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剣人になった僕には、やらなければならないことが増えた。
ハチから頼まれたことはもちろんだが、剣人になったことで学校との関わり方も変わったからだ。
真っ先に変わったのが家だった。
今まで剣人ではないので鴻野の家から高校へと通っていたのだが、剣人になったということで剣人専用の学校寮に入ることになったのだ。
春樹さんの身の回りの世話ができなくなるので少し渋ったのだが、「僕もいい大人なんだし、身の回りのことくらいはできるよ。週末にでもご飯を食べさせてくれればそれで良いから」と春樹さんご本人に説得された。
砂城が居ることだけが懸念点だったが、清奈が寮は男女別だと言っていたのでそこは安心だ。
そういうわけで、僕は女子寮の一室で荷解きの最中だった。
「それにしても、見事なくらいに荷物が少ないですね……」
やや呆れたように、手伝ってくれている清奈が言う。
まあ普通ならかさばるはずの服は、僕の場合は稽古着が普段着を兼ねているし、普通の洋服なんて持っていないし、あとは寝間着と制服くらいなものなのでてんで量がない。
私物もぬいぐるみのポメとお師さんの形見の刀と数冊の本、光恵さんがくれた基礎化粧品セットくらいでやはり量はないのだ。
「ポメはまだ持ってたんですか。物持ちが良いというか何というか」
「あはは、まあ思い出の品だし」
「伊織さんの数少ない女の子としての持ち物ですしね」
「うぐ」
確かにポメ以外に女の子らしい持ち物なんて、基礎化粧品セットくらいしかない。
最後にお師さんの位牌を机の上に置いて、荷解きは完了した。
位牌に手を合わせる僕を見ていた清奈が、終わったのを見計らって声を掛けてきた。
「それじゃ、寮内を案内しますから」
僕と清奈以外に在学している女子の剣人は五人。
同学年がひとりで、二年生が二人、三年生が二人という内訳らしい。
なお、男子はもう少し多くて大体一学年に五人ずつくらいいるらしい。
「今日は休日だからいるかどうか分かりませんけど、出会ったら紹介しますから」
「うん、お願い」
二人で連れ立って割り当てられた一階の部屋を出る。
十名ほどが入れる寮内の気配を探ると、二階にひとり気配がある。
「二階に誰かひとりいるね」
「……よくわかりますね。最近、平蔵さんみたいになってきていませんか、伊織さん」
いや確かにお師さんは敷地内に誰か入ってきたらすぐさま察知してたけど、あそこまでの気配察知能力は僕にはまだない。
「たぶん、二年の井上先輩だと思います。挨拶に行きます?」
「うん、いない人は仕方ないけど、いるなら挨拶しときたい」
「分かりました。では」
清奈に案内されて二階へと向かう。
気配のある一室の前で清奈が立ち止まると、ノックするより先に扉が開いた。
「あら、茨木さん」
「こんにちは、井上先輩。今度こちらに入ることになった人を連れてきました」
「ああ、あの噂の」
井上先輩はさらっとした黒髪をセミロングに切り揃えた、切れ長の目が印象的なスレンダー美人だった。
ただ、なぜか挑むようにこっち見てるのが美人だけに迫力満点でコワい。
「えっと、黒峰伊織です。よろしく」
「井上結美よ」
握手をしようと思って差し伸べた僕の手を、微妙な動きで井上先輩が取った。
それを若干不審気に見ていた清奈が、先輩と別れて一階に戻る途中で小声で聞いてきた。
「何か妙な動きされていましたけど、何だったんです?」
「ん? ああ、指を捕りに来ようとしてたから、牽制しただけ」
「伊織さんがここに来るに当たって懸念がたくさんありましたけど、予想通りに前途多難そうですね……」
まあ、さっきくらいのことなら単なる腕試しだから気にするようなことでもない。
階段を降りている途中で玄関口に二人分の気配を感じ取る。
中に入ってこないところを見ると、女子ではなさそうだ。
「玄関に誰か来たみたいだけど」
「真也さんかも。今日、伊織さんが来るのはご存じでしたし」
……とするともうひとりいるのは例の野郎の疑いが。
絶対的に遭遇したくないので清奈に先行して様子を見に行ってもらう。
玄関口まで行った清奈がこちらを見て手招きをしているので、そこでようやく安心してのこのこ出て行くと果たして奴がそこにいた。
たちまちのうちにハリネズミになった僕を見て、清奈は宥めるような顔に、真也は済まなそうに、そして砂城本人は面白そうに笑っていた。
「こいつがどうしても謝りたいっていうから、連れてきた。手出しは絶対にさせないからそこは安心してくれ」
そう言う真也の顔はとても疲れているものだった。
ゴリ押しでもされたんだろうか。
「約束は守れよ、砂城。次に伊織に何かしたら俺と清奈が相手だ」
「ああ、分かっているとも」
余裕綽々にうなずいた砂城は、表情を改めて僕に対して深々と頭を下げた。
「先日の無礼、大変申し訳なかった。出来ればお許し頂き、交情を賜りたい」
むう。
そう真っ直ぐ来られると拒否しにくいけど感情はもう完全に拒絶一色。
どうしたものかと考え込んでいると、砂城はさらに言葉を続けた。
「叶うことならその先までと考えてはいるが」
「ちょっと」
尖った声で清奈が咎めると、真面目だった顔をまた余裕ぶった表情に戻して肩を竦める砂城。
「無理矢理そうしようというのではない。気長にやっていくという俺の心構えの宣言だ」
はいやっぱりノー! 完全にノー!
そう叫ぼうとした僕を、真也が手で制してきた。
「まあ、待ってくれ伊織。こいつの戯言は置いてだ」
「戯言ではないぞ。本気だ」
「いいから黙ってろ。ややこしくなるだろう」
気迫で砂城を黙らせた真也は、僕に向き直りながら寮を示すように両手を広げた。
「分かっていると思うが、ここは剣人用の寮だ。食堂は男女兼用、稽古に使う道場も剣人用ではあるが男女別じゃない」
まあそんなものだろうとは思う。
多感な思春期でもあるからある程度は必須ではあるけど、そこまで病的に男女を分けても仕方ないわけだし。
「つまり、こいつと伊織が顔を合わせることも必然的に多くなる。そんな中でずっとギスギスしててもお互いだけじゃなく周囲にも良いことはないだろう?」
「う」
確かにギスギスした雰囲気を放つのがひとりいれば、それだけで空気が悪くなる。
新入りがずっとそんなことしてれば村八分にされて当然なくらいだ。
僕だって常に棘だらけな人間が周囲にいれば、その棘が自分に向けられてないとしても嫌になるだろう。
つまり真也は、ここで暮らしていくなら僕自身のためにも、一応は砂城のことを許した方が良いと言っているわけだ。
「……分かった。確かに、それじゃ僕自身のためにならないし、周囲に迷惑も掛かるから、一応許すよ」
「ああ。伊織はそう言うと分かってた」
「ただし!」
僕はくわっと目に力を込める。
これだけは譲れない。
「砂城先輩は普段は許可なく僕の三メートル以内に近寄らないこと」
「な……。ちょっと待て」
何か言ってるが自分が行ったことのツケだと思え。
あっさりとあんなことする奴を近寄らせたら、何されるか分かったものじゃない。
「まあ仕方ないな」
「おい、鴻野」
あっさりとした首肯に真顔で抗議する砂城だが、真也は素知らぬ顔だ。
「身から出た錆だろう。せいぜい大人しくして伊織の怒りが解けるのを待つんだな」
「く……!」
多分あなたの在学中は解けないと思います。
まあ、話しかけられても無視とかはやめておこう。
そういえばこいつに対して怒ってるのはそれだけじゃないんだった。
「ひとつ、聞きたいことがあるんだけど」
「ほう、なんだ?」
「神奈に、弱いんだから戦いをやめろ、みたいなことを言ったって本当?」
「ああ……それか。本当だが?」
真面目にうなずき、砂城は腕組みした。
「初実戦だろうが、弱かろうが敵は待ってはくれん。弱いということを自覚したのなら、さっさと一線から退くべきだろう」
「そっか」
確かにそれは一面では正しいし、砂城はどうも本当に親切心から口にしたようだ。
でも、その考えは一面しか捉えてないと僕は思うのだ。
「砂城先輩、少し時間ある?」
「貴女のためとあらばいつでも空ける用意がある」
いちいち鳥肌が立つようなことを言わないで欲しい。
若干、いやかなり引き気味になりつつも、何とか当初の予定通りの言葉を吐き出す。
「それじゃ、一手、お手合わせ願うよ」
* * *
剣人用の道場は、男子寮の地下にあった。
確かに地下、それも剣人用の寮の下となれば一般の人の目には触れることはない。
「では、木刀での手合わせということで構わんな?」
「うん、それで」
道着に着替えた砂城と、地下道場の床の上で木刀を手に向かい合う。
(……うん、確かに強い)
隙のない構え、落ち着いた闘気、淀みのない足運び。
開始前だが、すでに僕との読み合いに入ったその姿は堂々として、実直な真也とは異なる力強さを感じさせる。
あまり負けたことはなさそうな雰囲気ではあるが、敗北で折れるようなガラスの天才というわけでもなさそうだ。
確かに、これなら真也の相棒として十分以上に戦えるだろう。
「……始め!」
審判役の真也の合図と同時に突っかける。
所作や構え、足運びを読み取ったところでは、砂城は自らの陣地を広げていくことを得意とする――慈斎さんと同じような――タイプのようだ。
ただ、慈斎さんは先へ先へとこちらの選択肢を奪っていくスタイルだったが、砂城は先手を取らせてカウンター気味に攻撃を仕掛けるスタイルのようだ。
ならば、後の先を取らせた上で勝つ。
容易ではないその方法をわざわざ選んだのは、僕の言いたいことがその方が良く伝わると思ったからだ。
「はっ!」
何の工夫も捻りもない袈裟斬りに眉を顰めながら砂城はそれを受け流すと、木刀を捻って最小限の動きで小手を狙って打ち込んでくる。
僕はそれを手を引くだけで外す。
「む……っ!?」
それが可能だったのは、通常の踏み込みより半歩浅く踏み込んで、腕を普通よりも伸ばして打ち込みを行ったからだ。
間合いを錯覚させる技のひとつで、大毅流においては『朧』と呼ぶ。
小手打ちを外されたことで常より間合いが遠いことに気づく砂城だが、遅い。
先ほどから集中は深めてきた。
さらなる深みに入った僕の視界で、砂城が木刀を引き戻そうとしているのが見えるが、それは水中にいるかのようにゆっくりと僕の目に映る。
大きく踏み込みながら砂城の木刀を自分の木刀で上から押さえ、そのまま滑らせるように斬り上げて首元で鋒を止めると、砂城は動きを止めた。
「勝負あり!」
真也の鋭い声が道場に響く。
ひとつ息を吐いてから、僕は木刀を引いた。
「完敗、だな。まさに言葉もない」
木刀を肩にかつぐようにしながら砂城は複雑そうな笑みを浮かべた。
相手の強さは認めつつも、自分がそれに及ばないのは心底では納得が行かない者の顔。
真也もそうだが、こういう人は強くなる。
「それで、俺に何が言いたい?」
「あ、うん」
随分と察しが良いことだが元々頭が回るようだし、切り出したタイミングもタイミングだったので、そのくらいは分かっていたのだろう。
「僕とあなたじゃ僕の方が強い。その僕が、あなたに弱いから引っ込んでろって言ったら大人しく引くの?」
「ふむ」
「僕だって最初の戦い、いや二度目の戦いもお師さんが助けてくれなければ死んでた。でも、お師さんはそこで僕に戦いをやめろとは言わなかった。だから僕は強くなろうと足掻きながらここまで来た」
砂城は腕組みをして目を閉じて黙って聞いている。
僕が何を言いたいのか分かったらしい真也と清奈は、目を見合わせてうなずき合っていた。
「誰だって最初は強くはない。弱いうちは周囲が助けてあげればいい。向き不向きは確かにあるだろうし、敵も待ってはくれないのも事実だけれど、性急に答えを出すべきじゃないと思う」
「……成る程。言いたいことは理解した」
目を開いた砂城は僕を正面から見ながら腕組みを解く。
「俺は俺が言っていたことが間違いだとは思わん。だが、性急に過ぎたというのは認めよう」
「そっか。良かった」
うなずいて笑うと、砂城は僕の顔を食い入るように凝視してから、渋面になって両手をあげた。
「なぜ三メートル以内に近づくのが禁止なのだ。こういうときは肩を抱いたりしても許されように」
「許されるわけないだろ阿呆か!?」
「却下だ、却下」
砂城と思わず距離を取りつつ叫ぶ僕の間に、真也が割り込みながら呆れた顔をする。
「むう、約束だから仕方ないか……。しかし、非を認めたからには茨木の妹にも謝罪せねばならんが……鴻野の道場には来ていないのだったな?」
その砂城の言葉に、清奈が表情を暗くする。
ここ数ヶ月、僕も神奈の顔を見ていない。
「ふむ、これは責任を感じざるを得んな。だがあの娘は俺が出向いたとて話を聞く気にはならんだろう」
それは確かに。
僕だってこいつが近づいてきたらダッシュで逃げる。
「清奈、頼める?」
「ええ。帰ってきたら伝えておきます」
うなずいて請け負った清奈に、僕も真也も安心した気分になっていた。
その数日後、神奈が家に帰ってこないという清奈の訴えを聞くまでは。