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剣人  作者: はむ星
青年篇
69/113

34

 分かってはいたことだが、そこからの時間は僕たちにとっては地獄のような時間となった。


「ぐうっ!」


 べきり、と音を立てて神奈の左腕があらぬ方向を向く。

 峰を返した数珠丸の刀がまともに当たったのだ。

 数珠丸はなぜかそこから追撃しようとせずに止まり、その隙に神奈が大きく飛び退って間合いを開ける。


「確かにスピードとパワーと頑丈さは見るべきものがあるけど、それだけだな。もっと何かないの?」


 そう言う間にも神奈の腕は鬼人の回復力で元に戻っていく。

 それを見た数珠丸は舌舐めずりしそうな顔で嗤った。


「そうそう、そういうのだよ。ひょっとして斬り落としても大丈夫なのかな?」

「そいつは禁じ手のはずだぜ、数珠丸」

「いやだな、ただの興味だよ」


 一刀さんの指摘に反論する間にも、数珠丸はあっという間に神奈との間合いを詰める。

 ここまで見てきたところ、数珠丸の戦い方は相手の出鼻をくじくことに徹底している。

 その力は本物だ。

 神奈の人間離れした速度と力をまったく苦にしていない上に、その出鼻をくじけるというのは相手の動きを完全に先読みしているからこそ出来る芸当だ。

 ただ、その戦い方には腕がどうこう以前に性格の悪さが露呈しており、一刀さんや砂城が彼を嫌っているのもうなずける。


「さあて、どんどんいくよ」

「くっ!」


 再び剣撃の応酬が始まる。

 神奈の反応速度は明らかに数珠丸を上回っているが、動きが素直すぎてことごとく裏をかかれていた。

 たちまち劣勢になった神奈は再び肩口に一撃受け、動きが鈍ったところで乱打を受けてひとたまりもなく床に倒れ込む。


「ほら、倒れてる暇なんてないよ!」


 その神奈の頭を、数珠丸がまるでボールでも扱っているかのように蹴り上げる。


「……っ」


 清奈が悲鳴を押し殺す。

 ぎり、と歯が鳴る音がした。

 こんなのを一時間も見ていなければならないのか。

 それに一体何の意味がある。


「落ち着け、伊織」


 真也が左手で僕の腕をつかむ。


「これは神奈が乗り越えるべきことだ。俺たちの出る幕じゃない」


 よく見れば、真也が握りしめている右拳は真っ白になっている。

 横にいる清奈に至っては、唇を噛み締めすぎたのか口の端に血が滲んでいた。

 それを見て僕は自分の頭にひどく血が昇っていたことに気が付いた。


「……分かった。でも、あいつが一線を超えるようなら黙っていられないと思う」

「それは俺もだ」

「私もです」


 むしろ実の姉である清奈の方がキレたいだろうに、僕が頭に血を昇らせたせいで逆に落ち着いてしまったようだ。

 まあ、キレた清奈を宥めるのは僕も自信がないので、怪我の功名ということにしておこう。

 僕たちがそんなやり取りをしている間にも、頭を蹴られた神奈はそれでも素早く体勢を建て直す。

 顔や服のあちこちに血がついているところを見ると、鬼人の能力で傷の回復はしているものの、神奈のダメージは浅くない。

 鬼人と言えども、傷は回復できても体力が回復できるわけではないし、精神力などは人のそれ相応に過ぎない。


「うんうん、このくらいなら平気ってわけだ。それなら!」


 動きに反応して前に飛び出した神奈の喉元に、まるで吸い込まれるかのように数珠丸の刀の峰が叩き込まれる。

 数珠丸が動きと気配で放ったフェイントにまともに引っかかった形だ。


「がっ!?」


 気道が潰れれば鬼人であろうが窒息する。

 たまらず喉元を押さえてうずくまる神奈を再び蹴り飛ばす数珠丸。

 倒れ込んだ神奈の右足に、数珠丸は刀を突き立てた。


「あああああっ!」


 苦し紛れに振るった神奈の刀にまぐれだろうと当たる気配を見せず、左足も刺し貫く数珠丸。

 そしてまた間合いを空けて観察するようにのたうち回っている神奈を眺める。


「ふうん、刺し傷も治る、と」


 興味深そうにつぶやく数珠丸を、憤怒の目付きで睨む僕と真也と清奈。

 その時にたまたま新良木氏へと視線をやったとき、僕は違和感を感じた。

 一瞬だが、彼は確かに笑みを浮かべたのだ。

 昏い喜びを感じさせる笑みを。

 それは一瞬で消えたものの、神奈がいたぶられているのを見て喜んでいるというような浅いものではなく、もっと何か悍ましいものを感じさせた。


「だが失った血はどうなるのかな?」


 数珠丸が言うように、神奈の失った血は少なくない。

 その道衣は彼女の血を吸って赤く染まっており、そして明らかに神奈の息は上がっている。

 失った血は鬼人の力をもってしても簡単には戻らないのは明白だった。


「これ以上の戦いに意味があるのですか?」


 その痛ましい様子を見て春樹さんが新良木氏に訴える。

 ここまでやられれば命の危険を感じてもおかしくないが、神奈からは殺気の類はそれでも感じられない。

 試しというならば、春樹さんの言う通りこれで十分のはずだ。


「ふむ」


 新良木氏が思案気に唸ったときに空気が弛緩する。

 それは数珠丸と相対していた神奈も同じく。

 だが、その間隙を狙ったかのように、否、それを狙って数珠丸が動いた。

 まだ止めの号令は掛かっていない。

 放たれた鋒が狙っているのは、神奈の喉笛。


(させるか……!)


 腸を煮えくり返らせながらもこの戦いをずっと見ていたのは、数珠丸の動きを見切るためだ。

 確かに現時点では僕の敵う相手ではないが、格下と見下している神奈を相手にしているせいか、最初に比べて動きが雑になっている。

 そんな動きを読めないほどの差がある相手では、ない。

 玉響による加速で一気に抜刀しながら踏み込んだときに、ほぼ同時に同じように踏み込んできた人がいた。

 一刀さんだ。

 僕と同じような技を持つのか、それとも素でこの速さなのか。

 僕と一刀さんの刀が同時に、数珠丸の刀を阻む。


「おっと。こいつは余計なことをしたか」


 僕を見て一刀さんは苦笑を浮かべ、そして数珠丸へと視線を移すと別人のように顔を険しくする。


「やっぱりやりやがったなてめぇ」

「何が?」


 そう惚ける数珠丸だが、その声とは裏腹にその顔は一刀さんと同じくらいに険しく、そしてその目は僕に固定されていた。


「それより、三日月はともかく君は何? 五剣の前に出るとか、相応の覚悟はあるのかい?」


 余程、五剣でもない者に自分の剣を止められたのがお気に召さなかったようだ。

 けれど、知ったことか。

 腹を立てているのはこっちが先だ。


「神奈、大丈夫?」


 数珠丸を無視して屈み込んで神奈の無事を確かめる。


「あ、うん」


 うなずく神奈は、顔色が少し青いことと、それまでに負った傷以外は問題なさそうだ。

 さすがに気付いたら白刃が喉のすぐ手前だったとか、鬼人だろうがさぞ怖かったことだろう。

 軽く頭を撫でておく。


「おい」


 苛立った様子の数珠丸をさらに無視して、僕は新良木氏に向き直る。


「先ほどの春樹さんの問いへの答えはどうなんです?」

「そうだったな」


 しかつめらしく言っているが、この人は数珠丸の動きを黙認していた節がある。

 まるで信用できない。


「確かにこれ以上は意味が薄いだろう。これにて試しは終了とする」


 新良木氏がそう宣言したことで、ようやく僕は力を抜く。

 これ以上数珠丸が手を出せば、それは明確に彼の方が責任を問われることになる。

 そんなリスクを背負うような度胸がある相手ではないだろう。

 僕はようやく奴の方を向く。


「それで、何?」


 同年代ということもあるし、何よりこいつにはとても腹を立てている。

 敬語なんて使うつもりはない。


「止めの号令は掛かっていなかったはずだ。ただの剣人が、五剣である俺の邪魔をしていいはずがないだろ?」

「五剣?」


 鼻で笑ってやる。


「五剣って言えば剣人の中でも最高峰の五人のことだよね。その剣はただの剣人に止められるほど安いの? 同じ五剣の一刀さんの剣なら止められる自信はなかったけどな」

「おまえ……!」


 一番触れて欲しくなかったところを突かれて激高する数珠丸。

 もちろん、わざと挑発した。

 怒り狂った数珠丸の、殺気すら籠もった鋒が僕目掛けて伸びてくる。

 だが、油断していなかった僕と怒りに我を忘れた数珠丸では、スタート地点が違う。

 それは実力差を大きく埋める鍵。

 鋒をぎりぎりで躱し、大きく踏み込んだ僕は峰を返した桜花を数珠丸の顔面目掛けて大きく振り抜いた。


「グベァッ!?」


 自身の勢いに僕の勢いもプラスされて、空中を半回転して道場の床に叩きつけられる数珠丸。

 死なない程度には手加減したが、鼻の骨が砕けた手応えはあった。


「ほ、ほまへ……!」


 すぐに起き上がったのはさすがと言えるかもしれない。

 鼻を押さえながらこちらを見上げる数珠丸の顔には、叩きつけた峰の後がくっきりと残っていた。


「だから何? 先に手を出したのはそっちだよ」

「ころふ!」


 血走った目で立ち上がろうとした数珠丸を、今度は一刀さんが刀を突きつけて止める。


「おい数珠丸。それ以上やるつもりなら、俺が斬る・・ぜ。先に斬りかかったのがおまえなことはここにいる全員が証言できる。これ以上続けるなら、おまえを斬っても俺はお咎めなしってワケだ」

「……」


 数珠丸の押さえた手の下から血が流れ出る。

 鼻が完全に潰れた状態では呼吸が不完全になり、それは実力を発揮できないことを意味する。

 その状態では一刀さんはおろか、僕にだって勝てるかどうか、怪しいところだ。

 一刀さんの脅しと言っても良い言葉に数珠丸は頭を冷やしたのか、手の刀を納刀する。

 その目は憎悪に満ちて僕を睨みつけていた。


「覚へてろ」


 捨て台詞と共に唾と血を床に吐き、数珠丸は足音も荒く鍛錬場から出ていった。


「やり過ぎだぜ、伊織」


 苦笑いする一刀さんとは対照的に、神奈に駆け寄っていた真也と清奈は、僕を見て満面の笑顔でサムズアップをしてきた。


「あれじゃおまえにターゲットは移すだろうが、本気で殺しに来かねない」


 わざわざ数珠丸を挑発したことには狙いが二つあった。

 このままだと数珠丸がずっと神奈に狙いを定めたり、理由を付けて害する可能性があると思ったので、一刀さんが読み取った通り僕に狙いを定めさせる意図があったのがひとつ。

 僕を格下と思っている数珠丸が僕への復讐のために他に矛先を向けることは、あの性格的に考えにくい。

 もうひとつはもちろん、意趣返し。

 ちょっとやりすぎたのは一刀さんの言う通りだけれど、後悔は別にしていない。


「トラブルがあったが、立ち合いは以上だ。それでは審議を続行する。とはいえおまえたちにはこれ以上同席してもらう義務も権利もない。あとは我ら長老の間での判断となる」


 動揺の欠片も見られない顔で新良木氏がそう宣言し、長老たちが会議室へと戻るべく立ち去っていく。

 残されたのは、僕たち以外には五剣のひとりである戸根崎さんだけだった。


「貴女やっぱり強いのね。油断していたと言っても五剣である数珠丸の顔に一撃入れるなんて。鬼人とは言っても女の子にあんなことをした数珠丸には当然の報いね。ねえ、ぜひウチに来てくれない?」

「え?」

「だから勧誘すんなって、童子切よ」

「三日月には言ってないわ。私はこの子と話してるの」

「おまえが強引だからだろうが」


 目の前でいきなり五剣同士という剣呑な対立が始まった。

 これはさっさと返答しないとまずい流れか。


「えっと、勧誘ならお断りします」

「そう? でも数珠丸が来たらどう対処するの。ウチなら常時護りを付けられるけど。そこの三日月はアテにならないわよ?」

「アテにはしていませんけど」


 そもそも一刀さんはさすがに五剣だけあって普段は多忙を極めているらしい。

 それは目の前の戸根崎さんも同じだろうけれど。


「それともそっちの子たちと共闘するの? 悪くはないけど少し実力が足りなくないかしら」


 戸根崎さんが真也たちを見ながらそう言う。

 確かに数珠丸に比べれば、僕たちにはまだ強さが足りないかもしれない。

 でも、それは追いつけないほどではない。


「足りない分は、強くなります。彼らも、僕も」


 僕の答えに戸根崎さんは一瞬きょとんとした顔をして、それから楽しくて堪らないと言ったように笑った。


「ふふ、そう。やはりいいわ、貴女。やっぱりなんとしても欲しくなったわ」


 前世だったらこんな美女に熱烈に求められればあっさりと靡いた自信があるけれど、今の僕は生憎と女の身だ。

 だが、そう言った戸根崎さんは肩をすくめた。


「だからこそ、今は退いておくわ。嫌われたくないし」

「そうしてくれると助かります……」


 こちらへの好意を隠さずに、自分の要望も表明しながらも配慮を示す。

 割と苦手なタイプかもしれない。

 いや、人間としては良い人のような気がするけど。


「ま、あとは出来ることはねえ。親父殿に託すしかねえな」


 そう言うと、一刀さんは大きく伸びをしてニヤリと笑った。


「老人どもの長話が終わるまで、どっかの部屋で少し休もうぜ。食い物でも運んで貰ってよ」


 その提案に、皆がうなずくのだった。

そろそろ仕事が忙しくなってくるため、更新頻度が落ちる可能性があります。

2月の半ばになれば落ち着くのですが……ご了承ください。

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