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今回は間に合いました。
「良かったね、清奈。今度三弥さんに何かお礼しなきゃね」
「そうですね。望外のことでしたけれど」
帰り道、僕と清奈は今日の出来事について話ながら歩いていた。
「それにしても、伊織さんは一華さんに気に入られてますね」
「いや、それは清奈も一緒じゃないかな……」
帰り際にも、二人揃って剣華隊へと熱烈に勧誘されたのである。
僕たちの実力が五剣のお眼鏡に叶ったのは嬉しいが、僕は今のところはどこかに所属する気はない。
「まあ、清奈は真也がいないところに行く気はないんだろうけど」
「伊織さん」
声を低くして怖く見せかけても、色白な清奈では顔が赤いのが丸分かりである。
駅から鴻野家までは結構あるが、僕たちは急いでいない限りはバスを使ったりすることはあまり無い。
それが良かったのか悪かったのか。
「待ちかねたぞ」
行く手を塞ぐように立っていたのは、この間の不気味な男だった。
(近いうちに、とは言ってたけど……)
この男に対抗できるヒントを得たのはつい先ほどだ。
それを実際に運用できるようにするのに、少なくとも二、三日、出来れば一週間ほどの期間は欲しかったが、いつか砂城が言ったように敵は待ってはくれない。
男は腕組みをして、目を細めてこちらを見ていた。
道に人気が無いのはこの男のせいではないかと思えるくらいに、空気が重い。
今はひとりだけのようで数珠丸は連れてはいない様子だが、当然ながら油断は出来ない。
数珠丸の怪我は僕と違ってまだ治るものではないが、彼もまた鬼人になっているとすれば、そういった普通の予測は役に立たない。
「そちらの娘も一緒か。都合が良い」
清奈を見てぬたりと昏い笑みを浮かべる男。
その笑みを向けられた清奈が、顔色を青くする。
この間の恐怖が蘇ったのだろう。
「清奈。戦える?」
これが神奈であったなら、僕は最初から下がるように言っただろう。
けれど、清奈はそんなに柔なメンタルはしていない。
果たして清奈は首肯して、顔色は青いままではあったけれど僕の横に並んだ。
「戦います。ここで逃げれば、私はこの男を見るたびに逃げなければならないですから」
「くく、良い気迫だ」
にんまり笑った男は、だが一歩退がった。
「待ち受けるためにここに居たが、戦うには不都合であろう? ついて来るが良い。もっとも、私はどちらでも構わぬのだが」
実際にこの男は一般人を巻き込むことを躊躇わないだろう。
そういう意味では、正統派の鬼人であるとも言える。
そんな男が場所を変えてくれるというのは、ただの親切心であるはずもない。
罠を仕掛けている可能性もあるし、数珠丸等の手勢を伏せているかもしれない。
そうでなくとも僕たちに全力を出させ、それを叩き伏せることでこちらの心を折るつもりか。
もしくはそこまで深い考えもなく、単純に僕たちの全力の抵抗を嘲笑うためだけなのかもしれないが。
いずれにしても、僕たちに選択肢はない。
「分かった。案内して」
「躊躇いが無いな。なかなかの胆力だ」
男を先頭に歩いて行く。
平然と背中を晒しているその姿には、やはり付け入ることの出来るような隙は見当たらない。
どうせなら、と情報を引き出すために話し掛けてみることにした。
「お師さんとはどういう関係?」
「変わった呼び方をするのだな。かつて同僚であった、と言えるだろう」
かつて、同僚だった?
つまり、この男は見た目通りの年齢では無いということになる。
そう考えたときに、以前覚えた既視感がぴたりとはまったような気がした。
やはりこの男とは会ったことがあり、そしてその時は今の姿ではなかった。
「……新良木賢造」
「伊織さん?」
「ほう」
一瞬、ぴたりと足を止めた男だったが、再び歩き出す。
新良木の名前に覚えはあっても何故それが今出てきたのか分からず、困惑した顔の清奈を余所に、男は興味深そうに尋ねてきた。
「なぜそう思った?」
「その、趣味の良くない笑顔」
「これは手厳しい」
「神奈と数珠丸が戦っているときに、同じような笑顔を浮かべたよね。ずっと見たことがあると思ってたんだけど、今の言葉で分かった」
「ほう、あの一瞬で見て取ったというわけか。成る程、油断ならぬな」
僕と新良木が言葉を交わす間に、清奈も理解が追いついたようで、それでも信じられない顔で僕に尋ねる。
「伊織さん、この人が……あの、新良木氏だというんですか!?」
「うん。どうやったのかは知らないけど、鬼人になったときに若返った、のかな?」
「ご名答」
何をどうやったらそうなるのか分からないが、僕が知らないだけで鬼人には老化を抑える力もあるのかも知れない。
考えてみれば、あまり歳経た鬼人というのは見た覚えが無い。
そもそも連華のことを考えれば、今の新良木の姿も有り得無いことではないと思えてくる。
やはり嘘ではないのだろう。
「でも、そこで分からないことがある。なぜ僕を狙うの?」
「男が女を狙う理由などひとつしかあるまい。欲しいからだ」
「あなたの世界観が狭いのは分かったけど、僕が聞いてるのはその欲しい理由だよ」
「それも決まっている。おまえが美しいからだ」
……会話が成り立たないんじゃないかという気がしてきたが、元々の新良木の印象は非常に老獪な遣り手といったものだ。
何かしら韜晦している可能性はある。
その間にも、新良木は歩みを止めずに人気の無い方へ進んでいく。
「僕より綺麗な女性なんてごまんと居るはずだよね。その人たちを差し置いて僕である理由は?」
「おまえより美しいとなるとそうそう居るとは思えぬが……ふむ、それ以外の理由か」
顎に手を当てて考え込む素振りを見せた新良木は、やがて納得行ったかのようにひとつうなずいた。
「我が恥を晒すことになるが、まあ、良かろう。おまえ達は私のモノになるのだしな」
「勝手に決めないで欲しいけど、とりあえず話してくれるかな」
清奈と二人して、内心で身震いしながら先を促す。
「やはり、おまえが平蔵の娘であるということが大きいかもしれぬ」
「お師さんの?」
薄々そうではないかと思っていたが、やはり何か因縁があるようだ。
「私は元、五剣の大典太だった。五剣に成ったのは私の方が早かったが、平蔵めは三日月に気に入られていたのだ。今のおまえのように、実に美しい女だったぞ、当時の三日月は」
お師さんが想いを寄せていたと思われる当時の三日月の話。
僕にとって興味深い話のはずだったが、それがこの男の口から語られることに不快感を感じていた。
「当時の男どもは皆が三日月を欲していた。私も含めてな。だが彼奴めは己より強い男でなければ興味が持てぬと言うてな。何度か挑んだが勝ち目は全く無かった」
五剣であるにも関わらず歯が立たなかったとは、当時の三日月はどれほどの腕だったと言うのだろう。
「平蔵めはそんな三日月に何度負けても挑んでおった。周りは余程三日月に惚れているのだろうと噂していたが、同じく挑んでいた男達には、あれがそんなものではないということは分かっておった。何故ならば三日月が欲しいという理由で、平蔵と同じだけ挑める男など居なかったからだ」
少しの自嘲と強い羨望を感じさせる口調が、男がどんな思いを抱いていたのかを物語る。
「三日月も平蔵めを気に入っていたようだったが、あれは剣術馬鹿同士が意気投合したようなものだ。そして、そうでなければあの三日月にはついて行けぬ。男女の何かがあるとすればその先であったろう。私とは出発地点からして異なったのだ」
お師さんは確かに剣術馬鹿で、三日月だった女性に想いこそ寄せていたものの、最初はそうではなかったことは想像に難くない。
僕にとって少し意外だったのが、この男がそんなお師さんを理解していたということだ。
「それと、僕に何の関係が?」
「急くでない。結局、三日月は命を落とした。だが刀は平蔵に遺された。鬼姫――あの見事な刀を、おまえなら見たことがあるであろう?」
無言でうなずいた僕に、新良木は口の端を歪めた。
「つまり、三日月を本当の意味で手に入れたのは平蔵なのだ。私は羨望と強い嫉妬を覚えた。さらにあやつはそのまま三日月まで襲銘した。それまで思い通りにならぬことなど、我が人生では存在しなかったにも関わらず、な」
この男が実力ある剣人であったことは、今現在の実力を見ても疑いない。
鬼人としての力ではなく、剣人としての、修練を重ねたものを感じさせるからだ。
ただ、お師さんの方が上だったというだけの話だ。
「つまり、これは仇討ちのようなものなのだ」
「仇……? お師さんはあなたに何もしてないよね」
「ような、と言ったであろう。私では得られなかったものを得た平蔵と言う男への嫉妬。私はその嫉妬する相手の愛娘たるおまえを蹂躙して溜飲を下げることで、快楽を得たいだけなのだからな。高邁な理由などどこにもありはせぬ」
「……年寄りの割に、趣味悪くない?」
「趣味が悪い笑顔だと言ったのはおまえだぞ」
くぱ、と三日月の形を模した裂け目のように開いたその口に、生理的な嫌悪感を覚える。
彼が見た目通りの若者ではない、ということを瞬時に理解させる表情だ。
「年寄りだからこそ趣味が悪いと言えよう。年々磨り減っていく感性に見合う強い刺激を求め続けてきたのだ。ありきたりなものでは、もはや足りぬ。若返りはしても、そこは変わらぬのだ」
「なんで若返ったの?」
「異な事を。不老長寿はいつの時代も一番の夢として在り続けている。私がそれを望むのは自然なことであろう?」
「そっか。あなたを醜く感じる理由が良く分かった」
それまでは何を言われても泰然としていた新良木の眉がきつく寄せられた。
この男は老齢になっても、お師さんと同様に稽古は欠かさなかったのだろう。
その蓄えた老練の技量に合わせて、今や若さによる瞬発力や力まで手に入れた。
強さだけで言えば、それはお師さんをも超えるかもしれない。
その努力に対しては尊敬をしてもいい。
「お師さんは不老長寿が目の前にあったとしても、あなたのようにそれに飛びついたりはしなかっただろう」
「そうであろうな。私には理解が出来ぬ話だが、奴はそういう欲を持たなかった。だから、武鬼なぞに不覚を取って死んだのだ」
「お師さんに欲が無いんじゃない。あなたが強欲なだけだ。不老長寿という、普通ならあり得ないものを欲することを、自然だなどと言ってしまうほどに」
お師さんは別に恬淡としていたわけじゃない。
自分の欲しいものを手に入れて、それ以上を欲することなく満足して逝ったのだ。
目の前の男のように、何を手に入れても満足することを知らず、どこまでも己の懐に入れようとするような奴とは違う。
「お師さんは、僕にすべてを伝えたと満足して逝ったんだ。あなたにその死を貶める権利なんか無い」
この男は例え僕を手に入れたとしても、満足することなどないと断言できる。
生きている限り何かを欲し、他人を羨み、嫉妬し、力尽くで己の欲望を満たすだろう。
こんな奴の一時の慰み者になるために、僕も清奈も、今まで生きてきたわけじゃない。
何より、僕がこの男の手に落ちてしまえば、それこそお師さんの死が無駄になってしまう。
そんなことは絶対に許せることではない。
「ふむ。だが強欲で何が悪い? 望まなければ手に入らぬ。望んだからこそ私は若さを手に入れた。それまで修練を怠らなかった報償として、全盛時以上の力を手に入れて、な」
性根は歪んでいても、その実力は本物だ。
老練の技と全盛時の力。
それを兼ね備えた新良木は、下手をすれば一刀さんすらも凌ぎ兼ねない。
現時点で僕が太刀打ちできる相手ではないことは明らかだ。
脳内でどのようにシミュレーションしてみても、勝ち筋がまったく浮かばない。
目的地が近いのか、新良木は道を逸れて草が膝丈まである広場へと踏み込んでいく。
「そして強欲であるからこそ、おまえたちのような若く美しい娘を楽しむこともできるのだ。醜かろうが、もはや生き方を変える気などはない」
「そこはしっかりと年寄りなんですね」
痛烈な清奈の一言に新良木は目を見開いて絶句し、僕は思わず笑い声を上げてしまった。
「さすが清奈。すっぱり行ったね」
「ええ。もはや遠慮はいらないようですし」
この勝ち目の見当たらない男に対し、どのように対抗するかだけを考えて、重苦しくなっていた気分が吹き飛ばされた気がした。
「小娘どもが、口の減らぬ」
「その小娘を欲しがって駄々を捏ねているご老人に言われたくはありません」
これはあれか。
いくつになっても女性に口では勝てないという奴だろうか。
思い切りしかめ面になった新良木は、もはや実力に訴えることにしたようだ。
「この辺で良かろう。もはやおまえたちの軽口に付き合うのにも飽きた」
「飽きたんじゃなくて、清奈に口で勝てなかったんだよね」
「黙れ」
強烈な怒気が発せられたが、それはもはやただのかんしゃくにしか感じられない。
気迫で呑まれつつあったのが、清奈のお陰で盛り返せた。
彼女に感謝しつつ、僕は抜刀する。
「清奈。サポートをお願い。決して前に出ないで」
「分かりました。気をつけてください、伊織さん」
「うん、もちろん」
リラックスはしたけれど、彼我の実力差が埋まったわけではない。
油断していい要素など一欠片足りともありはしない。
ここで負ければ僕だけでなく、清奈もこの男の毒牙に掛かってしまう。
勝てなかろうと、負けるわけには行かないのだ。
「一緒に戦うよ、清奈!」
「はい!」




