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体調不良、検査、ちょっとしたスランプ等重なって大変に遅れました。
夕刻に差し掛かった頃、僕と一刀さんが剣華ヒルズにたどり着いたときは、外見上は何の変化も無いようだった。
しかし、ビルに入った僕たちの目に飛び込んできたのは、怒り心頭といった様子の一華さんと、彼女を必死に止める周囲の隊員たちだった。
まさに鬼気迫る雰囲気を醸し出している一華さんだが、それに臆する様子もなく一刀さんは平然と歩み寄る。
「よう、一華」
「三日月……?」
ここで三日月たる一刀さんの登場は、一華さんの鎮静効果をもたらしたようで、周囲を振り切ろうとしていた一華さんの動きが止まった。
「ふん、懸念通り何かあったようだな。伊織に聞いたぜ」
「うるさいわね。何の用なの。私は急いでいるのよ」
そうは言っても一華さんは平静ではいられないようで、常の余裕が感じられない。
「何があった?」
一転して真面目な顔で問いかける一刀さんを、少し口籠りながら一華さんは答えを口にした。
「長老たちを探りに出た真矢と文子が、どうやら相手に捕まったらしいの」
普段は薄野さんが実働部隊、三枝さんが後方支援という役割分担をしているらしいが、二人一緒に行動することもあるということだ。
それは情報を手に入れてすぐに分析を行い、即座に次の指針を立てるためであるらしいが、今回はそれが裏目に出たようだ。
「長老部を探るなどという行為に至った了見を説明せよ、と長老の名前で命令が来たわ。それも、婉曲的にひとりで来なければ二人の無事を保証しないようなことまで添えてね」
中身はどう考えても脅迫だが、建前上は長老部として命令を下す形で連絡が来たらしい。
捕らえている二人についても、剣人会による保護、という名目なのだそうだ。
「どいつだ?」
「俵田権蔵」
「ああ……あの豚か」
実に酷い話ではあるが、一刀さんが豚呼ばわりしたことで僕も思い出した。
神奈の査問会のときにいろいろとうるさかった、太った老人の名が俵田だったはずだ。
「んで、ひとりで行くつもりだったのか?」
「私だって五剣よ。あんな爺どもの罠なんて噛み破ってみせる」
「落ち着けよ。伊織も何か言え」
一刀さんに話を振られてしまったので僕も口を開く。
「普通に考えて罠だよね。それも、一華さんが相手と分かった上で張った」
「その通り。五剣だろうが嵌められる自信があるから呼んでるんだろ。そこに真正面から行ってどうするよ」
「でも、このままじゃ二人が!」
「だから俺たちが来たんだろうが」
どう見ても一華さんは冷静さを欠いている。
それだけ仲間を大事に想っている証ではある。
しかしそれで一華さんに何かあれば、捕まった当の二人は助かったとしても自分自身を許すことが出来ないだろう。
「僕も助太刀するよ。人手はあったほうがいい」
一刀さんと僕の言葉に、多少なりとも一華さんに冷静さが戻る。
「……あっちは私ひとりで、と指定しているのよ」
「んなもんどうにでもなる。表向き、剣人会として連絡してきたんだろ?」
「ええ」
「なら、そいつを利用してやればいい。俺と伊織はおまえとは無関係に剣人会本部に入る」
しかし、俵田側としてもそれを見過ごすはずはない。
俵田が剣鬼となっている場合、確実に新良木の影響下にあるはずだし、僕たちが奴と敵対していることは知らないはずがない。
そもそも、剣人会本部に新良木がいるという可能性だってあるのだ。
僕がそれを指摘すると、一刀さんはうなずいて、それはあり得るが、と前置きした上で続けた。
「中でばったり出会わねえ限りは多分問題ねえぜ」
「何を根拠に?」
一華さんの疑問は当然だろう。
それが通用しなかった場合、囚われている二人が無事に済まないということでもあるからだ。
「これでもそれなりに人脈とかは作っててな。剣人会内部にも損得抜きで俺に便宜を図ってくれる奴もいるってことだ。情報やら何やらな」
一刀さんは懐から何やら取り出し、テーブルの上へとそれを置いた。
「ボイスレコーダー……?」
「お偉いさん方は雑務は下に任せっきりだから、いざ自分たちがそれをやらなくちゃならんって時にゃツメが甘い。盗聴器どころか、こいつが部屋の隅にあったって何なのかすら分かんねえらしいぜ」
一刀さんが再生ボタンを押すと、いきなり聞き覚えのある声が流れ出てきた。
『……俵田、体の調子はどうだ?』
『素晴らしい。腰の痛みも体の重さも感じない。感謝するぞ、新良木。お主の言うことであれば何なりと聞こう』
いきなり話の焦点となっていた俵田と新良木の会話のようだ。
「こいつは一昨日時点の会話だ。まあ、中身は大したことじゃない。その点については残念と言えるんだが」
確かに続く内容は、新良木が少し出かけることと、その留守を俵田に任せるといった情報としては意味の無い内容だ。
ただ、俵田がどうやら剣鬼となったらしいことは窺える。
「俺にはこいつを手に入れるだけの伝手があるってことは分かるな?」
一刀さんの言いたいことは、つまりはその人物に手引きしてもらって剣人会本部に入り込むことも可能だということだろう。
そうすれば上に報告は行かず、本人たちに出会わない限りはバレることもない。
「んでもってやっぱりそいつらからの情報だが、最近、長老どもは表に顔を出さなくなったらしいぜ。念の為に見ない顔の若い奴らがうろついてないかも確認したが、そういうことも無かった」
若返った長老たちが内部を徘徊しては不審に思われるという判断をした、ということだと思われた。
剣人会すべてが長老部に盲目的な忠誠を誓っているのならばともかく、そうではない以上、ひょんなことから素性が割れでもすれば面倒なことになるのは確実だ。
指示を出すだけなら少人数を抱え込むか、そうでなくとも書面なりで行える。
「中に入り込むことさえ成功すりゃあ、俺たちはおまえのフォローが出来る。そして俺にはそれを可能とする手段がある」
そこで一刀さんは一度言葉を切って一華さんへと視線を向けた。
「どうするよ、一華。おまえが俺に頭を下げるのを良しとしねえことは知ってるし、俺が下げなくていいと言ったとしても是としないプライドの高さも知ってる。だから、俺が提示出来るのはここまでだ」
「……ほんと、ヤな男」
半眼で一刀さんを睨んだ一華さんは、次に僕に視線を移してため息をついた。
「貴女への貸しもこれで返されちゃうわね」
「それじゃ?」
「ええ、力を貸して頂戴。これが私だけのことなら頭を下げたりしないんだけれど」
「僕には下げる必要ないよ。借りを返すだけだから」
「そうね。でも、ありがとう」
僕には微笑みながら頭を下げた一華さんは、打って変わってとても不本意そうな顔をしながら一刀さんへと向き直った。
「それと、三日月もお願いするわ。本っ当に嫌なんだけれど」
「えらい態度の違いだなオイ」
「素直で可愛い女の子と、捻くれたむさ苦しい男で扱いが同じわけないでしょう」
「ったく。まあいい、それじゃ段取りを詰めるぞ。親父様、一期一振はもちろん、三弥にも手伝ってもらう」
苦笑しながらも、一刀さんは今後の手順を説明し始めた。
* * *
一刀さんの提案は単純かつ大胆なものだった。
まず一華さんが五剣として堂々と本部へと乗り込む。
何と言っても五剣は目立つため、そちらに注目が集まる上にどの部屋に案内されたかも追跡しやすい。
そして一華さんに注目が集まっているうちに変装した一刀さんと僕が、協力者の手引きで本部に入り込む。
その後、一刀さんは速やかに一華さんが案内された部屋に隣接する部屋へと移動。
僕は捕まった薄野さんと三枝さんの救出を行う。
どの行動にも情報が必須となるが、そこは協力者が頼りだ。
一華さんが案内される場所は当日その場にならないと分からないが、二人が捕まっている場所についてはすでに目星が付けてあるとのこと。
「伊織、おまえには言っておく」
先発となった一華さんの後を追うように本部へと向かっている最中、気の進まない様子で一刀さんが低い声で言った。
まだまだ日は長い季節だが、すでに西の空にわずかな残照が残るのみで、周囲はすっかり暗くなっていた。
「捕らえられた二人は、命はあるかもしれねえが、無事じゃねえ可能性がある」
「それって……」
僕が言い淀んだ内容を汲み取って、一刀さんはうなずいた。
「一華もその可能性には思い至っちゃいるだろうが、自分への切り札でもある人質だから無事かもしれない、と思うことでどうにか冷静さを保ってるんだろうよ。捕えられてまだ時間もさほど経ってないしな。だが、新良木ひとりを取ってみても、あの爺共がもはや自重するとも思えねえ」
確かに、最初から一華さんをどうにかするつもりなら、人質に配慮する必要も無い。
「そういう場面に出くわす心積もりをしておけ。そしてその場に居た奴は構わんから斬れ。そいつが何者であってもな。最優先は人質の命だ」
「分かった」
僕を人質奪還の方に割り振ったのは、そういう目に遭った女性を男が助けるよりは同性である女が助ける方が良いという一刀さんの気遣いだろう。
それに、一華さんのことは一刀さんに任せておけば問題ないことだし。
「二人を救出したら、裏手に待機してる三弥の車まで連れてけ。今のおまえなら、二人が動けない状態だったとしても運べるだろ。あとは三弥が剣華ヒルズまで運ぶ」
いきなり呼び出されて不機嫌だった三弥さんだったが、今の状況を知ると顔色を変えて一も二も無く協力を申し出てくれた。
ちなみに不機嫌だった理由は、桜花を見て高まった意欲のままに、次に打つ刀の構想を練ってたところを邪魔されたからだそうだ。
待機時間で考えることにする、と言ってくれたが悪いことをしたと思う。
「それが終わったら、出来りゃ俺と一華と合流してくれ。無理ならそのまま退却しろ」
「出来る限り合流するようにするよ」
「ああ。だが無理すんなよ。俺も一華も腐っても五剣だ。爺共に遅れを取る気はねえ」
不敵に笑う一刀さんが負けるところなんて想像も付かないが、剣鬼と化した長老の人数によっては苦戦は免れないだろうとは思う。
「そして剣華ヒルズには春樹さんたちが詰める、と」
「ああ。親父様だけとか不安しかねえからな」
なにせ剣華隊は美女揃い。
慈斎さんも自重するだろうとは思いたいが一抹の不安は残る。
また、戦力の分散は愚の骨頂なので、この際鴻野道場は放棄して全員を剣華ヒルズに集めることにしたのだ。
一華さんを狙ってきた以上、長老たちがリーダー不在となった剣華隊を放っておくとも思えないという理由もある。
そんな会話をしているうちに、剣人会本部へと到着した。
「入るぞ」
「うん」
今、僕たちは随分と外見を変えている。
僕は普段の道着姿ではなく、ジーンズにTシャツ、そしてサングラスとラフな格好をした上で髪は大きな三つ編みに纏め、一刀さんはなんとスーツ姿に伊達眼鏡で、なおかつ髪をポマードできっちり纏めている。
剣華隊の人たちの見立てで似合っているのだが、最初見たときに普段とのあまりの印象の違いにお互いに大笑いしてしまった。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
通用門で僕たちを出迎えた事務員の女性が、一見ごく普通に、その実周囲を警戒しながら僕たちを一室へと案内する。
案内された部屋には、ひとりの男性が待機していた。
「手間を掛けて済まん。今の状況を頼む」
声を潜めた一刀さんの言葉に、待機していた男性がひとつうなずいて口を開く。
「童子切の案内された部屋は奥の院、楓の間になります」
「離れかよ。厄介だな」
「問題ありません。直通ルートには長老部の配下の見張りがいますが、裏手からのルートはこちらが掌握済みです」
「そいつは有り難ぇ。剣華隊の二人の方は?」
「確定ではありませんが、鬼人牢に囚われているのではないかと。他の場所にそれらしい気配はなく、数時間前に何者かが牢に出入りした形跡があります」
鬼人牢は普段は使われていない施設であり、人目を憚るものを隠すには絶好の場所らしい。
剣人会本部の平面図を使って、楓の間とそこへ行くためのルート、鬼人牢の場所から三弥さんが待つ裏手へと行くルート、そして現在地を確認する。
鬼人牢と奥の院の距離はさほど無いようで、ダイレクトに行き来が出来るようだ。
「よし、把握したか?」
「うん。ただ、ちょっと鬼人牢と奥の院の距離が近いね」
「そうだな。だが遠慮はすんな。騒ぎになって構わねえから救出を優先しろ」
「分かってる」
僕が首肯すると、一刀さんは協力者の二人に顔を向けた。
「ありがとよ。後はおまえたちは逃げてくれ。ここに残ってても良いこたねえしな。逃げる先がねえなら剣華ヒルズに行け。親父様と一期一振がいる」
「承知いたしました。ご武運を、三日月様」
深々と頭を下げた二人が部屋を出て行くのを見届ける。
「行くぜ。ドジ踏むなよ、伊織」
「一刀さんもね」