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おお、休みが終わってしまう……!
その後、鴻野道場に保管されていた神奈の刀を見たところ、人を斬った形跡は無いという春樹さんの見立てがあって全員がほっと胸を撫で下ろした。
僕が遠慮なく桜花で斬りつけまくったので凄い勢いで傷ついているが、逆に痕跡を拭っていない証拠になるということで、怪我の功名になりそうだ。
なんでもこの状態で刀身を拭って痕跡を拭き取った場合、傷ついた部分に影響が出て、手を加えたことが一目瞭然になると春樹さんが言っていた。
ともあれ、証拠についてはこれ以上のものを望むのは無理だろう。
あとは本番に臨むまで。
「成る程、それは俺も出向きたかったな」
次の日の放課後、僕たちから特別稽古の顛末を聞いた砂城の第一声はそれだった。
剣人用の道場へ向かう前に、寮の食堂でお茶を飲みながらお互いに近況の報告をしていたのだ。
「武鬼については俺も噂には聞いている。それほどの相手であれば一手見えたかったな」
「良い刺激になったことは確かだ。俺も清奈も、お陰で最近試していた技を物にすることができた」
「ほう? それは興味深いな。今日の稽古で見せてもらおう。しかし、黒峰はその武鬼と良い勝負ができるほど、か。流石だな」
「まだまだだよ。十回やって一回一本取れるかどうかって感じだし」
僕の言葉に真也と清奈が盛大に抗議の声を上げる。
「いや、一本取れる可能性がある時点でおかしいからな!?」
「そもそも、一刀さんに半年後には五剣のひとりと良い勝負ができると保証されるくらいですし……」
それは一刀さんの過大評価だと思います。
まあ、期待されたからには頑張るんだけど。
清奈の言葉に砂城が反応したように僕を見る。
「ひょっとして、その五剣とやらは数珠丸のことか?」
「ん? 知ってるんだ?」
「いや。だが、そうか。俺も半年で黒峰に追いつかねばならんな」
一刀さんは数珠丸に関してその剣が好きじゃないようなことを言っていたけれど、砂城もどこか数珠丸に良い感情を抱いていないように見えた。
性格悪いんだろうか数珠丸の人。
僕の疑問を見て取ったのか、砂城が数珠丸について話してくれた。
「数珠丸は俺と同い年でな。名前は田村清正。一年前に五剣の座に登りつめた。剣人としての仕事を一緒にしたことはないが、何度か手合わせはしたことがある」
忌々しそうに顔をしかめながら数珠丸について語る。
「腕は良い。それは認める。現時点では確かに黒峰よりも上だろう。だが……ヤツの剣は邪剣すれすれだ。勝てば良い、そういう思念に満ちている」
「邪剣? 汚い手を使うとか、そういう奴か?」
「まあ、そんな感じだ。生き死にの掛かった局面においてはヤツの剣は正しい。勝たねば死ぬのだからな。ただ、あれを首肯するのは俺には難しい」
確かに鬼人相手の戦いでは勝たねば何にもならない。
そういう意味ではその数珠丸の剣は正しい。
ただ、そういう剣は勝っても反目を受け、負ければ何も遺らない。
一刀さんが好きではないというのも、砂城が首肯し難いというのもそういう性質がゆえだろう。
当分数珠丸と関わることもないと思うし、特に気にすることもないとは思うけれど。
「まあ、ヤツの話は置いておいてだ。いよいよ明日なのだろう?」
「そうだな。やれるだけのことはした。今日も稽古はするが」
「では、先ほど言っていた技とやら、見せてもらおうか」
「ああ」
そう言い合いながら、剣術馬鹿二人は道場へと向かっていった。
僕と清奈も着替えてから行こうと自分の部屋へ向かおうとしたのだが、そこに後ろから声が掛かった。
「待ちなさい、黒峰さん」
振り返ると井上先輩がそこに仁王立ちになっていた。
うん、目の前の井上先輩よりも隣で目を細めた清奈の方がすごく怖いんですけど。
「何? この間の続きならもう聞かないけど」
「っ、相変わらず生意気ね……!」
あんまり話す意味がない気がしてきたけれど、今の井上先輩からはあまり敵意を感じない。
何か用があるのかと思って僕は足を止める。
いや、だから殺気放たないで清奈。
「ま、まあいいわ。それより、聞きたいことがあるの」
「うん」
先を促すように首を傾げたが、井上先輩はなかなか切り出そうとしない。
「稽古があるんですけど」
「私にだってあるわよ!」
まあ、先輩も剣人である以上当たり前だけれど。
手合わせをしたことこそないけれど、道場では同じ時間帯に稽古をしているんだし。
「そ、その。この間、あなた、砂城先輩が言おうとしたこと、遮ったでしょ」
「ああ、うん」
遮りはしたけれど、砂城が何を言おうとしたのかは井上先輩にも分かってしまったはずだ。
あの後、顔色真っ青だったし。
「なんで?」
「なんでって……言われたかった?」
「そ、そんなわけないでしょう!」
「なら、いいと思うんだけど」
「そうじゃなくて、理由よ、理由!」
ああ。
何を聞きたいのかは分かったけど、それを言うとこの人ますます凹むんじゃないかなぁ。
でも聞かれたからには答えておく。
「だって、別に井上先輩は敵ってわけじゃないし」
その言葉にぶん殴られたように目を見開く井上先輩。
まあ、敵視してた相手が自分をそう思っていなかった、というのは割と堪えるかもしれないけれど、僕からすれば井上先輩を敵視する理由がないんだから仕方ない。
「井上先輩には僕を敵視する理由があるし、まあそれは分かる。でも僕にしてみればそれは一方的で迷惑な話だっていうのは分かるよね?」
「なら、それで敵とは思わないの?」
「うーん、僕からすると、それは瑣末なことだからそんなに大げさにするつもりがない、っていうと怒るだろうけど、でも正直そう思ってる」
果たして井上先輩は眉を吊り上げる。
口を開こうとしたのを手で制して、僕は補足する。
「井上先輩にとって砂城先輩のことは優先順位が高いことだから、こう言われて怒るのは当然だと思う。けど、僕にとっては優先順位が低いことなのは、井上先輩にとっても悪いことじゃないと思うけど」
「……どういうこと?」
「僕が砂城先輩にそういう興味がないってことだけど」
「……」
それはそれで複雑らしい。
僕も今は女の身だけど乙女心は難解だ。
まあ、砂城にも剣に対する姿勢とか友人への気遣いとか、見るべきところはあるんだけれど。
友人としてはそう悪い奴でもないかな、というのが今の僕の評価だ。
「分かってくれた?」
「……ええ」
うなずいてはくれた井上先輩だが、目には再び敵意が籠もっていた。
「あの時庇ってくれたことには礼を言うわ。けど、あなたはやはり嫌いだわ」
「そっか。それは残念」
「ふん」
鼻を鳴らして井上先輩は踵を返す。
「行こう、清奈。ほら、そんなに怒らなくていいから」
憤懣やるかたないと言う雰囲気を醸し出している清奈を宥めつつ、僕たちも稽古へと向かうのだった。
* * *
そして迎えた査問会当日。
剣人会の本部へと出向いた僕たちは、随分とお金が掛かっていそうな会議室に佇んでいた。
まだ空席である他の剣人たちの座る椅子はふかふかした立派なものだが、僕たちの椅子は即席で用意されたパイプ椅子。
座り心地に差がありすぎる気がする。
ちなみに一緒に来た面子は春樹さんを筆頭に、真也、清奈、神奈、そして僕の五人。
砂城は参考人として別に来ているはずだが、今は一緒にはいない。
「随分と厳重だね」
まあ、剣鬼となった神奈を警戒しないわけがないのだが、玉響で感知しただけでもこの会議室を十名以上が包囲しているのが分かった。
「ああ。まあ、まだしも見えない場所にいるのは彼らの気遣いじゃないかな。刺激しないようにという思惑はあるんだろうけれどね」
同じく感知していたらしい春樹さんがそう感想を言ったときに、会議室の扉が豪快に開いた。
「よう、来たな」
ほとんど扉を蹴り開けるようにして、一刀さんがずかずかと入り込んできた。
そして会議室用の立派な椅子を一脚引っ張ってきて、僕たちの横に置くとどっかと座り込んだ。
「こっちでいいの?」
立場的には一刀さんは僕たちについてくれるが、座る場所までそこにすると、完全に旗色鮮明になってしまうと思うのだが。
「ああ。どうせこっちに付くんだ。頭の固い奴らがこっちを見て右往左往するのも見たいしな」
悪ガキのような笑みを浮かべる一刀さん。
いや、実際に行動の理由が悪ガキそのものなのだが。
「やれやれ。あんまり長老たちを刺激しないでくれよ、一刀くん」
「はん、あんなカビが生えてる奴らに遠慮する理由なんざねえな。親父殿とあとひとりくらいを除けばいなくたって構いやしねえ。むしろいねえ方がいいんじゃねえか」
過激な意見を口にする一刀さんは、どうやら本気でそう思っているようで目が笑っていない。
周囲に人が潜んでいることは一刀さんには丸分かりのはずだから、聞かれても構わないと思っているのだろう。
「さて、そろそろ来る頃だぜ。人の足を引っ張ることに長けた魑魅魍魎どものお出ましだ。気をつけろよ」
「やれやれ、一刀よ。おぬしの口の減らなさときたらまったく変わり映えせんのう」
「簡単に変わるわけねえだろ親父殿。あんたの息子だぜ、俺ァ」
まず入ってきたのは慈斎さんだった。
「うむ、伊織に清奈に神奈、順調に育っておるようじゃのう」
その育ってるというのはどのへんを指して言っているのか。
慈斎さんだけに油断できない。
「おら、とっとと席につけ助平親父。後ろがつかえるだろうが」
「まったく可愛げのない息子じゃて……」
ぶつぶつ言いながら席につく慈斎さん。
上座よりひとつずれた場所に座ったので、慈斎さん自身、剣人会においてかなり高位に位置するのだろう。
続いて入ってきた老人たちは見覚えがない人たちばかりだった。
慈斎さんもそうだが、紋付袴を身に着け、威厳たっぷりといった感じだ。
皆が着席してこちらを見る。
「ふむ、これが剣鬼か」
もっとも上座に位置した、痩せぎすの老人の口から言葉が発せられる。
その言い方、目付きは何やら物でも見るかのように無機質で、僕は若干の反発を覚えた。
そうするうちにも、さらに人が入ってくる。
金本さんがいるところを見ると、現役の五剣なのだろう。
だが、一刀さんと金本さんを含めて四人で数が合わない。
ただ驚いたのは、金本さんを除いた残り二人がとても若いことだった。
恐らく一番若く見える、僕たちと同年代の男子が数珠丸なのだろう。
もうひとりは二十代前半ほどの若い女性でこれも以外だったが、なぜか彼女は笑みを浮かべて僕の方を見ている。
僕には見覚えの無い人なんだけど、何なんだろうか。
「揃ったな。では剣鬼の処遇に関する査問会を開催する」
痩せぎすの老人がやはり感情を感じさせない低い声でそう宣言した。
目の前にいるのは長老と呼ばれているらしい人たちが五人と、五剣のうち三人の八人だ。
一刀さんはこっちに並んでしまっているので数えていない。
「三日月、なぜそちらに座っているのか」
「別に。俺がどこに座ろうと自由だろ?」
ほとんど挑発するような口調の一刀さんに、痩せぎすの老人はわずかに嘆息して首を横に振った。
「まあ良い。では査問の中心となっている剣鬼、茨木神奈は前に出よ」
「はい」
緊張した様子で神奈が返事し、前に出る。
しばらくその神奈を老人たちが穴が開くように眺める。
居心地悪そうに神奈が身じろぎすると、ようやく痩せぎすの老人が口を開いた。
「おのおのがた、どう思われる」
「本当に鬼人であるのか? 外見上は普通に見えるが」
「剣鬼よ。己が鬼人である証を立てよ」
何を言っているんだこの人たちは。
「神奈、そんな証立てなくていいからね」
僕の掛けた言葉に、老人たちがたちまちのうちに色めき立った。
「何を言うか!? この場はかの剣鬼の詮議の場だぞ。そもそも貴様は何の権利があって口を挟むか!」
五人の老人のうち、一番端っこに位置していたでっぷりと太った男が顔を真っ赤にして僕を怒鳴りつける。
ちなみに僕の発言を聞いて、慈斎さんは面白そうに笑っているが。
「正体がなんだろうと、神奈に害がないかどうかを審査する場なんでしょう? それなら、その証ならともかく、なんで鬼人である証なんか立てなくちゃならないのか、ちゃんとした理由を聞かせてくれませんか」
正直敬意なんか払うつもりは無いんだけど、くだらないところで時間を取るのも面倒なのでいちおう敬語でそう言い放つ。
春樹さんが止めに入らない限り遠慮なんかする気は無くなっていた。
「ぐむ……」
「分かった。ではそこは良いとしよう」
黙り込んだ太った老人の代わりに、痩せぎすの老人がいささかも感情的になった様子もなく続ける。
正直、この人が一番面倒なんじゃないだろうか。
「ではかの剣鬼が剣人会にとって、引いては人の世にとって害がないかを審議するとしよう」




