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第十話 〜手向けの花は慎ましく〜

 グロスタシャーの一廓に、その霊園はあった。


 本来なら、遺骸を平棺に入れて土葬するのだが、黒犬の苗床として街を彷徨っていた人間たちの数があまりに膨大であったため、墓穴を一つにして、まとめて埋葬することとなったのである。


 本来なら、そのまま火葬とされても戦時中なら仕方がなかった。


 元より、黒犬に寄生されていた人間は優に百を超えており、各人の素性を把握することは困難を極めたからだ。


 しかしスレインは、それら死者のすべてをまとめて埋葬することで、せめて彼らが、人間として葬られたことをカタチでだけでも示したかったのである。


 それは、あるいは、恣意的な自己満足であったのかもしれない。


 だが、親友は人間としての死を切に願い、彼の剣で散っていった。


 ならば、魔人の哀れな犠牲者すべてを人間として埋葬することで、スレインは自分なりの哀悼の意を表したのである。


「すまない、カイン…。

 本当なら、もう少し花を集めたかったのだが、生憎と、この辺りでは、こんな小さな花しか見つけられなかったんだ。

 …許してくれ…」


 最後の言葉は、果たして何に対してであったのか。


 指先にほんの少し力を入れただけでも簡単に折れてしまいそうな花を一輪、わずかに盛り上がった土の上にそっと置く。


 黄色の花冠を咲かせた花弁が、思い出したように吹く微風に揺らいで哀愁のアクセントを添えた。


「…貴公の仇は、私が必ず討ってみせる。

 だから今はまだ、思い出の中で笑っていてくれないか…」


 勿論、応えはない。


 静寂の向こう側に幻想するそれは生と死の境界線であり、此岸と彼岸を隔てる三途によって、とうに接点を失っている。


 死者は土葬され、自然の一部に還ることで生者のために滅びゆく。


 そうして両者は、血縁的にも地縁的にも、霊的にも命脈を構え、生者は死者のために祈り、死者は生者のために完結する。


 死は信仰に似ている。


 いつもと変わらぬ通り道の暗闇に意味もなく怯えてしまう時、人は不意に物の怪を思い出して足早に前を向くように。


 それが絶対不変であるがゆえに畏れ敬い、間違ってもそこから死者が蘇らぬよう、起き上がらぬように丁重に屠るのだ。


 ならば、墓は祈りの象徴であるのかもしれなかった。「―――スレイン様」


 背後の気配に、しかし聖騎士は振り返ることなく応える。


「その声は、蛇か。

 何用だ」


「イングラム様より預かった、書簡をお持ちしました」


 スレインは蛇より書簡を受け取り、内容を確認する。


 それは、今後の動向が記された作戦指令書であった。


 フィッチ王国を陥落した以上、マーシアは必ず動く。


 それが魔人であるのか、それとも剣聖であるのかは不明だが、どちらにせよ強敵であることに変わりはなく、ここから先はスレインとイングラムが合流して部隊を指揮する必要があった。


 しかし、ウェセックス王都ウィンチェスターを北上した先に存在するテムズ川中流の街ベンシングトンが、未だマーシア王国の支配下にあるため、イングラムは、このベンシングトンを陥落してから合流するとのことである。


 この街を制圧すれば、マーシア側からの王都直進を避けることができ、こちら側は攻略において補給線を確保することができる。


 ゆえに、ベンシングトンを陥落させることはウェセックスにとって非常に旨味がある戦略的価値を持つが、先の聖騎士進軍においてベンシングトンを避けたのは、不可侵条約を背景とした東三国に余計な圧力をかけたくなかったからだった。


 それは、難攻不落たるフィッチ王国を陥落させることで密約を決意させることができると踏んでいたのだが、そのフィッチ王都グロスタシャーが壊滅的惨状に陥り、しかもその様子が三国に知れ渡っているため、むしろ密約の締結に難色を示した按配であるのだと言う。


 その結果、ウェセックスは東にも警戒しなければならなくなったのだが、密約の提案と同時に各国の状況を調べさせた様子では、どうやらウェセックスへの挟撃を画策できるほど内情は潤沢でないらしかった。


 そのため、イングラムは多少のリスクはあるものの、このままベンシングトンを陥落し、スレインと合流することで本格的なマーシア攻略に向けて準備を整えようとしているのだった。


 だが、イングラムからの情報によれば、何も悲観的な報告ばかりではなかった。


 マーシアの東、イースト・アングリア王国が、ウェセックスの動きと連動した共闘作戦を展開する案を受諾したのである。


 これによって、マーシアは南と東から同時攻撃を受けることとなり、勝率は飛躍的に高まる見通しであるのだった。「…なるほど。

 さすがはイングラム殿だ。

 この手回しの良さには感服する」


 スレインは、こと戦の作戦であれば引けを取るつもりはなかったが、このようなブリテン全体の動きを見通した上での戦略には、長命にして博識たるイングラムには及ばなかった。


 元々、スレインとイングラムとでは役割が違う。


 スレインが戦場の花であるのなら、イングラムは戦争の花だ。


 そして、だからこそ、二人は無意味な確執もなく互いの力を十二分に発揮できていると言えるのだが。


「では、私はこれで失礼いたします」


 早々に身を引こうとした蛇を、スレインが制した。


「待て。

 蛇よ、お前はこの書簡を届けるためにわざわざ来たのか?

 確か、蛇のコードネームは暗部の中でも特に優秀な者に与えられると聞いていたが…、だとすれば、他にも任務があるはずだ」


 蛇は再び跪いた。


「さすがはスレイン様、鋭きご慧眼に改めて敬服いたしました」


 一拍おいて、蛇は言葉を繋げた。


「私はこれよりウェールズに赴き、対マーシアとの戦に備えた共闘作戦を提案するべく、ダヴェッド王国を訪問する予定でございます。

 敵の敵は、少なくとも利害が一致する以上は、敵ではないとおっしゃっておられました。

 即ち、東西南による、三国同時攻撃。

 これがイングラム様の真の狙いでございます」


「ふむ…」


 スレインは険しい顔で思案する。


「ダヴェッド王国と言えば、昨年に三人目の聖騎士が誕生した地であったな。

 …なるほど。

 確かに、聖騎士が二人も揃えば魔人を倒す勝算も見えてくる。

 だが、かの地はウェアールどもが集まる連合国だ。

 そう易々と共闘を受け入れるとは思えんが…」


 ダヴェッド王国は、ウェールズでも最西端に位置する国であり、その歴史は古い。


 中でも、かの国には、“ケルトの秘宝”と呼ばれる財宝が眠ると言われ、周辺諸国から虎視眈々と領土を狙われているのだった。


 そして昨年に誕生した聖騎士の出現により、ウェールズ内の勢力バランスは大きく崩れ始めた。


 対マーシアにおいて、一時的な連合軍を形成しているとはいえ、その内情は誰が至高王となるかの権力争いである。


 そして連合軍を率いる将が失態を晒した場合、むしろ喜々としてその将が所属する国の責を問うのが常であった。 言わば、彼らは互いに互いの足を引っ張り合いながら、しかし自らを連合国の中でも最大の王となるべく、互いに牽制し合っているのである。


 連合軍を形成しているのも、ブリテンに侵入した憎々しいアングロ・サクソン人による支配から抵抗するためという、絶対的に妥協しなければならない一線からであり、それがなければ今にも互いの国に侵攻しようと息巻く者たちが大半なのだ。


 現在、連合軍総指揮官である三人目の聖騎士も、そうした悪しき慣習を孕んだ王たちの睨みがあって思うような作戦行動が取れずに後手後手に回っているのだが、それでも剣聖を相手にウェールズを守りきった手腕は、さすがに見事な非凡の発露であると言えるだろう。


 イングラムはそこに目をつけ、打倒魔人を名目に掲げることで聖騎士に共闘作戦を提案し、ウェールズ連合軍の協力を得ようと試みているのだった。


「無論、交渉が難航することは想定内でございます。

 ただ、我々にはウェールズに対する敵意がないことを明確に伝え、マーシアとの戦において、三巴となるような按配にすることだけは是が非でも避けなければならない、と話されておりました」


「確かに、我々の存在自体を快く思わぬウェールズからすれば、互いに潰し合う我々の脾腹を突いて漁夫の利を得んとする考えもできるだろう。

 ウェールズの聖騎士がいかなる人物かは知らぬが、御師様の攻勢を防ぎきった者だ。

 できるならば協力は得たいところだが、…やはり難しいだろうな」


 蛇は頷いた。


「そのため、万が一にもウェールズ側の捕虜となって本国の情報を漏洩されてはならぬため、私一人の単独任務として任された次第でございます」


 スレインは、得心いったように微笑んだ。


「そうであったか。 …しかし、単独任務とはまた困難な仕事だな。

 …どうやら、お前はつくづく最難度の任務に縁があるようだ。

 しかし、それだけイングラム殿に期待されているということの裏返しでもある。

 …頑張れよ」


「ハッ。それでは、失礼いたします」


 蛇は略式に敬礼をして踵を返した。


 スレインは再び墓に向き直り、思い出の親友に微笑んでみせた。


「カイン…。

 貴公は死すとも、その志は私が受け継いで実現してみせる。

 見守っていてくれ…、我が親友よ…」 弔いの風が、スレインの髪をさっと撫でた。


 墓前の厳粛な静寂に思い出を乗せて、聖騎士は改めて、打倒魔人に向けた覚悟を決める。


 あのような悲劇を繰り返させぬためにも、聖騎士は、たとえ刺し違えても魔人を討つ決意を固めたのだった。

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