表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣人  作者: はむ星
青年篇
88/113

51

「くく……良い見世物よ」


 紅仁散を無理矢理伊織に飲ませてその場を離脱した新良木は、二キロほど離れた五階建てのアパートの屋上から残された者たちの奮闘を、傷を癒しながら眺めていた。

 鬼人としての超人的な視力がそれを可能にしている。

 すでに首筋の傷口はほぼ塞がっているが、さすがに切り落された左腕は再生が容易ではないようで、新良木はいまだ片腕のままだった。

 しかしそれも、眺めている戦いが終わる頃には完治する。

 そうなれば、疲労困憊した彼奴等を嘲笑いながら、娘たちを横から浚うなど朝飯前だろう。


「まあ、剣鬼化したあやつへの対策は必要となろうが……」


 ここからでは豆粒のようにしか見えないはずの戦いを、新良木の視界ははっきりと捉える。

 紅仁散によって鬼人に近い力を発揮した伊織は、三日月とほぼ互角の打ち合いをしていた。

 あれが本調子になって自分に刃向かってくれば、新良木とて多少は手こずるであろうことは想像に難くない。

 鬼人にならなければそれで良し、もし鬼人になったとしても、その直後は心身共に衰弱しているはず。

 そこを手籠めにして徹底的に心を折り、逆らうなど思いもつかぬようにしてしまうのが良い。

 所詮は小娘。

 新良木の手練手管に対抗できようはずもない。


「散々待たされたのだ。たっぷりと……む?」


 戦いに異変が起きていた。

 視線の先で今まで衝動のままに戦っていたはずの伊織が止まっていたのだ。

 何が起きたのか、そこにいる三日月たちすら分かっていないことは、その困惑した表情から窺える。


「何故、動かぬ?」


 訝かしげにつぶやく新良木だが、それには歴とした理由があった。

 紅仁散は連華が言った通り強烈な効果を持っていることを、新良木は身を以て知っていた。

 一瞬で意識など飛び、後はまるまる二昼夜の間、獣のように贄を喰らい尽くした。

 犠牲となったのは連華が捕らえていた剣人のうち、女が五名、男が四名の計九名。

 その時のことは夢現のようで朧気にしか覚えていないが、内より湧き上がる強烈な衝動に、己の制御など全く効かなかったことは覚えている。

 それこそ、それを無理に抑えれば発狂していただろうと確信できるほどに。


「自殺でもする気か……?」


 それはあり得るような気はした。

 あの娘は己の身など顧みないタイプだ。

 周囲に迷惑を掛けるくらいならばいっそ、と思い切った可能性はある。

 そうだとすると非常に不味い。

 死なれてしまっては楽しみを失う上に、連華へと反逆する際のカードをひとつ失うことになる。


 今すぐ反逆を考えているわけではないが、新良木は遠からず自分と連華が衝突することになるだろうと考えていた。

 その時に備えての布石のひとつでもあったのだ。


「左腕は……まだ掛かる、か」


 多少無理をしてでも左腕を拾ってくるのだった、と新良木は舌打ちする。

 鬼人の力を以てすれば失った五体を再生することすら可能だが、再生と修復であれば、修復の方が時間が掛からないことは言うまでも無い。


 彼らが戦い始めてより三十分。

 三日月も一期一振もまだまだ余裕を保っており、今の状態の新良木があの場へ出向くのはかなりのリスクを伴う。


「ち……どうするか」


 伊織が無事であるならば、鬼人になっていようといまいと、己が十全となってからまた出向けば良い。

 鬼人になっている場合は多少厄介ではあるが、新良木にも手駒はあり、そこはどうとでもなる。

 お楽しみが遠ざかるのは業腹ではあるが、それと命を天秤に掛けるほど浅慮ではないつもりだ。

 手詰まりを感じていた新良木は、そこで高速で近づいてくる気配に気付いた。

 ほどなく気配は彼の後ろに立ち、それが予想通りの顔であることを確認して新良木は口の端を上げる。


「来たか。どうだ、気分は?」

「最高だね。これでおっさんさえいなければもっと最高なんだけど」


 軽口を叩いた青年は、だが油断ならない目で新良木の失われた左腕を見て取った。

 だが、この青年が今ここに来たことは、新良木に取っては非常に助かることだった。

 彼がいれば、今のコンディションでも奴らを相手取って不足はない。

 青年から僅かに漏れ出た殺気に被せるように、新良木は己の見ていた方角を示す。


「あいつ……!」


 そちらを見た青年から、滴り落ちるような憎悪の籠もった声が発せられる。

 すぐさま駆け出そうとする青年の機先を制するように、新良木は言う。


「あの娘は我が獲物だ。手出しは許さぬ」

「あんたに許される必要は無いんだけど……?」


 先ほど抑え込まれた殺気が再び、じわりと鎌首をもたげるように露わになる。


「急くな。あの娘が私の獲物だというだけの話だ。良く見るがいい」

「……三日月もいたのか。へえ」

「おまえの望みはあの娘へ屈辱を与えることと、三日月の首であろう?」


 新良木は青年が不承不承ながらうなずいたのを確認してから、言葉を続ける。


「娘にはおまえが手を下すことは叶わぬが、私の物となる以上はそういう目には遭うこととなる。たっぷりとな。それで満足せよ」

「ふん。それじゃ、三日月の首は俺の物ってことでいいんだね?」

「構わぬ。現三日月を倒せば、名実共におまえが三日月の銘を得るにふさわしい証明となろう」

「当たり前さ。元々俺の方が三日月にふさわしい。それがやっと正しい姿になるってだけの話だ」


 新良木から見てもこの男が三日月の格にふさわしいとは全く思えなかったが、それを言うならば今の自分も過去に戴いていた『大典太』の銘にふさわしいとは到底言えない。

 ここまでは、そう、連華の思惑通りなのだろう。

 そうであるとしても、何ら不都合は無い。

 踊って得られる報酬に不満が無い限り、踊り続けることに何の異存も無い。


「では、ついてくるが良い、数珠丸。剣鬼となったおまえの力、見せて貰おう」


*   *   *


 立ち尽くし、動かなくなった伊織に困惑する真也たち。

 先ほどまで全力で暴れていた人物が、いきなり電池が切れたかのように動かなくなればそうだろう。


「どういうこった? こりゃ」


 つい先ほど、長丁場になることを確信していた一刀にしてもそれは同じだ。


「伊織……?」


 真也の呼びかけにも、俯いたままの彼女は反応しない。

 先ほどのように衝動を抑えているような様子もなく、何が起こったのか分からない。

 だが、長々と困惑している時間は彼らには無かった。


「誰かこっちに来る!」


 周囲を警戒していた神奈が、足を負傷している清奈を軽々と抱きかかえて春樹と一刀の方へと下がる。


「来やがったか。……ん、二人だと?」


 気配を探ってこちらへと向かっている者の人数を把握した一刀が、訝かしげに眉を寄せる。

 そこに姿を先に見せたのは。


「数珠丸、てめえか」

「三日月、あんたの銘を貰いに来たよ」

「面白ぇ冗談だ」


 向き直ろうとした一刀が、そこで顔色を変えて刀を振るう。

 刃と刃が噛み合う音がして、いつの間にか間合いを詰めていた数珠丸と鍔迫り合いながら睨み合う。


「へえ。ひ弱なてめえにしちゃ随分と力が上がったじゃねえか」

「そうさ。力も、速度も、あんたより遙かに上さ!」

「その割にゃ押し勝ててねえがな」

「おまえ……!」


 確かに一刀の覚えている数珠丸は、このような速度の踏み込みの速さも、自分との鍔迫り合いに耐えるだけの力も持ってはいない。

 そして新良木と共にやって来た。

 何より。


「そんなことよりてめえ、左腕、どうした?」


 そう、報告では数珠丸は左腕を伊織に斬り落とされたはずだ。

 だが今の数珠丸は刀を両腕で・・・持っている。


「まさか正体はトカゲだったとか言わねえよな?」

「相変わらず巫山戯た奴だな、そんなわけあるか!」


 激昂して叫ぶ数珠丸は、多少強くなってもメンタルは変わらないようだと一刀は思う。

 その答えは、少し遅れてその場に姿を現した新良木によってもたらされた。


「私と同じ、剣鬼となったのだ、数珠丸は」

「はん、そんなこったろうと思ったぜ」


 鬼人であれば手足が再生してもおかしくはない。

 そして数珠丸を新良木が回収した以上、こうなるのは予測の内でもあった。


「一刀くんは数珠丸を頼む。僕と真也は新良木の方を」

「ああ。あいつはまだ左腕使えねえみてえだしな」


 新良木の左腕はまだ完全に再生できていないようだった。

 だがそれでも出てきたのは、数珠丸がいるからだろうが、伊織が動きを止めたことも影響しているだろう。


「一期一振か。片腕であろうと、おまえひとりであれば問題はないぞ。おまえが厄介なのは三日月に合わせるだけの技量を持つという一点に過ぎぬ」

「そうでしょうね、僕ひとりなら」

「む?」


 春樹の隣に真也が並ぶ。

 それを見た新良木は、発作を堪えきれなかったかのように笑い出す。


「くははは、何かと思えばそのような木っ端のような小僧を恃むか。なおのこと話にならぬわ」

「さて、それは僕の息子を甘く見過ぎでは?」


 そう言って構える春樹たちの横では、一刀と数珠丸が激しい応酬を始めていた。


「清奈、神奈。伊織ちゃんを見ていてくれ」

「分かりました。負けないで、叔父様、真也さん」

「もちろん」

「ああ!」


*   *   *


 一刀と数珠丸の鍔迫り合い、先に仕掛けたのは一刀だった。


「強くなったって言うんなら、捌いて見せろよ、数珠丸ゥ!」

「な……っ!」


 強引に鍔迫り合いを押し切った一刀に、数珠丸が困惑した声を上げる。

 無理も無い。

 鬼人の膂力は普通の人間の数倍にも及ぶ。

 剣鬼と化した自分が鍔迫り合いに押し負けるなど、思ってもいなかったのだ。


「この馬鹿力が!」


 当然のようにそのまま斬り掛かってくる一刀の動きを読み、最適な動作で躱し、そして反撃する。

 元より数珠丸が得意とする戦法だが、剣鬼となってから上がっている反射速度、動体視力がさらなる精密な先読みを可能とする。


(貰った……!)


 首筋に致命の突きを入れる。

 躱しようもないはずのそれを、一刀は野生の獣のような勘で回避。

 あまつさえ鬼人から見ても常識外の速度で横に回り、脛を斬り払ってくる。


「この!」


 鋒を地面に向け、斬り払いを自らの刀の鎬で受ける。


「よく凌いだな」

「この出鱈目野郎……!」


 同格とされる五剣ではあるが、その実力は必ずしも互角ではない。

 今まで三日月に挑んでは負け、それを運のせいにしていた数珠丸だが、図らずも剣鬼となって実力が上がったことでその思い違いを悟った。

 この男は、剣鬼と化した今の自分にすら勝利し得るほどの力を持つのだ、と。

 だが、それを認めるわけには行かない。

 ならばどうするのか。

 如何なる手段であれ、相手を殺し、勝利する。

 それこそが自分のプライドを守り、周囲に自らこそが三日月にふさわしいと周知させることに繋がるのだ。


「けどね、勝つのは俺だ。遺言があれば聞いてやるよ、三日月」

「そいつは無理だな。親父様の遺言で、数珠丸だけには殺されるなって言われてるからよ」

「おまえの父親は生きているだろうがっ!?」


 一刀の父親が長老の一人である神宮慈斎であることは、剣人の間では良く知られていることだ。

 それを承知で惚けてきた一刀に、数珠丸は怒りを隠せない。

 いかに強くなっていても完全に一刀のペースに乗せられてしまっているのだが、一刀とて余裕があるわけではなかった。

 地力が底上げされた数珠丸は、一刀といえども片手間で倒せる相手ではないのだ。


(こいつが馬鹿だから助かってるが……あの野郎、狙ってやがる)


 この場における、剣人側のキーマンは一刀だ。

 彼が居なければ数珠丸と新良木の二剣鬼を前に、剣人側は抗する術が無い。

 春樹は一刀がいればこそ生きる札であって、単独では意味が薄い。

 数珠丸は分かっていなくとも新良木はそれを理解しており、こちらの一挙手一投足に注意を払っていることに一刀は気付いていた。

 もし数珠丸への対処に手一杯になり、新良木から意識を逸らせば、途端に新良木は多少の傷など厭わずに一刀へと襲いかかり、排除を試みるだろう。

 この状況を打開する方法は二つ。

 一刀が新良木へと隙を見せずに数珠丸を倒しきるか、春樹が新良木から一刀を顧みる余裕を剥ぎ取り、その隙に数珠丸を倒すかだ。

 いずれにしても一刀が倒れていないことが前提となる。

 新良木がこの状況を敢えて数珠丸に教えない理由は分からないが、何か事情があるのだろう。

 しかし、それをわざと数珠丸に教えることで事態がどう転ぶか分からない以上、剣人側からそうするわけにもいかない。


「睨み合いは構わぬが、ほれ、のんびりしていていいのか?」


 たっぷりと含みを持たせた新良木の言葉に、周囲の気配を探った一刀と春樹が同時に叫ぶ。


「ちいっ」

「神奈、新手だ! 清奈を守ってくれ!」


 新たに現れたのは三人。

 得物は手にしていないものの、その姿はすでに変容している。

 鬼人たちが、歪んだ笑みを浮かべてそこに立っていた。


「姉さん、私の後ろに」


 緊張をその顔に浮かべながらも、抜刀して前に出る神奈。

 その彼女を囲む鬼人たちの動きは手慣れており、その実力が決して低くないことを窺わせた。


「神奈、気をつけて!」


 清奈が叫んだ時に、数珠丸が、新良木が、そして鬼人たちが、それぞれの相手へと襲いかかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ