17
「お、おい。大丈夫か、伊織」
「ちょっと目眩が……」
ずっと抑えていたのでしばらく動けそうにない。
「ふむ。では俺が運ぼうか」
「ち か よ る な !」
倒れたまま顔だけで威嚇すると、残念そうに引き下がる砂城。
動けない状態で狼を近づける馬鹿がどこにいるというのか。
「えっと、そろそろ状況を説明してもらっていいかしら? 何か非常に危ないことに巻き込まれた気はするんだけど」
真也の後ろに庇われていた遠藤先輩が、僕たちを見ながら当然の疑問を発した。
どうやら途中から意識を取り戻していたらしい。
「そうだな。こっちも聞きたいことがある、遠藤」
休憩がてら、真也たちと遠藤先輩が情報交換をする。
僕はひっくり返っていたけれど。
「ふむ。神奈に攫われてここまで連れてこられたが、その後ここで気絶させられた、か」
遠藤先輩によれば、彼女をここに攫ってきたのは神奈で間違いないということだった。
そしてここに連れてこられたときに池田兄と氷上と観沙が一緒におり、池田兄に遠藤先輩を引き渡すときに先輩を気絶させたのだという。
「その後、こいつが殺され掛けてたわけか」
ゴミでも見るかのような目で、砂城がいまだに蒼白な顔のまま床にへばっている池田兄を見やる。
「おい、あいつら何か言っていなかったか」
砂城に目を向けられた池田兄は小さく悲鳴をあげて縮こまる。
すっかり萎縮してしまっているようだ。
「兄さん、俺だ。一体何があったんだ」
池田先輩がなだめるようにして聞き出すと、ようやくぽつぽつと話し始めた。
それによると、やはり池田兄は氷上のパトロンとして金を出しており、その対価として氷上のクスリを流してもらったり、用心棒のようなことをさせていたりしたらしい。
氷上はDSだけでなく、他にもいくつかの種類の麻薬のようなクスリを扱っているとのことだった。
恐らく、デモンをDSへと進化させる過程でさまざまな調合などを行った副産物だろうと思われる。
今回、邪魔な安達先輩を排除し、婚約者のくせに言うことを聞かない遠藤先輩を躾けるために氷上たちに攫わせたまでは良かったが、そこで造反に遭ったという顛末のようだ。
「なぜ裏切ったのかとかは言ってたかい? 兄さん」
「……これ以上利用価値がない、と言っていた。最後に役立ってもらう、と」
ぼそぼそと喋る池田兄からは、前に見た傍若無人さは欠片も窺えない。
「遠藤先輩も殺す気だったのかな?」
寝っ転がったまま僕が聞くと、池田兄は首を横に振った。
「死ぬのは俺だけだ、と氷上が言っていた。それに意味があるとかなんとか」
「そっか」
納得した様子の僕に真也が問うような目を向けてきたので、遠藤先輩と池田兄弟には聞こえないよう、小声で説明する。
「今回のことは、僕たちをハメようとしたんだと思う。例の、大典太をおびき寄せることのついでに」
「……どういうことだ?」
首を傾げる真也だが、砂城は思い至ったらしくうなずいた。
「そうか。こいつだけを刀で殺し、その上で俺たちが遠藤を助けに来たならば、俺たちがこいつを殺したように見える、少なくともその疑いはある、というわけか」
「……その場で逃れたとしても、剣人会に後始末を頼んだとしても、少なくとも剣人会にはそんな風に映る。また友切がここに来る理由がひとつ増えるというわけか」
「それともうひとつ。僕たちを、というか真也を剣人側から引き離そうという狙いもあったと思う。僕たちにその気がなくても、剣人会が僕たちを疑えば自動的にそうなるわけだし」
「成る程な。小賢しいことだ」
「まあ、とにかく今回は防げたわけだし」
よいしょ、と起き上がる。
やはり血が足りないのに玉響による加速状態は無理があったようだ。
まだ頭がくらくらする。
「伊織も動けるようになったようだし、遠藤のことも助けたわけだ。戻るとするか」
「そうだな。その前にひとつやらねばならんが」
砂城はすたすたといまだに床にへたり込んでいる池田兄の前まで行くと、傲然と見下ろした。
「おい。もう一度同じことをしたら」
どす、と音を立てて砂城が抜いた刀が池田兄の股間のすぐ真下へと突き刺さる。
「ヒィッ!?」
「おまえのそこを切り落す。二度と盛れんようにしてやるからそう思え」
砂城が刀を引き抜くと同時に、異臭がして床に染みが広がった。
大の大人ではあるが、殺され掛けて完全に萎縮しているところにこれでは無理もないかもしれない。
しかし、それをした当の砂城は汚いものを見たと顔をしかめる。
その砂城にがくがくとうなずく池田兄を、池田先輩が複雑そうに見ていた。
「よし、戻るぞ」
そうして僕たちは、助け出した遠藤先輩を連れて、放心したように座り込んでいる池田兄を残してトレストタワー平池を後にした。
* * *
「ふうん、あれが武鬼が気に掛けとる子なぁ。おもろい娘ォやけど……なんや、きな臭い感じもするわぁ」
伊織たちの立ち去ったトレストタワー平池の最上階である二十一階。
その伊織が気配を探って誰もいないと判断した左の部屋から出てきた女は、彼女たちが立ち去ったエレベーターを見てそうつぶやいた。
年齢は二十代の半ばほど、身に纏った着物は余程に着慣れているのかしっくりと似合っている。
ただ、女からは得体の知れないものを感じさせる何かが漂っていた。
「さぁてさて、どないするかやなぁ。ま、ここは当初の予定通り、様子見に徹しまひょか。とは言うてもこのくらいはええやろうけど」
そう言うと、女は出てきた部屋の方を振り返った。
「根岸はん、奥のもん、なおしといてくれはります?」
「……承知した」
ゆらりと部屋から出てきた男は、まるで幽鬼のような雰囲気を纏った男だった。
黒いコートに伸びるに任せた長髪、痩せこけた顔の中で目だけが異様な光を帯びている。
その根岸と呼ばれた男は、かすかに喜悦の笑みを浮かべて奥の部屋へと歩いて行く。
「相変わらずやなぁ、根岸はん」
女の耳は奥の部屋のやり取りすらも軽々と拾う。
『だ、だれだおまえは』
『や、やめろ、何をする!?』
『ぎ、ぎぃあああああああああ!!』
そして男が激痛のあまり上げる意味を成さない叫びなどが続き、しばらくしてそれはぱたりと止んだ。
部屋の中から聞こえるのは何かを咀嚼するような音のみ。
やがてそれすらも聞こえなくなり、根岸が女のところへと戻ってくる。
黒いコート姿はそのままで外見に変化はなかったが、その身に濃い血の匂いを纏っていた。
「……待たせた。連華殿。世話を掛ける」
「ふふ、なんも。廃品回収みたいなもんやし。ほな、帰ろうかねぇ」
その根岸を見て連華と呼ばれた女は眉ひとつ動かさずに笑っていた。
* * *
その報を受けたのは次の日の夕食の席でのことだった。
「まずいことになった」
夕食どきの剣人寮の食堂で、砂城が開口一番そう言って顔を曇らせた。
心なしか、他の先輩がたもざわついている感じがある。
「池田和志が行方不明になっているらしい。例の部屋には大量の血痕が残っていたとか」
「氷上がやったってことか?」
「やる理由が分からん。それにあの後、あのビルの出入りには監視を付けた。氷上が出入りした報告はない」
砂城は剣人会の組織をフル活用しているようだ。
しかし氷上でないとするなら、一体なんなのか。
それより砂城の発言はそれのことだけではなかった。
「それはそれとして、大典太が平池市に入ったらしい」
「な……!?」
真也と二人して絶句する。
他の剣人の先輩がたがざわついているのはこれのことか。
「このタイミング、氷上がわざと情報を流したとしか思えん」
「確かに……」
そしてこれは防ぎようがない。
本来来て欲しくない相手をこそ狙っているであろう氷上は、ある意味で自爆を平気でする相手であり、その自爆をこちらが未然に防ぐのは非常に困難だ。
「恐らく、俺たちの前にも現れるぞ、大典太は。茨木の妹について、ボロを出さんよう心の準備をしておけ」
砂城がそう言ったときに食堂の出入り口に人影が現れたかと思うと、空気が一変した。
まるで、どこに居てもそれは間合いの中だと言わんばかりの圧力。
「御免」
その威圧感と共に入ってきたのは、鋼をより合わせたような筋肉をグレーのスーツの下に隠した、四十代ほどに見える中肉中背の男だった。
まさに睥睨という形容詞の似合う様子で食堂内を見回した男の顔は、僕たちを捉えるとぴたりとそこで止まった。
その猛禽のような鋭い目を見て僕は悟る。
この男こそが大典太だ。
「そこの貴様ら」
こちらへと歩いてきた男に、僕は思わずいつでも刀を抜けるよう身構えてしまった。
それは他の剣人たちにとって予想外の行動だったのか、食堂内に緊張が走る。
「む……?」
「おい、伊織!」
真也の言葉にも僕は構えを解けずにいた。
この男は僕たちをいつでも斬り捨てられるようにしてこちらへと歩いてきたからだ。
「成る程。それなりの腕のようだな。失礼した」
僕たちの前まで来た男は、感情の読めない目のまま両手を背中で組む。
これ程の腕の男が相手ではそんな事実は気休めに等しいが、それは敵対するつもりがないという意思表示ではあった。
ここでわざわざその意思表示をするということは、さっきのアレはいつものことなんだろうか?
その顔から感情は窺えないが、起伏が少ないわけではなく隠しているだけであることは、その強い目の光から分かる。
ゆっくりと僕も構えを解くと、食堂内の緊張がほんの少し緩和されたようだった。
「砂城紅矢、鴻野真也、黒峰伊織の三名だな? 我が名は金本敦。五剣がひとり、大典太だ。見知りおき願おう」
今まで元五剣に二人、現役の五剣にもひとり会っているが、この金本という剣人の放つ気配はその中で一番剣呑だ。
まるで常に抜身の刃が喉元に突き付けられているような、そんな感じがする。
確認に対し僕たちがそれぞれうなずくと、金本はずばりと用件に入った。
「貴様ら三名、先日、トラストタワー平池に行ったか?」
どこからそこにたどり着いたのかは分からないが、ある程度の確証を得て言っているはずだ。
ここはごまかしても意味がない。
「ええ、行きました」
「理由は」
「知人が無理矢理そこに連れて行かれたと知ったからです。それで連れ戻しに行きました」
「そこの住人のひとりが行方不明になっていることは?」
そちらからたどって来たわけか。
僕たちでもついさっき知ったというのに、情報が早い。
それともこれが氷上が与えた情報だろうか。
それに対して砂城が返答する。
「つい先ほど、知ったところです」
「ほう」
金本の気配が膨れあがる。
殺気ではなかったためかろうじて反応はせずに済んだが、心臓に良くないこと甚だしい。
「嘘は許さぬゆえ、心して返答せよ。貴様ら、己の意志を通すために一般人を手に掛けたりはしておらぬな?」
「はい。剣に誓って」
真也の生真面目な返答に満足したのか、金本は膨れあがった気配を収めた。
「その言、信じよう」
そう言って踵を返した金本に、内心で安堵に息を吐く。
「ところで――剣人が鬼人になったという噂を知っているか?」
――やられた。
自分が動揺を表に出さなかったかどうか自信がなかった。
この状況では見ることができないが、真也も砂城も似たようなものだろう。
張り詰めていたものが緩んだほんの一瞬を狙った問い掛け。
常に圧迫するような気配を放っていたのはこれが目的か。
「いえ。初耳です。そういう噂が?」
声を平静に保つことには成功したと思う。
背中越しに僕の方へと視線を向けた金本は、しばしの間を置いてうなずいた。
「そうか。――もうひとつ。根岸という鬼人に心当たりはないか」
「根岸?」
初めて聞いた名前に首を傾げると、金本はそのまま興味を無くしたかのように前を向いた。
「いや、埒もないことを聞いた。邪魔をしたな」
金本が立ち去ると、食堂内にほっとした雰囲気が広がった。
今回の件に無関係な先輩方にも、金本の放つ気配は剣呑だったのだろう。
「……思ったより来るのが早かったな」
「ああ。どうも、神奈のこともある程度知っている感じだったしな……」
真也の表情は冴えない。
「おまえら、何をやらかしたんだ?」
真也と砂城に声を掛けてきたのは、同じく三年の剣人、田村雅人だった。
砂城はその狷介な性格から誰とでも仲良くとは行かないようだが、その彼ともよく話をしている先輩のひとりだ。
「田村か。ちょっと厄介事に巻き込まれただけだ。遠藤の許婚の関係でな」
「ああ……あれか」
池田兄の傍若無人ぶりは剣道部ならずとも知られていることらしい。
「でも友切筆頭が来るほどのことじゃないだろう?」
「それが、どうやら死んだらしくてな。それで疑われたようだ」
真也の説明に田村先輩は目を丸くする。
「そりゃあおまえら怪しいよな。遠藤は喜んだだろうけどよ」
「やってないからな?」
「分かってるって」
苦笑した田村先輩は、そこで僕の方に顔を向けた。
「ところで茨木さんはどうしたの? ここのところ姿を見ないけど」
「ちょっと、怪我をして。もう少ししたら復帰するかと」
「そっか。それは寂しいな。俺で良ければ今度どっか一緒に遊びにいく?」
「おい、田村……」
田村先輩の軽い言葉に、地獄の底から響くような声がした。
「ははは、砂城が最近妙に女っ気がないと思ったらそういうことか。しかし今回はずいぶんと難物そうなのを選んだよな?」
「こいつには俺が本気になる価値がある。それだけのことだ」
「……そういう話は本人の前でしないでくれないかな」
げっそりしながら僕が言うと、田村先輩はやっぱり軽く笑って僕に向かって手を合わせた。
「ごめんごめん。でも砂城には気をつけた方がいいよ。手が早いからな」
「知ってます。対策もしてます」
具体的には三メートル以内に近づけないようにしているので。
「よし、表に出ろ田村」
「やだな、ちょっとしたジョークじゃないか。真実だけど」
コントのようなやり取りに食堂内の空気が軽くなる。
どうも狙ってやったようで、人間関係とかに強い先輩なのかもしれない。
大典太がこちらにやって来たことで、状況は氷上の狙った通りになりつつある。
この複雑な状況の中でどうやって神奈を守っていくべきか。
タイムリミットはすぐそこだというのに、解決すべき問題は山積みだった。
京都弁っぽいのはもちろんエセです。
気になる方がいらっしゃれば是非ツッコミを。