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剣人  作者: はむ星
青年篇
37/113

4

 入学式から一週間が過ぎた頃、慈斎さんから連絡が入った。

 桜花のこしらえができたので届けに来ると言うのだ。

 僕も楽しみにしていたし、大一番に備えて信頼できる刀があるのはとても良いことだ。


「ただ、ちょっと済まんことになった」


 何があったのかと思ったら、慈斎さんの息子さんが桜花を目にして、欲しいと言い出したのだそうだ。

 人のもの、増してや形見でもあるからやるわけにはいかん、と慈斎さんは突っぱねたのだが、それなら持ち主を見定めると言って聞かないらしい。

 確か、慈斎さんの息子さんって五剣のひとりじゃなかったっけ。


「一刀の悪い癖が出ておってな……済まんが少し付き合ってやってくれんか。奴が何と言おうと、私の名に於いて桜花はおぬしに渡すからの」


 慈斎さんにそう言われてしまえば、僕としては断りようがない。

 色々とお世話になっているわけだし。

 そういうわけで、その週末は鴻野の家で慈斎さんを待つことになった。

 三隅村の道場に稽古に行けないことは、すでに悟志には伝えてある。

 真也と清奈も今日は寮からこちらへ来ていたので、一緒に午前中の稽古を済ませて昼食の準備をしながら待つ。


 お昼はそんなに凝ったものを作る気もないので、親子丼と味噌汁にする。

 出汁を取ってそれを味噌汁用と親子丼のタレ用に分ける。

 親子丼のタレ用の出汁に醤油、みりん、砂糖を加えて味を調えながら、味噌汁を同時に作る。

 あとは親子丼を仕上げるだけとなったくらいに、赤い優雅なフォルムのスポーツカーが敷地内へと入ってきた。


「来たようだね。あれは一刀くんの車だよ。真也と僕で出迎えておくから、清奈と伊織ちゃんは食事の準備をお願いできるかな」

「はい」


 親子丼を仕上げていると、玄関の方からなぜかげっそりした感じの慈斎さんの声が聞こえてきた。


「一刀の運転は荒くて仕方ないのう……速いことは速いが、身が保たんわ」

「何言ってるんだ親父様よ。あんたが乗るからこれでもいつもの倍は気を遣ったんだぜ」

「たまにおぬしが何を言っているのか理解できんのう……」


 会話しながら出迎えに出た二人と、慈斎さんともうひとりが食堂に入ってくる。

 もちろん、見覚えのない精悍な印象の男性が慈斎さんの息子である一刀さんだろう。

 年齢は三十代前半、背は真也より高いから百八十以上、体格はがっしりしているけれど鈍重さとは縁がなさそうで、目はまるで肉食獣みたいに光っている。

 今まで見てきたタイプだと安仁屋さんに少し似ているけれど、それよりかなりワイルド寄りな感じだ。


「へえ、ずいぶん華やかだな。それに良い匂いがする」


 食事の準備をしている僕と清奈を見ながら、一刀さんは鼻をひくつかせた。


「おお、伊織に清奈よ。少し見んうちに綺麗になったのう」


 いつのまにか近くまで来た慈斎さんが僕と清奈に手を伸ばそうとして……一刀さんに首根っこを引っつかまれていた。

 玉響は常時遣っているんだけど、僕のレベルでは慈斎さんの動きを見切るのはまだまだ遠そうだ。

 その慈斎さんをあっさりと捕らえた一刀さんの力量は推して知るべし。


「何をする一刀よ……」

「何をするじゃねえよ親父様。相変わらず女が絡むと自重がどっか行くな」


 慈斎さんは大柄ではないが、それでも片手一本で吊り下げるってどういう腕力だろうか。


「済まねえな、二人とも。この馬鹿親父にゃ手を焼いてるだろ。俺がいる間は手ぇ出させねえから安心しな」

「は、はあ。ありがとうございます……」


 野性味のある笑顔を浮かべる一刀さんに、戸惑ったようにお礼を言う清奈。

 確かに僕と清奈はよくお尻を触られる被害に遭っているが、慈斎さんの性格なのか年の功なのか、あんまり忌避感とかはない。

 それは清奈も同じようだった。

 もちろん、だからといって触られたいわけじゃない。


「とりあえず腹減ったよ。食わせてくれるなら嬉しいんだが」


 一刀さんはそう言いつつ、慈斎さんを雑に居間のソファに放り投げ投げる。

 抗議の声には知らん振りをしているのを見ると、割りといい性格をしているようだ。


「あ、お二人の分もちゃんと用意してるよ」

「そりゃありがてえ。おっと。そういや忘れてたな。神宮かんのみや一刀いっとうだ。聞いてるとは思うが、この馬鹿親父の息子にあたる」

「ご丁寧にどうも。僕は黒峰伊織で、こっちは茨木清奈」

「ふうん。おまえの方があの刀の持ち主ってわけか。ま、それより飯を頼むぜ」


 なんか聞いていたのと様子が違う感じだ。

 お腹が空いてるのは午前中の稽古を済ませた僕たちも同じなので、さっさと食事に入る。

 なお、親子丼はみんなに好評だった。

 簡単にできて美味しいのでお勧めだ。

 コツは卵で味が薄まる分、タレを少し濃い目に調製しておくこと。


「ごっそさん。美味かったぜ」


 武術家には健啖家が多いけれど、一刀さんはそれにしてもまあ良く食べた。

 僕と清奈も含めて結構食べるから丼は大きめなものを使ったのだが、僕と清奈と慈斎さんが一杯ずつ、真也と春樹さんが二杯、一刀さんはなんと五杯も食べた。

 太くもないその体の一体どこにそんなに入るのか。


「さて、本題に入るとするかのう」


 持ってきた刀袋の口紐を解いて、慈斎さんは中身を取り出す。

 美しく塗られた朱鞘が袋の中から現れる。

 柄巻は黄色みを帯びた茶色の革のようだ。


「ほれ、伊織よ」


 手渡された桜花を押し頂く。

 柄を握ってみると、僕の手の大きさを測って作られただけあって、実にしっくりとくる。

 鯉口を切ってまっすぐ抜いて刀身を見る。

 二尺四寸八分の刀身とこの重量バランスは間違いなく桜花のものだ。

 桜花を初めて見た真也と清奈が、その地金の冴え冴えとした光に息を呑む。


「うむ、手には馴染むようだの」

「はい、とても」

「うむ。柄巻は鹿の燻革ふすべがわでな。ちと飾り気はないが、使い込むほどにしっくりとくるようになろう」


 燻革とは文字通り藁で燻した革のことらしい。

 弓道の弓懸などにも使われるものなのだそうだ。


「さて……私は言ったのう、この刀を持つということは厄介事に巻き込まれることだと」

「はい」


 もちろん覚えている。

 この刀をただの刀として見た場合、僕ごときが手にするには過ぎたものだ。

 身に過ぎたものは己を滅ぼすこともある。

 だが、これがお師さんが遺したものである以上、僕は誰が相手だろうとこれを譲る気はない。


「その厄介事の最初がこやつだ」


 慈斎さんは、横であまり興味なさそうにお茶をすすっている一刀さんを手で示す。

 桜花を欲しがっていたという話だったはずだけど、どうもさっきから一刀さんは桜花に興味があるように見えない。


「ああ、その刀を欲しがったのは事実だぜ。だが俺の相棒は別に在るからな、そこまで欲しいわけじゃねえ」


 僕の疑問に答えるように一刀さんは肩をすくめた。


「ただ、そこまでの刀となれば下手の手に渡すわけにもいかねえ。特に渡す相手が剣人じゃねえとなれば尚更な。だから無理を言って親父様に着いてきた」

「私が腕は保証すると何度も言うたんだがのう」

「俺は自分の目で見ねえ限り信じねえんだよ、親父様」

「で、見た結果はどうなのかのう」


 慈斎さんの言葉に一刀さんは鼻を掻きながら苦笑を浮かべた。


「親父様の言う通りだったな。さすがはあのくそ爺の仕込みだ。文句はねえよ」


 一刀さんの言うくそ爺とはお師さんのことだろう。

 関わりがあったようなことは、お師さんと慈斎さんの会話にも出てきていた。

 そもそも三日月をお師さんが認めて襲銘させたということだったし。


「ほれみよ」

「ただ……せっかく来たんだ。ちょいと土産が欲しいとこだな」


 肉食獣みたいな笑みを浮かべて、一刀さんは僕の方を見た。

 えっと、この流れは……。


「ひとつ、手合わせと行こうか」


 やっぱりそうなるのか。

 慈斎さんはと言えば、この流れになるのは分かりきっていたらしく悟りきった顔をしていた。


「やはりこうなったかのう。済まんの、伊織。こやつは才が有り余っておって、ライバルと言える者が今やいなくなってしもうた。それゆえに自分の眼鏡に叶う奴がおった場合に、逆に興味を示さずにはおれんのだ」

「親父様が腕を保証するなんて奴、会わずにはいられねえだろ?」


 つまり最初は桜花に興味を示したけれど、思わぬところで掘り出し物を見つけたような感じだろうか。

 その掘り出し物が自分っていうところがなんとも釈然としないところだけど。


「まあ、俺と手合わせするのにあんたにメリットが無いわけじゃねえ」


 あまりに一方的だとは思ったのか、一刀さんはそんなことを言い出した。


「この俺は五剣筆頭の三日月を襲銘してる。他でもないあんたの爺さんからな」

「筆頭?」

「ああ。五剣に格付けは別にねえんだが、三日月だけは代々別格にされてんだ。別に何か特典があるわけでもねえけどな」


 それは知らなかった。

 つまり、お師さんは剣人としてそれだけの地位を持っていたにも関わらず、すべて投げ打って三隅村で暮らしていたわけだ。


「んで憚りながらその三日月である俺が、あんたがその刀を持つだけの実力があることを認めれば、他の剣人は手を出しにくくなるって寸法だ」

「それと手合わせには関係がないのでは」


 真也の疑問に一刀さんは首を横に振った。


「いーや? 今の話はあくまでも俺が認めれば、だ。手合わせもしねえうちから認める気はねえし、無様を晒せば話そのものがなかったことになる」

「ふむ……まあ、馬鹿息子にしてはうまく理屈を付けたもんだのう」

「親父様、俺が何も考えてねえような言い方はやめてくれ」

「普段は考えておらんだろうに」


 気安いやり取りは、一刀さんと慈斎さんが良い親子関係を築いていることの証だろう。

 一刀さんの身のこなしを見るに今の僕が勝てる相手には見えないけれど、だからこそ手合わせをするのは良い経験になるとも言える。

 一刀さんが認めたからと僕への手出しがゼロになるわけでもないだろうけれど、損のある話ではないと思われた。

 ただ、手合わせをするということは怪我をする可能性があるということだ。

 もはや大一番まで二週間と少ししかない今、怪我をすることだけは避けなければならない。

 だから僕はこう口にした。


「二つの条件のうち、どちらかを呑んで貰えれば、受けるよ」

「条件?」


 僕がそんなことを言い出すとは思っていなかったのか、一刀さんが目を丸くする。

 一刀さんは今までの言動を見る限り、強引ではあるがフェアでもある。

 今回の手合わせについては一刀さんが強引に言ってきている以上、少し譲歩の余地があると見たのだ。


「ひとつは僕に大怪我――少なくとも一ヶ月で治らないようなものを負わせないこと。もうひとつは一ヶ月後にすること。どちらかを呑んで貰えれば、僕としても願ってもない話だし、受ける」


 お師さんに認められたという一刀さんの剣。

 見てみたいという欲求は間違いなく僕の中にあった。

 彼女の救出という転生した僕に取って、最も大事なものが控えていなければ、この場で受けただろう。


「ふうん。一月の間に決闘でも控えてるみてえな物言いだな」


 鋭いことを言う一刀さん。

 一ヶ月という期間にこだわり過ぎたかもしれない。

 ただ、一刀さんはそれ以上は突っ込んでこなかった。


「まあ、いいぜ。元々あんたに大怪我を負わせるつもりはねえんだが、遠慮しながらってのも性に合わねえ。一ヶ月後にまた来るから、そこで立ち会うとしようか」

「じゃあ、それで」

「よし。楽しみができたな」


 不敵に笑う一刀さんに、それまで大人しくしていた真也が顔を上げて話しかけた。


「音に聞こえし三日月と、俺も立ち会ってみたい。俺では役者不足だろうか」

「へえ。一期一振の跡継ぎか。跳ねっ返りは嫌いじゃねえが……」


 真也を一瞥した一刀さんは、首を横に振った。


「駄目だな。今のおまえとは立ち会っても試合にすらならん」

「……っ」


 唇を噛む真也に、一刀さんは手をひらひらさせて首を横に振った。


「勘違いするなよ。力量の問題じゃねえ。それで言うならさすがは一期一振の息子、その年にしちゃあ大したモンだ」

「……それじゃあ、何が」

「人にばっか聞くんじゃねえよ。己の胸に聞いてみりゃ分かることのはずだ。まあ、目の前にお手本がいるだろ?」


 なぜか僕を示す一刀さん。

 僕にあって真也にないもの、は確かにある。

 ただ、それは僕にとっても他人事ではないんだけれど。


「伊織なら、大丈夫なのか?」

「ああ。こいつとなら殺し合いにまで持っていけるだろ。やるかどうかはともかくな」


 物騒なことを言わないで欲しい。

 五剣筆頭と殺し合いとか僕の身がいくつあっても足りない。

 そう言われて考え込む真也を見て、一刀さんは面白そうな笑みを浮かべる。

 そこで嫉妬に囚われず、己に足りないものを考えるのが真也の良いところだ。


「親父様よ。せっかく来たんだし稽古でも付けてやったらどうだ?」

「そうだのう。春樹が良ければそうするか」

「もちろん、歓迎ですよ。一刀さんはどうします?」

「あー。俺はパス。横で見とくだけにするぜ」


 久しぶりに慈斎さんに稽古を付けて貰えるようだ。

 以前、手も足も出なかった分、今回は成長を見てもらえるよう頑張ろう。

清奈の名前紹介時に神奈になっていたのを修正しました。

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