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いつも読んでくださってありがとうございます。
インフルエンザが流行しているようなのでお気をつけください。
インフル怖い……
「うーん」
世界史の授業中、僕は鉛筆を片手にノートを取るフリをしながら数珠丸対策に頭を捻っていた。
高校の教科ともなると、もうほぼ前世の記憶などアテにはならないので授業を受けるのは大切なのだが、天秤に掛かっているのが自分の命ともなるとさすがにそちらを優先せざるを得ない。
光明が見えたら授業に専念するとして、それまでは清奈のノートを当てにすることにしていた。
普段なら生真面目な清奈がそんなことをOKしてくれるはずもないのだが、今回ばかりは許可をくれたのだ。
数珠丸がどんなタイプなのかは、神奈との立ち会いの際に存分に見せて貰った。
とにかく優れた先読みを駆使し、相手の出だしを潰すことを得手とした、言ってみれば対鬼流『無明』を常に使ってくるような相手だ。
そう考えただけでもかなり憂鬱になる話だが、あれでもまったく本気ではなかった。
ゆえにあの戦いは参考にはなるものの、そのまま当てはめて考えるのは危険だ。
だからこそ、慈斎さんの言葉が重要になる。
(『波留』を破る技、か)
慈斎さんのくれたヒントに該当する技はいくつかある。
まず思い当たるのは、大毅流中伝『影身』。
これはいわゆるわざと隙を見せて相手の攻撃を誘発する技術だ。
ただ、これは相手の先読みのレベルが低ければ騙されてもくれるだろうが、一刀さんの太鼓判が押されてしまっている数珠丸の先読みは、一級品であると考えて差し支えない。
そうなると大毅流奥伝『水鏡』、対鬼流『無明』あたりが候補となるが、『無明』は相手より優れた先読み能力が前提となるため、今の僕が数珠丸相手にこれを決めるのは無理な話だ。
消去法で残るは奥伝の『水鏡』となる。
(そうなると『水鏡』で数珠丸を破る方法があるか、だけど)
大毅流『水鏡』は確かに『波留』を破るには適した、というか最適の技と言える。
それは『水鏡』がこちらが攻撃を行うことで敢えて隙を作り、その隙目掛けて攻撃してきた相手に対処する技であることが理由だ。
慈斎さんたち鬼哭無双流の遣い手の『波留』は自らを有利な位置に置きながら攻撃して相手を追い込むが、このため攻撃を途切れさせるわけには行かない。
相手を追い込むのであれば、一息つかせてはいけないからだ。
そこに『水鏡』で隙を見せれば力量が伯仲している限り、それを誘いと見破ろうとも乗った上で打ち破るか、流れを止めて仕切り直すかの二択となる。
力量差があればその上でさらに本当の隙を見出すことも出来るだろうが、実力が伯仲している場合はその時間がないのだ。
ただ、これが数珠丸にそのまま通用するかというと、そうは考えにくい。
何故ならばそこまで読み切られてしまえばそれまでだからだ。
一刀さんは僕が一手読む間に数珠丸は三手を読むとまで言っていた。
読み合いで二手も先を行く相手に、引っかけなどそうそう通用しないだろう。
この間のぶん殴りが成功したのは、単に数珠丸が僕を見下して油断し切っていたからに過ぎない。
(ただ……慈斎さんがそんな簡単なことにヒントを出すかな?)
そう、そもそも『水鏡』は単体で遣う技ではなく、反撃の起点となる技だ。
そこから何に繋げるかが重要なのかもしれない。
であれば、何に繋げるべきかを考えてみる。
「……ね」
ここから繋げて有効そうな技のひとつに『無明』があるが、これは前述の通り格上に決まる技ではないため却下。
「……みね」
いや、そもそも『水鏡』から繋げるのでは読まれやすいのではないだろうか。
ならばどうする。
「黒峰!」
「ひゃい!」
思わずヘンな声が出てしまって周囲から笑いが零れ、思わず顔が赤くなるのを自覚する。
視界の隅に必死に注意喚起していてくれたらしい清奈が、憮然とした顔をしているのが見えた。
「もうすぐ中間テストだというのに、授業中に考え事とは余裕だな? 黒峰」
世界史の塚柄先生はその口癖と名前と外見から、ガラモンなるどこぞの特撮に出てきそうな名前で呼ばれている不遇な先生だ。
口やかましいため生徒からは嫌われてもいるが、授業はなかなかに分かりやすい。
「済みませんでした、先生」
「ふん。そもそもサボり方がなっとらんわ」
なんかとんでもないことを言い始めたんですがこの先生。
そう考えた瞬間にパンチパーマの下の目がじろりと僕を睨んだので、思考が読まれたのかと姿勢を正してごまかしを試みる。
「考え込みたいなら考え込んでも問題の無い授業でそうすべきだろうが。木を隠すなら森の中、という言葉を知らんのか」
「おお」
「おお、じゃないわ馬鹿モン。しばらく立っとれ」
なお、馬鹿モン、がこの先生の口癖である。
かくして授業の残り時間中、立たされっぱなしになった僕であった。
動くのはいくらでも苦にならないんだけど、立ちっぱなしって結構つらい……。
「注意したのに気付かないんですから」
「ごめん、ちょっと対策に必死になってて」
授業が終わっての休み時間、僕はフグのように膨れた清奈の機嫌を取るのに必死だった。
懸命に注意してくれていたらしいのに、考え事をしていて気付かなかったんだから僕が悪い。
「何の対策?」
話に割って入ってきたのは鹿島美祈さん。
僕と清奈の他にいる、この学年唯一の剣人の女子だ。
「まあ、大体想像付くんだけど。凄いのに喧嘩売ったって聞いてるわ」
一応、こっちの会話を聞いている他の生徒はいないようだが、具体的な名前を出さないのは用心だろう。
剣人にかなりの便宜を図ってくれている学校だが、一般生徒に剣人のことは秘匿されている上、生徒の総数に対して剣人の比率はとても小さいのだ。
「大体ご想像の通りだよ。でもさっきのガラモ……塚柄先生の言葉で、ちょっと光明が見えたかな」
「そうなんです?」
「うん、木を隠すなら森の中。良い言葉だよね」
「それがどうやって対策になるのか分からないけど……」
「まあ、そこは内緒」
「えー……。まあ、黒峰さんの稽古とかついて行ける気しないからいいけど」
剣人と言っても稽古熱心な人ばかりではなく、鹿島さんはさほど熱心な方ではない。
僕や清奈、真也が熱心過ぎるという話もある。
とは言え、剣人にとって剣の腕は生死に直結することもある話だから、熱の強弱はあれども皆真面目に取り組むことに変わりはない。
ことに今の僕には死活問題なわけだし。
(そう、木を隠すには森の中。なら、狙いを隠すには……)
虚とは実を隠し、こちらの狙いを読むことを困難にさせるためのテクニックだ。
だが虚は飽くまでも虚であるため、力量の離れた相手には偽物だということが分かってしまう。
では、実と実ならばどうか。
常に成立するものではないが、一定条件下で成立させることは困難ではない。
例えば、攻めの技の最中に見えた隙が、『水鏡』のように誘いである場合。
その隙を見逃せば、攻めがそのまま成立するため、攻めは実。
隙を突いた場合、その隙は誘いであるためカウンターが成立してそれも実。
二つに技を成立させる必要があるため、難易度は当然ながら高いが、不可能ではない。
そしてそれに適した技が対鬼流には存在する。
(『鬼門』。これしかない)
お師さんが得意としていた、拍子の極みとでも言うべき技だ。
相手の呼吸を読んで前進し、わざと相手に刹那迷うだけの時を与えて行動を誘い、それに応じた技を繰り出す。
常に遣うには円熟した技量が必要とされる技だが、対象を数珠丸ひとりに絞って特訓をすれば、一回くらいは行けるはず。
戦いの中で『鬼門』を繰り出し、相手が迷った刹那に見える『水鏡』による隙。
そうなれば、相手は『鬼門』の注文通りに躱すか、『水鏡』の注文通りに反撃するかしかないはずだ。
いかに先が読めようとも、それしか手がない状況に追い込めば意味がないことは、僕だって散々思い知っている。
後は、僕の『鬼門』に『水鏡』を合わせたときに、他に本当の隙が出来たりしないよう修練を積んでいくのみ。
対策は出来た。
もちろん、これをそのまま馬鹿正直にここの道場で練習したりはしない。
僕が数珠丸に喧嘩を売ったことは剣人たちに知れていても、誰が誰の味方かなんて分かりはしないからだ。
数珠丸が同年代であることを考えれば、この学校に彼の親友がいたりしてもまったく不思議はない。
相手の方が上である以上、僕の手の内が事前にバレることは避けなければならない。
現状、僕がこの学校で信頼しているのは清奈、真也、砂城の三人だけだ。
「……伊織さん」
「あ」
また考えに沈み込んでいたようだ。
清奈の呆れ声と同時に休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、鹿島さんは自分の席に戻っていった。
いずれにしても考える時間は終わり。
あとは行動あるのみだ。
* * *
「くそ、くそ、あの女……!」
薄暗いバーのような一室。
テープで鼻にガーゼを押し当てた青年が、血走った目で目の前にあったテーブルのガラス製の天板に力任せの拳を叩きつける。
強化ガラスはその暴力に耐えかねて一撃目で蜘蛛の巣のようなヒビが入り、二撃目で敢えなく砕け散った。
「ふうー、ふうー……、ああ、そうだ。まともにやれば俺が負けるはずがないよ。卑怯な不意打ちでこうなっただけだ」
暴力によって多少は激情が発散されたのか、青年は歪んだ顔でそうつぶやく。
まだ鼻は完全には治っていないのか、その発音は少しくぐもっている。
「殺すだけでは済まさない。なあ、そうだろ?」
呼びかけに応じるように、部屋の入り口に二人の男が姿を現す。
ひとりは暴力的な雰囲気を身に纏っているサングラスを掛けた男だが、少しの刺激で正気を失いかねない今の青年の前では、多少の緊張が隠せない様子が見て取れる。
もうひとりは一見優男風ではあるが、よく見ればもうひとりの男よりも危険な空気を纏っており、青年にも臆した様子が無いことが分かるだろう。
「どうするつもりなんだ、数珠丸。俺との繋がりは知られない方がいいんだろう?」
サングラスの男が、青年――数珠丸に確認するように言う。
「知られるつもりはないよ。でも君を呼んだ意味は分かるよね?」
「……鬼人と繋ぎを付けるのか?」
「ああ。使い捨てても構わない奴を五人ほどね。雑魚で構わない」
「何をするんだ?」
そう尋ねたのは優男の方だった。
どこか不本意そうなサングラスの男と異なり、興味の色をはっきりと表に出している。
「あの女の抵抗力を奪って、鬼人どもに嬲らせてから食い殺させる」
「……なんで俺まで呼んだのだ?」
拍子抜けしたような優男に、数珠丸はぎらぎらと憎悪に光る目を向ける。
「いつもくっついてる奴らがいる上に、あの女は当然俺には及ばないが、卑怯な手を使ってくれば多少手こずる可能性があるんだ」
「いかさま。そいつらは?」
「好きにしていいけど、殺るなら全員殺って欲しいな」
「そいつは重畳。女はいるのか?」
「ひとりいたはずだよ。見目は悪くなかったと思う」
「成る程。楽しめそうなのは悪くない」
舌舐めずりした優男の顔は、その風貌では覆い隠せないほどの禍々しさに満ちていた。
思わず、と言った風にサングラスの男が後退るがそれを気にも留めずに優男は言葉を続けた。
「だが、報酬は必要だ。聞けばその女、例の先代三日月の最後の弟子とか?」
「……耳が早いな」
渋面を浮かべる数珠丸。
彼にとって三日月とは求めてやまない至高の座であり、三日月の弟子、という相手の肩書きも当然気に入らないのだ。
「そいつの刀が欲しい。風の噂では先代三日月は最後の弟子にその刀を遺したと聞く。さぞや見事な逸品であろう」
「ふん。まあ、構わない。俺が持つわけにもいかない代物だしね」
数珠丸の筋書きでは、伊織たちは鬼人の集団に襲われて死亡、その後にその鬼人たちを偶然発見した数珠丸が殲滅する、というものだ。
実際には数珠丸が伊織たちを襲い、抵抗力を奪ってから繋ぎを付けた鬼人たちに食わせた後に、その鬼人たちも殺す、ということになる。
鬼人たちは死んでしまえば塵となって跡も残らないため、後先を考えない小物の鬼人は証拠隠滅にはふさわしい。
そこに先代三日月が遺したなどという目立つも目立つ刀を、数珠丸が持っているわけには行かないのは当然だ。
「それと、注文がひとつ。動きを悟られるな。あの女には三日月の野郎が付いているんだ」
「ふむ。奴は厄介だな」
「大したことなんかない。だが、今回は奴に邪魔されては失敗するからね」
数珠丸の三日月への対抗意識はサングラス男にも優男にもお馴染みなのか、それぞれの表情で受け流す。
五剣筆頭である三日月の座は自分にこそふさわしいと数珠丸が考えていることは、この二人には分かり切っていることだった。
それゆえに現役の三日月である神宮一刀を憎んでいることも。
「いつ頃までに人がいるんだ?」
この場で唯一乗り気には見えないサングラスの男が、それでも仕方なさそうに数珠丸に問う。
多少気乗りしなかろうと、数珠丸の要求を拒否することなど考えられないことだった。
そうすることで今の地位を手に入れたのだし、拒否すれば失うものは地位だけではないことも明白だからだ。
数珠丸の答えは短いものだった。
「夏までに」




