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美紀の部屋で一泊して、僕は鴻野家に戻った。
本当はホテルに泊まるつもりだったのだが、美紀が話もしたいから是非と勧めてくれて、それに甘える形になったのだ。
色々と積もる話をして、今後は友だちという形で付き合っていくことになった。
これは僕にとっては望外のことで、美紀が剣人だったことに少し感謝しそうになった。
以前の僕を知る人と、今の僕が友だちとしてやっていけるなんて思ってもいなかったのだ。
恋人を失ったというショックはあるそうなので、誰か良い人を見つけてあげなければならないかもしれない。
そして死んでしまった以前の僕については、剣人会によって通り魔殺人の犠牲者ということになり、犯人は不明ということで片付けられるようだった。
実際に起こった出来事であることは間違いない話なのだが、犯人は鬼人であり、すでに死んで霧散しているので捕まえようがない。
以前の僕を産んでくれた両親には本当に申し訳ないことになったけれど、こればかりは僕にもどうしようもないことだ。
表向き事件と関係がないことになっている僕が葬儀に出席するわけにも行かないので、後日に美紀に様子を聞いて、場合によってはこっそり様子を見に行くことにする。
さしあたっての問題は、鴻野家に戻った僕を待ち受けていた、腕組みした春樹さんだった。
「さて、伊織ちゃん。色々と話がある」
「はい」
普段は結構僕に甘い春樹さんだけれど、今浮かんでいる表情は厳しいものだ。
剣人会から昨日の事件について聞いたんだろう。
自然と居住まいを正し、僕は春樹さんの前に神妙に正座する。
「まず、最初の質問だ。君はいつから剣人として目覚めていたんだい?」
「昨日から。それ以前に目覚めていたら、絶対に春樹さんに相談したと思います」
先制パンチに対する返答は結構意外な答えだったようで、春樹さんは毒気を抜かれたように目を瞬かせた。
まあ、いきなり剣人に目覚めたなんて普通は思わないし。
「そうか……良かったよ。頼りにならないと思われているのかと思ったんだ」
少し表情を緩めた春樹さんだったが、再びそれを引き締めた。
むしろここからが本番だ。
「それじゃ、次の質問だ。伊織ちゃん。君は今回、このために有富市へ行ったね?」
旅行に行くと言って出かけた僕が、特に目立った観光資源があるわけでもない有富市にいて鬼人との戦いに巻き込まれたとなれば、そういう推測は成り立つだろう。
実際にその通りなわけだし、言い訳はできない。
「……はい、黙っててごめんなさい。理由は言えないけど、ああなることを知っていたから」
「ふむ、理由は言えない、か」
腕組みしたまま春樹さんは瞑目する。
実際には言えないのではなく、信じて貰えないだろうと判断したのが理由だ。
美紀は以前の僕と親しかったがゆえに、今の僕との共通点を見出して信じてくれたが、それは固有のケースだ。
普通は信じられないだろうし、もし以前の僕がそんな話を聞かされても相手の頭がおかしくなったと思うことは自信を持って断言できる。
さすがに春樹さんや真也にそう思われるのは避けたかった。
納得は当然できないと思うのだが、春樹さんはうなずいてくれた。
「分かった。最後の質問だよ。僕たちに恥じるようなことはしていないと、師匠の名に賭けて誓えるかい?」
それは春樹さんの譲歩だろう。
僕は今回、春樹さんたちに黙って危険と分かり切っていることに首を突っ込んだ。
なおかつ、そうするに至った理由を言えないとまで言っている。
そんな相手を信頼するのが難しいのは言うまでもない。
これまでに積み上げた信用を重んじてくれた春樹さんが、僕が大切なものに対して誓えるのなら、これまで通り信頼すると言ってくれているのだ。
ここまで言ってくれることに、少なからず感動する。
当然、答えはひとつだった。
「誓います。お師さんの名を穢すようなことは、決してしていません」
「そうか」
ほっとしたように春樹さんはようやく表情を緩め、腕組みを解いた。
「それにしても、伊織ちゃんが剣人にねぇ……意外なような、そうでもないような気分だよ」
「僕も急なことだったから、あんまり実感がないです」
『鞘』から桜花を取り出してみせると、春樹さんは唸った。
「本当に剣人になってるね。近年では例のないことだよ。剣人会は大騒ぎになっているんじゃないかな」
「え」
「君は師匠に拾われて、その剣技を叩き込まれて育ったけど、師匠と血の繋がりがあるわけじゃない」
春樹さんは確認するように指を立てながら言う。
「一方で剣人会は血筋を重視していて、剣人の家系はもちろんのこと、その周囲についてまで調べている。剣人だって聖人君子じゃないからたまに私生児なんかも誕生するんだけど、剣人会はその行方と剣人に目覚めているかどうかまで把握しているんだ。ほとんど偏執狂の域だとは思うんだけど」
剣人会とはストーカーかなんかだろうか。
剣人にプライバシーがなさ過ぎませんか。
「そういうわけで、完全にノーマークだった君が剣人になったというのは、剣人会にとっては大ごとなんだ。今頃は過去の記録を総ざらいしているかもしれないね」
そりゃあ僕は血筋じゃなくて新たに剣人に成ったわけだから、どれだけ過去の記録を掘り返しても何も出てこないとは思うけれど、それは話せることじゃないし。
担当部署の人に内心で合掌していると、春樹さんはまた腕組みをして口を開いた。
「ただ、君が先代三日月の愛弟子だということはそれなりに知られている事実だ。その君が剣人に成ったというのが知られると、厄介ごとが発生する可能性は高いね」
「厄介ごと、ですか。どういうことが?」
「剣人会にも派閥というものがある。師匠はそれにうんざりして出奔した人だし、僕も深く関わるのは嫌だから距離を置いているんだけど」
ただ、と言葉を続ける春樹さん。
「やはり派閥に強力な剣人がいると箔が付くのは確かでね。先代三日月の最後の弟子というだけでも価値があるから、彼らが君を取り込みに来る可能性が高い。おいおい接触があると思う」
うわ、確かにそれは面倒そうだ。
顔をしかめた僕に、春樹さんはにやりといたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「そして、それをある程度回避できる素敵な提案があるんだけどね」
あ、これなんとなく分かった。
春樹さんは変わらないな、と思って僕も少し笑う。
「剣人として、僕たちと行動を共にするのはどうかな。一応派閥の体裁は取っているけれど、結束は緩めだし、気に入らなければ外れることは簡単だよ」
剣人会の派閥は大きく三つに分かれていて、それぞれ原理主義派、中立派、回帰主義派と呼ばれており、春樹さんたちが所属するのはそのうちの中立派だという。
「原理主義派っていうのは鬼の撃滅を至上としていて、一般の人に被害が及ぼうとも鬼人を滅することを優先すべし、と主張する人たちだ。まあ、大体において視野が狭いことが多いね」
春樹さんの辛口評論。
剣人の存在原理は鬼人を滅することだから原理主義というのだそうだ。
それにしても一般の人に被害が出ても、って、一昨日まで一般の人だった僕からすれば相容れない考えだ。
派閥の中では所属人数は最も少ないものの強硬な人物が揃っていることで実行力が高く、たまに問題を引き起こすらしい。
この派閥に所属する剣人のうち、大典太の銘を持つ五剣のひとりが最も強力な剣人であり、また彼こそが最強硬派とも言える人物なのだそうだ。
僕がそこに所属することだけはないと思われる。
「回帰主義派はこれは逆で、人を鬼人から守ることを至上命題としている派閥だ。最大派閥で、僕たち中立派も利害が対立しないときはよく協力する相手でもある」
人を守ろうとするあまりに逆に剣人の扱いが軽くなることもあって、思想はともかくとして春樹さんはこの派閥に加わるのはお断りなのだそうだ。
真也や清奈、神奈を大事に思う春樹さんならではだろう。
ちなみになぜ回帰主義と言うのかというと、過去において武士階級であった剣人は衆生を守る存在だったということで、それに回帰するのだと言う意味らしい。
僕のイメージだと武士は大衆に迷惑を掛ける存在だという印象が大きいけれど、これは時代劇の見過ぎかもしれない。
「中立派はその真ん中、というわけでもない。原理主義にも回帰主義にも馴染めない剣人たちの寄り合い派閥でね、結束とかはないに等しい。相互の助け合いくらいはするけどね」
成る程、派閥の体裁を取っている、というのは言い得て妙のようだった。
「真也と清奈、神奈も今は中立派に属しているよ。本人たちの意志が第一だから、今は、だけどね」
将来、彼らが自分の意志を固めて派閥を選ぶのなら、春樹さんはそれを止める気はないということだ。
あ、でも真也が中立派ってことは……。
「あの、砂城って人は……」
ああ、口にするだにおぞましい。
鳥肌が立つのを我慢しながら春樹さんに尋ねる。
「紅矢のことかい? 彼も中立派だよ。彼自身、思想的には原理主義に近いんだけど、あの派閥のお偉いさんが気にくわないんだぞうだ」
原理主義派に行ってしまえばいいのに。
おどろ線を背負った僕に気づいたのか、春樹さんは少し首を傾げた後に苦笑した。
「ひょっとして、紅矢に何かされたかい? 伊織ちゃんのことだから只では済ませなかっただろうけど」
「えっと、まあ」
思い出したくもない黒歴史筆頭である。
破れかけた封印を再び強固に締め付け直しつつ、僕は春樹さんに質問をする。
「派閥に入ると何か義務とかってあります?」
「いちおう剣人会から任務が来ることがあるね。そう頻繁にではないけれど、急ぎのこともある。剣人会による強制力はないけれど、大体は放っておけない案件であることが多いから、引き受けるようにしているよ」
「成る程」
僕の新たな目的は鬼神の動向を探り、それが世のためにならないのであれば阻止すること。
そのためには、鬼人と関わりの深い剣人会は避けて通ることはできない。
この申し出は渡りに舟と言うべきだった。
砂城がいるのがとてもとても気に入らないけれど、それには目を瞑るべきだろう。
奴に関わらないようにすればいいだけだし。
「分かりました。お世話になります」
「そうか。真也と清奈も喜ぶだろう」
あの二人が剣人としての活動をしているのは知っていたが、当然ながら部外者である僕にその詳細が伝わってくることはなかった。
剣人の活動が危なくないわけもないので結構心配していたんだけれど、それが知れるようになるのは嬉しいことだ。
けれど、今の春樹さんの言葉にはひとり足りない。
「神奈は、今は……?」
「……あの子は、もう半年は道場に顔を見せていないんだ。当然、剣人としての活動もしていない」
ため息をつく春樹さんの表情には沈痛なものがあった。
「最近では外泊もざららしい。清奈も心配していたよ」
「原因とかは、分からないんですか?」
「ああ……真也が言うには、紅矢に言われた一言が原因じゃないかって言うんだけど」
なんでも剣人としての活動をしているときに、敵に怯んだ神奈に砂城が戦えないなら剣人をやめろ、みたいなことを言ったらしい。
あのやろう、一度手ひどく叩きのめすべきか。
「紅矢の言うことにも一理はあるからね。敵は待ってはくれないし、戦えない人は先に現場から外しておかないと、その人が死んでしまうだけでなく周囲にも迷惑が掛かる。だから真也も言い返せなかったらしいよ」
僕の不穏な気配を察知したのか、春樹さんはそんなことを言った。
「けれど、神奈が戦えないかどうかは、まだ判断には早すぎる。あの子には十分な才能があるし、経験さえ積めば十分やっていけると僕は思っている。ただ……」
春樹さんがなぜかこっちを見ながら少し言い淀んだ。
首を少し傾げると、苦笑しながら言葉を続ける。
「あの子は清奈に比べるとだいぶ繊細なところがある。今は周囲の凄さに萎縮して竦んでしまっているんだと思う。姉である清奈はもちろん、真也にも、紅矢にも、そして伊織ちゃん、もちろん君にも」
「……」
神奈の姉である清奈は楚々とした外見に騙されがちだが、その実繊細などという言葉とは縁がなく、向こうっ気が強くて迷うことどころか退くことを知らない。
対して神奈は身内には毒舌を吐くなど一見気が強そうに見えるが、争いをあまり好まず見知らぬ人は避けるなど引っ込み思案なところがある。
そんな神奈がずっと鴻野道場に来ていたのは、大好きな二人、すなわち清奈と真也と一緒にいたかったからだと僕は思っている。
「僕は神奈は立ち直ると信じているけど、伊織ちゃんも手助けしてあげて欲しい」
「はい、もちろん」
僕が凄いのかどうかはともかく、神奈が僕に隔意を抱いていたことには少し心当たりがあった。
もし、そうであるのなら僕にも責任の一端がある。
何かできるのならしなければ。
神奈だって僕の大事な人のひとりであるのだから。