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ご感想ありがとうございます!
ちゃんと目を覚ましました。
風を切って迫る刃。
この年齢にしてこの完成度の技を繰り出すとは、確かに一期一振の息子と称賛されるべきだろう。
タイミングも完璧。
春樹の横斬りを受けたその時を狙い澄ましての斬り下ろし。
己のすべてを賭けて繰り出すその技の名は、対鬼流『空断』。
後のことは考えず、ただ一刀をもって空をも断ち斬る。
それを鬼留流の技と思っていた新良木に、それを回避出来る道理は無いはずだった。
「平蔵……!」
新良木に運があったとすれば、それは若かりし頃に対鬼流正統伝承者である黒峰平蔵と幾度も手合わせを行っていたこと。
そして真也に運が無かったとすれば、それは『空断』のその完成度と気迫が、若かりし平蔵を彷彿とさせたこと。
意識としては不意を打たれた新良木だが、体はその技を瞬時に対鬼流『空断』であると見抜き、考えるよりも早く動いた。
「ぬおおおおっ!」
常の余裕をかなぐり捨て、新良木は吼える。
遅滞無く反応したとは言え、技としてはこれ以上ないタイミングで繰り出された空断への対応は至難。
もはや回避は不可能、受け流しは無謀、受けは鬼人の身体能力を以てすれば可能だが、動きが完全に止まる。
動きが止まればそこを一期一振が見逃すはずもない。
かといって鬼人の耐久力でも、空断をそのまま体で受けるのは論外。
よって新良木が反射的に選択したのは、反撃。
それも真也へのそれではなく迫る白刃へと、己の刀を斬り上げた。
「ちぃっ!」
真也と新良木では、まず腕の差が大きいが、得物の差もまた大きい。
真也は剣人となって数年の新米であり、春樹の親心によって通常よりは良い得物を持たされてはいるものの、業物とまで言えるほどのものではない。
かたや新良木は若き日には五剣となったほどの剣人であり、さらに長老としてもトップに位置していたほど。
その持つ刀は伊織の桜花にも匹敵する業物。
この二刀がぶつかり合えばどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。
瞬時にこの攻撃の弱点を見抜いた新良木に、真也は舌打ちするが、もはや止まることなど出来ない。
「おおおおおっ!」
雄叫びを上げて刀を振り下ろす真也。
硬い金属が砕ける音が響き、振り下ろした手の先から、からん、と折れた刀身が地面に転がり落ちるのを真也は見ていた。
ぶつかり合いは順当に新良木の勝ち。
乾坤一擲の合わせ技を凌がれてしまったことに歯噛みする。
「く……くくく、なかなかに冷や汗をかいたぞ、今のは」
額に脂汗を浮かべた新良木が、窮地を脱したことへの安堵をその顔に浮かべ、続く春樹の攻撃を躱しながら真也へと迫る。
「真也!」
春樹の叫びは耳に届くものの、空断を放った真也はまだ動けない。
「ここまでの真似が出来るとは、さすがに一期一振の息子。だがここまでだ」
白刃が閃いた。
* * *
世界が白い光で満たされ、そして感覚が戻ってきた。
目を見開くと、真っ先に目に飛び込んできたのは手加減抜きで頭を蹴り抜かれる神奈と、その向こうで這いつくばって咳き込んでいる清奈の姿だった。
その光景に怒りが胸を満たすが、不思議と頭は冷えていた。
「ようやくのお楽しみだぜ」
物か何かのように神奈の足をつかんで持ち上げている男に見覚えは無かったが、その赤く変容した肌と、耳まで裂けた口は人のものではあり得ない。
さらに鮫のように鋭い牙の並んだその口が、涎を垂らして神奈の足にかぶりつこうとしているとあっては。
地面を蹴る。
まるで玉響の加速時のように相手が何の動作もしないうちにそこに到達、その首を刎ねたときに、手に桜花を持っていたことに気付く。
「な……っ」
何が起こったのか分かっていない鬼人残り二人も、そのまま背後に回って同じように首を飛ばす。
その時にようやく首を刎ねられた鬼人が神奈を取り落としたので、彼女が頭を打たないようそっと受け止める。
「伊織、さん!」
驚いたように目を見開いている清奈の元へと神奈を運ぶ。
「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫」
「……良かった」
涙ぐむ清奈を慰めたかったけれど、今はそれどころじゃなさそうだ。
意識の無い神奈を清奈の横に横たえる。
「いぇええええい!!」
猿叫とでも言うべき叫びが上がる。
そちらを見ると真也が今まさに新良木に刀を振り下ろし、そしてそれを砕かれたのが見えた。
真也が放った対鬼流『空断』を、新良木が強引に破ったのだということは見て取れた。
「ここまでの真似が出来るとは、さすがに一期一振の息子。だがここまでだ」
空断は無類の威力を発揮するが、隙が大きすぎるため本来実戦で使うものではない。
確実に仕留めるべき場面でそう出来なかった以上、真也が反撃を受けるのは必然。
その首元目掛けて新良木が突きを入れようとしているのが読めたので、僕は今度は玉響による加速を得て再び地を蹴った。
さすがに新良木に何かをするには間に合わないので、真也の襟首をつかんで後ろへと引き倒し、電光のごとく突き込まれた刃から逃れさせる。
そこで気付いたのだが、左肩の傷が跡形も無くなっているようだった。
ハチが治してくれたのかもしれない。
「なに……!?」
「伊織ちゃん!?」
新良木の動揺する声と、春樹さんの驚いた叫びが同時に発せられた。
「伊織……?」
引き倒した真也は、ちょうど僕の左腕に収まるような形になっていたが、そこから僕の顔を見て目を丸くする。
「黒峰!」
真也の窮地を見て駆け寄ってきていた砂城も、こちらは喜びの色を露わにした声で呼びかけてくる。
「大丈夫なのか、伊織」
真也の呼びかけに、僕はうなずいた。
そのひとつの動作で、問いかけた真也にも、こちらを見ている春樹さんと砂城にも、安堵の表情が浮かぶ。
「ごめん、今、戻った」
そう言った僕を、新良木は信じられないものを見る目で見た。
「馬鹿な。何故理性があるのだ。剣鬼になったのだとしても早すぎる……!」
「説明する義理はないよね」
新良木にそう返しつつ、僕は玉響で周囲を把握しつつ戦況を見て取る。
なぜ新良木に対して春樹さんと真也が対峙しているのかと思ったら、一刀さんは向こうで数珠丸と戦っているようだった。
どうして数珠丸がここにいるのかは、彼を取り逃がしたのは誰が原因だったかを考えればすぐに分かる。
一刀さんが苦戦しているところを見ると、数珠丸もまた剣鬼となっているのだろう。
それにしても、僕に紅仁散まで飲ませて逃げたはずの新良木が、数珠丸がいるとは言えなぜ舞い戻って戦いをしているのか。
その疑問を僕の顔から読み取ったのか、真也が体を起こして僕から少し離れながら言った。
「おまえの動きが止まってから、すぐに戻ってきた。やっぱりあれが想定外だったんじゃないか」
「あー……」
僕自身はっきりはしていないが、多分ハチが僕を誰も殺さずに鬼人とするために干渉している間、止まっていたんじゃないだろうか。
どうやらしばらく止まっていたようなので、ハチといえどもすぐに、とは行かなかったのだと思われる。
そして、紅仁散を飲んだ者は普通は止まることなく暴れるのだろう。
あの衝動の強さを考えればそれは納得行くものだ。
「子細は後で。今は」
新良木へと向き直ると、彼はぎらぎらと光る目でこちらを睨み付け、そして大きく跳び退った。
「口惜しいがここは諦めよう。後一歩であったのだがな」
「逃がす気はないけど」
「承知の上よ」
ふてぶてしく笑った新良木が刀を一閃させるや、その剣先から何かが清奈たちへ向けて飛ぶ。
「止めろ、黒峰!」
砂城に言われるまでもなく、僕はその射線上に割り込んで桜花で受け止める。
霧散するそれは切れ味のみを飛ばす、新良木の鬼人としての能力か。
「退くぞ、数珠丸」
その隙に新良木は身を翻して後も見ずに走り去る。
数珠丸に声は掛けたものの、それに従うかどうかなどの確認すらしなかった。
みるみるうちにその姿が遠ざかって行く。
「おい、おっさん!?」
新良木と違い、数珠丸は一刀さんと激しく斬り結んでいる最中だ。
そして一刀さんは簡単に逃がしてくれるような相手ではない。
剣鬼であるはずの数珠丸に押し勝っているあたり、本当に人間なのかどうか疑わしい。
「くそっ、口ほどにもないおっさんだな……!」
置いて行かれた数珠丸には気の毒だが、新良木を逃がしてしまった以上、ここで相手の手駒は減らしておきたい。
そうでなくとも、数珠丸には生かしておけない理由もある。
「一刀さん、助太刀いる?」
「お、無事かよ伊織。さすがだな」
数珠丸と高速での攻防をしているというのに、その声はまるで家のリビングで世間話でもしているかのようにお気楽だ。
わざとそのようにしているのかもしれないが、それはそれで余裕があるということだから、どの道凄まじい話である。
「あの枯れ木爺がいなくなったことだし、助太刀はいらねえよ。まあ、見てな」
「くそっ、黒峰といい、おまえといい、人を馬鹿にしやがって……!」
助太刀は不要と言われたので、数珠丸が逃げられないように退路を塞ぐことだけを意識して位置取りをする。
手を空いた春樹さんのフォローもあるので、逃がすことはまず無いだろう。
「なあ数珠丸」
いっそのんびりとした口調で一刀さんは数珠丸に話し掛ける。
「てめえはコンプレックスの塊だよな」
「は!? なんで俺がコンプレックスなんか抱かなきゃならないんだよ」
「俺も伊織もてめえを馬鹿になんかしちゃいねぇ。まあ、俺はおちょくるぐれえはしてるがな。でも、てめえにゃ馬鹿にされてるように見えるんだろ?」
まるで豪雨のように降り注ぐ数珠丸の斬撃を弾きながら、一刀さんは力を溜めていく。
「おまえたちの、その態度で、馬鹿にしてないわけがないだろ!?」
「ふん、だからコンプレックスの塊だってんだよ」
喋りながらも、一刀さんの気が高まっていくのを感じる。
「てめえは強さってモノサシしか持ってねえ。それだけ若くして五剣なんぞになっちまった弊害だろうな。そしてそのくせ、その自分の強さに自信がねえ」
「な……っ!?」
数珠丸の連撃が刹那、途切れる。
それは一刀さんの指摘が真実であることを示していた。
「てめえの強さに自信があるなら、他人に自らの力をひけらかす必要なんざねえ。それは己の中に根ざすモンだからだっ」
そしてその隙を逃さず、一刀さんは数珠丸の刀を弾く。
それによって崩れた数珠丸の体勢はほんの僅かで、本人も大した影響は無いと感じたことだろう。
だがそれは、一刀さんの踏み込みによって刀を振る余地すらもない死地と化した。
あれは一度だけ慈斎さんに見せてもらった技、鬼哭無双流『虎口(ここう』。
「くそっ、三日月ィィ!!」
「あばよ、数珠丸」
斬、と音がして、数珠丸の胴が泣き別れとなった。
鬼人の強靱な体をものともせず、一刀さんが両断したのだ。
鮮血を撒き散らしながら地面に落ちた数珠丸は、その鬼人としての強靱な生命力ゆえか、まだ藻掻いていた。
「なぜだ……なぜ、勝てないんだ……」
「言ったろ。てめえの剣がてめえの中に根ざしてねえからだよ」
血振りをして『納刀』した一刀さんは、上半身のみとなった数珠丸の側に無造作にしゃがみ込んだ。
「死ぬ前に言っとくぜ。てめえは強い。俺が一目置くくらいにはな。だが、己の強さをひけらかし、他者と比べることでしか認識できねぇそいつは浮ついたモンだ。てめえはそいつを無意識に自覚していたからこそ、てめえに自信が無かったんだろうよ」
「今さら、そんなこと、言うのかよ……」
「俺がてめえにそんなに親切にしてやる義理はねえよ。こいつは手向けってヤツだ」
一刀さんは本当にブレない。
お師さんもブレることの無い人だった。
この精神の勁さこそが、三日月を三日月足らしめるものなのかも知れない。
「てめえは天賦の才で言えば全剣人を見渡したって敵う奴はいねえだろうよ。例えそいつが俺だろうとな。だが、てめえはそれに満足しちまって、その強さを己の物として取り込むことが出来なかったってワケだ」
淡々とではなく、どこか悼むように一刀さんは数珠丸に語りかける。
己の死をすでに身近に感じている数珠丸は、常になくそれを素直に聞いているようだった。
「強さって奴ぁ、難儀なモンだ。才能で強ぇ奴だっているにはいる。だが、その強さを本物にするには、どうしたって不断の努力って奴が必要なのさ」
「俺は……それが、足りなかった、のか」
「五剣に成るくらいには足りていた。俺に代わって三日月に成るには足りなかった。そんだけのこった」
サバサバした口調に、死相の色の濃い数珠丸の顔に、苦笑が浮かんだ。
「ちぇ。今回こそは、勝てると思ったんだけどなぁ……」
「ふん、あの世でも鍛えておくんだな。俺はまだまだ強くなるからよ」
「化物、め……」
悪態をついた数珠丸は、ひとつ大きく息を吐いて目を閉じた。
その体は、鬼人の常として塵となり、風に流されていく。
それを一刀さんは、すべてが消えるまで眺めていた。