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第五話 〜王都の黄昏 前編〜

 聖騎士たちがフィッチ王国首都グロスタシャーに辿り着いたのは、予定よりも大幅に遅れ、鮮やかな琥珀色の空に少しずつ宵闇が迫っていた頃だった。


 聖騎士は進軍先を首都南部に広がる“ディーンの森”に選んだのだが、深部に進むにつれて濃度を高めていく霧と、幻聴や幻覚、さらには発狂者まで出始めた部隊の混乱を鎮めるために、貴重な時間を割かねばならなかったのである。


 結果から言えば、それらの原因は森の中枢にて密かに建造された、フィッチ王国軍の魔導砦にすべてのカラクリがあった。


 人工的に生み出した霧に恐怖喚起の“呪術”を施し、さらに幻惑効果を重複させることで、肉体にではなく精神に過度な負担を強制させる魔術。


 それこそが、通称“迷いの森”とも呼ばれるディーンの森の正体であり、堅牢を誇るフィッチ王国軍の前線防衛網であるのだった。


 しかしスレインは、第二魔導兵団の助力もあって無事に魔導砦を攻略し、部隊が本格的な混乱を極める前に、被害を未然に食い止めたのである。


 だが、これによってさらなる問題が浮上した。


 部隊の被害としては、このまま首都を攻めるに躊躇うほど深刻ではないのだが、敵襲を確認した魔導砦の兵士たちが、スレインが砦に攻め込むと同時に、ウェセックスの来襲を首都へ連絡したようなのである。


 これは致命的だった。


 聖騎士たちの強襲作戦は失敗し、敵はすでに篭城戦に向けた準備を着々と整えているはず。


 ましてや相手の指揮官が、名将の一人に数えられるカイン将軍とあれば、これはもう、たとえ聖騎士と言えど迂闊には手を出すことができない難敵なのである。


 残された作戦は、正門一点突破。


 だが、それはカインを相手にする上ではあまりにも愚策すぎたため、聖騎士は難攻不落の敵本陣を攻略する起死回生の一手を閃くべく、粘り絡みつく糸の如き思索に没頭せざるをえなかったのだった。


 だが、聖騎士の無理難題を解決したのは、首都の様子を探らせに出した斥候の思いもよらぬ報告だった。


 ―――“首都壊滅”


 思わず我が耳を疑うような報せに、スレインは最初、苦衷を察した部下たちが企んだ冗談ではないかと思った。


 しかし、斥候の困惑に極まった表情と一貫した報告に業を煮やし、自らが城壁の前に相対した時、聖騎士は目の前の光景に、思わず絶句した。 スレインは、同行者に騎士二名と魔術士一名を選出し、瓦礫と化した被災地のような按配を見せる首都に足を踏み入れた。


 暗澹とした闇色の雲が低く垂れ込め、雨の気配独特の水気を含む風が、聖騎士が着装する銀色の鎧を軽く撫でる。


 道行く者はいない。


 生活感を匂わせる民家も原形を留めていない。


 物音一つしない、奇妙なまでに沈黙する街全体が、異質に澱む大気を孕んでいる。


 あたかも、夜の世界が敵意をもって聖騎士一行を凝視しているかのようだった。


 王都としての賑わいどころか、すでに“街”としての体裁すら失われている。


 首都グロスタシャーは、見渡す限りが廃墟だった。


 人ひとりいないが、壁や地面には明らかに戦闘が行われた痕跡であろう血痕が残されている。


 民家の外観は激しく損なわれ、その内装を醜悪に露出させて陰鬱な雰囲気を醸し出す様は、踊り食いされた肉のカケラのよう。


 街を歩く一行の足取りは重く、周囲を窺いながらの探索は、踏み締める一歩分ずつ沈鬱な表情になって神経が緊張していくようだった。


 無慈悲に転がる日常の残骸の中を進み、さらに奥へと歩む。


 聖騎士一行の他にも、六名前後の小隊を複数編成し、街の調査に派遣させているのだが、彼らもまたスレインたちと同様の不安に苛まれているに違いなかった。


「スレイン様…。

 いったい、ここで何が起きたのでしょうか…?」


 仲間の一人が、蟠る心中の不安を吐き出すように呟いた。


「分からん…。

 分からんが、しかし…フィッチ王国も、これは予想外だったようだ…、見ろ」


 聖騎士が指差したのは、今にも崩れ落ちそうな民家の前に転がる一振りの剣だった。


 この時代では特に珍しくもなく、各国の一般兵士に永く普及している剣である。


「兵の剣が落ちているということは、少なくとも、ここで激しい戦闘が行われたようだ。

 …だが、敵は誰だ?

 それは我々ではないことは確かだが、かといって、この時期にフィッチ王国に攻め込む者など、我ら以外には考えつかないが…」


「この破壊は、やはり何らかの魔術を用いたのでしょうか…?」


「ふむ…」


 スレインは顎に手を当て、少し思案する。


“魔術”とは、何らかのカラクリを用いて人々を楽しませる“奇術”のことではない。


 文字通り“魔力を操る術”なのである。 魔術は、大きく分けて七種類に分別される。


“精霊魔術”

“神聖魔術”

“ルーン魔術”

“死霊魔術”

“暗黒魔術”

“古咒魔術”

“結界魔術”


 この中でも、特に多数の魔術士が適応した魔術は“精霊魔術”であり、一般的に想像される魔術と言えばこれに該当する。


 精霊魔術をさらに分類すると四種類に分けることができる。


“火”系統魔術

“水”系統魔術

“地”系統魔術

“風”系統魔術


 原則的に多くの術者の場合、一人につき一つの系統に秀でていることが多い。


 これはその人間の本質的な適応であり、ある意味では、先天的な才能の道筋だとも言えるだろう。


 勿論、努力次第で他の系統魔術も覚えられなくはないが、自分に適応した系統魔術以外の修練は困難を極め、諦める者がほとんどだと聞く。


 それは、水と油を同じ割合で混合させた液体を造るに等しい行為だと、かつてのイングラムがそう苦笑したのをスレインは思い出した。


 だが、仮にそのイングラムをもってしても、この大破壊の爪痕を残すことは難しいだろうと聖騎士は思う。


 まるで巨大な雷が幾本も天より降り注いで暴れ回ったかのような被爆地の様相を呈している首都の有り様は、魔術を駆使したとて、とても現実的ではないように思えたのだ。


 スレインは、思案する脳裏の予測そのままを口にした。


「これは…そう…、どちらかと言えば、何か巨大な物体が暴れたような痕跡だが…。

 しかし、首都を壊滅させるような化け物など、まるで伝説に伝え聞くドラゴンか、あるいはサイクロプスぐらいしか知らぬ。

 だが、そのような幻想種族が実体化した話は聞いたことがないし、第一、イングラム殿が不可能だと言っていた。

 …ならば、これはやはり何らかの魔術による破壊なのだろうか…?」


 出口の見えない思考の迷路を止め、スレインは溜息をつく。


 その時、民家の陰からようやく男の話し声が聞こえてきた。


「なァ…、一つ訊きたいんだけどよォ…。

 神様ッて、この世にいると思うかい…?」


 泥酔したようにフラフラと歩み寄る男は、どこかの浮浪者だろうか。


 髪は乱れ、服は所々が破けている。


 げっそりと細る顔に生気は失せ、瞳は血走って赤黒い。


 服の裂け目から、妊婦のように突き出た腹が、男の異常性を高めていた。「誰だ貴様ッ! そこに止まれ!」


 同行する騎士が一人、先頭に躍り出て剣を男に突き付ける。


 だが、男は意に介した風でもなく言葉を繋げた。


「皆が叫んでたんだよォ…。神様ァ、神様ァ、ッてねェ…。

 みィんな、必死こいて叫んでたのにねェ…、く、くふきュぶきュぶふ…」


 何がおかしいのか、男は突然わらい始めた。


 妙に癇に触る笑い声だったが、スレインは仲間の剣を下げさせ、奇怪に破壊された首都の経緯を尋ねてみることにした。


「何が起きたのか、だッてェ…?

 騎士様ともあろう方が、私のような下賤者に何が起きたのかと尋ねるなんてェ…、ぐ、ぐふきュぶきュくき…」


 しばらく笑うと、男は勝ち誇ったように口元を歪ませ、囁くように呟いた。


「あァ…、心配しなくても、ちャァァんと見てたよォ…。

 俺はァ、路地裏で見てたんだァ…、ムシャムシャガブリ、ムシャムシャガブリ、ッてねェ…」


 男は芝居じみた動きで“何か”にがぶりつく真似をしては、何度も何度も満足げに“何か”を咀嚼する。


 それは、見ていて苛立ちを覚えるのと同時に、この男が何か、良くないモノに憑かれているのでは、と不安にさせる動作だった。


「くュきュきャ…。

 神様はねェ、喰われちまッたのさァ…。

 泣いて跪こうが、赤子を差し出そうが、剣で抵抗しようが…、そォんなものはぜェんぶ無ゥ駄。

 奴ァ…、神様も世界も、何もかもを喰べちまうんだからなァ…!

 くきャきャきャきャきャ、きャーきャきャきャきャきャ…!」


 男の笑い声は、いよいよヒステリックなまでに高まって街に響き渡った。


 もはや正気を失った男から得られるものはないと、スレイン達はその場を立ち去ろうとした。


「なんだよォ、俺の話はまだ終わッてねェぞォ…!」


 スレインは返事をするのも億劫だったが、着いてこられるのも迷惑だと考えて、仕方なく振り返った。


「お前の戯言に付き合う道理はない。

 どうしてもと言うのなら、次はもっと面白い話を考えたまえ」


「な、なにィィ…!?」


 男は顔を歪ませ、苛立たしげに地団駄を踏んだ。


「て、てめェ…!

 せッかく俺様が親切にも話してやがるのに、なァんだその態度はァ…!?

 そんなに騎士様はエライのかァ!?

 そんなに貴族達はエライのかァ!?

 クソッタレェ…、お前らなんて、みんな喰われちまえばいいんだ…!」 腹を抱えて、男の顔が醜悪に歪む。


 その時、どこからか悲鳴とも嬌声とも取れる叫び声が四方から飛び交った。


「ス、スレイン様…!

 や、奴の腹を見てください…!」


 仲間の狼狽した声に促されて、聖騎士は男の腹を改めて見る。


「うっ…!?

 こ、これは…!?」


 スレインが驚くのも無理はない。

 男の腹には、今にも飛び出しそうなほどくっきりと浮かび上がる何者かの輪郭が見て取れたのだ。


 思えば、男は全体的に痩せこけている。


 それが脂肪でないのなら、男は何か良くないモノに精神的に憑かれているのではなく、何か良くないモノを肉体的に宿しているのではないか。


「死ねしねシネ死ネしネシね死ねしねシネ死ネしネシね死ねしねシネ死ネしネシね死ねしねシネ死ネしネシね…」


 男は呪詛の言葉を吐きながら、ひどく苦しそうに腹を抱えている。


 腹に蠢くモノはいよいよ活性化し、皮膚がその輪郭を浮き立たせて激しく蠢動し始めた。


 騎士と魔術士はすでに臨戦態勢。


 スレインもまた、腰の剣を抜いて目を細める。


 その剣には、特殊な紋様が彫られていた。

 音素文字―――俗にルーン文字と呼ばれる、その紋様自体に神秘を宿した魔導剣である。


 男は膝から崩れ落ち、懇願するように一行を見上げた。


 その瞳は、一瞬、正気を取り戻していたように、見えた。


「だ…、ダズゲデェ!」


 その瞬間、限界まで膨れ上がった男の腹部が、パン、と乾いた音とともに破裂し、中から一行めがけて、黒い何かが飛び出してきた。


 虚を突いた、鮮やかな奇襲。


 矢の速度で襲いかかる黒い物体は、無防備に立ち尽くす一行を狙いに定めて牙を向く。


 反応するのは困難だ。


 事前に来ると分かっていても、それが回避も防御できぬ人外の速度で迫るなら、人間の反射神経では到底おいつけないのは当然。


 コンマの死が、鎧もない魔術士に逼迫する―――!


 ―――だが、それを。


「遅いな」


 スレインは、その黒を完璧なタイミングで迎撃した。


 爆散した腹部から飛び出す異形が、先頭の騎士二人の間を潜り、自分の目の前を通過しようしたその動きを完全に把握した上で、首を一太刀で斬り落としたのである。


 魔術士は異形の血を頭から被り、ヒィィ、と呻いたが、それが自分の血ではないと分かると、すぐにローブを使って拭い始めた。 頭を失った異形は、その宿主だった男と同時に倒れた。


 どちらも夥しい量の血を噴出させ、自身が横たわる大地に鮮やかな朱い池を作る。


 剣に滴る異形の血を払って腰に納めると、スレインは改めて小柄の怪物を見やった。


 全身を漆黒に塗り固めた、犬、のように見える。

 だが、犬と決定的に一線を画すのは、その不吉な赤を彩る瞳と、四肢の人間じみた指にあった。


 獣であって、獣よりも人間に近いモノ。


 それは、スレインが見たこともない生命体だった。


「スレイン様…!

 ご無事ですか!?」


 戸惑う騎士に一瞥し、スレインは頷いた。


「ああ、問題ない。

 …だがどうやら、コレがフィッチ王国を襲い、壊滅させた張本人であるようだな。

 …尤も、コレが普通の野生でありえない以上、必ず飼い主がいるはずなのだが…」


 恐らくは、首都の中央―――見上げれば常に視界に屹立する、あの城に飼い主がいるのだろうと思われた。


 スレインは一行に向き直る。


「お前たちは本隊と合流し、この街の制圧に当たれ。

 私は中央の城に赴き、異常がないか調べてくるとしよう」


「ハッ!」


 スレインは遠ざかる彼らの背中が消えるまで見届けると、王国の中枢たる城に向かって足を向けた。


 道中、先の犬と戦闘している部隊や、あるいは群れを成して襲いかかってきた黒犬もいたが、聖騎士はその度に魔導剣を振るって撃退し、その数は現時点で10を数える。


 どうやら、街には大量の黒犬が溢れ返っていて、腹を空かせながら部隊を襲っているようだった。


 本隊投入の判断は正しかったのだと、スレインは改めて安堵する。


 しかし、この黒犬を手配した飼い主を倒さなければ、フィッチ王国の二の舞いを踏む結果に至りかねない。


 マーシア王国に向けて後方に憂いを残すわけにはいかない以上、ここは今のうちに叩き潰しておく必要があるのだった。


「とはいえ、そう易々とは倒されてくれないだろうが…。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか…。

 いずれにせよ、陛下の脅威は駆逐するのが我が使命。

 敵ならば叩き潰す…それだけのことだ」


 辿り着いた城の正門。


 ここだけが冷えた空気に包まれていて、粟立つ肌が緊張感を研ぎ澄ましていく。


 開扉した正門の先、優にパーティーを開催できそうなほどの広間の中央階段に、男―――カイン将軍が待っていた。

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