10
お待たせしました。
再開します。
私は何をしているんだっただろうか。
気持ちはふわふわしていて、自分の状態も定かではない。
まるで頭の中に赤いモヤが充満していて、それが何かを囁いているような。
その囁きは酷く不快で、私はモヤを切り裂くかのように刀を振るう。
そう、ただ刀を握ったときだけ、頭の中が晴れるような気がした。
だからひたすらに刀を振った。
相手はいたような気もするし、いなかったような気もする。
ただひとりだけの声が聞こえる。
「さ、次だよ。これも君のためだから」
その声は飄々としているようで、どこか少し悲しそうでもあって。
悲しそう、といえば何かを思い出しそうなのだが、それはモヤの囁きに阻まれる。
それにイラついて刀を振ると、柔らかい感触がして声が聞こえてくる。
それが心地よくてまた刀を振る。
「そうそう。ただ、君はこれだけじゃ不満みたいだね?」
不満。
そうだ、不満だ。
私が欲しいものは。
「そう、君が欲しいのは? そのために誰が邪魔?」
ああ、そうだ、思い出した。
私が欲しいもの。
そして、それを邪魔する奴を――。
* * *
剣人寮に入って困ったのは、毎日走って通学していたのが走らなくて良くなったことだ。
あれは体力作りに必須だと思っているので、結局早めに起きて町中を走ることにした。
グラウンドだけを二十キロ走るのはちょっと味気なかったからだ。
走り終わってシャワーを浴び、制服に着替える。
使いやすい寮のシャワーをゆっくり使えるのはありがたい点だ。
なお、寮では朝と夕の食事は調理師さんが作ってくれるとのこと。
今までずっと自炊だった僕としては逆に落ち着かない。
家事そのものが楽になるのはとても良いことなんだけど、まったくしないとなると自分でやる能力が落ちる。
やはりこれは土日は鴻野家で家事をしなければ。
初日の朝食時に剣人の生徒が全員揃っていたので、真也が僕をみんなに紹介してくれた。
友好的な人、無関心な人、井上先輩のように敵視する人がちょうど三分割された感じの反応だった。
それぞれ自己紹介してくれたので、名前と顔を一致させるよう頭に叩き込む。
一番顔を合わせることになりそうな同級生の女子である、鹿島美祈さんが友好的な方だったのは助かった。
男子の同級生である二人は何か反応が微妙だった。
なんだろう、僕に話し掛けることで、僕ではない別の誰かの機嫌を損ねるのをひどく恐れているような、そんな感じを受けた。
まあ、僕が嫌われているわけでもなさそうなので、気にしないことにする。
それから数日が経ち、僕も少しは寮の生活に慣れてきた。
今朝も走り込みをしてシャワーを浴びて朝食を頂き、食器を片付ける。
登校まで少し時間があるので、食事中から気になっていたことを片付けることにした。
「清奈、ちょっと」
今朝の食事中から、清奈の表情が少し暗いのが気に掛かっていたのだ。
清奈はそうそう暗い顔をする娘ではなく、良い意味で単純なので自分に掛かるストレスなどは上手に受け流す。
そんな彼女が暗い顔をしているということは、意味するところはひとつだ。
「神奈になにかあった?」
小声で囁くと、清奈は困ったように首を縦に振った。
「はい。昨日家に電話をしたんですが、三日前から家に帰って来ていないそうなんです」
「帰ってきていない……?」
「今までは外泊するにしても連絡だけは入れてたようなんですけれど、それもないらしくて」
清奈も神奈も携帯電話を持っていない。
僕もそうなのだが、僕は単純にお金がないから持っていないのであって、彼女たちは家の方針でそうなっている違いがある。
「今までこんなこと、なかったんですけれど……」
心配そうなため息をつく清奈だが、それも無理はない。
清奈がどれだけ神奈を可愛がっていたのかは良く知っているし、僕だってそう聞けば心配にもなる。
「神奈がどこに行っていたかとかは?」
僕の質問に、落ち着くまでそっとしておこうと、行き先を探ったりはしていなかったのだと清奈は首を横に振った。
そうなると捜そうにも手掛かりがない。
周囲を見回して、目当ての二人に声を掛ける。
「真也。砂城……先輩、も」
「紅矢で良いのだが」
「絶対イヤだ」
食器を片付け終わった二人を呼んで、神奈のことを伝える。
手掛かりがないのなら、手分けして捜すしかない。
砂城を呼んだのは猫の手も借りたいからに過ぎないのだ。
二人ともそれぞれ捜してくれることを約束してくれたので、昼休みに一度情報交換をすることにして登校した。
進展があったのはその日の昼休みに入ってすぐのときだった。
「よう、お二人さん。誰か捜してるんだって?」
声を掛けてきたのはクラス一の女好きと評判の水科裕二だ。
ただしモテないので女子に相手にされない不遇の男子でもあるが、本人はそれにめげる様子はない。
真也たちと合流しようと急いでいた僕と清奈は、何かありそうなその言葉に足を止める。
「清奈の妹をね」
「あ、やっぱり」
いきなり聞き捨てならないことを言う水科に、僕と清奈はほぼ同時に詰め寄った。
「何か知ってるんですか!?」
「知っていることがあるなら詳しく」
特に清奈の迫力が尋常でなく、水科は女の子に詰め寄られたにも関わらず、少し顔を引き攣らせて後ずさった。
「待った待った、怖ぇよおまえら! 話す、話すから落ち着いてプリーズ!」
降伏も迫らないうちから両手を挙げて白旗を掲げた水科は、最初から知っていることは話してくれるつもりだったようだ。
「おまえらも南アーケード街は知ってるだろ?」
当然知っていることのように切り出されたが、生憎ぜんぜん知らない。
清奈の顔を見ると、清奈も分かっていないようだった。
「知らない」
首を横に振る僕たちに、水科は愕然とした顔をした。
いやそこまで驚かなくても。
「……おまえら休日に何やってんだよ」
「稽古」
「何という……何という灰色の休日……っ!」
「そんなこともないけどなぁ。楽しいよ、稽古」
「黒峰、おまえは間違っている……! いいか、青春とは一度きり。男女で共に謳歌せずしてどうするんだ。そういうわけで今度の日曜日――」
「ごめん急いでるから要点だけお願い」
「ぐふう。……その南アーケードで茨木の妹を見たって話を聞いたんだよ」
いつものようにしんなりとなる水科だったが、律儀にちゃんと答えてくれた。
水科はこういうところが評価されていて、モテはしないが割とクラスの皆に好かれていたりする。
「そうですか。ありがとうございます、水科さん」
「お、おう」
深々と清奈に頭を下げられてやに下がる水科。
正体を知らなければ、清奈は楚々とした美人だから無理もない。
「ただ、今、南アーケード街に行くなら気をつけろよ。チンピラに絡まれたって話を良く聞くからよ」
「そっか。ありがと」
もっと話をしたそうな表情の水科を後に、お礼を言って立ち去る。
「手掛かり、あったね」
「はい。すぐにでも行きたいところですけれど……」
「まずは真也たちに話をしよう。その後で方針を決めた方がいいよ」
「分かりました」
待ち合わせ場所に指定した剣人寮の食堂に向かうと、待ちかねた様子の真也と砂城がいた。
「遅い。手掛かりを見つけたというのに」
「そちらもですか?」
「清奈たちも手掛かりを見つけたのか?」
早速情報を交換する。
真也たちは、ダークシードというチームに刀を持った少女が加わっている、という噂話を拾ってきており、それが神奈ではないかと睨んだようだ。
ダークシードというチームについては砂城が調べてきており、表向きはチーマーたちの集った集団に過ぎないが、裏で脱法ハーブを扱い、かなりの売上をあげて地元の暴力団に睨まれているらしい。
「この扱っているブツとやらがクセモノのようでな。いくつかの植物を組み合わせた錠剤という話だが、かなり強い常習性があり、さらに服用者は万能感と気分的高揚のみならず、実際に身体が強化され、ひどく好戦的になるらしい。名前は『DS』と言うようだ。チーム名そのままなのかも知れんが」
腕組みしながら砂城が嘆息する。
「前者はともかく、後者はどこかで聞いたような話だとは思わんか」
「……それ、赤い錠剤だったりする?」
「いや、白いらしいが、そんなものは糖衣なりなんなりでいくらでもごまかせる」
思っていたよりも遙かにきなくさい話になってきた。
清奈の方をちらりと見ると、顔色が青くなっていた。
その腕を抱え込むようにぎゅっと握ると、はっとしたように僕の方を見たので、微笑んでうなずく。
ひとりで突っ走っては何があるか分からない。
ここはみんなで進まなければ。
「……ありがとうございます、伊織さん。落ち着かないと、ですね」
「うん。でも早く動く必要はあると思う」
「そうだな。今日の放課後にでもすぐに……」
「いや、理由なんてどうとでもなるし、すぐ行こう」
僕の言葉に真也は一瞬ぎょっとしたような顔になったが、すぐにその通りだと思ったのか首を縦に振った。
授業は大事だけど、僕たちにとって神奈はもっと大事なのだ。
「それは良いが、ダークシードとやらがどこを根城にしているかは分かっているのか?」
「根城は知らないけど、神奈が目撃された場所を聞いたよ。南アーケード街だって」
「ほう」
砂城がそれを聞いて納得したように顎に手をやった。
何というのかそういう仕草がいちいち様になる。
イケメン滅べ。
「確かにダークシードの奴らがよく見かけられる場所だな。良し、俺も行こう。全員、私服に着替えておけ」
反射的に来なくていいと言いそうになったが、手があった方が助かるには決まっているので手で口を押さえる。
「春樹さんには連絡を入れておこう。何があるか分からないからね」
* * *
昼のアーケード街は閑散としていた。
人口が多いとは言っても大都市ではない以上、週末でもなければこんなものなのかもしれない。
昼は開いていない店も多いようで、シャッターがかなり閉まっている状態だ。
「闇雲に捜しても見つかるかどうかだな」
真也の言葉通り、人をつかまえて何か聞こうにも知ってそうな人が見当たらない。
「こういうときは定番の場所がある」
そう言い放つと自信たっぷりに歩き出す砂城。
他に指針もないので清奈と真也の二人は期待に満ちた眼差しで、僕は不承不承に付いていく。
砂城が向かった先は、古びた外装に開きっぱなしの扉からは電子音が鳴り響く店、すなわちゲームセンターだった。
「昼のゲームセンターにはよくドロップアウト組がたむろしている。寄ってみて損はなかろうよ」
そう言って堂々と入っていく砂城。
制服だったら補導されてしまいそうだが、今はみんな私服なのでその心配はない。
前世ではよくゲームセンターには遊びに行ったものだが、今世では一度も行ったことがない。
なんとなく懐かしさを感じながら中に入ると、入ってすぐのメダルゲームコーナーにどう見ても未成年の男たち五人が煙草を吸いながらたむろしているのが見えた。
砂城がそちらへ遠慮も配慮もなくずかずかと踏み込んでいく。
「聞きたいことがある」
無遠慮な切り込みに、思い切り反感を買った視線がぐさぐさと突き刺さるが、砂城はそれを意に介した様子もない。
「ダークシードというチームについて知っていることはないか」
「あぁ? なんだテメェ」
もともとあまり友好的でない人種にこんな尋ね方をすれば、当然こういう反応だろう。
しかし空気を読まない砂城はさらにそれに火を注ぐ。
「聞いているのは俺だ。知っているのか、知らないのか」
「黙って聞いてりゃずいぶんと調子づいてるじゃねえか。女の前で良いカッコしてえってか? あ?」
「駄目だな、これは。言葉が通じない猿だったようだ。他を当たるとしようか」
「テメェッ!」
猿呼ばわりされて激昂した男が砂城に殴りかかる。
いわゆるテレフォンパンチだが、砂城は敢えてそれを避けなかったようだ。
ただし首を回して衝撃を逃がし、ダメージを最小限にしたのはマゾでもなければ当然だろう。
「……これで先に手を出したのは貴様らの方だな? 表に出るがいい。店に迷惑を掛けるわけにはいかんからな」
そのやり取りを見ていた真也が呆れたように首を振る。
おとなしく見ていたところを見ると、砂城はいつもこんなやり方をしているのだろう。
「はっ、そっちの野郎はビビってんのか? 女を置いていくなら見逃してやるぜ」
「それはお断りだし、おまえらじゃそいつひとりにも勝てないぜ」
煽られた真也がそれには乗らずに冷静に返す。
正確にはこちらの誰にも勝てない、だけど。
刀がなかろうが、この男たちでは僕たちには遠く及ばない。
「寝言は寝て言えや。こいつをボコったら次はテメェだ。逃げんなよ!」
「ほう、面白い寝言だな。誰が誰をボコるんだ?」
にやりと笑った砂城が、裏道に五人を伸ばすのに一分も掛からなかった。
やっぱり男の方が力は強い。
僕も普通の男より力はあるけれど、刀がないともう少し掛かるだろう。
「さて、もう一度聞くぞ。ダークシードについて知っていることはないか」
「う……」
五人掛かりで挑んだのにあっさりと返り討ちに遭ったのがショックだったのか、先ほどの強気な態度は鳴りを潜めて顔色を変える男。
彼の目の前で、砂城がまだまだ殴る気満々に控えているのも大きいかもしれない。
「あ、あいつらには関わらねえ方がいい」
「それを決めるのは俺だ。話せ」
指を鳴らす砂城に怯えた目を向けながら、男は口を開いた。
その内容は僕たちが思っていたものより、だいぶ深刻なものだった。
ご感想ありがとうございます。
精神的BLですか。
どの辺までをおっしゃっているのかにもよりますが、あんまり生々しいことはしないつもりです。
描写力の限界というのもあるので悩ましいところではありますが……。