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剣人  作者: はむ星
【幼年篇】
8/113

7

時間を頂くと言ったな。あれは嘘だ。

「あなたに、勝負を申し込みます!」


 白い胴衣に青袴も凜々しい美少女が、声も高らかに宣戦布告する。

 彼女の突きつけた木刀の先には僕がいた。


 なんでこうなったんだっけ……。


 遠い目をする僕に応えてくれる人はなかった。


*   *   *


 残暑もようやく緩み始めて、山の緑がだんだんと黄色みを帯び始めた頃。

 僕はようやく健康体に戻っていた。

 熊との死闘を生き延びた代償として、左腕には大きな痣と歯形の痕、左足にもうっすらと爪の傷跡が残った。


 女の子の肌に傷が残るなんて、と光恵さんは嘆いたけれど、僕としては生き残っただけで御の字なので文句は特にない。

 光恵さんがいろいろ押しつけてくるスキンケア用品は心配の現れでもあるから、言われるがままに使っている。

 最近は髪のお手入れだの、ちょっと女の子っぽいことも光恵さんに教わっていたりするのだ。


 なお、左腕にはちょっとした後遺症が残った。

 雨が降ると痛むようになったのだ。

 剣が握れないほど痛いわけではないけれど、集中が必要なときにちょっと困るかもしれない。


「イオリ、次どうすんだ?」


 どういう風の吹き回しか、サトシが週に二回ほど道場に顔を出すようになっていた。

 教えるのはなぜか僕の役目になっていた。

 さぞかしサトシが嫌がるだろうと思っていたが、なぜか文句ひとつなく教わっているので僕としては拍子抜けだった。


「うん、それじゃ氷鏡返しひかがみがえし


 氷鏡返しはやはり大毅流の基本の技のひとつ。

 下段の構えから相手の刺突系の攻撃に対し、刀を跳ね上げると同時に右に体を捌いて攻撃をいなし、そのまま袈裟斬りに相手を仕留めるという型だ。

 このとき刃を上に向けた状態で跳ね上げるのが特徴で、僕はこの型は本来は蹴りに対応するための技なんじゃないかと考えている。


「えーっと……こうか?」


 僕がやってみせた型をぎこちなく真似するサトシ。


「ちょっと違うかな」


 腕の上げ方、剣尖の向きなどポイントはいくつもあるけれど、慣れていない人にとって一番難しいのは、やっぱり重心の置き方のようだ。


「腕の向きはこう。刃を上にして跳ね上げるってことは相手の腕を狙って斬ってるってことだから、剣尖は相手の方を向いてる」


 技の理合を理解して練習するのと、理解せずに練習するのでは雲泥の差がある。

 お師さんはそこのところがとてもとても厳しい。

 理合は教わる物ではなく、自分で見つけるものだと常々口にしている。

 それは正しいと僕は思っているが、週に二回しか来ないサトシにそれを求めるのは酷というものだ。

 お師さんもそれは考えたらしく、その結果が僕が教えるという結論だったらしい。

 教え方は僕に任せるということで、自分が理解した理合であれば教えてもいいという許可を貰ったのだ。


 お師さん曰く「教えるのもまた勉強」とのこと。


「で、刀を跳ね上げるからって伸び上がらなくていいから。重心が上に行っちゃってバランス崩すよ」


 手を添えてサトシの型を矯正していく。

 ややあって、とりあえず形にはなったようだった。


「うん、そんな感じ」

「お、おう」


 少しサトシの顔が赤い。

 残暑が緩んできたからと言ってもまだ暑いし、熱中症には気をつけた方がいいかもしれない。

 後でスポーツドリンクを持ってこよう。


 お師さんの言った通り、サトシに剣を教えるのは僕にとってとても勉強になることだった。

 人に教えるために、感覚的に理解していたことを噛み砕いて人に説明できるようにする。

 そうすることで、その技の細部にまで理解が及ぶのだということを僕は知った。

 普段何気なく教わっている技を、お師さんがどこまで理解しているのかを考えると、その深淵に体に震えが来るような気がした。


 そんなことを考えていると、そのお師さんが僕を呼んだ。


「伊織、そろそろあいつらが来るぞ」

「あ、はい。お師さん」


 今日は真也たちが出稽古に来る日だった。


「なあ、あいつらって?」


 今のところ、真也たちとまともに話したことのないサトシが首を傾げる。


「町の道場の人。たまに来てるよ」

「ああ、あいつらか」


 なにせ村は狭いので、見知らぬ人が来ればすぐさま皆の知るところとなる。

 ちょくちょく来ている真也たちは、割と有名人な方だろう。


「どういう稽古してるんだ?」

「えっと、最近はまず裏山一時間くらい走り込んで、次に組太刀して打ち込み稽古やって、終わったら反省会して終わり」

「よし、オレ帰る」

「うん、お疲れさま」

「少しは引きとめろよ!」

「え? 一緒に稽古するなら構わないけど」

「やっぱいい……」


 うーん、これがフクザツなおトシゴロという奴だろうか。

 外見は少女でも純真な幼心を失っている僕にはムズカシイ……。


*   *   *


「こんにちは、伊織ちゃん。大変だったね」


 いつものように穏やかな顔で気遣ってくれる春樹さん。

 その春樹さんの後ろにはいつものように真也と、そして初めて見る女の子が立っていた。

 年の頃は僕と同じ五つか六つくらいだろうか。


「ありがとうございます。そっちの人は……?」


 僕の疑問に答えるように、春樹さんは女の子を手招きした。


「こっちは茨木いばらき清奈せいな。うちの道場に通ってる子だよ。清奈、こっちは黒峰伊織ちゃん」

「よろしくね」


 差し出した手を完全にスルーして、清奈という女の子は僕の方を突き刺すような目で睨んでいた。

 彼女は少し茶色掛かった髪を両サイドにお団子にしてまとめていた。

 将来凄い美人になるだろうなと思わせる可愛さなんだけど、眼光が鋭すぎる。

 僕、何かしたっけ……。


「伊織、おまえ本当に大丈夫なのか?」


 決まり悪く手を引っ込めた僕に、真也がぶっきらぼうに聞いてきた。

 態度はこんなだけれど、どうでもいいと思っていたら真也はそもそも話しかけてこない。


「うん。痕は残ったけど、大丈夫だよ」

「そうか……」


 ほっとしたようにわずかに息を吐く真也。

 その後ろで、清奈の眉がキリキリと吊り上がっているように見えるのは気のせいか。


「それにしても熊に勝つなんてスゲーな」

「勝ったわけじゃないけど?」


 別に謙遜でも何でもなく、僕はただ生き延びただけだ。


「それでもスゲエよ。俺じゃまだ無理だろうな……」

「いやそんな目に遭わない方がいいから。っていうかそのうちできるようになるつもり!?」


 やたらと感心している真也にツッコミを入れる。


「当たり前だろ? おまえにできることは俺だってできる」

「いやそういう問題じゃない気がするんだけど……」


 マジメくさって言う真也は大人物なのか天然ボケなのか……。


*   *   *


 裏山を走り終わった僕たちは、組太刀の稽古を始めていた。

 いつもは真也が相手なのだが、今日は清奈が相手だ。

 真也とは呼吸が異なるので、僕は新鮮な気分で相対する。

 しかし目の前の清奈は相変わらず僕を睨みつけていたし、手持ち無沙汰となった真也は実に不満そうだった。

 なんか誰も幸せになってなくないだろうか、これ。


「真也、そんなに伊織ちゃんを清奈に取られたのが不満かい?」


 からかうような春樹さんに、真也はぶすっとしたまま頷いた。


「だって俺、あいつに勝ちたいんです、父上。だから一回でも多く手合わせしたいのに」

「ははは、それは悪いことじゃないけどね」


 穏やかに笑う春樹さん。

 しかしこれがなかなか策士なのだ。


「でも清奈がこれで強くなってくれれば、道場でも良い稽古ができるようになるんだよ?」

「おじさま、それって真也さんよりこの人の方が強いってことなんですか?」


 僕との組太刀を中断して、清奈はこの道場に来て初めて口を開いた。


「うん、だって真也は伊織ちゃんに一度も勝ったことないからねえ」


 事実だけど僕にしたって楽勝だなんて思ったことは一度もない。

 っていうかおじさまって一体。


「あ、清奈は真也のいとこなんだ。僕の姉の娘でね」


 僕の顔に浮かんだ疑問を読み取ったのか、すばやく説明を入れる春樹さん。

 彼女みたいな美少女におじさまと呼ばれると、お城にお姫様を盗みに入った某怪盗のような気持ちになってしまいそうだが、春樹さんは平気なようだ。


「……信じられない」


 うつむき加減にぼそっとつぶやいた清奈は、目を上げると僕をきつく睨みつけた。

 やおら彼女の木刀のきっさきがビシッと僕に向けられた。


「黒峰伊織。あなたに、勝負を申し込みます!」


 うん、本当になんでこうなったし。


*   *   *


 勝負は僕の二本先取であっさり終わった。

 どうやら清奈は大毅流ではない流派を主に修めているようで、僕の知らない動きを見せた。

 が、真也よりも動きが素直だし、踏み込みも遅いので呼吸が読みやすかった。

 呼吸さえ読めれば、知らない動きであってもよほどでなければ対処ができる。


「うううう……」


 あっさり負けた清奈は涙目で僕を睨んでいた。

 手加減する余裕はあったので、痛くはなかったと思うけど。

 横で勝負を見ていた真也が唸った。


「……伊織、おまえまた強くなってないか? 清奈相手だと、俺でも三本に一本は取られるのに」

「本当だねえ。呼吸の読み方が以前より早く、的確になっている。君の歳でなかなかできることじゃないけれど、大したものだ」

「まだまだじゃ」


 お師さんが苦虫を噛み潰したような顔で、真也と春樹さんの言葉に首を横に振る。

 僕が褒められると、お師さんはこうやって慢心しないよう気を配ってくれる。

 嬉しいのは、お師さん自身も上達を認めていてくれた場合には、その褒め言葉を否定することはしないのだ。


「何よそいつばっかり!!」


 急に清奈がかんしゃくを起こしたように叫んだ。


「私だって、真也さんと一緒に強くなってきたんですから……!」

「清奈」


 春樹さんの呼びかけに、清奈はびくっとなって動きを止める。


「君は強くなりたいと言ったから、ここに連れてきた」

「……はい」


 いつもの穏やかな調子だけれど、その声には厳しさを感じさせるものが含まれていて、口を差し挟める雰囲気ではなかった。


「それは嘘かい?」


 しゃがみ込んで清奈と目を合わせる春樹さん。


「いえ、ほんと、本当です! それだけは、本当に……」

「そう。じゃあ、伊織ちゃんに当たっちゃ駄目だ」


 答えを聞いた春樹さんは、微笑んで清奈の肩に手を置いた。


「そんなことをしていても強くはなれない。むしろ、弱くなってしまう」

「……伊織、さんと仲良くしろってことですか……?」


 ぐすぐす鼻を鳴らしながら、清奈は問い返す。


「そうできれば一番だけど、それはできなくても構わない」

「……?」


 今ひとつ理解できなかったのか、清奈は春樹さんを見上げて首を傾げた。


「尊敬するんだ」

「尊敬……? でも、それって仲良くするのと何が違うんです?」

「仲良くするのに尊敬する必要はない。同じように、尊敬するのに仲良くする必要もないんだ」


 春樹さんの言っていることは僕にも少々難しかった。


「極端な話、相手を嫌っていても尊敬することはできる。例えば、そうだな」


 春樹さんは少し考えてから、何かを思いついたように人差し指を上げた。


「とても口うるさい先生がいたとしよう。でもその先生は君たちのことを誰よりも考えていることを君たちも知っているとする。

 口うるさい相手だから好きにはなれないかもしれない。でも、尊敬することはできそうだと思わないかい?」


 なるほど、と思った。

 それは清奈も同様だったようで、思わず頷いたようだった。


「伊織ちゃんは君よりもずいぶんと先を行ってる。でも、君が追いつけないほど先じゃない」


 その言葉に真也が大きく頷くのが見えた。

 確かに真也相手に三本に一本取れるのなら、僕が増長してサボったりでもしたが最後、真也同様、僕をあっさりと抜いていくだろう。

 ……どうしてこう、僕のまわりには剣才持ちが多いのか。

 本当にうかうかしていられない。


「先を行っている人には相応の敬意を払うべきだ。そうすることで、その人の技や言葉が、自分の中にすとんと落ちるようになる」


 敬意を払っていない相手に何を言われても、何を見せられても身にはならないということだろう。

 それは理解できることだった。


「要するに尊敬するだけで、相手の力が自分のものになるんだ。安いもんだろ?」


 あまりに軽く言い放たれたので思わず僕はコケるところだった。

 せっかくいいこと言ってたのに、春樹さん……。

 しかしその軽い調子は、清奈には良い影響を与えたようだった。

 涙を浮かべたままではあったが、笑顔で頷く清奈。

 そしてやおら決意を浮かべた顔で僕の方へとやってきた。


「ごめんなさい。それと、よろしくお願いします、伊織さん」

「うん、よろしくね、清奈ちゃん。あと、伊織でいいよ」

「……では、伊織と。私も、清奈で結構です」


 それにしても、ずいぶんと大人びた口調で話す娘だと思う。

 真也のいとこという話だけど、良いとこの娘さんなんだろうか。

 なぜか凄く敵視されていたけれど、割とすぐこの娘とは仲良くなれるんじゃないかな、と僕は根拠もなくそう思い、手を差し出した。


「じゃあ、あらためてよろしく、清奈」

今度こそお時間頂きます。たぶん。

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