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剣人  作者: はむ星
青年篇
59/113

26

とんでもなく寒い日ですね……。

手がかじかみます。

 剣術をやる際に、お師さんに言われたことはいくつかあるが、そのひとつに『目を瞑るな』というのがある。

 達人の剣は構えた状態から首を落とすまでを、まばたきひとつする間にやってのけてみせる。

 そんなのを相手に目を瞑ればどうなるかは言うまでもない。

 最初は僕も剣を振るときや木刀が当たりそうになったときに目を瞑ったりして怒られたものだが、今はもちろんそんなことはしない。


「ほな、さいなら」


 その台詞と同時に連華の鉤爪が迫ってきたときも、僕はその教えに従ってまばたきひとつせずにいた。

 右目が血で塞がれているなら、左目と玉響を駆使するまで。

 僕だけに向かって伸ばされてくる十本の鉤爪。

 最初の一本を刀で受け、流したときに脳裏に激しく警鐘が鳴った。

 二本目を躱し、三本目を弾く。

 それはうまく回避しているように見えて、連華の術中だったことに僕は気付く。

 だが、すでに蟻地獄にはまった僕にそれを回避する術はない。

 これは一本目から九本目まではすべて僕を誘導するためのもの。

 そして、十本目は躱せない。

 九本目を躱したとき、僕は連華の注文通りに姿勢を崩してしまう。


「伊織っ!」


 この体勢では回避も受けも行えない。

 だが――。


 ぎゃりん!


 硬いもの同士が激しくぶつかる音を立てて、僕は鉤爪を刀で弾く。


「うん? 今、ありえへん動きやったな」


 頭が万力で締め付けられているかのように痛む。

 足も、腕も何千もの針を突き刺したような痛みがある。

 目尻から何か流れ出しているような気がする。


「い、伊織。おまえ……」


 今日、四回目の玉響による加速。

 必殺の一撃は、必殺であるがゆえに読めた。

 それによって加速し、十本目の鉤爪を弾くことまでは成功した。

 問題は、その負荷に僕が耐えられなかった・・・・・・・・ことだ。

 腕はもう刀を支えられない。

 足はもう体重を支えられない。

 ゆっくりと地面に倒れ込む僕を、誰かが後ろから支えた。


「やるじゃねえか。今の、縮地か?」

「え……?」


 見上げる。

 僕を小脇に抱えるようにして支えていたのは、見覚えのある人物――五剣筆頭『三日月』神宮一刀さんだった。


「な、なんで……」

「ああ、一期一振にどうしてもって頼まれたんでな。それにあんたとは手合わせの約束もあるし」


 そう言って一刀さんは、もはや自力では立つこともできない僕を真也に預けると、連華へと向き直った。


「よう、おばはん」


 第一声に本人よりも僕と真也の顔の方が引き攣る。

 連華はおばさん呼ばわりはまったく気にした様子ではなかったが、一刀さんを見て眉を寄せた。


「三日月の小僧かえ。また面倒なのが来よったなあ……」

「そう思うんなら帰ってくれていいんだぜ。俺もあんたの相手は願い下げだ」

「うーん……」


 連華が悩む素振りを見せたときに、根岸が金本の一撃で真っ二つになるのが見えた。

 彼女もそれを見たようで、ひとつうなずくとあっさり踵を返した。


「根岸はんも駄目やったみたいやし、ここは退くことにしとくわあ」

「そうしてくれんなら助かるぜ」

「借りひとつ、やな」

「忘れてくれていいんだがな」


 首を竦めてぼやく一刀さん。

 後ろを警戒する様子もなく数歩進んだ連華は、思い出したように立ち止まって僕の方を見た。


「そうそう。またわざわざ殺しに来たりはせんよって、安心しとき。ただなあ、またうちと遭うたときは覚悟するんやね。それが嫌やったら、大人しゅうしとるか、強うおなり」


 そうして、彼女は今度こそ去って行った。

 ずっと首根っこをつかまれていたかのような重圧が去ったことで、僕は思わず長いため息をつく。


「あれを相手に良く生きてたな? あいつが遊んでるつもりでも、並の剣人なら一瞬で磨り潰されて終わりだぜ、ありゃ」

「一刀さんが来てくれなかったら、死んでたよ」


 本当にぎりぎりだった。

 今の僕は自分で立つことすら覚束ず、まるで荷物のように真也に抱えられているだけの存在だ。


「ま、一期一振に礼を言っとくんだな。もうちっと早く来れりゃ良かったんだが、まあ生きてたんだし許せ」

「うん」


 命があっただけでめっけものだと思う。

 特に一刀さんは僕を助ける義理なんてなかったわけだし、感謝はすれ注文をつけるなんてとんでもないことだ。


「さて、おまえらも動けるようにせんとな」


 そう言うと一刀さんは、真也と砂城を貫いている鉤爪を取り出した刀であっさりと斬ってしまった。


「出血がひどくなるから、抜くのは病院行ってからにしな」


 一刀さんは二人になんの衝撃も与えずに鉤爪を斬った。

 真也と砂城の二人では斬ることもできなかったものを、だ。

 それがどれだけの技量を要するのかは言うまでもない。

 ……それにしても何か嫌な予感がする。


「黒峰!」


 動けなかった間焦燥に身を焦がしていたらしい砂城がこちらへと走り寄ってきた。


 嫌な予感というものは外れない。


 真也の制止も間に合わず、こちらへ来るなり砂城はいきなり人をきつく抱きしめてくれやがったのだ。

 普段なら回避なり殴るなりするし、それができなかったとしても嫌な思いをしたで済むのだが、今の僕は満身創痍。

 足は動かないから回避できないし腕も持ち上がらないから殴ることもできないし、そもそもそうなってるのは筋断裂とかそんなのが疑われるわけで。

 そんな状態で力一杯抱きしめられたりすればどうなるかなんて言うまでもない。


 激痛で僕は気絶した。


「やれやれ、若いねぇ」


 そんな一刀さんの声が聞こえたような気がした。


*   *   *


 もはや消えゆくのみの根岸を見下ろしていた金本は、何を思ったのかその目の前にしゃがみ込んだ。


「根岸」

「金……本ォ……」

「今更許せとは言わぬ。許すとも言わぬ。地獄でまた会おう」

「……」


 緩慢にもがいていた根岸は、金本のその言葉に動きを止めた。


「そう、だな。俺も、おまえも、地獄、で……」


 さらさらと崩れていく根岸。

 金本はそれを最後まで見送るかのようにじっと見つめていた。


「終わったな、金本」

「ああ」


 伊織たちの方を見れば、一刀の登場で連華は退いたようだった。


(どうにか、しのげたようだね)


 春樹にしても今夜の戦いは薄氷を踏むような勝利だった。

 一刀が間に合わなければ伊織は死んでいただろうし、その後自分たちもどうなっていたか分からない。

 連華自身はこちらには手を出さないようなことは言っていたが、金本の手勢を妨害していたのは恐らく連華であろうし、絶対というものはないのだ。


「……神奈」


 先ほどから伊織の知り合いだという女性の後ろで小さくなっている神奈に、春樹はようやくにして声を掛ける。


「叔父さん……」


 決まり悪そうに春樹を見る神奈。

 それも無理はないだろう。

 ひとり暴走した挙句に鬼人の罠に嵌まって剣鬼と成り果て、伊織や神奈を殺してでも春樹の息子である真也を連れ去ろうとしたのだ。


「伊織ちゃんとどういう約束をしたんだい?」

「……負けたら、戻るって」


 伊織らしいと思いつつ、春樹は念を押すように質問する。


「それに、従う気はあるね?」

「……ん」

「なら、それでいい。お帰り、神奈」


 目に涙を浮かべて走り寄ってきた神奈を、両手を広げて迎え入れる。

 本当ならこれは頑張った伊織の役目だろうが、伊織相手では神奈が素直になれないかもしれないし、何よりあっちで気絶しているのでやりようがない。

 それなら保護者である自分の役割だろうと、春樹は考えたのだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい叔父さん……!」

「謝れるなら、大丈夫。ちゃんと、やり直せるよ、神奈」


 神奈の頭を落ち着かせるように撫でながら、春樹は微笑む。

 鬼人となってしまった神奈をこの先庇っていくのは困難を伴うが、それは分かり切っていたことだし、覚悟は済ませてある。

 最も高い障壁だと思われていた金本と、すでに取引が済んでいることは僥倖と言えた。

 そういう意味では幸先は良いのかもしれない。


「貴女は伊織ちゃんのお知り合いでしたね」

「あ、はい。有塚美紀と言います」


 泣きじゃくる神奈を宥めながら、春樹はそれまで神奈を匿うようにしてくれていた美紀の方へと視線を移した。

 銘を持つ剣人は例外なく強い力を持つ。

 一期一振の銘を持つ春樹を前に、美紀は緊張しているようで直立不動の姿勢になっていた。


「有塚さんですか。今回は命の危険もあるのに、お手伝い頂いてありがとうございました」

「い、いえ。大したこともできなくて。伊織ちゃんはあんなに……」


 俯く美紀に、春樹は首を横に振った。


「確かに彼女は凄かったでしょう。でも、それは皆の手伝いあってこそです。その中には貴女も含みます。本人に聞いても必ずそう言うと思いますよ」


 軽く笑うと、春樹はようやく落ち着いてきた神奈の背中に手を添えて、伊織たちの方へと歩き出す。


「いずれ、お礼をさせてください。それじゃ」

「あ……」


 一礼して背中を向けた春樹に、なぜか鼓動が少し高鳴るような気がした美紀であった。

 ほのかに明かりが差し始めた空を見上げると、人工物が風を切る音が近づいてくることに気付いた。


「……この音は」


 鬼人たちが呼んだヘリコプターのようだ。

 すでに雇い主はいないのでそのまま帰ってもらうことになるのだろう。

 損失の補填が剣人会から出るかどうかは、交渉次第といったところか。


 近づいてくるヘリコプターは、長かった一夜が明けたことを報せているかのようだった。


*   *   *


 激闘の夜から丸一日が過ぎ、僕は清奈と仲良く病院のベッドの上にいた。

 運良く筋断裂は免れて筋損傷、いわゆる肉離れで済んだのだが、三日は安静にしてその後はリハビリが必要だと言われてしまった。

 頭痛もなかなか引かなくて難渋した。

 あのとき僕は血涙を流してもいたらしく、玉響による加速は脳にも負担が行くのかもしれない。


「また無茶をしたんですね」

「えーっと」


 ジト目でこっちを見る清奈に、僕は目を泳がせて生返事をする。

 必要と言えば必要なことだったとは思っているんだけれど、無茶だったこともまた否定できない。


「でも、ありがとうございます、伊織さん」

「え?」


 てっきり雷が落ちるかと思っていた僕は目を瞬かせる。


「神奈が、戻ってきましたから」


 僕がここに運び込まれたときに、神奈も来て清奈に謝っていったという話だった。

 気絶していたので僕はその光景を見ることはできなかったんだけど。

 なお、砂城バカは僕の五メートル以内に近づくことを禁止した。


「もう二度と会えないのかもしれない、と半分覚悟を決めていたんですけれど。伊織さんのお陰でそうならずに済みました」

「……僕もやりたくてやったことだから」


 体中痛むけれど、ほんのりと心は温かくなった。

 清奈と笑い合ってると、病室の扉がノックされた。


「どうぞー」

「のんびりした返事だな。少しは良くなったのか、伊織」


 入ってきたのは松葉杖をついた真也と春樹さん、そしてその後ろに隠れるようにしている神奈だった。

 気配からすると病室の外に砂城がいるようだが、病室は五メートルないので奴は入れない。

 真也も砂城も軽くない怪我をしているから僕たちと同じく入院しているのだが、病室を出るくらいは大丈夫なようだ。


「頭痛はだいぶね。体はまだまだだけど」

「そうか。無理させたな。済まない」


 頭を下げる真也に僕は首を横に振ったのだが、思わぬところから追撃が入る。


「そうだな。真也がもっと強ければ、伊織ちゃんはここまでぼろぼろになることもなかっただろうな」

「ぐ……」


 容赦ない春樹さんに、思わず唸る真也。

 春樹さんの思惑としてはここで真也が一層奮起して修行に励むことなんだろう。

 そして真也はそういう風に動いてしまう男だ。


「それは俺も、だな」


 扉から顔を覗かせた砂城が、律儀に五メートルは守りつつ言う。

 どう見ても不審者です。

 腹を貫かれていた砂城だが、どうやら連華は本当に僕以外を殺す気がなかったらしく、わざわざ内臓を避けて刺していたため重篤化は免れたらしい。


「俺たちが不甲斐ないばかりに黒峰に余計な負担を負わせた。怪我が治り次第、特訓をするぞ、鴻野」

「ああ、そうだな」


 凹んでいる暇はないとばかりに、真也が顔を上げる。

 それを見て満足そうにうなずく春樹さんの後ろで、神奈が頬を膨らませているのが見えた。


「神奈、真也は超が付く鈍感だから、言わないと分からないよ」

「……伊織姉に言われたくない、と思う」


 あれ。

 今の言い方だと、神奈自身がそう思ったってわけじゃなくて、えーと。


「まあ真也に何かを言うかはともかくとして、神奈。今日は違うことのために来たんだろう? それこそ、君の言う通り伊織ちゃんはこんなだからね」


 何か酷いことを言われている気がする。

 春樹さんが促すと、神奈はおずおずと前に出てきた。

 清奈に何か言うのかと思いきや、僕の方を見ている。


「伊織姉。色々と酷いことして、酷いこと言ってごめん」


 そう言って、深々と頭を下げる神奈。

 ちょっと意外に思いながら、僕はその神奈の下げられた頭を見る。

 考えてみれば神奈が僕を本気で殺しに来たのも事実なわけで、確かに謝罪しないと彼女は前に進めないだろう。

 許すというのは簡単だし、許さないつもりなんてものもない。

 ただ、簡単に許してしまうのは神奈のためにならない気がする。

 考え込んでいる僕を、清奈が不安そうに見ているのが視界の隅に映る。


「うん、謝罪は受け容れるけど、許すには条件があるかな」

「条件?」


 顔を上げた神奈に僕はうなずいた。


「条件は三つ。ひとつ、ちゃんと道場に稽古に来ること。二つ、何かあったら必ず誰かに相談すること、三つ、勝手にいなくならないこと」


 神奈が剣鬼になったプロセスについては、神奈自身の記憶がおぼろげらしくまだ明らかになってない。

 ただ、鬼人になりかけた西木の例を考えると、神奈が剣鬼となる際に誰かを殺した可能性は払拭できない。

 もしそうであって、神奈がその記憶を不意に取り戻したりした場合に、彼女はまた黙っていなくなったりするかもしれない。

 そう考えての条件だ。


「……分かった」

「そっか。じゃあ、許す!」


 手を伸ばして、神奈の頭を撫でる。

 少し嫌そうな顔をされたけれど、いつぞやのように手を払いのけたりはされなかった。

 今は、それで十分だった。

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