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剣人  作者: はむ星
青年篇
38/113

5

FGOの英霊剣豪七番勝負が面白かったですね。

ああいうのも書きたいな……

 ああ、そうか、と僕は思う。

 これが死ぬということなのだ。

 足元に水溜まりになるほどに血は流れ出て、臓物は半分はみ出している。

 もはや息はか細く立っているのが不思議なほど。

 決意を込めて前に進もうとして、それは叶わず崩れ落ちる。

 命の砂の一粒一粒がこぼれ落ちていく感覚。

 嗚呼、それはなんという絶望なんだろう――。



 桜花を受け取ってからの二週間はあっという間に過ぎた。

 今、僕は鴻野家を離れて有富市ありとみしのビジネスホテルの一室にいる。

 春樹さんには小旅行に出るという話を以前からしておいたので出かけるのに不都合はなく、一日一回連絡を入れる約束で行き先は秘密にさせてもらった。

 スプリングの硬いベッドに腰掛け、色気も素っ気も無い白い壁を眺めながら考える。

 いよいよ、明日が以前の僕が死ぬ日であり、彼女を助けなければならないその時でもある。

 ここまで、やれることはすべてやってきた。

 刀袋に入れた桜花も持ってきたから、万が一の場合にも対応できると思う。

 ただ、以前の僕を助けるかどうかについて、僕はいまだに迷っていた。


(以前の僕を助けたら、今の僕は消える)


 いや、迷っているのは感情だけだ。

 本当は、もう決まっている。

 以前の僕を助けるつもりなら、そもそもひとりで来る必要がないのだ。

 真也と清奈の二人なら、僕がなぜここで辻斬りめいた殺人事件が起こることを知っているのかの理由を言わずとも、手伝ってくれるだろう。

 僕ひとりでやるより二人に手伝ってもらった方が、当然ながら彼女の救出確率は上がる。

 ただし、その場合には以前の僕を見捨てるという選択肢は消える。

 真也と清奈がそれを見過ごすはずがないし、見捨てるよう説得するなんていくらなんでもできはしない。

 つまり、僕は以前の僕を助けるつもりがないからこそひとりでここに来たのだ。


 でも、肚が括れていない。

 これは良くないことだ。

 きちんと優先順位を決めておかないと、いざというときに必ず迷いが生じる。

 その結果、彼女の救出に失敗したなどということになったら、僕は自分で自分を斬り殺しても飽き足らないだろう。

 それに良く考えると、以前の僕を救った場合に彼女を助けられるかどうかが分からない。

 以前の僕を救ったと判定されるタイミングによっては、今の僕は二人を殺人鬼の目の前に置いたまま消えてしまうかもしれないのだ。

 そうしてまた死んだときに、やり直しができるなんていう甘い話はないだろう。

 それは非常にまずい。

 以前の僕では五体満足であっても殺人鬼に対抗する術はなく、逃げ切れるかどうかすらも怪しい。


 ……やはり、彼女を確実に救うのならば覚悟を決めるべきだ。

 僕は以前の僕を見捨て、彼女の救出のみに全力を注ぐ。

 そう肚を決めると、やるべきことが見えてきた。


(重要なことは、どのタイミングで僕が介入するか、だ)


 早すぎれば以前の僕を救ってしまう。

 遅すぎれば彼女が死んでしまう。

 良い記憶ではないのであまり考えないようにしてきたが、今は僕が死んだときのことをできる限り詳細に思い返す必要がある。

 どう動いてどう死んだのか。

 僕は十五年前の記憶を掘り返す作業に入った。


*   *   *


 甘かった。

 僕は息を切らせながら、暮れて行く夕陽を見てひた走る。

 余裕を見て現地に到着しようとホテルをチェックアウトしてすぐに出発したのだが、道中でナンパされること三回、道に迷った子供を見つけること二回、不良に絡まれる女子生徒を見かけること一回、自分が絡まれるのも一回。

 何か悪意でもあるのかと問い詰めたくなるほどのイベントてんこ盛り状態。

 特にナンパしてきた奴ら、何を好きこのんでこんな刀袋提げた変なのに声掛けてんだ。

 さすがにこんな市中でいつもの格好は悪目立ちが過ぎるので高校の制服で移動していたのだが、それでも他校の制服ということで結局は目立ってしまったようだ。

 他に普段着がないのがこんなところで響くとは……。


 でもまだ間に合う。

 現場は目と鼻の先だ。

 公園内の川沿いの道で、暗くなると人通りが少なくなる場所。

 当時の僕は下心満載(と言ってもキスできればいいなぁくらい)でこの道を選んだ記憶があるが、それが原因で死ぬっていうのは天罰としては行き過ぎだろう。

 刻限はギリギリ。

 すでに彼女たちと殺人鬼は接触してるかもしれないが、太陽の位置からして僕が死ぬまでには少し間がある。

 僕が死ぬ前に鮮烈に目に焼き付けた光景は、彼女が壁を背にうずくまっている姿。

 その光景では、日は完全に沈んでいた。


 ――ふと思い至る。

 僕が最初に男に脇腹を抉られたのは、日が落ちる前だったはずだ。

 そこから意識を一度失い、取り戻して彼女の惨状を見るまでに、短くない時が過ぎている。

 その間、あの殺人鬼は彼女を殺さないで何をしていたのか。

 覚えている光景では彼女の衣服に乱れはなかった。

 なら、その空白の時間は一体。

 そう思ったときに、それに答えるかのように音がした。


 鉄と硬い何かが激しく咬み合う、聞き慣れた音。


 突入したくなる衝動を押し殺して、物陰からそっと様子を窺う。


(な……!)


 そこには懐かしい彼女――有塚ありづか美紀みきが刀を手に褐色の肌をした痩せぎすの男と渡り合っている姿があった。


*   *   *


「良くも陽平くんを……!」


 叫んで果敢に打ちかかっていく彼女。

 周囲に鞘のようなものはなく、ただ彼女がその手に持つ刀が在るのみ。

 記憶の中でも彼女はデートのときにハンドバッグ以外は何も持っていなかった。

 その辺に刀が落ちているはずもない。

 つまり、彼女はどこからともなく刀を取り出したわけで、それは剣人・・だということになる。

 頭が混乱する。

 最悪の事態として、殺人鬼が鬼人であることは予測のひとつにあったが、彼女が剣人であるなどという事態は予測の外だ。


「はははは、いいね、いいねぇ、剣人! もっと叫べよ、もっと楽しませてくれよ!」


 殺人鬼は彼女の打ち込みをやすやすと片手で打ち払った。

 その手は鉤爪化している。

 つまり奴は鬼人だということだ。

 最悪の予想と、予想外の事実が組み合わさった事態に、事前のプランが頭の中からすべて蒸発する。

 思わず助太刀に出ようとした僕の視界の片隅に映ったものが、オーバーヒートしていた頭に冷水をぶちまけた。


 倒れている、以前の僕だ。


 脇腹から血を流し、ぴくりとも動かない。

 現実感がない。

 十五年前まで鏡で良く見慣れた姿が、離れた場所で倒れていることに、まるでテレビの中の出来事かのような印象を受ける。

 そんなことを考えていた僕を、大きな音が現実へと引戻す。

 押され気味だった彼女が、ついに刀を弾き飛ばされ、殺人鬼の鉤爪から伸びた爪に肩口を貫かれて壁に叩きつけられたのだ。

 僕の見たところ、彼女の腕前は清奈……いや、神奈より下といったところだ。

 鬼人に勝つには少し厳しいと思われるが、彼女は一度も逃げる素振りを見せなかった。


「楽しいねぇ……」


 殺人鬼がそうつぶやいたときに、僕が・・呻き声を上げた。

 そう、ここで僕は目を覚ました。


「幸せな奴らを、その絶頂からどん底に叩き落とす。いやぁ、愉快愉快。これ以上楽しいことって他にあるかなぁ? なあ、君はどう思う?」

「なん……」


 何かを言おうとした僕はびちゃびちゃと泡混じりの血を吐き出した。

 傷が内臓まで達しているのだということがそれで分かる。


「お、生きてたか? 頑張るねぇ。いや、嬉しいよ」


 記憶と一言一句変わることなく、殺人鬼はのたまう。

 その足元に倒れている僕は、何かを捜すように緩慢に首を上げる。


「ああ、女かい? ――あっちだよ」


 乱暴に髪を引っつかんで壁に叩きつけられた彼女へと、僕の顔を向ける殺人鬼。


「あ゛――あ゛ぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!」

「ひゃははははは! いいね、いいねぇ、その絶望した顔!」


 殺人鬼の手を振り払い、叫んだ僕が上体を起こす。


「お、お?」


 そこで彼女の惨状をよりはっきりと目にした僕は、そして。


「ぐううおあああああ!」

「おーおー、テンションあげちまってよお」


 口を真一文字に引き絞って立ち上がる。

 足元に水溜まりになるほどに血は流れ出て、臓物は半分はみ出している。

 もはや息はか細く立っているのが不思議なほど。


「火事場の馬鹿力ってかぁ? よく立ち上がれたもんだな」


 そこで彼女がかすかに顔を上げた。

 その口が、声を出せないままに動く。


「……に、げて」


 そう、彼女は言ったんだ。

 良く、覚えている。

 だから、僕は彼女とともに逃げようと、そう決意した。

 そしてそれは、そのまま彼女を助けたいという決意に変わったんだ。


「く、くくくく、楽しませてくれるよなぁ、本当。どうするよ、彼氏。逃げてもいいぜ? 助かるかは知らねぇけどな」


 決意を込めて前に進もうとして、それは叶わず崩れ落ちる。

 命の砂の一粒一粒がこぼれ落ちていく感覚。

 嗚呼、それはなんという絶望なんだろう――。


「あー、こりゃ限界かな? まあ楽しませてもらった礼だ。彼女もすぐ後を追わせてやるよ。特別にな」

「陽平くん……!」


 掠れきった彼女の叫びと同時に、僕は弾かれたように物陰から飛び出した。

 桜花の鯉口はとっくに切られている。


「なんだぁ!?」


 距離があったせいもあって僕の初撃を鉤爪でかろうじて受け止める殺人鬼。

 殺気を抑えきれなかった。

 今の僕は冷静とはほど遠い。

 目の前で自分が死んだ影響は、思っていたよりも大きい。


「二人目の剣人か……?」


 それには応えずに矢継ぎ早に攻撃を繰り出す。

 自分が今冷静じゃないことは分かっている。

 だから冷静になるために怒りを吐き出すことと、彼女から殺人鬼を遠ざけるために、敢えて相手が受けられる攻撃を繰り出した。

 桜花は以前に手にした鬼姫のように、否、それ以上に揺るぎなく僕の想いに従う。


「あなたは……」

「後で説明する。血止めして休んでいて」


 彼女にしてみれば何が起こっているのか分からないだろうが、今は殺人鬼をどうにかしなければならない。

 見た感じ、彼女の傷は浅くはないが致命傷でもない。

 彼女に答えつつ、深呼吸して気持ちを落ち着ける。


「獲物が増えた――とのんびり言える状況じゃなさそうだなぁ」


 不快そうに表情を歪めながら殺人鬼が唾を吐く。

 今の一連の攻防からすると、相手の力量は僕に及ばない。

 だが、鬼人には特殊な力がある。

 以前の轍を踏むつもりはなかった。


「僕は黒峰伊織。剣人じゃないよ」

「剣人じゃない……? 自己紹介たあ余裕じゃねえか」


 嘲笑う殺人鬼に、僕は首を横に振る。


「殺す相手に名乗るのは、僕の覚悟であり礼儀だ。出来れば名乗って欲しい。あなたのことを覚えておくために」

「……」


 不快そうな表情が一層色濃くなるが、同時に警戒の色も強まった。

 その表情を裏返したかのように一転して笑顔を浮かべた殺人鬼は、猫なで声で言った。


「人を殺したことがあるような風情だなぁ、おい。なら、おまえと俺とで何が違うんだ?」

「覚悟」

「覚悟ぉ? んなもんで何の違いになるんだよ」

「あなたはただ殺しているだけ。僕は、殺した相手を自分に刻んでいる」


 お師さんは、その死は、今も僕の中に在る。

 どれだけつらい思い出だろうとも、僕がそれを忘れることは生涯ない。


「それが何になるってんだ」

「何も」


 それは自己満足ではあるのだろう。

 殺される相手に何ら寄与するものではないのだから。

 しかしその有無は剣士と殺人者との間に明快に一線を画す。


「なら何の意味もねえじゃねえかよ。同じ殺人者同士ってこったろ。なあ?」


 殺人者は相手の人生を背負うことなどはない。

 その重みに気づかないからこそ、簡単に命を奪ってしまう。

 命の火を消してしまった、目の前の僕の骸が物語るように。

 そんな奴と同じにされて、たまるか。


「意味は、あるよ」

「ああ?」

「僕は僕が殺すあなたのことをずっと覚えておく。もしあなたに縁者がいて僕に復讐に来るのだとしても、それを受入れられるように」

「はあ? 何言ってんだおまえ」

「あなたはあなたが今殺した彼のことを、いつまで覚えている? もし彼にあなたより強い縁者がいて、あなたを殺しに来るのだとして、あなたはそれを受入れられるのかな」

「訳の分からねえことをぐちゃぐちゃと……」

「まあ、あなたには分からないだろうね。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、なんてこんな小難しい言葉を使う日が来るとは思ってなかったけど」

「黙れよ」


 刹那、膨れあがった気配に僕は横に跳ぶ。

 見えない何かが僕のいた位置へと叩きつけられたことが、流れる風によって知覚できた。


「なっ、躱しただと!?」


 玉響を遣いながら警戒していた僕に、いかに見えないとはいえ正面からの不意打ちなど通用しない。

 攻撃そのものが見えずとも、殺人鬼の攻撃の気配ははっきりと感知できる。

 これが安仁屋さんクラスの遣い手であれば劣勢を免れ得ないが、この程度ならば見えているのと同じだ。

 可能性は疑っていてもまさか本当に殺人鬼が鬼人だとは思っていなかったが、その可能性も視野に入れて鍛錬をしてきた今までに感謝する。

 これまで自分が培ってきたすべてをあげて、この敵を撃破する。

 それは彼女の救出と同時に、もうひとつのことも意味する。

 だから。


「――行くよ。僕の仇、討たせてもらう」

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