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剣人  作者: はむ星
青年篇
81/113

閑話『清奈のとある一日』

ちょっと長くなりました。

削ることもできましたがそのままにしてあります。

「茨木さん、好きだ! 俺と付き合……」

「ごめんなさい」


 言葉の途中ですが、頭を下げてお断りした私に、男子生徒は凍り付いたように固まりました。

 好意を寄せてくれるのは私だって悪い気はしないですし、それを断るのは心苦しいのですが、こういうことははっきりさせておいた方が良いと思うのです。


「り、理由は……」

「好きな人がいるからです」


 これ以上ない断り文句に、男子生徒はうなだれながら立ち去っていきました。

 多少の罪悪感を感じつつも、これで何回目かと考えるとうんざりしたため息も出ます。

 中学の頃からだんだんとこういうことが増えてきたのですが、高校に入学してからは極端に増えたのです。

 そもそも高校入学からまだ三ヶ月ほどしか経たないというのに、良く知りもしない相手に告白するという行為が分かりません。

 私にとって恋愛感情とは、相手を良く知らなければ芽生えないものですし。


(羨ましい、と言っては怒られるのでしょうけれど)


 私の幼馴染みである伊織さんに惚れ込んだ砂城先輩は、彼女に近づこうとする男子たちを片っ端から追い払っているようです。

 それでこういうことに煩わされずに済んでいるのですが、彼女はそれを自分がモテないからだと勘違いしている節があります。

 気立ても良い美人がモテないはずががないのですが、伊織さんは自分自身を美人だなどと思っていない言動が多々見受けられるのです。

 私ですら、ある程度は自分の容姿が整っていると思われていることくらい知っているのですが。

 伊織さんはあまり人懐こくはありませんが怒らせない限り誰にでも愛想は良いですし、幼い頃から男所帯で育っているせいか男子との距離感も近く、砂城先輩さえいなければ、と嘆いている男子の姿を何度か見かけたことがあります。

 もっとも本性を知っているとまた別の感想が出るというものですが、それを知っているはずの砂城先輩があの有様なので、実はあまり変わらないのかも知れません。


「お帰り、清奈」


 私を待っていてくれたのか、放課後で人気ひとけの無い教室にひとりでいた伊織さんが、手を振って出迎えてくれました。

 すらりと伸びた手足、ほどよく膨らんだ胸元、手入れを欠かしていないのか毛先まで艶のある、ポニーテールに纏められた黒髪。

 外見だけでも羨ましいくらいにハイスペックなのですが、学校の成績も優秀な上に料理を含む家事全般も達人クラス。

 しかもそれらは全部おまけで、彼女が最も注力しているのは剣術だということを考えると、天は一体何物を彼女に与えたというのでしょうか。


「伊織さん。先に稽古に行っていて良かったんですよ」

「清奈を信用してないわけじゃないけど、何かあったら僕が嫌だし」


 要するに私を心配して残っていたようです。

 彼女の気配察知の力は飛び抜けていて、どうやら校舎内くらいであれば離れていても動きが分かるようですが、いくら何でも稽古に行ってしまえばそちら気を取られてしまいます。

 だから残っていた、という彼女に私は胸が暖かくなるのを感じました。

 私は最初、伊織さんを敵視していたのに、彼女は最初から今まで、ずっと私を気遣ってくれているのです。


「それに、今日は実家に行くんでしょ?」

「ええ……」


 実家が神奈を切り捨てることを決断したと知った私は、両親と大喧嘩して今は家出同然となっています。

 平日は寮で過ごし、土日は鴻野家にお邪魔しているのです。

 ですが、家に置いてある神奈の写真などが処分されないか心配になってきたため、一度取りに帰ることにしたのです。


「清奈が怒るのも分かるし、僕も怒ってるんだけど、でも親だって間違うことはあると思うよ」

「……そうですね」


 子供にとって親は絶対ですから間違わないと思いがちですし、私も無意識にそう思っていたようです。

 けれど、伊織さんの言う通り間違わない人間なんているはずもありません。

 親の間違いを正すのも、子の役割なのかもしれない、とそんなことを思いました。


「今日は金曜だし、間違って寮に帰ったりしないようにね」


 伊織さんの言葉に、私は笑ってうなずきました。


*   *   *


「あなたに、勝負を申し込みます!」


 彼女との関わりはそれが最初でした。

 真也さんが大好きだった(今ではもっと好きになっていますが)私は、伊織さんに彼を取られたと思い込んだのです。

 今思えば幼稚で顔が赤くなるのを止められないほどですが、当時の私は真剣でした。

 結果は私の完敗で、泣き出しそうな私を見て伊織さんが困った顔をしていました。

 そのとき春樹叔父様に言われた「自分より優れている人は、好きになれないとしても尊敬しなさい」という言葉は、今でも私の指針のひとつになっています。

 それからずっと伊織さんを尊敬し、彼女に肩を並べられるよう、対等であれるように努力を続けてきました。


「伊織さんは、何故強くなろうとするんですか?」


 彼女と出会って少ししての稽古のときに、ふと浮かんだ疑問を口にしたことがありました。

 そのときの伊織さんの返答が少し不思議なものだったことを覚えています。


「いつか助けなくちゃならない人を助けることができるように」


 漠然としている答えですが、伊織さんの稽古に取り組む姿勢からは明確な目標があるように感じられました。

 叔父様がいつも言っていることですが、同じ目標に向かって進むのであっても、明確なイメージがある者とそうでない者の間には、大きな差が出来るものです。

 伊織さんの成長は地に足が着いていながらも目覚ましく、私も真也さんも常に後を追いかけるような状態でした。

 三人とも「強くなりたい」という目標は同じでしたが、真也さんは伊織さんを超えたい、私は真也さんの隣でありたい、というある種漠然としたものに対し、伊織さんは明確なビジョンを持っていたのだと思います。


「清奈」

「お母様」


 実家に戻れば、当然ながらお母様と鉢合わせすることとなります。

 それなりに裕福である我が家はそれなりに広いとはいえ、お手伝いさんがいるような豪邸というわけでもありません。


「神奈を諦める気になったのですか?」

「いいえ。今日は必要なものを取りに来ただけです」

「なぜ分かってくれないのですか、清奈。もはやあの娘は穢らわしい鬼人。我が子であった神奈はもういないのです。うちの子はもう貴女だけなのですよ。もう役に立たない者に構いつけるのはおよしなさい」

「……分からないのはお母様の方です」


 分かってはいても、そういう言葉がお母様の口から出てくるのはとてもつらいことでした。

 実の娘であるはずの神奈を、鬼人となってもその優しい心根は変わらない私の妹を、なぜいないだの役に立たないなどとと言うのでしょうか。


「神奈は鬼人になっても神奈のままです。私の妹なのです。お母様がどれだけ否定しようと、私のこの想いは変わりません」

「清奈!」


 怒声と同時に平手打ちが飛んできました。

 叔父様ほどではないにせよ、それなりに高名な剣人であるお母様のそれは、以前はまったく見えもしなかったものなのですが、今の私にははっきりと見えています。

 避けようと思えばそれも簡単でしたが、敢えてそれはせずに打たれます。

 弾けるような痛みと音が頬を叩きました。


「貴女は茨木家の長女なのです。その自覚を持って貰わねば困ります」


 私はこの人に強くあれ、と育てられてきました。

 それに不満は全く無かったし、感謝もしています。

 剣人の名門、茨木家の長女という立場は言われるまでもなく常に自覚していたことですし、私の誇りでもありました。

 私にとって、それは妹よりも重いものではあり得なかっただけ。

 茨木家のために敢えて非人道的な選択をしたお母様たちですが、私はそんな茨木家であるのならば惜しくはないのです。


「聞いているのですか、清奈」


 きっと伊織さんなら、親が間違っていると感じればまっすぐにそう言うでしょう。

 それが例え聞き入れられないのだとしても最後まで足掻き、すれ違ってしまった親も妹も、家族というくくりに収まることができるよう奮闘するのでしょう。

 そしてそれが叶わなかったとしても、大事なものだけは必ず守り通すのだと思います。

 そう考えると、私の中でひとつの覚悟が決まっていくのを感じました。

 もし彼女がここにいれば、無条件で私の味方をしてくれるはずです。


「言われるまでもありません、お母様」

「では、もう神奈とは会わないと約束なさい」

「茨木家の長女としての自覚があるからこそ、それは受け容れられません、お母様」

「清奈!」


 また飛んできた平手打ちを、今度は私は左手で止めました。

 驚いているのが見切られたのことによるものなのか、逆らわれたことによるものなのか、それとも両方なのかは分かりません。

 どちらでも構わないことです。

 もう、私は決めたのですから。


「お母様、私は大変に失望しています。神奈を簡単に切り捨てた茨木家に」

「何を言うのです!?」


 逆らう、と決めた以上は下手な遠慮は逆効果です。

 傷を与えなければならないのであれば、鮮やかに斬らねば傷跡が残るのですから。

 私の思うところすべてを聞いて頂き、その上でお母様がどう思うのか、それを知らなければなりません。


「聞いてください、お母様。神奈は確かに鬼人になりました。ですが、それは神奈の責任ではありません」

「……では、誰の責任だと言うのです?」

「もちろん、保護者の責任です」


 子供を保護するのは親の役割です。

 そして、妹は姉が保護しなければなりません。

 本当に当たり前のことなのですが、お母様は目を剥いて絶句しました。


「神奈自身に責任がまったく無いのか、と言われればそれはあるに決まっています。ですが、あの娘は年相応の行動をしたに過ぎません」


 自分の在り方に思い悩み、恋という感情に振り回され、そうしてそれを利用されて鬼人となった。

 運が悪かったとは言えるかもしれませんが、それをすべて神奈の責任だなどと言うのであれば、その人は無謬である必要があるでしょう。

 そして生まれてからずっと無謬の人などどこにもいませんし、子供は判断を間違えて当たり前であることは言うまでもありません。

 それを止めるために保護者がいるのであり、止められなかったのは親の、そして姉の責任なのです。


「あの娘が完全に鬼人として行動するようになったのであれば、その時は私も姉として責任を取るつもりです。ですが」


 ここから先の私の言葉は、お母様にはショックなことかもしれません。

 ですが、大事に思う親だからこそ、私の思いを聞いて欲しいのです。


「お母様たちはその親としての責任すら放棄して、神奈を茨木家から切り離して良しとしました。私がこれに失望したとして、誰が責められるのですか?」


 お母様を攻撃したいわけではありませんので、口調からは棘を抜くことに腐心しながら、それでも言うべきことは言いました。

 無言で視線を落とすお母様に、私の気持ちは伝わったでしょうか。


「私には姉として神奈の行く末を見守る責務があり、権利があります。お母様であれ、これを取り上げることなどできません」

「……貴女は茨木家を捨てるつもりなのですか」


 想いが余りにも伝わっていないことにため息をつきたくなりましたが、私の説明が足りないのだと思い返して口を開きました。


「茨木家の長女としての責務だと言いました、お母様。お母様たちは神奈を茨木家から切り捨てましたが、私にとっては大事な茨木家の一員なのです」


 これだけでは分かって貰えないかもしれないと思い、私はさらに言葉を重ねます。


「私にとって、お父様もお母様も大事ですが、それと同じくらい神奈のことも大事なのです。同じ、茨木家の一員なのですから」

「……」

「分かって頂きたく存じます。……私を茨木家の者だと思って下さるのであれば」


 私にとって厳しくも尊敬できる母だったお母様。

 過去形で語らねばならないのが何よりも悲しく思いますが、親子としての絆はまだ残っています。

 伊織さんの言う通り、親だって間違うことはあるのです。

 この残った絆を断ち切るような選択をお母様が選ばないことを念じつつ、私は実家を辞しました。


*   *   *


「清奈」


 さすがに明るい気持ちにはなれずに夜道を歩いていると、聞き慣れた声が私を呼び止めました。


「伊織さん」


 いつもの桜色の道衣を着ているところを見ると、稽古の途中で抜けてきたのでしょうか。

 顔が少し上気しているので、ここまで走ってきたようです。


「どうしたんですか。稽古を抜け出すなんて伊織さんらしくないですけれど」

「たまには僕だってサボりくらいはするよ」


 いまだかつて授業だろうが稽古だろうが、サボったことなんて一度しか見たことないのですが。

 その一度は、彼女にとってまだ痛みを伴うものでしょうから、私から言うことはありませんが。

 おかしな言い訳までして、わざわざ出迎えに来てくれたようです。


「清奈はとても頑張ってる」


 いきなり伊織さんはそんなことを言いました。

 急に何を言い出すのかと顔を見ると、彼女は真面目な顔をしていました。


「だから、もし何もかもぶちまけたくなることがあったら、そうする前に僕に言って」

「伊織さん……」

「それくらいしかしてあげられないけど、清奈にはそれくらいはしてあげたいんだ」


 伊織さんらしい言い方に、澱んでいた気持ちが晴れていくような気がしました。

 本当に不思議な人です。

 同い年のはずなのにまるで年上のような包容力があって、それでいて気持ちの表現が不器用でどこか放っておけないアンバランスな幼馴染み。


「まあ、清奈は僕よりも真也にそうして欲しいんだと思うけど」

「伊織さん……」

「あれ」


 ジト目で睨む私に、何か間違ったかな、とつぶやく伊織さん。

 私が真也さんを好きなことは、伊織さんは大分前から気付いていたようです。

 そしてそれを応援してくれるのは有り難いのですが、この人は肝心なことを理解していません。

 もし私の恋路を邪魔する人がいるとするのなら、他ならぬ彼女自身であることを。


「まあ、いいです」


 そうであっても、私は負けるつもりはありません。

 彼女のことは大好きですが、それとこれとは話が別。

 そのためには、伊織さんに剣術でも置いて行かれるわけには行かないのです。

 真也さんの好みは、自分の剣についてこられる女なのですから。


 まだ、伊織さんには色々な意味で勝てていません。

 ですが、必ず追いつき、追い越して見せます。

 それが私を助け、応援してくれる彼女に酬いることにもなると思いますから。

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