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剣人  作者: はむ星
青年篇
87/113

50

ちょっと私事でバタバタしております。

投稿間隔が乱れる可能性がありますのでご了承ください。

楽しみにされている方には大変申し訳ありません。

 僕を欲しがっていた新良木が、なぜその僕に紅仁散とやらを飲ませたのか。

 それは恐らく、僕と清奈によって自身が手負いになったことと、三日月たる一刀さんがこの場に来たことが原因だろう。

 いかに新良木とは言え、手負いで勝てるほど一刀さんは甘い相手ではない。

 そして一刀さんは人質を顧みずに相手を倒す非情さを持つが、助けられる相手であればなるべく助けようとはする。

 新良木は手合わせした感触から、紅仁散を飲んだ僕を抑えるには、一刀さんと春樹さんの二人掛かりでなければ無理だと考えたのだろう。

 暴れる僕を二人が抑える間に、自分は傷を治す心算なのだろうと思えた。

 僕が鬼人に成らなければよし、成ってもそれも良し。

 彼らが僕を死なせてしまうとは考えてもいないのだ。


「ぐ、ああああぅぅうううう」


 喉と胃から燎原の火のように広がっていく熱さは、今や体中を焼き付くさんと燃え盛る炎のようだった。

 目の前には泣きそうな顔の清奈と真也と砂城、困惑した顔の神奈、焦っている顔をした春樹さん、そして難しい顔の一刀さんがいた。

 その彼らの顔を見た途端に、その体を斬れば・・・どんな感触がするのだろう、と思わずぞくぞくし、そしてそんなことを考えたことよりも、それに期待してしまっている自分に戦慄する。

 清奈の柔らかそうな体を切り裂いてしまいたい、いつも口数の少ない神奈を泣き叫ばせてやりたい、最近とみに男らしくなってきた真也を押し倒してしまいたい、減らず口ばかり叩く砂城の口を自分のそれで塞いでしまいたい。

 紅仁散の作用なのだろうか、そんなどす黒い感情が己の中を駆け巡る。

 いや、それとも。


「それは、おまえの感情だ」


 耳元での囁きに目を見開く。


「おまえが心の奥底に押し込めてきた感情。紅仁散によってそれが表に出てきたに過ぎん」

「ちが、う」

「いいや。人としての理性、そして常識を剥ぎ取った、剥き出しの欲望こそがそれだ。認めてしまえば楽に……むっ!」


 必死に衝動に抗う僕に囁いていた新良木が、後ろへと跳ぶ。

 一瞬前まで新良木のいた空間を、鋭い刃風が切り裂いた。


「僕と一刀くんをこの場に引き留めるために伊織ちゃんに無体を働いたんでしょう、新良木老? なのにここでのんびりしていていいんですか」


 今まで聞いたこともないほど冷えきった春樹さんの声。

 身を焼き尽くす炎に呑まれそうになっていた僕の意識が、わずかに覚醒する。


「ちっ!」


 新良木はさらにその場から身を翻す。

 瞬間移動のように新良木の背後に現れた一刀さんの振るう刃から、ぎりぎりのところで逃れたのだ。


「これで仕留められるなんて甘い話はねぇか。だが……」


 刀を抱えるように構えた一刀さんが、じろりと新良木を睨めつける。


「分かっておる。さすがは現役の三日月、今のは胆が冷えたわ」


 そう言うと新良木は油断の無い足取りで僕たちとの距離を空ける。


「後はおまえたちの手並拝見と行こう。ではな」


 大きく跳躍して姿を消す新良木。

 僕はそれを知覚してはいたが、それどころではなかった。

 気を抜けば体が暴れ出す。

 衝動はもはや耐え難いほどに高まっていて、抑えているだけで気がおかしくなりそうだ。

 けれど、清奈や神奈、真也たちは僕が守りたいと願う、黒峰伊織の日常の大事な人たち。

 彼らに斬り掛かるなんて、そんなことは絶対に嫌だ。


「ぐううううっ」


 自分を抱え込むようにして、必死に衝動に抗う。

 西木の時に薬を抜くのは、一昼夜掛かった。

 こんなのが一昼夜も続いたら、僕は気が狂ってしまうだろう。

 けれど、大事な人たちに類が及ぶくらいなら、その方がマシだ。

 すでに体中に広がった熱が僕の脳を炙り、魂を焦がしていく。


「伊織!」


 朦朧となりつつあった意識に、真也の叫び声が響いた。


「俺たちに任せろ。絶対におまえに殺されたりなんかしない!」


 それは確信に満ちた声だった。


「そうです。私たちは死にませんし、伊織さんも死なせません!」

「伊織姉。私ですら、誰も殺さずに済んでる。伊織姉が誰かを殺すはず、無い」


 清奈と、神奈。


「黒峰、済まない。貴女を守れなかった。だが、必ず取り戻してみせよう」


 後悔と決意を秘めた砂城の言葉も聞こえる。

 ああ、そうか。


「僕、は」


 ひとりで頑張る必要は、無かった。


「ああああああっ!!」


 体が叫び声を上げ、視界が真っ赤に染まっていく。

 その中で、僕はいっそ安らかに意識を手放した。


*   *   *


「ああああああっ!!」


 叫び声をあげ、足元の刀を拾う伊織。

 だがその直前に確かに一瞬、微笑んでいたのを、真也たちは見ていた。


「メインは俺と一期一振だ。清奈、おまえは下がれ。真也は一期一振のサポート。赤毛は俺だ。神奈は清奈を守ってろ」


 一刀が次々と指示を飛ばし、全員が異議を申し立てることなく即座にそれに従って動く。

 足を負傷している清奈だけは一瞬悔しそうな顔をしたものの、やはり神奈に肩を借りて下がった。


「気張れよ。不完全でも鬼人の力を得た伊織なら、五剣級と思っていい。こいつほど修練を積んでる奴なら、意識が飛んだところで動きが雑になることもねえだろうよ」

「確かに。そろそろ素の状態でも僕と互角か、それ以上のレベルに来ていたしね」


 刀を手に俯き、低く唸る伊織を春樹が油断無く見据えてうなずく。

 その伊織が唸るのをやめて顔を上げる。


「伊織さん……」


 その顔から表情の一切が消えているのを見て、清奈が泣きそうに顔を歪める。

 まるで能面のようなその顔の中で、唯一目だけが赤く光っていた。


「来るぞ!」


 一刀の警告と同時に伊織が地を蹴る。

 常と変わらぬその動きでありながらも、それは。


「速い!」


 まるで玉響で加速したときのような速度で一刀へと迫り、桜花を振るう伊織に砂城が驚愕したように叫ぶ。


「ふん、だがまだまだだな。即座にその速さにゃ慣れんだろ」


 桜花を自らの刀で受け流し、一刀は不敵に笑う。


「それに、狙ってんのは手足かよ。どこまで甘ぇんだか」

「黒峰を傷つけるなよ、三日月!」

「小僧っ子がうるせえな。そんな一丁前の台詞はてめぇでこいつの相手出来るようになってから言いな」


 伊織と激しく斬り結びながら軽口を叩く一刀だが、見た目ほどの余裕は無い。

 元から彼とある程度打ち合える相手の速度が、異常に上がっているのだ。


(元から厳しい剣筋してやがったが、こいつは……!)


 相手を殺して良いならまだ一刀が勝つ。

 それは彼自身、自信を持って言えることだ。

 だが、ここで伊織を殺すのであれば、わざわざ新良木を見逃した意味が無い。


(まだ左腕が使えなくてラッキーだったな)


 新良木にやられたのか、伊織は左腕を負傷していて使えないようだった。

 右腕だけでこれだけの攻めを行っているのも驚愕ではあるが、お陰で相手が鬼人に近い力を得ているにも関わらず、膂力ではまだ一刀がかなり勝っている。


「そらよ!」


 ほぼ全力、ただし寸止めできるだけの余裕を残した一撃を繰り出す。

 寸止めする気はさらさら無いが、完全の全力だと伊織が受けきれないし、あまりに力を抜いては彼女に余裕を与えてしまう。

 だが、それを伊織が受けた刹那に一刀は違和感を感じた。


「ちっ、これは……!」


 体勢が崩れ、次の行動へと移れない。


「一華の技だと……!? いつ修得しやがった!」


 だが同じ五剣たる戸根崎一華の技と比べれば、崩し方が甘い。

 両足を踏みしめてそれ以上の崩れを防ぎ、そこに来た斬撃を受け止める。


「おらぁ!」


 刀身を絡めるように伊織の動きを止めたところで、強引に蹴り飛ばす。

 勝つための戦いであれば間髪を入れずに追撃するところだが、これは相手が正気に戻るまで暴れさせ続ける、ある意味マラソンのような戦いだ。

 先は長く、それだけに余計な体力を消耗するわけには行かない。

 だからこそ、春樹は遠巻きにして手を出さず、体力を温存しているのだ。

 ここで一刀が伊織の手の内を引き出せば引き出すほど、次に相手をする春樹がやりやすくなるのだ。

 それに余計な茶々が入る可能性もある。


「清奈、神奈! 新良木の爺が戻ってくる可能性もある。油断だけはすんな。それと、気付いたらてめぇで何とかしようとせずにすぐ叫べ。分かったな!」

「はい!」


 姉妹の返事を聞いてうなずいた一刀は、起き上がった伊織の前へと進んでいく。

 蹴りを受けて一度は転倒したものの、その起き上がる動作からはダメージは感じられない。


(長くなりそうだぜ)


 それは予感ではなく、確信だった。


*   *   *


 何も見えない。

 そして何も感じない。

 この空間(?)に来るのは三度目だった。


 ハチ、いるのかな?


 意識的に呼びかけてみると、何故かとても申し訳なさそうな気配を纏ったハチがそこにいるのを感じた。


[ごめん]


 いきなり謝られても、何が何だかよく分からない。

 どうしたんだろう。


[前に神が直接現世に介入するには、人として世に生まれ直すしかない、と言ったのを覚えてるかい]


 うん、神にもルールがある、とその時のハチは言っていた。

 そのルールを破らないように現世に介入したいのであれば、そうするしかなく、またそれでも横紙破りだと。


[鬼神がそれを本当に実行していたようだ]


 え。

 それは一体どういう。


[君があの紅仁散という薬を飲まされた時に、分かった。あれは鬼神の血だよ]


 何やらとんでもないものを飲まされたらしい。


[鬼神の血が世に存在しているのであれば、それは鬼神が現世に存在するということ。僕たちはルールはどうしても破ることが出来ない。だから、それはそういうことなんだ]


 鬼神と言えども神のルールは破れない。

 だから、ルールに抵触しない唯一の方法で現世へと蘇り、介入した。


[人として現世にいる鬼神に対して、僕は何も出来ない]


 それはルールゆえ。

 グレーとは言えルールを破らずに人として生まれた鬼神に対し、剣神たるハチは介入できない。

 そのために僕を剣人にしたのに、その僕が鬼神の手先の手に落ちてしまった。

 不可抗力なところはあるけれど、もう少し慎重になるべきだった。


[君が謝ることじゃない。僕の見通しが甘かった。まさか鬼神が人として現世に生まれ出ていたなんて]


 この場所では感情が直接伝わるのだろうか。

 ハチの苦悩が手に取るように分かった。

 なぜ苦悩しているのか、も。


 ハチ。

 僕じゃ、人としての鬼神には勝てないんだね。


[……厳しい。いかに人としての器に満たせるだけとは言え、あれは神そのものだ。言い換えれば、真の意味で限界まで強くなった鬼人とも言える]


 じゃあもうひとつ質問がある。

 鬼人は鬼神には逆らえないんだろうか?


[まさか、君]


 だから、ハチは悩んでるんじゃ?

 この人の良い神は、僕にそのことを告げるのを躊躇ってしまっている。

 転生したとしても僕の人生は僕のもので、それを取り上げることは恩人たる神にも出来ないのだと、そう言ってくれた。


 僕が鬼人……剣鬼になってしまえば、鬼神に対抗できる可能性があるのだろう。

 でもハチにはそれは言い出せない。

 言えば強制になるかもしれないのだから。


[……]


 ハチは無言だったが、それは肯定に等しかった。

 僕自身は構わない。

 それしかハチの願いが叶えられないなら、そうする覚悟くらいはある。

 でも、僕の大事なものを踏みにじらないと出来ないというのなら、それは受け容れられない。


[確かに鬼人であろうと、鬼神と戦うことは問題無い。けど、君自身は本当に構わないのかい?]


 そもそも、神奈だって剣鬼になってる。

 妹分がそうなっても頑張っているというのに、姉貴分の僕が、そうならないと出来ないことがあるのにやらない、なんてみっともないことは言えないし言うつもりは無い。


 神奈は剣鬼になっても神奈のままだった。

 なら、何を恐れる必要があるだろうか。


[与えられた力、ということになる。君は今まで己に積み上げるようにして強さを重ねてきた。それを否定するようなことにはならないかい?]


 それも問題にならない。

 僕の知っている鬼人は、鬼人でありながら丹念に修行を積み上げて、鬼人最強とまで言われるほどになった人だ。

 それと同じで、ベースが変わるだけで、僕は何も変わらない


[そうか……なら]


 ハチの声が力強いものへと変化する。


[僕には、君に誰ひとり殺させることなく、君の尊厳を損ねることなく、その力を取り込ませることが可能だ]


 それが出来るのなら、僕には異存は無い。

 ハチの言葉を疑うことはなかった。

 今まで、彼は僕に誠実だったから。


[ただ、剣鬼になったからと鬼神に勝てる保証は無い。鬼人としてのベースに、君の剣技を全て乗せてようやく届くか否かと言ったところだということは覚えておいて欲しい]


 神と名乗っていたほどの存在に、簡単に勝てるとは思っていない。

 それに、倒さなければならないとは限らないのだ。


[そうだったね。鬼神が何を望んでいるのか、ここに至ってもまだ分からない。けど、紅仁散なんていうものが出てきている以上、放置もしておけない]


 そう。

 だから、僕が。


[ああ、だから君に、お願いする]


 そして僕はまた、光に包まれる。


[鬼神を、頼む]


 最後にハチの声が響いた。

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