第十一話 〜静かなる闇 前編〜
やってしまいました…。
二話連続投稿です。
今回では、部隊間の戦争ということもあり、少しばかり特殊な書き方をしているため、それを邪道だと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
あるいは、パソコンでお読みしていただいている読者の方々も見づらくなってしまうかもしれません。
それらを重々承知したうえで、まずはここで謝罪いたします。
しかし、より戦場における部隊間の緊張感をお伝えするための苦肉の策であることを、どうかお許し下さい。
今後も、目まぐるしい視点転換がある場合は、こうした方法を使っていくかもしれませんが、予め、ご理解のほど、よろしくお願い致します。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
では、引き続き、本編をお楽しみください。
グロスタシャー陥落より、二週間後。
難攻不落で知られるフィッチ王国を陥落したウェセックス軍に対し、マーシア王国軍の指揮を一任された剣聖バールゼフォン卿は、ついに軍を南下させた。
剣聖が率いるマーシア王国軍二万に対し、グロスタシャーに駐留していたスレイン率いるウェセックス王国軍一万は東へと出陣し、本国から北上するイングラム元帥指揮下の援軍を孤立化させぬために行動を開始する。
イングラム率いる部隊は五千という少数であるため、スレイン率いる主力に合流の一時断念の伝令を送り、当初の予定通り、テムズ川中流の街ベンシングトンを陥落することで防備を整え、マーシア王国軍に対する防衛線を構築した。
西にスレイン、南にイングラムと挟まれたバールゼフォンは、これらウェセックス軍の動きに対して自らも軍を二分化し、自身率いる本隊一万は西のスレインへ、そして副官エリス率いる別動隊一万を南のイングラムの部隊へと進軍させようとしていた。
その一方、時を同じくして、ウェセックス軍との共闘姿勢を示していた東のイースト・アングリア王国は、剣聖バールゼフォン率いる二万の主力が出陣した情報を受けると同時に行動を開始し、マーシア王国との国境線に聳えるリュジット砦へと進軍した。
マーシア軍の支配下にあるリュジット砦には、兵力がわずか二千ほどしか存在しておらず、対するイースト・アングリア王国は温存していた一万の主力を、若くして将軍に抜擢された騎士セレスに一任し、砦の攻略に向けて動き出したのである。
しかし、その砦前には捕虜となっていた自軍の兵士たちが無残な姿となって、しかも生きたまま十字架に張り付けられており、意気軒昂と出陣した彼らの士気を、その怨嗟と絶望の呻き声によって削ぎ落としたのである。
等間隔に並べられた、合計百にも及ぶ十字架に進軍を躊躇うイースト・アングリア王国軍の前に現れたのは、自ら東西に対する防戦を買って出た男、魔人ヴェンツェルその人であった。
『マーシア王国軍』
マーシア王国軍は、丘陵地帯コッツウォルズにて進軍を一時的に止めた。
ここから西に行けば、聖騎士スレイン率いるウェセックス王国軍の主力一万が。
そして南に下れば、ベンシングトンを制圧した智将イングラム率いる五千の軍と遭遇することになる。
つまり、剣聖たちが今いるこの地点は、ちょうど双方にとっての中間に位置しているのだった。
それゆえに、バールゼフォンとエリスは当初の作戦通り、ここから軍を二分化して進軍するうえでの最終的な打ち合わせをしていた。
「…では、バールゼフォン様。
私は予定通り、ここから南に向かいます」
エリスの言葉に、剣聖は頷いた。
「こちらは釘付けにしておく。
だが、無理はするな。
お前が倒れれば、私は最も信頼する部下を失うことになる。
それだけは、さすがの私も我慢できぬからな」
「バールゼフォン様…」
エリスは、艶のある婀娜な瞳でまじまじと剣聖を見返すと、次の瞬間には己の感情を厳然と律した凛々しき騎士の表情を浮かべた。
「…では、行ってまいります。
必ずや、成功をバールゼフォン様に!」
遠ざかるエリスの背中を見届けた後、バールゼフォンはこれから交戦することとなる、かつての一番弟子のことを思い出して西の方角を見やった。
「…さて、スレインよ。 お前が湖の試練に招かれて久しく会っていなかったが、その間に成長したお前の実力、ゆっくりと見せてもらうぞ…!」
剣聖は、不敵に微笑んだ。
『ウェセックス王国軍 聖騎士スレイン』
聖騎士スレイン率いるウェセックス王国軍の主力一万は、丘陵地帯コッツウォルズの西側に部隊を待機させていた。
このまま敵マーシア王国軍が南に向かうようであれば後方から挟撃を仕掛け、あるいは部隊を分けてこちらに進軍するようであれば、そのまま迎え討つといった按配である。
状況を把握するため待機していたスレインのもとに、偵察に向かった兵士が帰還した。
「報告いたします。
敵は一万ずつの二手に分かれ進軍しています」
「そうか…。
それで、敵大将がいる本隊はどちらに向かっているのだ?」
「北東からこちらに進軍する部隊に、聖騎士バールゼフォン卿の姿がありました。
おそらくはそれが本隊かと…」
「御師様、か…」
スレインは厳しく眉を顰めたが、偵察兵はそのまま更に報告事項を告げる。
「イングラム元帥が駐留するベンシングトンに向かう部隊は、将軍の副官が指揮しているものと思われます」
「分かった。
お前はゆっくり休むがいい」
「ハッ。失礼します」
偵察兵の姿が消え、スレインは再び思案する。
幸いにも、今スレインが待機しているこの地点は、まだフィッチ王国の国境線近くである。
そのため、自然要塞として知られる地形効果を得られることができ、戦においては守りに易く攻めるに難い。
今をもってして思えば、先にこの地点を押さえられたのは幸運だったと言えるだろう。
しかし、南に侵攻した一万の敵別動隊もまた、脅威である。
いかにイングラム元帥が指揮しているとはいえ、兵力は二倍の差があるのだ。
ベンシングトンにおける防備をいかに固めるかが重要であったが、ほとんど防戦に徹した戦術しか取れぬはずである。
仮にイングラムが敗れた場合、王都はその無力な姿を晒して容易く陥落してしまうだろう。
ゆえに、スレインはその前に、何としてでも剣聖バールゼフォン率いる本隊を破らねばならなかった。
「御師様…。
…今はただ、正々堂々と討ち貫くのみ…!」
聖騎士最強と名高い剣聖バールゼフォンを迎え討つため、スレインは早速、部隊展開における参謀本部を仮設して作戦を練り始めた。
『ウェセックス王国軍 イングラム元帥』
王宮魔術士長イングラムは、南下を始めた敵マーシア王国軍の動きを察知して進軍を止め、ベンシングトンを防衛拠点として部隊を展開した。
偵察の報告により、敵マーシア王国軍は部隊を二手に分けて進軍を再開しており、こちらには一万の部隊が近付いてきていることを把握している。
しかし、さしものイングラムも二倍の兵力差に対して、見通しの良く動き易い丘陵地帯コッツウォルズで応戦する愚策は避け、王都に進軍するうえで避けては通れぬテムズ川中流の街を拠点に防戦する構えを見せていた。
なぜなら、ここベンシングトン以外にテムズ川を横断する橋はまだ建設されておらず、迂回するにしても、西のスレインと遭遇するか、あるいは東のエセックス王国内に侵犯するかの二者択一に限られてしまうからだ。
逆を言えば、ここを守りきらなければ、王都ウィンチェスターはその無防備な姿をさらけ出すことになる。
イングラムに許された戦術は、相手の攻撃を防ぎ留めたうえで機を見て攻勢に転じ、敵別動隊を撃破することだった。
イングラムは、街中に設けた指令室にて一人、思案に没頭していた。
マーシア王国軍が南下したことで、ここベンシングトンの制圧には防衛線という名目で、東三国に必要以上の警戒心を与えることはなくなった。
しかし、聖騎士スレイン率いる主力部隊が、噂に名高い剣聖バールゼフォン指揮下の本隊と交戦する以上、援軍は望みが薄い。
それどころか、逆に主力が壊滅してしまうことだってあり得るのだ。
従って、イングラムは手持ちの戦力だけで敵別動隊を撃破する必要があったのだが、二倍もの戦力差では多少の策を用いたところで微々たるもの。
ゆえに彼の部隊は、非常に苦しい立場にあると言えるのだった。
「―――じゃが…。
少数には少数なりの戦い方があるというものを、見せてやるわ」
脳裏に思い描く戦術を幾通りも展開させては取捨選択し、老魔術士長は来たるべき交戦に向けて伝令を呼び出した。
『イースト・アングリア王国軍』
最初、セレス将軍はそれを、巨大な棒か何かに吊るされた、小さな松明だと思った。
ウェセックス王国軍との共闘作戦を受け入れた彼は、マーシア王都から剣聖率いる二万の主力が南下したと聞くやいなや、すぐさま虎の子の主力を率いてリュジット砦に進軍した。
マーシア王国軍の二万という軍勢に加え、剣聖すら出払っているのであれば、いかに魔人がいるとはいえ王都を陥落せしめるのは容易いことだと踏んだのだ。
そもそも、魔人は本当に存在するのか、という疑問が彼にあった。
戦場で指揮を取るのは常にバールゼフォンばかりであったし、魔人の姿を見たという目撃者さえも捜せど捜せど一人もいやしない。
ならば、マーシア王国軍は魔人という幻想を利用することで実在しない闇の異形を敵国に思い込ませ、恐怖心を煽っているのではないか、と彼は考えていたのだ。
元々、何百年も生存する人間など、魔術を駆使したとて非現実的すぎて実に馬鹿馬鹿しい。
ゆえに、真に恐怖すべきは実在する剣聖の方であり、この世に存在しない魔人などはおとぎ話にも劣る、国家による陳腐な捏造にすぎないのだと。
そのため、リュジット砦前に等間隔に連なる、数百にも及ぶ空中の火の群れを見た時、彼は冷静に、それを松明だと推察したのである。
そしてそれは、半分は正しかった。
闇夜の宙に浮かぶ怪火は、確かに松明の火であった。
通常よりも小さく、二つで一組とした松明が百本、リュジット砦の目の前で連なっているのである。
だが、その柱となっていたのは、彼らイースト・アングリア王国軍に所属し敵国に囚われた捕虜たちであったのだ。
かつて、古の聖人が処された磔刑にも似た、十字架の群れ。
釘ではなく、左右の突端に広げられた両の掌を貫く二つの松明が、明々と闇を照らしている。
しかし、松明が照らしたのは何も、闇ばかりではなかった。
十字架の頭上には、明確にイースト・アングリア王国軍を指し示す旗が掲げられていた。
それが、彼らがかつて剣聖を相手に奮戦していた自軍の兵士であることを悟らせる要因になったのだが、その真下に呻く彼らの顔を見た瞬間、セレス将軍は思わず低い声を上げた。 彼らの顔は、前頭部から顎下までにかけて、雑に皮が剥がされていて、肉が醜く剥き出していた。
その血塗られた顔の周囲には蠅が集り、蚊柱が立って、見る者に不吉な嫌悪感と吐き気を催す。
瞳を失った眼窩には一片の光もない闇が巣を張っていて、すべての歯が抜けた喉奥から盲目の悲痛が絞り出されて鼓膜を呪う。
男女を問わず全裸に剥かれた体の腹部は異常に盛り上がり、頭部から滴り落ちる血糊が粘り付いていた。
その非道な惨劇を目撃者し、悲鳴を上げる部下たちの動揺を、セレスは将軍としての意地と誇りにかけて抑え込む。
魔人の仕業だ、と誰かが言った。
再び波紋のように広がり始めた動揺が、ざわざわと部隊を侵蝕する。
次いで、クスクス、と笑い声が聞こえた。
すぐ耳元で囁くように、しかし実際には、どこにも声の主はなく。
それゆえに、兵士たちの動揺はいよいよもって深刻化し、恐怖と不安に駆られた悲鳴に部隊が汚染されていく。
混乱を鎮めようと、セレスが一時的に軍を後退させようとした、その時だった。
闇に映える白の輪郭。
含み笑いの声音を妖しく響かせる唇に、絶望を孕んだ視線を注ぐ狂気の瞳。
一枚の薄い暗幕からゆらりと覗くように現れたのは、若い男。
見ればまだ、セレスと同じ二十歳前後の青年だが。
然れども、全身に漂う魔性の存在感が、とうに幻想めいた非人間的な違和感を宿らせる。
セレスは、ごくり、と息を呑んだ。
その魔性は、未だにクスクスと嘲笑っている。
「お、お前が噂の魔人か…!」
半ば喘ぐように絞り出した声に、魔人は仰々しく頭を垂れた。
「お初にお目にかかります、セレス将軍殿。
私の名はヴェンツェルと申します。
―――そう、伝説にも迷信にも身を潜めた私を、あなたがた人間は、魔人とも呼びますがね…」
そう言って、魔人は再び歪に口元を微笑ませたのだった。