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一日遅れました。
楽しみにしてくださっている皆様には大変申し訳ありません。
「済まない、助けてくれ」
そう言ってきたのは先ほど話題に上がったばかりの田村雅人先輩だった。
見るからに憔悴していて、顔色も良くない。
これが数珠丸の罠である可能性もあるため、周囲の気配を探りながら少し考えてみたが、そうであったとしてもこの場でどうこうということはなさそうだと判断する。
清奈がいるのに声を掛けてきたので、他の人がいても問題なさそうだ。
「清奈、真也と砂城先輩を呼んで来てくれる? 食堂行ってるから」
「ええ」
清奈が走り去って僕がひとりになるのを見ても特に様子が変わるでもないので、判断に間違いはなさそうだ。
「とりあえず、食堂で話を聞きます」
「分かった」
さりげなく注意しつつ背中を向けてみるが、大人しくついてくる。
食堂についたときには、清奈たちの方が先に到着していたようだった。
「それで、どうしたんだ、田村」
全員がテーブルに着くと、給茶機のお茶を満たした紙コップを前に砂城が口火を切る。
「ああ、恥を忍んで頼む。俺と妹を助けて欲しいんだ」
そう言って最初に頭を深く下げた田村先輩は、やがてぽつぽつと現状を話し始めた。
「田村家は元々剣人の中でも良い家柄のひとつなんだが、数珠丸は本家出身、俺は分家の末席で端からあいつには逆らいづらい。本家もあいつが五剣になってからはやりたい放題やらせているようでね」
それだけ五剣というのは剣人にとって大きなステータスなのだろう。
あの男がそれにふさわしいかどうかはともかくとして。
「それだけなら親族会のときに俺たち家族が我慢していればいいだけの話だったんだが、ここ二ヶ月でやたらと干渉してくるようになったんだ」
二ヶ月前、つまり査問会があってからということだ。
「俺に、最近剣人になったばかりの女、つまり黒峰さんの動向を探って逐一報告しろ、と言ってきたんだよ。逆らうわけには行かなかった」
「ま、気付いてはいたが……おまえの顔色が優れなかったんでな。訳ありだろうとは察していた」
近くにいた砂城は気付いていたようだが、僕自身はたまにしか見られている視線とかは感じなかったところを見ると、田村先輩は監視の仕方が上手なのだろう。
「それだけなら、まだ何か訳があるのだろうと我慢も出来た。だが、昨日、あいつは俺に黒峰さんを襲撃するから手伝えと言ってきたんだ」
「拒否は出来ないのか?」
真也の問いに田村先輩は首を激しく横に振った。
「出来ない。何故なら、妹が本家預かりになってね」
「本家預かり?」
「表向きは本家の盆の行事の手伝いということになっているよ。うちの妹はいまのところ剣人ではないからね。でも、本当の意味は……」
「人質、ってことか」
端的な真也の言葉に、田村先輩は頭を抱え込んだ。
「数珠丸の奴、あからさまに脅してきたんだ。従わないなら、そしてこのことを漏らすなら妹の無事の保証はしないって。けど、あいつの考えてることくらい俺だって分かる……!」
「黒峰を殺し、おまえをその犯人に仕立て上げる。そして喋られても困るから、おまえも殺す。そんなところだろうな。やれやれ、田村本家は数珠丸の言いなりというわけか」
「そうだ。従っても逆らっても俺には未来がないんだよ!」
従えば妹さんは助かるかもしれないが、それも絶対ではない。
数珠丸の性格を考えれば、信用など出来るはずもないのだ。
「どっちにしても行き詰まるなら、そうじゃない道を探すしかないだろう?」
「それが伊織に助けを求める、か。でもどうなんだ? そんな脅しを掛けてきたってことは田村にも監視が付いているんじゃないのか」
真也の言うことは尤もだった。
脅しを掛けるということはすなわし信用していないことの表れであり、そんな相手に何も手配していないということは考えにくい。
「もちろん、そこは考えた。今、周囲に監視はいないはずだよ」
「伊織さん、どうです?」
「今のところ、確かにいる気配はないかな」
ずっと玉響で周囲を探ってはいるけれど、特に誰かいる気配は感じられない。
もちろん、連華の気配を探りきれなかったように絶対とは言えないが、そこまでの手練れを長期間田村先輩に付けているとも考えにくい。
「数珠丸が俺を直々に監視しているならともかく、そうじゃないならごまかす手段はいくつでもあるさ。特に今日は終業式で皆が一斉に学校を出たはずだからね」
ある程度田村先輩と背格好が似通っている友人に頼み込み、先輩のフリをして田村家に帰らせた上で、親の協力も得てそのまま待機して貰っているらしい。
監視は今そちらへ向いているはずだ、というのが先輩の弁だった。
気配察知に習熟してきたためか、最近視線に敏感になってきた清奈も特にそんなものは感じないとのことなので、先輩の作戦は有効に働いていると見て良いだろう。
「それで、助けるって何をして欲しいのかな」
「数珠丸を殺す手助けをして欲しい」
「……また随分と思い切ったものだな、田村」
確かに相手が殺しに来ている以上、生半可な対応では己の首を絞める結果になるのは分かるが、そこまで思い切れるのは剣人という特殊な生い立ちゆえか。
「今まで我慢してきたけど、それでも俺を殺すというのなら、こっちにだって黙って殺されてやる義理なんかないよ」
本家でもあり、剣人最高峰の五剣のひとりでもある数珠丸に逆らうということ。
思い切りはしたものの、人を殺すという決断。
それらの重圧によって顔色は青く声も震えてはいるが、田村先輩はそう言い切った。
「方法は?」
「やはり黒峰さんを襲ってきたところを返り討ちにするしかないと思う。それ以外に大義名分を得る方法が思いつかない」
「それはそうだが、それならこちらに危険を冒して接触する必要はなかったんじゃないか?」
真也の疑問に田村先輩は首を横に振る。
「それでは単に俺という戦力が増えるだけで、それは数珠丸に対しては蟷螂の斧に等しい。黒峰さんは強いけれど、それでもあいつには及ばないだろう?」
「うん、それは確かに。いちおう対策はしているんだけど」
「勝率を少しでも上げたい。今後の連絡方法を確立して、襲撃の日や、可能なら襲撃メンバーの情報を伝えようと思うんだ」
「ほう、それは有用な情報だな。心構えが出来れば対応に余裕が出るし、敵が分かれば事前の対策も可能だ。だが数珠丸も田村のスマートフォンの通話履歴とメッセージアプリのログくらいは浚うだろうな」
どこにいようと電波さえ入れば連絡を取ることが可能な現代、単に相手の動向だけを押さえていても安心はできないだろう。
通話履歴もログも、定期的に端末そのものを確認すればよく、特に難しいことではない。
「契約状況も剣人会の力を使えばすぐに分かるだろうが、何、今時の携帯端末があれば抜け道などいくらでも……」
言い掛けた砂城が途中で固まる。
「どうした、紅矢」
「……鴻野、おまえ携帯電話は持っているか」
「いや? いらないしな」
「では茨木は」
「持っていません」
「これでは連絡の取りようがないではないか!」
失礼なことに僕には確認すら取らずに砂城は叫んだ。
じゃあ持ってるのかって?
もちろん、持ってない。
「黒峰はともかく、いい加減鴻野くらいは持て。不便でかなわん」
そう言って砂城が僕に差し出してきたのは、いつかのプリペイド式の携帯電話だった。
「急ぎの場合はそちらに掛ける。持ち歩くようにしてくれ」
「ん、分かった。ありがとう」
「なに、貴女のためとあらばこのくらいはお安い御用だ」
だから感謝の気持ちが吹き飛ぶような台詞をいちいち口にしないで欲しい。
「……おまえ本当に本気なんだな」
コントのようなやり取りを見て少しは気持ちがほぐれたのか、呆れたように言う田村先輩に、砂城は大真面目にうなずいた。
「当たり前だ。最初に会ったときからその価値があると思っていた。今はますますそう思っている」
ヤメロー、ヤメロー!
あ、いけない、最初に会ったときの記憶(黒歴史)が蘇ってきて……。
「それはともかくだ」
僕の表情の変化を見た砂城が力強く断言し、話題を変える。
危ない危ない、もう少しで見境なしに暴れ出すところだった。
「田村、おまえスマートフォンは持っているな?」
自分のスマートフォンをささっと操作した砂城が、画面を皆に見せる。
画面には取り立てて変わったところもない掲示板が映っていた。
「これは俺がサーバを借りて立てている掲示板だ。検索にも掛からないようにしてあるし、ログインしなければ見られないから他の奴に見られる心配もない」
なんか詳しい。
砂城にこんな特技があったとは。
「ここに書き込みがあれば俺に通知が来るようになっている。そこから俺が黒峰たちに伝えよう」
「分かったよ。おまえこんなこと出来たんだな」
「大したことではないが、こういうときに便利だからな」
砂城からIDとパスワードを教わって覚える田村先輩に、一応念押ししておく。
「本当に殺すの? あっちが悪いっていう大義名分が立つなら、殺さなくても倒すだけでいいと思うんだけど」
「それじゃ駄目なんだ」
即答する田村先輩。
「確かに、それでも数珠丸は一時的に無力化されるだろう。けど、五剣にまで至った逸材だ。本家の力もあるし、恐らくは何やかやと理由を付けていずれは自由になるだろう。そうなったときに、あいつが俺のことを忘れていてくれるとは思えないんだよ」
「つまり、禍根を断ちたいってこと?」
「ああ。それは君にも当てはまるはずだよ、黒峰さん」
確かに、僕は今回のことで本当に数珠丸が襲ってきたなら、殺す覚悟は固めていた。
そもそもが手加減して勝てる相手ではないからだ。
けれどそれは、たまたま殺さずに済んだ場合にまで殺すという意味合いではない。
「あいつは蛇のように執念深い。例え半身不随にしたとしても、何らかの形で復讐に来ることは疑いない」
田村先輩がそれを信じていることは、うっすらと恐怖の浮かぶ真剣な顔を見れば分かった。
「あいつに歯向かおうと思ったことは何度もあったけど、それなら確実にやらなきゃならないことがあって、いつも断念していたんだ」
「それは?」
「息の根を止めること」
従兄弟にそこまで思わせ、さらに決断までさせてしまった数珠丸の自業自得だが、なんとも凄まじい話になってきた。
「黒峰さんにあいつを殺してくれ、とは言わない。トドメは僕が刺す。代わりと言ってはなんだけど、もうひとつ、これは鴻野に対してになるけど、お願いがあるんだ」
「お願い?」
「数珠丸を返り討ちにした際に、鴻野の家に妹の保護を頼みたいんだ」
田村先輩の実家では、分家ということもあって本家に対して強く出られない。
だが、銘のある剣人である真也の父、つまり一期一振たる春樹さんであれば多少の無理が利く。
例えば、僕たちが強引に救出した妹さんを保護して、何も知らないフリをして田村本家に引き渡さないとか。
「分かった。父上なら否やはないはずだから」
「恩に着る」
田村先輩が立ち去ったのは、もう日もとっぷりと暮れた後だった。
「どう思う?」
「信じてはやりたいが……罠の可能性は拭い去れん」
砂城の言う通り、田村先輩の申し入れそのものが罠である可能性は残っている。
何と言っても彼は元々が数珠丸の影響下にあるからだ。
「あれが演技だとは思いたくないですけれど……」
「確かに。だが無条件に信じて裏切られた場合、俺たちは窮地に陥る。疑って掛かるのは仕方ないところだな」
問題はどうやって真偽を見分けるか、ということだ。
罠であったならそれをどうにかしなければならないし、本当であるなら見捨てるわけにはいかない。
「時間が無いのが問題ですね」
いつ襲撃があるかは数珠丸次第ではあるが、もはや今夜にも襲ってきてもおかしくない。
悠長に様子を見ている暇はないのだ。
「そう言えば黒峰。貴女は童子切に気に入られたとか……?」
「僕だけじゃないけど」
五剣のひとり、童子切である戸根崎一華さんはどうやら腕の立つ女子がお好みのようで、僕と清奈は目を付けられたと言っても良いかもしれない。
「童子切は剣華隊という女性だけで構成された部隊の長でもある。その剣華隊には諜報が得意な者もいると聞いている」
「えっと、連絡をつけて頼めってこと……?」
あの人に借りを作ったら何を要求されるか分からなくて怖いんですけど。
清奈を見ると彼女も渋い顔をしているので、同じ考えのようだ。
「手段を選んでいられないからな。使えるものは何でも使って行きたい」
「まあ、確かにそっか」
贅沢を言っていられないのは確かだ。
一華さんの連絡先は、こっちから聞きはしなかったんだけど向こうから押しつけてきたので知っている。
「分かった。それじゃ、頼んでみるよ」
「頼む」
僕たち三人が砂城と別れて、数珠丸の襲撃に用心しながら鴻野家にたどり着いたのは九時前とすっかり遅くなっていた。
その日は襲撃は無かったが、帰り着いたときには律儀に僕たちを待っていた春樹さんが飢え死にしそうになっていたのだった。