…」


 天井を仰いで、叫ぶ。


「お前を殺したくはなかったんだァァァ!!」


 陰惨な魔人の犠牲者を前に、スレインが率いるウェセックス王国軍はその日、フィッチ王国首都グロスタシャーを制圧したのだった。

ご愛読していただき、本当にありがとうございます!


 読者さまのおかげで、総読ページ数が千を超えました!


 これからも精一杯頑張って投稿していきますので、どうかよろしくお願いします!

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