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遅れました。
しばらくこういう状況が続くと思いますが、なるべく3日の間隔は崩さないようにしたいと思います。
「清奈、神奈、大丈夫?」
どうやら目を覚ましたらしい神奈と、その横で太腿の傷の止血を行っている清奈に声を掛ける。
「私は大丈夫です」
「ん、私も」
そうは言っているが、神奈は頭に強い衝撃を受けたばっかりだし、清奈の出血も少なくない。
「ま、もう襲撃も無ぇだろうからな」
「はい一刀さんはあっち向く」
僕は清奈の露わになった足を見ていた一刀さんの首をぐき、と捻る。
「ぐお!? おい、死んだらどうすんだ!?」
「一刀さんはこのくらいじゃ死なないでしょ」
「他の男どもはどうなんだよ!」
「清奈は真也に見られても本望だろうし、砂城先輩は睨んだら目を逸らしたし」
一刀さんは慈斎さんと違って触ってくることはないが、見る機会があれば遠慮無く見るようだ。
言い訳しないどころか当然のように見てることを認めているあたり、さすが慈斎さんの息子と言えばいいのかどうなのか。
「想い人は別ってか。おーいて。伊織、おまえ力強くなったな」
「うん、まあ」
首をこきこき鳴らしながらぼやく一刀さんに、曖昧にうなずく。
剣鬼になったんだから、当然のように身体能力が大幅に上がっている。
なまくらなら、多分刀も肌を通らないんだろう。
ただ、他の鬼人のように姿を変えたり出来るのか、というとそれは出来る気がしない。
神奈も新良木も、そして数珠丸も姿を変えたりはしなかったので、何か理由があるのかもしれない。
「とりあえず鴻野道場へ戻ろう。今後の話もある」
春樹さんの提案にその場の全員がうなずく。
特に清奈はきちんと手当しないといけないし、このままここに居ては鬼人側の襲撃が再度ある可能性もある。
警戒しつつ戻ったが、僕も一刀さんも尾行の気配などは感じなかった。
そうして清奈をきちんと手当し、それぞれが身だしなみも整えた後に、僕たちは鴻野家の茶の間に集まっていた。
全員が冷たい麦茶の入ったグラスを前に、一息ついたところで春樹さんが口を開いた。
「さて、伊織ちゃん。二点ほど確認がある」
僕へと視線を向ける春樹さん。
いや、その場の全員が僕を注視している。
やはりこれは説明を求められる流れだろう。
「まずは、体調はどうだい? 苦しかったり、違和感があったりはしないかな」
「それは大丈夫です。怪我してた左肩も治ったし……」
道衣は肩に穴が開いてまた駄目になってしまったが、傷口は完全にふさがっていて痕すらも無い。
剣鬼になったことによる違和感とかも特に無く、自分が黒峰伊織だということは断言できる。
「ではもう一点だ。君は神奈と同じく、剣鬼になったのかい?」
「はい」
ごまかす気も無いので素直に返答する。
剣鬼となった神奈を受け容れたこの人たち相手に、僕が受け容れられないとは露ほどにも疑っていなかったということもある。
「そうか……済まない、間に合わなくて」
果たして、拒絶するどころか深々と頭を下げる春樹さんに、僕は慌てて手を前に出して横に振る。
「いえ、春樹さんのせいじゃないですから。確かにこうなったのは予想外でしたけど、そのこと自体はあまり気にしてないです。神奈だって、それでも頑張っているんだし」
僕のその言葉に、清奈によりかかって甘えていた神奈が、こっくりとうなずいた。
「ふうん? しかし、なんでまた急に暴れるのをやめたと思ったら、いきなり剣鬼になってたんだ? 本来なら、衝動とやらを満たさなきゃ、鬼人にゃ成れないんだろ」
やっぱりそこは突っ込まれるか。
一刀さんの疑問は春樹さんの疑問でもあったようで、二人は僕へと問いかけるような視線を向けてきた。
「……信じにくいとは思うんだけど」
事ここに至って、ハチに言及しないのは無理だ。
別に口止めされているわけでもなし、僕はハチと名乗る存在に助けてもらったことを話す。
「ハチ?」
「本人に確かめたわけじゃないけど、八幡神らしいよ」
僕の説明に、春樹さんと真也が考え込む。
「ふーむ……剣神の祖は八幡神の恩寵厚い民の末裔だという伝説は聞いたことがあるけれど」
「確かに、俄には信じがたい話だな」
真也の感想は普通の反応だろう。
僕だってこんな話を他の人から聞いたら、簡単には受け容れられない。
「……熊埜御堂連華の言っていたあれか」
連華がそれについて言及していたのを、砂城が思い出したようだった。
そのつぶやきを聞いて、真也も弾かれたように顔を上げる。
「そうか。そういえばあの時、伊織のことを八幡神の御遣いとか言ってたな。世迷い言かと思っていたんだが」
「へえ? あのおばはんがそんなこと言ってたのか」
一刀さんがおばさん呼ばわりする連華は、鬼人の中でも古株中の古株であり、若々しい見た目とは裏腹にとても長く黄昏会のトップとして君臨しているらしい。
その彼女がどうやって僕のことを判別したのかは知らないが、結果としてそれは正しかったことから何らかの方法があるのだろう。
そしてそれは、人として世に出た鬼神に関係があると僕は睨んでいる。
「伊織ちゃん、春に美紀さんを助けに行ったよね。あれもその関係かい?」
「えっと、まあ」
春樹さんが鋭い。
ただ、あれは前世の僕の願いゆえの行動だが、ハチがいなければ実現しなかったという意味では間違いではない。
「まあ、そのハチとやらが八幡神かどうかの是非は置くとしても、そう名乗る何者かが黒峰に力を貸した、ということは間違いないことだろうな」
砂城の言う通り、僕が誰も犠牲にすることなく無事(?)に剣鬼となってここにいることが、何よりの証左となっている。
「ま、数珠丸は仕留めたが枯れ木爺の方は逃がしちまった。ありゃあ蛇よりも執念深いぞ。おまえも災難だな」
完璧に他人事といった風情で一刀さんが僕に言う。
いや実際に他人事ではあるんだけど、もうちょっと心配くらいはして欲しい。
現在進行形で凄い災難なんだし。
そう思ってジト目で見ていたら一刀さんは肩をすくめた。
「おまえが俺の女だってんなら、俺も心配するし、っていうか奴を生かしちゃおかねえとこだが、そんなのは望んじゃいねえだろ?」
さらりととんでもないことを言わないで欲しい。
いや他意が無いことは見れば分かるんだけど……ほら、あっちで砂城が凄い目で睨んでるし。
「あー、心配すんな。俺にゃちゃんと可愛い彼女いるんだからよ。新良木の爺みたいな見境ねえのと一緒にすんなって」
砂城に煩そうに、犬を追い払うかのように手をしっしと振る一刀さん。
彼女がいるとは意外だったけど、多忙そうに見えてやることはきっちりやってるのか。
「彼女の部分は嘘だよ。一刀くんはこう見えて割と硬派なところがあってね、命の危険がある今の仕事をしている間は特定の相手は作らないって突っぱねてるから」
「おいおい、人の内情をバラすなよ。せっかく安心させたってのによ」
「砂城くんは安心したかもしれないけれど、その偽情報でうちの可愛い娘たちが油断すると良くないからね」
にこやかに、だがどこか威圧感を放ちながら春樹さんが宣う。
清奈と神奈は真也にぞっこんだから、まあ油断はしないとは思うけど。
一刀さんだって無理矢理とかはしないだろうし。
……強引に、くらいはしそうな気もするけど。
「君もだよ、伊織ちゃん。一刀くんは特定の相手は作らないけど、それは女の子に手を出さないという意味じゃないからね」
「え、僕も?」
「むしろ君が一番危ないんだよ。一刀くんは好きな相手がいると分かっている人には手は出さないからね」
「だからそいつとは男と女ってより、剣人と剣人としての付合いがしてえんだよ。さすがの俺も、てめぇの女に剣向けるわけにゃいかねえからな」
手を出されるのも御免被るのだが、この肉食獣に見つめられているような居心地の悪さもどうしたものか。
「ま、その話題はさておいてだ」
真剣な顔つきになった一刀さんが声を低くして全員を見回す。
「この事態をどう収拾つけるか、だ。剣人会に伝えるべきかどうか。一期一振はどう思う?」
話を振られた春樹さんは、顎に手を当ててしばらく考え込んだ。
「新良木老が剣人会を裏切ったのは由々しき事態ではあるし、どこまで影響があるか分からない話だね」
思考を整理するように、慎重に言葉を紡ぐ春樹さん。
「ただ、それだけを考えるなら一刻も早く報告すべき。でも、五剣のひとりでもある数珠丸まで引き込まれていたことを考えると、それはやぶ蛇になる可能性もある」
「えっと、父上、それはどういう?」
疑問をその顔に浮かべる真也とは対照的に、顔色を青くした砂城が、春樹さんに代わってそれを口にした。
「……そうか。剣人会はすでに落ちている可能性がある、わけか」
「そうだ」
最初からその結論に行き着いていたのか、一刀さんは動じた様子もなくそれに同意する。
「剣人会のトップである長老どもは、全員が新良木の爺と同じく棺桶に片足突っ込んでる連中だ。そんな奴らの前に、今の新良木が若返りという餌を、自分という証拠を引っさげて現れたらどうなるかなんざ、火を見るよりも明らかだろ」
「自分も若返りたい。そう思うのは決して責められることではないけれど、その手段が問題だ」
単に若返れるわけではない。
紅仁散を飲み、己の内に秘めた欲望を発散しない限り、鬼人には成れない。
そう、あの時、僕は新良木の言葉を必死に否定する他無かったけれど、今なら分かる。
あれは僕が内に秘めていた欲望に他ならないのだと。
ただ、それを抑え込む作業をしていたハチにこう言われた。
[人は誰しも欲望を持つし、本心を持つ。でも、この二つは一緒じゃないんだ]
自らの内に欲望を感じたとしても、それを本心から「したくない」と思えば理性で抑え込む。
それが出来るのが人間であり、その欲望も、理性も、どちらも自分のものであって、片方が真実などということはないのだ。
だから、薬によって秘めていた欲望を知ったからと恐れることはない。
それが黒峰伊織の真実だというわけではないのだ、と教えてくれた。
だが、それが一致してしまえば欲望は解放されてしまう。
新良木はそうして自ら剣鬼となった。
他の長老たちがそうならない保証はどこにも無いのだ。
「最悪のシナリオとして、長老会が完全に新良木の手に落ちている場合を考えよう」
もはや老という敬称を付けることもやめて、春樹さんが今後の検討を提案する。
「そうなったら剣人会は完全に瓦解するな。あのおばはんの思惑通りってワケだ」
「一刀くん、君のお父さん……慈斎さんは大丈夫かい?」
「ああ、きな臭かったからな、親父様には実家の道場に居て貰ってる。じゃなきゃこんなにのんびりしてねえよ」
慈斎さんは剣人会の長老のひとりであり、そうなった場合に無縁ではいられない立場だ。
慈斎さんとて元五剣であり、相当な実力者ではあるが、今の新良木相手では分が悪いのは確かだ。
それに他の長老が加わっていたりすれば、対抗するのは難しい。
そうなってしまえば僕のように自分の意志とは関係無く、紅仁散を飲まされる可能性だってある。
なんだかんだ言って親子である一刀さんと慈斎さんは仲が良い。
一刀さんはその辺りを読んでいたのか、ただの勘かは知らないが、先に手を打っていたようだ。
「ではもしそうだったと想定して、その対処をどうするか、だが」
砂城が口を挟み、そしてひとつの提案を口にする。
「まずは童子切と大典太の残る五剣二人と連絡を取ることを提案する。万が一彼らが新良木に取り込まれてしまえば、こちらとしては為す術が無くなる」
「うん、妥当なところだと思う。問題は信じて貰えるかどうか、だね」
確かに、僕たちは新良木本人を目撃しているからこういった推論を立てられるが、そうでなければ荒唐無稽な話にしか聞こえないだろう。
「童子切の方は信じて貰えるかもしれません」
清奈が手を上げて発言する。
「ほら、伊織さん。あの時は新良木だとは分かっていませんでしたが、不気味な男として一度報告はしてありますし」
「そう言えば、確かに」
一華さんのところは情報収集に長けたメンバーがおり、その力で正体が分からないかと思って相談したことがあった。
その時は該当者が居ないという話だったが、ある程度は情報を集めたはずだし、実際の正体を知れば納得して貰える可能性はある。
「そうか。では童子切には伊織ちゃんと清奈の方から連絡を付けて貰えるかな。問題は大典太の方だけど……」
「あいつに迂闊な形で伝えると、自分で調べに行ってドツボにハマりそうだな」
『友切』という剣人内の粛清部隊の長である大典太は、長老であろうと裏切り者は許さないだろう。
しかしそれだけに伝え方に気をつけないと、先走って粛清に走り、返り討ちに遭いかねない。
大典太自身が凄腕であるだけに、それを上回るかもしれない新良木の情報抜きでは危険だ。
「そこは僕が担当しよう。金本にはこの間の貸しもあることだしね」
「んじゃ俺は親父様をここに連れてくらぁ。一箇所に固まっておいた方が良さそうだしな」
そして僕たちは動き始めた。