30
済みません、遅くなりました。
「一刀から頼まれたことはシンプルだ」
完全にバテた神奈以外の三人を前に、安仁屋さんは淡々と話し始めた。
真也と清奈はまだ多少とまどった様子だったが、大人しくそれを聞いている。
「おまえたちに鬼人の本気を見せる、それだけだ。相応の加減はするが、気を抜けば死ぬ。気をつけろ」
とてつもなくスパルタンな依頼である。
確かに死線をくぐれば強くはなれるが、人為的にそれを作り出すってどうなんだろう。
「まずはそこの二人からだ。伊織が混じると偏りが生じる。まずは見学していろ」
真也と清奈の二人に手招きする安仁屋さん。
それって僕はひとりで戦うことになるんでは……。
以前に戦ったときは、安仁屋さんは僕を殺さないようかなりの手加減をしていて、それですら正直戦いになっていなかったんだけど。
僕の無言の抗議は無言ゆえに気付かれることもなく、真也と清奈は緊張の面持ちで木刀を手に前に進み出た。
「では始めよう。おまえたちのうち、どちらかひとりでも俺に一撃入れれば終了だ」
安仁屋さんが構えると同時に真也と清奈は左右へと散開する。
注意を分散させるためだが、安仁屋さんはそれに付き合わなかった。
散開する動きに付いていくように、無造作に清奈へと肉薄。
あまりに自然な動きに清奈の動きが一瞬止まる。
「遅い」
遠目から見ていても霞むほどの動きで右手が一閃。
あっさりと清奈の意識を刈り取った。
「清奈!」
「他人の心配をしている暇はあるのか?」
気付けば真也の目の前。
慌てて斬りつける真也だが、そもそも慌てた時点でその攻撃は精彩を欠く。
そんな攻撃が安仁屋さんに通じるはずもなく、やすやすと真也の懐に入り込む。
「ぐはっ!」
水月に蹴りが叩き込まれ、たまらず吹き飛ぶ真也。
「ほう」
つぶやいた安仁屋さんは、そのまま体勢を建て直す暇も与えずに肉薄し、延髄への一撃で真也を道場の床に這いつくばらせた。
「気付けを頼む」
「あ、うん」
意識を失った二人に活を入れる。
「う……」
「これで二人とも一度死んだな」
目を醒ました二人に、安仁屋さんは無情に告げた。
「俺がおまえたち二人を倒すのに要した時間は十五秒。長いと思うか、短いと思うか」
「明らかに短いと思う」
悔しげに真也が答える。
「その通りだ。二年前、伊織は一対一の状況で俺に食らいつき、あまつさえ一矢報いることさえした。今のおまえたちはそれに劣るということになる」
「……なぜ、伊織さんに追いつけないんでしょうか」
唇を噛みながらも清奈が絞り出すようにして尋ねると、安仁屋さんが我が意を得たりと言うようにうなずいた。
「おまえたちが伊織に大きく劣っている点は二つ。気配を察知する力と、先読みだ。身体能力、剣技にそこまで大きな差は見られない」
そこで安仁屋さんは真也の方に視線をやった。
「おまえは先ほど、俺の動きを少し読んだな?」
「あ、ああ」
成る程、さっき安仁屋さんは一撃で真也の意識を奪うつもりだったのだろう。
だが真也がそれをある程度防いだので、追撃が必要になったのだ。
「まだ粗いが、不完全ながら俺の一撃を防いだのは上出来だ。そして気配察知についてだが」
今度は清奈の方に視線を移す。
「おまえは先ほど、俺が前に来たときに視覚と感覚の差に戸惑って動きを止めたな?」
「えっ、な、なぜそれを」
ああ、あれって単に驚いて動きを止めたわけじゃなかったんだ。
それにしても安仁屋さんは良く見ている。
「あのときに感覚に従って動いていれば、最初の一撃は躱せたはずだ。二人ともその年齢のときの俺に比べればだいぶマシだが、当然ながら伊織には遠い」
褒められたのかもしれないが、僕が安仁屋さんの年齢になって安仁屋さんに匹敵する腕になれていると思うかと聞かれれば、ぜんぜん自信はない。
そして当の真也と清奈はとても悔しげな顔をしている。
「良い顔だ。だがすべてを一朝一夕で身に付けることなど当然出来ん。ゆえにここで、真也は先読みの、清奈は気配察知の感覚をつかめ。いずれはどちらも身に付けねばならないが、まずはそれが一歩だ」
教え方はスパルタっぽいけど、一刀さんよりよほど分かりやすく教えてないだろうか。
安仁屋さんは二人に立って構えるよう促すと、自らもまた構えた。
「あとは実践あるのみ。行くぞ」
* * *
安仁屋さんの稽古が始まってから二時間が経っていた。
真也と清奈は何度も気絶させられながらも、目を醒ますとすぐに掛かっていく。
成果は目覚ましく、二人が気絶させられるまでの時間はどんどんと延びて行って、今は五分以上戦い続けていた。
「凄いですね、真也と清奈」
「確かに目を瞠るばかりの成長ぶりだね」
僕と春樹さんと神奈の三人はそれをずっと観戦していたのだが、春樹さんは特に熱心に見ているようだった。
「いつもと異なる相手で集中力が上がっていることもあるけれど、やはり武鬼の導き方が上手い。彼は才能ではなく、圧倒的な稽古量であの高みにまで登ったんだろうね」
それはお師さんも常々言っていたことだった。
生半可な才能で上に登った者は、己がどのようにして強くなったのかを理解していないために教えることが上手くない、と。
昔のお師さんはまさにその典型であり、三隅村に来たことでそれに気づき、技への理解を深めていったのだと聞いたことがある。
もちろん才能を持った上で理解をする人もいるが、非常に稀なのだそうだ。
「それにしても、鬼人に弟子を任せる日が来るとは想像もしていなかったよ。一刀くんの型破りは知っていたつもりだったけれど、想像以上だった。どこで武鬼と知り合ったかはともかく、まさか友人付き合いをしているなんてね」
苦笑いする春樹さん。
春樹さんも剣人としては型に嵌まっていない方だと思うのだが、一刀さんはそれ以上だった。
もちろん、安仁屋さんの実力と性格あってのことだとは思うけれど。
「右です!」
清奈の声に反応して真也が右に回り込んだ安仁屋さんを迎え撃つ。
どうやら清奈が安仁屋さんの位置を把握、真也をフォローしつつ先読みができる真也が前面に出ているようだ。
「ふむ。頃合いか」
ぱっと間合いを広げた安仁屋さんは、そうつぶやいて腰をさらに低く落とす。
そこから放たれる威圧感が先ほどに倍するほどのものになった。
「ギアを上げる。振り落とされるなよ」
言うなりその姿が霞む。
瞬時に清奈の背後に回り込んだ安仁屋さんが清奈の延髄に手刀を叩き込むが、その動きをかろうじて察知していたらしい清奈は軸をずらして急所を避ける。
「真也さん!」
それでも首筋に打撃を受けてふらつきながらも、清奈は安仁屋さんを真也の側へと追いやるべく木刀を振るう。
木刀を受けて動きが止まるのを嫌ったか、安仁屋さんは清奈の目論見通りに真也のいる方へと体をずらした。
「おお!」
そこを目掛けて真也は体ごとぶつかるように突進する。
正眼に構えた木刀がそのまま安仁屋さんの首筋を狙う。
「……」
体当たりするように突き出された木刀に沿うようにして、安仁屋さんはカウンターの拳を突き出した。
その刹那、真也は体の軸を左へと移してその腕の小手へと木刀を振り下ろす。
これは大毅流の基本技、『掌分』……!
「悪くない」
しかしそれはまるで安仁屋さんの腕を通り抜けるように受け流され、そのまま真也の腹に強烈なボディブローが決まった。
「か、は……!」
体をくの字に曲げる真也。
だが崩れ落ちる直前で持ちこたえる。
攻撃を受けた瞬間は反撃の最大のチャンス。
僕がさんざんお師さんに叩き込まれたことだが、当然それは兄弟子である春樹さんも同じであり、その弟子である真也にも清奈にも受け継がれている。
「らあああっ!」
「はああっ!」
曲げ掛けた膝を伸ばし、すくい上げるように斬り上げる真也。
それに呼応し挟みつけるように後ろから斬り下ろす清奈。
並の相手であればそのどちらも躱すことすらできないと思えるタイミング。
それを前に出て真也を吹き飛ばすことで両方を回避してのけた安仁屋さんは、だが何かを納得したようにうなずいていた。
「良いだろう。二人とも今の感覚を忘れるな。俺に通用しなかったことに関しては単に地力の差だと考えろ」
「それじゃあ」
「二人が組むのならば神奈を押さえることも叶うだろう。この短時間で良い進歩だ」
愛想はないながらも、安仁屋さんは指導者としてはしっかり相手を褒めるタイプのようだ。
その彼の言葉に真也と清奈の二人は目を丸くして、次に破顔した。
「ありがとう」
「礼なら一刀に言え」
戻ってきた二人に僕も声を掛ける。
「凄いね、二人とも。安仁屋さんの最後の動き、本気に近かったよ」
「そうか。少しはおまえに近づけたかな」
「まだ半分ってところのようですけど、前進出来たのは嬉しいですね」
手応えを感じたらしく、二人とも疲労困憊はしているものの顔色は明るい。
二人とハイタッチしてから、僕は安仁屋さんの前へと進み出る。
「さて、次は僕の番だね」
「伊織とはあの夏以来だな」
敢えて目を背けないつもりなのか、安仁屋さんはわざわざあの時のことを口にした。
僕を動揺させようといった意図はまったくないだろう。
そもそも安仁屋さんの方が遙か格上であるし、やる意味もないからだ。
「うん。あのときは捨て身で一本取っただけだった。今日は、普通に一本取る」
「その意気や良し。だが、安くはないぞ」
「承知の上!」
知る限りで最高の武人にして最強の鬼人。
相手に取って不足はないが、安仁屋さんにとっては僕は不足だらけだ。
その不足が、あのときと比べてどれくらい埋めることができたのか、それを確認する良い機会。
僕は木刀を手に、安仁屋さんと向かい合った。
* * *
静寂の支配する道場に、ただ熱気が立ち昇る。
木刀を正眼に構えたまますでに五分が経っていた。
その間、何もしていないわけではない。
僕と安仁屋さんは互いの手を先の先まで読んでは目線や鋒の揺れなどの微妙な動きで潰し合い、結果として一歩も動けてはいなかった。
動けば均衡が崩れ、相手に付け入る隙を生む。
「……」
吹き出た汗が顎を伝い落ちる。
精神的な疲労が僕を蝕んでいた。
経験の差か、安仁屋さんにはまだまだ余裕があるように見える。
このまま行けば負けるのは順当に僕の方だろう。
その前に勝負に出る必要がある。
(けれど)
生半可で勝てる相手では元よりない。
勝負に出るならば必勝の気構えが必要だ。
先ほどの真也と清奈のような、気迫と覚悟が。
ふと思いつく。
二人がやったことをそのまま出来るわけではないが、似たようなことであれば可能じゃないだろうか。
そのままでは通用しないことは証明されているし、何より布石を打たないと狙いを見透かされる。
どのように布石を打つかを考えたときに、僕の脳裏にお師さんの教えが蘇る。
『良いか伊織よ。高度な戦いには駆け引きというものが必要であり、駆け引きには演技というものが必要じゃ』
地稽古の際にお師さんがたまにやる引っかけに、まんまと僕が引っかかったときにそう言われた。
『演技とは芝居ではない。演ずる技、すなわち技術。戦いにおいては虚実の虚をいかに実と見せかけられるかが問われる』
それは刀の動きであり、さらには体の捌きであり、そして究極には。
『気じゃ。気を操ることによって相手に虚を実、実を虚と見せかけることができる。じゃがこれは簡単ではない』
気とは物語に出てくるオーラや不思議な力のことではない。
己の注力する先に向ける意識、それに集中される気配のことを言う。
人間が何かを行うとき、必ず無意識にやっていることだ。
先読みとはこの気配を察知する能力だとも言える。
だがそれが分かっていても、己が注意を向けた先に気を向けずにいることは至難の業。
お師さんにしてからが入念な準備を整えてようやく一太刀、というレベルだという。
『それは無想の太刀とでも言うべきものであり、一生を賭けて求めるべきものじゃろう。ゆえにそれを用いよとは言わん』
目指すなとは言わなかったところがお師さんらしい。
そしてお師さんは実戦で使える技術について教えてくれたのだ。
これは特に格上に有効ではあるが、ある程度のリスクが付いて回る技だ。
今このとき、この場で試すにはふさわしい技と言える。
正眼に構えたまま、徐々に、徐々に重心を前掛かりにシフトする。
当然気づいた安仁屋さんは、口の端をわずかに上げて大きくこちらへと踏み込んできた。
こちらの誘いであることは分かっての上。
その上で噛み破る自信もあってのことだ。
ここからは一発勝負。
僕も呼応するように前へ躍り出た。
次の更新は1月2日になります。
ご了承ください。