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剣人  作者: はむ星
青年篇
71/113

閑話『悟志のとある一日』

ブックマークが増えていて嬉しいですね。

いつも読んでくださってありがとうございます。

 今里悟志は平凡な高校生だ。

 少なくとも自分ではそう思っている。


「悟志お兄ちゃん、部活行こ!」


 ただし、幼馴染である水野麻衣は平凡とは言い難い。

 入学早々に市立平池高校男子の間で非公式に開催されている美少女ランキングを登りつめ、堂々のトップに躍り出て以来ずっとその位置をキープ。

 その裏表のない天真爛漫さと気遣い上手で女子にも受けが良いという隙の無さだ。

 そんな麻衣は幼い頃からずっと、悟志を『悟志お兄ちゃん』と呼んで鴨の雛のごとく後をついて回る。

 不思議とそれをうざったいと思ったことはない。


「分かった。先行ってろ。ちっと用事済ませてから行く」

「はーい」


 少し頬を膨らませて不満そうにしつつも悟志の言葉に大人しく従い、ぱたぱたと廊下を去っていく麻衣の背中を教室に残っていた男子の目が追っていく。


「なーんで麻衣ちゃんはこんな奴がいいんだろうなぁ……」

「だからそんなんじゃねえって言ってるだろ」

「本当になんでこんな奴を……」

「おい」


 普段から見ていれば、麻衣が悟志に対してどんな想いを抱いているかは一目瞭然。

 それでも悟志がこんな態度なのでチャンスありかと突撃した男たちは、その百パーセントが即答で撃沈という結果に終わっているのだ。

 周囲の男たちからしてみれば、これで何でもないなどと抜かす悟志に対しては、ふざけるなよと文句のひとつも言いたくなろうというもの。

 さらに中学校の頃の悟志を知らない生徒たちにとっては、衝撃の事実がこの間明らかになったばかりだ。


「それにこいつ、前に言ってたもうひとりの幼馴染もすげえ美人なんだろ? なんなの一体。どこのハーレム?」

「ああ、この間体育館で大声張り上げてたあの娘だな。凛としてて背の高い」

「え、背ぇ高いの? じゃあ俺パスかな」

「いや、それは多分結論早いぞ。実物見たらそれどこじゃねえって」

「まじで? 学校ここじゃないんだよな。ひょっとして日之出?」

「ああ、そこの寮生のひとりらしいぜ」


 好き勝手に噂話に興じるクラスメイトに憮然とした視線を向けつつ、悟志は日直日誌を埋めていく。


「なあ悟志、紹介してくれよ」

「ふざけんな。なんで紹介しなきゃなんねえんだよ」

「え、おまえ麻衣ちゃんじゃなくてそっち!?」

「……だからなんだってそっちばっかに結び付けんだよおまえら」

「今、間があったな」

「あーやーしーいー」

「ひと目でいいから会わせろよー」


 うるさいクラスメイトたちに対してあからさまにため息を吐きながら、悟志は窓から校門の方を見る。


(そろそろ来るはずだけどな)


 ちょうどそのタイミングで、校門に見慣れた桜色が見えた。

 相変わらずの格好に知らず笑みが漏れる。


「そんなに見たけりゃ今日の剣道部の部活見学でもすれば?」

「はあ?」

「あいつ、今日はウチの奴らに稽古つけてくれるらしいからな」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするクラスメイトたちに、悟志は面倒くさそうに言い放つ。


「マジで!? 行く行く!」

「噂の美人かぁ。どんな娘なんだろな」


 俄然色めき立つ男たちだが、悟志には結果は見えていた。


(どうせ伊織はこいつらの手に負えるような奴じゃねえし)


 それよりも、伊織に会えるとなれば麻衣も喜ぶだろう。

 もはや騒ぐ男どもは放置して、悟志は記入の終わった日直日誌を所定の位置へ放り投げて、体育館へと急いだ。


*   *   *


「はい、次」


 息も切らさずに五人を抜いた桜色の道着の彼女は、淡々と次に掛かってくるよう手招きする。

 この光景の異常なところは、剣道にも関わらず、彼女はまったく防具を身に着けていないところだ。

 その指示は悟志が行った。

 誰だろうと練習さえすれば強くはなれるが、それはイメージするもので大きく成長度合いが変わる。

 自分が知っている中で最高のものを見せておけば、それが部員たちの力の底上げに繋がると信じてのことだ。


「く……っ、お願いします!」


 次の部員が進み出る。

 自分たちは防具を付けて相手は付けていない事実に、最初の三人くらいまでは遠慮があったようだったが、あまりにも瞬殺されるために四人目から本気を出している。

 それにも関わらず、主将が伊織と呼んだ少女は息すら切らさず、相手の竹刀を掠らせもせずに五人を下している。

 簡単に勝てる相手ではないと判断したのか、六人目の彼は動きが慎重だ。

 だが、その慎重さも時によりけり。


「面」


 呼吸を外され、一瞬で踏み込まれて軽く面を打たれる。

 こうして、彼女は部員全員にあっさりと勝ってしまった。


「さすが伊織だね。前より強くなってない?」


 部員全員と手合わせした後、麻衣が嬉しそうに伊織に話しかける。

 美少女二人が話をする光景に、見学しているクラスメイトたちの鼻の下が伸びているかというと、そうでもない。

 理由はたった今、目の前で伊織が見せた圧倒的な強さである。

 鼻の下は伸びていないながらも、その光景はしっかり見ているあたりかなり打たれ強い感じはあるが。


「まあね。僕だって足踏みしているわけには行かないし」

「それにしても、今日はなんで稽古つけに来てくれたの?」


 理由なく、そんな目立つことをする幼馴染ではないことは、麻衣には分かっていた。


「この間迷惑掛けたお詫びと、ひとつ悟志に頼み事があって」

「頼み事?」

「池田先輩のこと」


 さすがに大きな声で言えなかったのか、伊織が囁くように言うと、麻衣も納得してうなずいた。

 今日は池田先輩こと池田信道は部活に来ていない。

 理由は剣道部の者なら全員が知っていることだが、彼の兄が非業の死を遂げて以来のことだ。


「伊織のせいじゃないでしょ?」

「そうだけど、やっぱり一度話はしとくべきかなって」


 ついこの間、池田の兄は伊織の高校の女生徒を攫い、伊織は理由があってそれを取り返しに行った。

 それは犯罪で情状酌量の余地はないが、その兄はその事件の直後に変死したのだ。

 取り返しに行った現場には池田も共にいたので伊織たちが殺したわけではないと分かっているだろうが、感情が納得したかどうかはまた別の話だ。


「伊織って真面目だよね」

「そうかな?」


 首を傾げている彼女に、今度はわざわざ防具を外した悟志が声を掛けてきた。


「よーし、それじゃ最後に俺とだ、伊織」

「いいけど、悟志相手なら加減しないよ? 竹刀だし」

「もちろん」


 どよ、と剣道部員がざわめく。

 竹刀は防具無しで打ち込まれても急所以外なら死にはしないが、とにかく痛い。

 ここまで全勝の相手に、わざわざ防具を外して挑む主将の気持ちが分からないのは当然と言っても良い。


「さーて、本気の動きくらいは引き出したいとこだけどな」

「悟志が少しでもサボってたなら、それも無理かな?」


 その応酬に見学していたクラスメイトたちまでもがざわつく。


(え、おい。あれ本気じゃなかったのかよ)

(嘘だろ……)


 そうする間にも、二人は当然のように竹刀を構えて向き合う。

 同じ正眼の構えながら、微動だにせず呼吸すらも読めない伊織と、気合が溢れているのかぴくり、ぴくりと竹刀の鋒が動いて隙を伺う悟志。

 息苦しいほどの雰囲気が周囲を支配する中、先に動いたのは伊織。


「征ィッ!」


 電光のように繰り出される小手を、悟志はかろうじて腕を引くことで躱す。


(これは、変形の掌分……!)


 大毅流を学んでいた悟志は、相手が得意とする技もある程度は知っている。

 何より、それらは目の前の人物から学んでいたのだから。

 ここで直線的な反撃をしては相手の思う壺。

 だが敢えて悟志はそこで小手返し面を打つ。


「メェェェ……!」


 面を打った途端に、悟志の予測通りに伊織は左、つまり悟志の右へとスライドするように体を移す。


(ここだ!)


 攻撃の変化は剣道の得意とするところ。

 面を打とうと踏み出していた右足を大きく開くことで移動した伊織を間合いに収める。

 そうして面を変化させて狙うは伊織の右胴。

 掌分は本来、相手の腕を刀の鋒で封じつつ、それでも攻撃してきた際に相手を上段から斬り下ろす技。

 相手が斬り下ろしをやった前提なのだから、上段から攻撃する理合であることは必然。

 ならば胴が打てる。


「ドォォォオオオ!」


 会心の一撃。

 だが、それは伊織が上段に構えていた竹刀の鋒を右後ろに下げた・・・・・・・ことで受けられる。

 そしてそのまま受けた反動を利用して、ほとんど後ろに回る形で伊織は悟志の胴を打ち抜いた。

 あまりに鮮やかなその動きは、見ていた者をして目に止まらなかったほど。

 その技が対鬼流『岩颪』の名を持つとは、打たれた悟志も含めて誰も知らないことだったが、それは伊織が本気の一端を見せたという証でもあった。


「いってえ……。くそ、負けか」

「そうそう勝てると思わないで欲しいな。僕だって毎日修行してるんだから」

「ちぇ」


 かなりの勢いで胴を打たれたので痣にはなるだろうが、黒峰道場で稽古をしている悟志は竹刀で打たれることには慣れている。


「でも、強くなったね、悟志」

「……伊織にそう言われると嬉しいな」


 そう言う幼馴染の顔は上気して少し汗ばんでいて、多少は本気を出させることが出来たかな、と悟志は思って笑顔を浮かべる。

 照れたように笑う悟志に、麻衣が少し複雑そうな目を向けるが、それもすぐに笑顔に変わった。


「凄い……」

「今里先輩も今の動き、いつもより鋭かったよな?」

「それをああやって捌くなんて……!」


 そして部員たちは興奮した面持ちで、今の勝負について話し合っていた。

 悟志の目論見通り、剣道部員たちは今まで知りもしなかった高みを知った。

 それがどう影響するかは、この後の各々の頑張り次第だろう。


 なお、あわよくば伊織をナンパしようと見学していたクラスメイトたちは、終わった頃には悟志の予想通りにそれを諦めたのだった。


*   *   *


「今日はありがとな、伊織」

「ううん。こっちもお願い聞いてもらってるし」

「ああ、そうだったな。こっちだ」


 部活が終わった後、悟志はそう言って校舎内にある会議室のひとつへと伊織を案内した。

 そこに池田を呼び出しておいたのだ。


「来てるな? 池田」

「今里……。それに、君は」


 憔悴した池田信道がそこにいた。

 呼び出された理由について聞かされていなかったのか、伊織を見て驚いた顔を見せる。


「今日は伊織が話をしたいそうだ。別に俺の説教じゃねえから安心しな」

「そうか……兄の話だね?」


 池田がそう確認すると、伊織はうなずいた。


「まず、お兄さんを守れなくてごめん。あの後、監視は付けてたんだけど防げなかった」

「……誰が殺したかは聞かせて貰えるのかい?」

「悟志、外して貰える?」

「……分かった」


 今の会話だけでも、池田が兄は殺されたと考えていること、その犯人を伊織が知っていると考えていること、そして伊織がそれを否定しなかったことが分かった。

 あの日に何が起こったのか悟志は詳しくは聞かされていないが、伊織が話さないのであればそれは聞くべきことではないのだ。

 廊下に出ると、そこで待っていた麻衣がいた。


「悟志お兄ちゃん」

「おう。どうやら聞かない方がいいことみてえだ。残念ではあるけどな」

「伊織が言わないなら聞かない方がいいよ」

「分かってる」


 この二人にとっては、命の恩人でもある伊織はそれだけ信頼に値する人物なのだ。


「まだ、伊織のことが好き?」


 小さい声で聞いてくる麻衣。

 伊織が村から出て行くときに、悟志は伊織に告白して、そして振られた。

 そうなると分かっていてそうしたのだ。

 そうしなければ、いつまで経っても諦めることが出来なかっただろうから。

 その背を押してくれたのは、麻衣だ。

 だからこそ。


「いや。あのとき、すっぱり諦めたからな」


 そう答えることが出来る。


「ただ、友人としてはもちろん好きだし、尊敬していることも変わってねえ」

「……そっか」


 どこかほっとしたように言う麻衣の頭を、悟志はいつものように撫でようとして、その手を空中で止める。


「悟志お兄ちゃん?」


 不思議そうに見上げる麻衣に視線を落としながら、悟志はその手を自分の頭にやってがしがしと掻いた。


「悪いな、いっつも気を遣ってもらって」

「ううん。私が好きでやってるんだよ」

「もう少し待ってくれな」


 何気ない風を装って載せられたその言葉に、麻衣は目を瞠る。

 思わず見上げた悟志の顔は、赤くなっていてそっぽを向いていた。


「う、ん。待ってる。ずっと、待ってる……!」


 涙声になって俯く麻衣の頭を、今度はいつもやっているように撫でる悟志。

 そうやっていると、しばらくして会議室の中から池田が嗚咽を押し殺す声が聞こえてきた。

 しばらく経ってそれが収まると、扉が開いて伊織と池田が出てきた。


「終わったか?」

「うん」

「ありがとう、黒峰さん、話してくれて。それと、今里もありがとう。今日、呼んでもらってすっきりしたよ」


 池田は、目を赤く腫らしてはいたものの話を聞いて吹っ切れたのか、すっきりした顔をしていた。

 伊織と悟志に礼を言って池田が立ち去った後、その場には幼馴染三人組だけとなっていた。


「あれ、麻衣、どうしたの? 悟志、泣かせたの!?」


 麻衣の涙の跡を鋭く見て取った伊織にキツい視線を向けられて、悟志は思わず後ずさりながら両手を挙げる。


「いや、これは違うぞ!?」

「うん、大丈夫、伊織。私の方は、嬉し泣きだから」

「え?」


 きょとんとした顔で悟志と麻衣を見比べた伊織は、やがて何かを納得したのか破顔した。


「そっか。おめでと、麻衣」

「ありがと、伊織」


 何がおめでたくて何がありがたいのか。

 今日は一日、落ち着かない日だったと悟志は思う。

 それでも、今日は自分にとっても、麻衣にとっても、そして池田にとっても良い日だったように思う。

 それをしてくれたのは、隣に立っている幼馴染。

 告白して振られたときに言った、おまえは凄え、敵わねえ、という言葉は、多分ずっとそのままなのだろう。


(敵わなくてもいい)


 そう思う。

 自分が自分であれるよう、そしてこの幼馴染に胸を張れるように在ればそれでいい。

 そしていつか、受けた恩に少しでも報いることができる自分で在れるよう。


 平凡な今里悟志が抱く、平凡ではない願いだ。


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