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その瞬間を狙ってきた数珠丸の居合斬りを僕はかろうじて躱す。
「ち……っ!」
舌打ちする数珠丸。
僕をこいつらに嬲らせるのが眼目なのだろう、狙ってきたのは足首だった。
十分用心していたから躱せたが、やはりこの刃風の鋭さは気を抜いたら命取りだ。
「数珠丸ゥ、俺に任せろお!」
全身を剛毛で覆った鬼人が、欲望を隠しもしない下卑た笑みを浮かべたまま僕へと突進してくる。
その動きは僕から見れば緩慢で、今まで戦ってきたどの鬼人の足元にも及ばない。
そうは言っても鬼人であるからには、その膂力は僕たちとは比べものにならない強さであり、数が揃えば不覚を取ることもあるだろう。
ならば数を減らすしかなく、鬼人を無力化するのであれば。
「あ?」
命を断ち切るしかない。
すれ違いざま、桜花に喉笛を掻き切られた鬼人はそのままゆっくりと二、三歩進んだ後に倒れ込み、鬼人のまま死んだ者の常としてさらさらと崩れ落ちていく。
「ったく、使えない奴だな。これだから鬼人は」
それを見た数珠丸はそう吐き捨てると、残った鬼人たちの方を不機嫌そうに見やった。
「おい、こうなりたくなかったらこっちに手を出すなよ。そっちの男どもの相手でもしてろ。こいつは俺には及ばないとは言っても、見た通りおまえたちよりは強いんだ。心配しなくてもお楽しみは残しておいてやる」
「わ、分かった」
身体を青黒く変じさせた鬼人が、数珠丸の機嫌をこれ以上損ねないようにと慌てて他の鬼人をまとめて、砂城と田村先輩を囲むように展開する。
田村先輩は自分では数珠丸や都賀相手では足手纏いになると分かっているようで、最初から砂城の援護に回ることに決めていたようだ。
ここで数珠丸と僕、都賀と清奈と真也、鬼人たちと砂城と田村先輩の組み合わせとなった。
それぞれの相手は僕は格上、清奈と真也は未知数、砂城たちは人数が倍とネガティブ要素しかないが、このくらいの展開は予想の内だ。
「清奈、真也、それに砂城先輩、打合せ通りに!」
「はい!」
「分かってる!」
「応、武運を!」
この組み合わせならば、数が多かろうと砂城があの程度の鬼人たちに負けるはずがない。
彼らが鬼人たちを倒し切るまで僕たちが倒れなければ、確実に有利になる。
都賀の実力が未知数だが、数珠丸と同等とでも言わない限りは清奈と真也は戦えるはずだ。
ただし、それは全員が他を気にせずに目の前の敵に全力を注がなければ成し遂げることが出来ない。
目の前の敵を倒すまで他は見ない。
それが僕たちが戦うにあたって定めた鉄則だ。
「面倒だからさぁ、さっさとやられろよ!」
斬り掛かってくる数珠丸。
技の鋭さは脅威だが、その攻めは自らの長所を殺している。
だが迂闊に反撃をしては相手の思うつぼ、僕は回避に専念する。
「ほらほらぁ、どうした、避けてばっかりじゃ後がないよ。啖呵を切ったときの勢いはどうしたんだ!?」
「なら、また鼻でも狙ってあげようか?」
「っ、おまえっ!」
あっさりと挑発に乗る数珠丸。
攻撃の圧力が増すが、冷静に来られるより余程マシだ。
とはいえ、いつまでも避けてばかりでは数珠丸が冷静になってしまう可能性がある。
どこかで仕掛ける隙を見つけなければ。
* * *
都賀と戦うことになった清奈と真也は、困惑を隠せないでいた。
ただならぬ気配を纏っている割に、隙だらけなのだ。
普通に考えれば、罠でしかない。
「どうした、来ないのか?」
挑発するように手招きする都賀。
真也が清奈にささやきかける。
(俺が行く。清奈は様子を見てフォローしてくれ)
(分かりました)
その様子を見た都賀がぬたりと笑う。
「くく、その男は貴様の想い人か? ならばそやつの目の前で嬲るのも一興」
「くだらないな、おまえ」
顔を赤くして口を開こうとした清奈を抑えて、真也が一歩前に出る。
「くだらなくはないとも。人の欲求は本能に根差している。それを満たすという行為のためにこそ、人は生きているのだからな」
「おまえの人生観なんかに興味はない。俺が言いたいのは」
す、と構えを取る真也に何かを感じ取ったのか、都賀の表情がわずかに曇る。
「この戦いの場では、そんな余計なことを考えている奴から死んでいくってことだ」
「ほう……言うではないか」
ぬたりと笑い、それでも都賀は言い放つ。
「なおのこと、貴様の前でその娘を嬲りたくなってきたわ。教えてやろう。欲望こそが最も強い力なのだと」
「なら、俺も教えてやるよ」
明らかに罠であろうその隙へと、真也は迷い無く踏み込んだ。
行くと決めたのなら迷いなど無用。
一期一振たる春樹の教えこそ、真也にとっての金科玉条。
相手が格上であるのならばなおさら、迷いのある甘い技など通用するはずもない。
「ほう、悪くない動きだ」
眉を上げて真也の動きをそう論評した都賀は、踏み込んできた真也の刃を躱さず、それどころかそれに対して踏み込んできた。
相討ちを前提としたその想定外の動きに、だが真也は揺るがない。
硬質な音が響いて、両者が肩口へと斬り下ろした刃はお互いを傷つけることなく止まっていた。
「互いへの信頼というやつか。美しいな」
真也へと振り下ろされた刃は、清奈が横合いから差し込んだ刀によって止められていた。
想定外だったはずの己の動きに真也が動揺すらしなかったのは、清奈を信頼していたからだと都賀は見切る。
「帷子、か」
そして真也が振り下ろした刃は、都賀が服の下に着込んでいたものによって阻まれていた。
切り裂かれた服の下からは、鈍色の光沢が覗いていた。
「如何にも」
鎖帷子を着込んだ都賀は、さらに要所を鋼の板で補強しているようだった。
先ほど見せていた隙は、その補強されている部分だろう。
「卑怯かな?」
「いや。こっちも二人だしな」
防具も武具のひとつ。
使いこなすには正しい知識と鍛錬が必要であり、防具にただ着られているだけの者など物の数ではない。
目の前の男は人格はともかく、帷子を使いこなす鍛錬を積んできたことは明らかだ。
それに、武とは綺麗事ばかりではない。
己が防具を使えるなどと事前に明かす必要などどこにも無いし、一対一にこだわるのは時と場合によりけりだ。
「それに、それごと叩き斬れば済む話だ」
「ほざいたな。やって見せろ」
間合いを取った都賀が今度は低く構えを取る。
脇構えと呼ばれるそれは、刀身の長さを相手に見せず、さらに急所を晒すことで相手の攻撃を誘う意味を持つ。
都賀とは基本的に相手の攻撃を誘い、それに対応して動く剣士であるようだ。
それは数珠丸と似ている戦い方であり、対数珠丸を想定して訓練を積んできた二人にとっては好都合なことだった。
相手の手の内が分かった以上、様子見はここまで。
清奈は円を描き、都賀を真也と挟み込むように動く。
「ちいっ!」
いかに待ちのタイプとは言え、完全に挟み込まれるのはさすがに厳しいのだろう。
清奈の動きに合わせてじりじりと向きを変えていた都賀が、彼を起点とした清奈と真也の位置が扇状になったときに清奈へと突進を掛けた。
これあるを予見していた清奈に狼狽は無い。
すくい上げるように斬り上げてきた都賀の刀に、己の刀を叩きつけるように振り下ろす。
「ぬうっ!?」
刀の傷みを度外視した攻撃に逆に意表を突かれたのか、都賀は慌てて刀を引いて下がる。
そこに後ろから迫った真也が胴へと放った一撃は、左腕に付けていたらしい籠手で逸らす。
そのまま連続して振り下ろされた清奈の斬り下ろしを肩口の装甲で受けた都賀は、刀を大きく振って二人と間合いを一端離す。
「成る程……なかなかの連携だ。正直、ここまでとは思っていなかった」
「降伏するなら、命までは取りません」
清奈の勧告に、都賀は薄く笑う。
「なぜ降伏などせねばならん。それでは貴様が手に入らぬではないか」
「……死にますよ」
「それは甘く見られたものだ……!」
叫んだ都賀の左手に、脇差が握られる。
「二刀!?」
「本気のときしかこいつは出さん。我が双極流、よく目に焼き付けていくがいい!」
* * *
「ふむ、雑魚ばかりだな。群れなのが多少面倒か」
砂城のその傲慢な物言いに、当然ながら相対する鬼人たちは激昂する。
「殺す! たかだか剣人がこれだけの数の鬼人に勝てると思うなよ!」
「男なんざ甚振っても詰まらねえからな、さっさと済ませて女の方に向かわせてもらうぜ」
いきり立つ鬼人たちに、さほど実戦経験がない田村は顔色を青くして砂城を見る。
「お、おい砂城」
「何をビクつくことがある。よく見ろ。奴らは素人同然だぞ」
三年間同じ場所で稽古をしてきたため、砂城は田村の実力をほぼ把握している。
その実力からすれば、一対一であれば確実に勝てる程度の相手である。
相手が複数であること、戦い慣れしていないことが相手の実像を大きく映しているに過ぎない。
この戦いは短い時間で倒し切ることができるかが肝要であることを、砂城は理解している。
格下相手はこの場だけであり、伊織と清奈と真也の三人はそれぞれ格上相手の戦いとなっているからだ。
ここが長引けば長引くだけ、彼らの敗北する確率が高まっていく。
「田村。おまえは覚悟を決めたのだろう。こんな相手に臆するな」
「……そう、だったな」
顔色は青いままながら、田村はうなずいて決然と前を見る。
「数珠丸の奴を殺す。そのために、俺は戦う」」
「そうだ。それでいい」
抜刀した砂城は、鬼人たちへとその鋒を突きつけた。
「おまえたちに恨みがある。よって成敗する。分かったな」
「ハァ? たった今、顔を合わせたのになんの恨みだよ、馬鹿が」
「今、俺を馬鹿呼ばわりしたこと、その醜い顔を数を揃えて人の前に晒したこと、それになにより」
視線が殺気を伴った冷たいものへと変わっていく。
「あの女を下卑た目で見ただろう。万死に値する」
「こいつ、何言って……っ!?」
言い終わると同時に颶風のように斬り掛かる砂城。
その動きに反応すら出来なかった鬼人の一体が斬り伏せられ、血煙をあげて倒れる。
「く、散れ、散れ!」
「――全員殺す」
低くつぶやいた砂城は、そのまま右へと体を翻して背中を見せた鬼人をさらに斬るが、鬼人たちが躊躇なく背を向けて距離を取ったために浅い。
「くそ――!」
この中では比較的腕が立つ方だったらしい青黒い肌の鬼人が、逃げるのを諦めたのか砂城へと向き直る。
「諦めたか? そのままじっとしていろ」
「誰が――!」
向き直ったときに砂城が一瞬勢いを殺したのを見逃さず、鬼人はすかさず左へと跳ぶ。
「逃がすか!」
追尾した砂城の刃は、軌道上へと飛び込んできた別の鬼人を半ばまで断ち切って止まった。
青黒い肌の鬼人が、仲間の腕を引っ張って盾にしたのだ。
動きを止められた砂城目掛けて、鬼人は口から吐き出した火炎を浴びせかけた。
仲間の死体を巻き込むこともお構いなしである。
「ちっ」
さすがにそれをまともに受けるわけにも行かず下がる砂城。
田村の方を見ると、残り一体の鬼人とやり合っているのが見えた。
つまり、残っているのは目の前の鬼人だけだ。
「ま、待て。俺は手を引く。見逃してくれ」
「保証が無い。聞けんな」
急いでいることを考えれば、見逃すのも手ではあったが砂城は首を横に振った。
理由は二つ。
口にした通り、この鬼人が約束を守る保証がないこと。
下衆であることは分かりきっており、基本的にその約束には意味がないと考えた方が無難だろう。
そして、もうひとつは。
「それに、おまえを逃せばまたあいつにちょっかいを掛けるかもしれないだろう?」
数珠丸と互角に斬り結んでいる伊織を見て、砂城は霞の構えにした刀の柄をぐっと握り直す。
伊織がこんな相手に不覚を取るなど砂城には考えられないが、事と次第によっては何だろうがあり得るのがこの世の中だ。
「や、やらねえよ。約束する!」
「さっきも言った。保証が無い。聞けんな」
斬、と砂城が青黒い肌の鬼人を斬り捨てたときに、田村もまた相対した鬼人を倒したのが見えた。
「よし……田村はそのまま待機していろ。俺は黒峰を助けてくる!」




