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最近、内容の質が落ちていると思われるので更新頻度を三日に一度に落とします。
質とペースと両方維持できるのが一番いいんですが……。
氷上安人と朝霧観沙はとある農村の出身だった。
閉鎖的で余所者に厳しく、身内には大らかだが村独特の奇妙な決まりのある、割とどこにでもある村。
その村が他と唯一異なっていたのは、鬼人の村であったことだ。
剣人と争うことを好まず、人と関わることを好まず、隠者のような生活を送ることを望んだ鬼人たちによって造られた隠れ里。
そこでの生活は退屈で何の刺激もなく、けれど牧歌的でのんびりとした悪くない毎日だったと、氷上は記憶している。
ただし、村そのものは新しい血を受入れることもなかったため限界集落の様相を呈しており、氷上たちが成人する頃にはなくなっていただろうと、今は思う。
なぜ想像なのかと言えば、その村は今はないからだ。
当時、氷上には兄がいた。
およそ鬼人とは思えない優しい兄で、氷上はもちろん、氷上のひとつ下である観沙も彼によく懐いていた。
順当に行っていれば、兄と観沙は結婚していたんだろうと氷上は思う。
「安人、おまえは頭がいいな」
いたずら好きだった氷上が兄に凝ったいたずらを仕掛けるたびに、兄は咎めるどころかそう言って氷上を褒めた。
そのため氷上のいたずらはますます凝ったものになっていったために教育としては失敗だと思われるが、今の氷上の性格の一端を成しているものには間違いない。
その兄がある日の朝、十四歳になった氷上に観沙を連れて少し遠くにある沢に釣りにでも行くよう指示してきた。
剣人に追われた鬼人がどこで知ったのか村に逃げ込んで来て、厄介なことになりそうだからというのがその理由だった。
「外の鬼人は乱暴者が多いし追われて来たから気も立ってる。観沙は村で唯一の若い女性で器量良しだからな。極力奴らの目には触れない方がいい。安人が一緒なら安心だしな」
この頃すでに氷上も観沙も鬼人として目覚めていたが、相手も鬼人であることから大事を取ってそうしたのだろう。
「分かった。兄貴も気をつけてくれよな」
そう言って母の作ってくれた弁当を二人分持ち、ハイキング気分で観沙と出かけたことを、氷上は良く覚えている。
釣りの得意な氷上だったが、その日の成果は芳しくなかった。
多少気落ちしながら夕焼けの中帰宅の途についた氷上たちが異変に気付いたのは、村を一望できる下り道にさしかかった時だった。
「火事……!?」
身体能力は当時から観沙の方が上だった。
その鋭い視力で村から立ち昇る黒煙を見咎めた観沙が声を上げる。
「一軒どころじゃ、ない。これは、村が燃えている……!?」
観沙の声で気付いた氷上が見ると、その煙は村全体から湧き上がるように発生していた。
急いで村に戻ろうとした氷上を観沙が止め、さらに道の横の木陰へと押し込む。
「誰か、います」
遠目に見える村の周囲には、何名かの男たちがうろついているのが見えた。
その動きはまるで村から何者も逃さないようにするかのようであり、同時に逃れた者がいないか捜す動きでもあった。
「見つからないように戻ろう、観沙」
「はい。道は使えませんから、こっちへ」
森の中、周囲を警戒しながらの歩みは酷く遅く、氷上たちが村へとたどり着いたのはとっくに日が暮れた後だった。
まだ燻り、盛大に煙を吐き出す家屋。
村の内外には猛烈な焦げ臭さが漂っていた。
それに混じる嗅ぎ慣れない臭いと、村の入り口に陣取っている、刀を手にした不穏な男たち。
(刀。剣人……!?)
村の入り口に人影を認めた氷上と観沙は、迂闊に飛び出さずに林の中から様子を窺っていた。
「周囲の捜索、完了いたしました。周辺一キロ範囲内には誰もいないことが確認されております、筆頭」
「そうか」
村の入り口から百メートルは離れているにも関わらず、氷上は首筋に白刃を突き付けられているような気分だった。
少しでも身動きすれば、この距離、この暗がりであってもあの男は自分を見つけ出すだろう。
日が暮れていたこと、潜んでいた林から村の入り口の道までそれなりの距離があったこと、そして村の火事がまだ鎮火しておらず気配を探るのに不向きな状況だったことが、当時の氷上を救った。
息を殺して会話を盗み聞きする氷上の耳に、信じられない言葉が響く。
「では、ここの鬼人は撃滅完了ということだな。はぐれを追った先に思わぬ収穫があったものだ」
後に調べて判明したことだったが、このとき金本は鬼人に協力していた剣人を粛正し、さらにその剣人に接触していた鬼人を追ってここまでやって来ていた。
そこでどうやってかこの里の全員が鬼人であると知り、里を全滅させたのである。
その時の氷上と観沙はその場で飛び出る衝動を抑えることで手一杯だった。
相手は十名を越える剣人。
二人が姿を見せても手もなく殺されて終わりだろう。
「では帰投する。焦げ臭くて敵わん」
命令一下、剣人たちは整然とその場を立ち去ったのを確認して、氷上と観沙は見る影もない村へと立ち入った。
村は酷い有様だった。
逃げる村人を追い立てたのか、畑は踏み荒らされ、燃え残っている建物もほとんどが扉を蹴破られていた。
遺体が残っていないのは、村人のほとんどが追い詰められて鬼人化した後で殺されたせいか。
そんな中で。
「兄、貴……」
最後まで鬼人化しなかったのであろう、兄の遺体だけが炎の中に取り残されていた。
火傷を負うことも構わず引きずり出した兄の遺体は、追い詰めるためなのか、両手両足はなますのように斬られた痕があり、耳と鼻は削がれ目も潰されて生前の面影はなかった。
「あ、あ……ああああああああっ!」
ここまでされる何を兄がしたというのか。
鬼人だから、こんな目に遭わされても仕方ないとでもいうのか。
血の涙を流して慟哭する氷上の横で、観沙もまた血のにじむほどに唇を噛んでいた。
そこから、氷上安人と朝霧観沙の復讐は始まった。
村を襲った一団のことを調べ、力を蓄えていく日々。
あの日、大典太がなぜ村人が鬼人であることを知ったのかだけは謎のままであったが、氷上は里に逃げてきた鬼人から聞き出したのではないかと推測していた。
だがいずれにしても大典太があの村を襲い、壊滅させたことに間違いはない。
氷上はデモンを作り、DSへと改良し、茨木神奈という剣鬼を得た。
(大典太は神奈の存在を看過できない。必ず、仕留めに掛かる)
それこそが氷上の狙い目。
復讐の時はもうすぐだった。
* * *
「来たぞ。神奈から、場所の指定だ」
約束の日を明日に控えた朝、早朝の作戦会議のために僕たち三人が不法占拠した会議室で、真也がそう切り出した。
まあ不法占拠と言っても許可を取ってないというだけで、この時間帯に会議室を使う人なんていないのだが。
どうやって神奈が連絡してくるのかと思っていたのだが、どうやら鴻野道場にこっそりと書き置きを置いて行ったらしい。
それを見た春樹さんが、真也に連絡をくれたとのことだ。
「それで、場所は?」
「トレストタワー平池の屋上、ヘリポートに朝五時だそうだ」
それを聞いた僕と砂城の顔が渋いものになった。
真也も気付いているようで、その表情は冴えない。
「完璧なまでに逃げ場がないな」
「うん。もし爆破とかされたら一巻の終わりだね」
厄介なのは屋上を爆破されなければ無事に済むわけじゃないことだ。
例え一階だろうと爆破されれば周囲に甚大な被害を撒き散らしながらビルは倒壊し、屋上にいた者たちはひとたまりもなく死ぬだろう。
とはいえ、二十一階建てのビルの全フロアを明日の朝五時までに隅々まで調べるとなると、とてもじゃないが手が足りない。
「そうなると脅威の排除よりも、奴らの望む状況を作らないようにすることに注力した方が良い、か? 何も相手の注文通りに動いてやることもなかろう」
「例えばどんなのだ、紅矢?」
「どうにかして大典太がその場に現れぬようにする、奴らが指定の場所にたどり着く前に迎撃する、などが考えられる」
「それぞれの方法は?」
僕の質問に砂城は少し考えて口を開いた。
「大典太に関しては状況を話して説得する、以外はないな。実力に訴えても返り討ちに遭うのが関の山だろう。そして説得が効く相手でもない。つまりこの道は詰みだ」
「指定の場所にたどり着く前に迎撃する方は?」
「こちらは相手がどういう経路で目的地へ来るかの読みが必要となる。地上経路であればビル手前で待ち構えればそれで済むが……」
「上から来ることもあり得るよね」
「ああ。そもそもヘリポートだしな。そうなると防ぎようがない」
僕たちの議論を聞いていた真也が、そこで首を傾げた。
「いや、行けるんじゃないか?」
「む。どうやってだ、鴻野」
「どこから乗るのかは知らないが、ヘリなんて降りられる場所は限られてるだろう。そこを片っ端から当たっていくのはビルを調べるよりは楽なんじゃないか?」
「ふむ。確かにヘリはどこから飛んでくるかはともかく、奴らが平池市にいるのなら乗るのはそう離れた場所ではなかろうな。成る程、何も考えてないようで冴えているじゃないか、鴻野」
「おまえな……」
昨日は特に妙なヘリコプターは山王町でも平池市でも目撃されておらず、かつ鴻野道場に神奈が書き置きを残していったようである以上、必然的に彼女のいる場所は平池市からそう遠い場所ではないだろう。
砂城が平池市近郊の地図を持ってきて片っ端から調べていったところ、高層ビルの少ない平池町ではヘリコプターの降りられる場所となると河川敷でも広い極一部の場所や、学校のグラウンド、いくつかの空き地などに限られてくるらしいことが分かってきた。
市街から離れれば降りられる場所は増えていくが、氷上たちが今回の作戦を重視しているのであれば、大典太の動向を調べる必要がある。
そうである以上は何かと動きやすい市街にいると思うのが自然だ。
「ただ、少ないとは言っても俺たちだけでそれらをすべてカバーするのは不可能だ。剣人会の助けを受けるのは避けられん」
「そこは割り切ろう。今は神奈たちをビルに近づけないのが肝要だ。それにこの作戦にはもうひとつメリットがある」
「大典太がその場にいない可能性が高いこと、だね」
剣人会の人員を動かす以上は大典太にも情報が流れる可能性はあるが、神奈たちがどこからヘリに乗るのかは僕たちにだって直前まで分からない。
情報が直接漏れない限りは、大典太の行動は僕たちより必ずワンテンポ遅れるはずだし、何よりも氷上が流した情報が大典太を戸惑わせるはず。
その間隙を利用して、大典太を介入させずに神奈を止められれば僕たちとしては大成功と言ったところだろう。
「海千山千の大典太を相手にバレないよう剣人会の人員を動かすのは難しいな。ここは一期一振に頼ろう。俺よりはマシなはずだ。鴻野、連絡を頼む」
「分かった。ところで今の大典太の動きは?」
「なかなか動きをつかませんが、どうやらすでにトレストタワー平池の情報は流れているようだな。あの周辺で目撃されたという噂がある。噂レベルに過ぎんのでどうかと思っていたが、鴻野の情報からすれば間違いないだろう」
下見でもしていたんだろうか。
お偉いさんの割にはずいぶんとフットワークが軽い。
初日に僕たちを自らチェックしに来るくらいなので性分なのだろう。
今回、この作戦で出し抜ける可能性は十分にあるが、決して油断をしてはいけない相手だ。
「剣人会を動かして怪しい場所の張り込み、場合によっては足止めも視野に入れてもらった上で、可能性が高い場所三カ所には俺たちのいずれかが貼り付こう。無論、一番可能性が高い場所には黒峰、貴女に出向いてもらう」
「んー、そこは状況次第だけど」
どこが可能性が高いのかはなかなかに絞りづらいし、どうしても候補が複数挙がる以上は僕が別の場所に回った方が効果的なこともあり得る。
なにせ、歩いてビルに来る可能性だって低いとはいえゼロではないのだ。
「氷上にとっては大典太は標的であると同時に、警戒すべき相手でもある。相手の動きを探りつつも自分の場所はバレないようにしたいのなら、本人はあまり動かないようにするしかない」
「うーん……」
氷上の足取りはほとんどつかめていない。
僕たちに捕捉されるようでは、大典太にはとっくに見つかってしまっているだろうから当然とは言えるんだけど。
逆に考えてみよう。
「氷上が一番気にしているのは大典太で、次に僕たち。その動向を知りたいなら標的のいる場所から離れるほど不利なわけだから……」
先ほど砂城がヘリコプターが降りられそうな場所として赤丸を付けた地図を、手でなぞるようにしながら考える。
大典太はトレストタワー平池の周囲にいる可能性が高く、そして僕たちは日之出高校にいる。
そのトレストタワー平池と日之出高校の間には、ヘリコプターが降りられる箇所がない。
そうなると……。
手が考えるより先に一点で止まって、僕はその理由を考える。
「……何かと便利は良いし、灯台もと暗し、でもある、か。何より大典太が最初に姿を現したのがここだし」
「伊織?」
ぶつぶつとつぶやく僕に真也が声を掛ける。
顔を上げて、僕は推測を口にした。
「神奈たち、ここからヘリコプターに乗るんじゃないかな」
僕が示したのは、ここ、日之出高校のグラウンドだった。