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剣人  作者: はむ星
青年篇
36/113

3

「ふう」


 自室のベッドに寝転がる。

 夕食の後片付けも済ませてお風呂に入り、今日は後はストレッチをして寝るだけだ。

 ホームルームで貰った部活動一覧のプリントをなんとはなしに眺める。

 日之出高校は部活動に力を入れていることで知られており、特に運動系、中でも武道系の部が強い。

 それらに関する施設も整っており、中でも剣人用の修練場が学内にあるのだと聞いている。

 剣人ではない僕はそこには入れないが、真也はそこでも稽古をしているらしいし、清奈もそうするつもりのようだ。

 剣人ともなれば相応の腕があるだろうし、そうでなくても新しい人と稽古をすることはそれだけで刺激になる。

 清奈はまた腕を上げるだろうな、と思う。

 真也は一日置きに鴻野道場の稽古に顔を出すわけだから、清奈も同じようにするのだろう。

 正直、剣人との稽古には心惹かれるものがあるが、僕が剣人でない以上その機会は訪れることはない。


(それよりも)


 僕としての喫緊の課題は一ヶ月後に迫った大目的の方だ。

 現場の下見も済ませ、余裕を見て一日前に現地入りするスケジュールも組んだ。

 あとは彼女を救うだけ……なのだが。

 ひとつ、問題があった。


(僕を、どうするか)


 そう。

 その現場には転生前の僕がいるのだ。

 前日入りする以上、僕(転生後)が僕(転生前)を助けることも可能だとは思う。

 ただ、それをすると矛盾が生じる。

 僕は一度死んで、彼女を救うために転生してここまで生きてきた。

 その僕が、死ぬ運命にあるはずの僕を救ってしまっては、転生そのものが起きないことになってしまう。

 いわゆるタイムパラドックスという奴だ。

 ひょっとしたら僕はすでに転生前の僕とは完全に別人になっており、何ら問題なく助けられるのかもしれない。

 でも、それは確実なことではない。

 どちらかと言えば、今の僕という存在が消えてしまう可能性の方が高い。


 それは嫌だった。


 黒峰伊織としてここまで生きてきた自分に愛着もある。

 何よりお師さんは僕に剣士としての自分のすべてを注ぎ込んで逝ったのだ。

 それを無に帰すなんて到底許されることではないし、できるはずもない。

 ならば助けられるはずの命を見捨てるのか。

 転生前の僕が死ねば、彼女は助かったとしても悲しむだろう。

 それを是とできるのか。

 答えは出そうになかった。

 こんなことならハチにその辺りのことをちゃんと聞いておくんだったと思うけれど、まさに後の祭り。

 あのときはそんなことを考えている余裕なんてなかったということもある。


[うん、それはこっちもきちんと説明すべきだったなって思ってる]


 え。


「ハチ!?」


 脳裏に直接響いてくるこの声に、もちろん僕は聞き覚え(?)があった。

 思わず叫んでしまう。

 自分の部屋で良かった。

 人に聞かれれば変人認定まっしぐらだ。


[やあ、お久しぶり。君が転生して以来だね]


 相変わらず威厳を感じさせない軽い感じは、間違いなく僕を転生させたあの神様のものだ。


[威厳たっぷりの方が良ければそうするけど、今更だろう?]


 まあ、確かに。

 ていうか神様らしくこっちの考えはお見通しのようだった。

 それにしても僕が転生して以来、一度も接触してこなかったのに、なぜ今になって話し掛けてきたんだろう。


[さっきの疑問に答えるためだよ。君の今後にも関わることだし、伝えなかったのはこちらの手落ちだからね]


 そっか。

 アフターサービスがあるのは有り難い。

 やり直しの効かないことだし、どうなるのか事前に教えて貰えるというのは重要だ。


[結論から言うと、転生前の君を助けた場合、今の君は消滅する。黒峰伊織という存在がこの世から消えると思ってもらって構わない]


 やっぱり、そうか……。

 薄々そうじゃないかとは思っていた事実を告げられて、僕は肩を落とす。


[フォローしておくと、君自身が消滅するわけじゃない。元の君は助かるわけだからね。ただ、黒峰伊織として生きてきた記憶、身につけた技能なんかはやはり消滅する。単純に元の君として生きていくことになるよ]


 ハチの言い方からすると、転生前の僕を助けること自体は可能なようだ。

 ただし、それをすれば今の僕は消える。

 いや、完全にいなかった・・・・・ことになる・・・・・

 今まで必死に生きてきたことも、お師さんとの思い出も、あのとき固めた覚悟でさえも、僕の記憶からすらも消え去ってしまう。

 予測していたとは言え、改めてその事実を突き付けられるとショックが大きかった。


[どうするかは君次第。後悔しない選択を願ってるよ]


 それきり、ハチの声はしなくなった。


(後悔しない選択……か)


 何がどう転んでも、何も悔やまないということはないだろう。

 なら、僕自身が納得できる選択をするべきだ。

 残り一ヶ月。

 考える時間は、それだけしか残されていなかった。


*   *   *


「イヤーッ!」


 裂帛の気合いと共に竹刀の剣先が喉元に迫る。

 体を左半身にしてそれを躱し、さらに左にずれて距離を取りながら自分の剣先を相手――遠藤先輩に向ける。

 先輩との手合わせに至ったのは、僕と清奈が部活動見学への誘いを断り切れなかったのが発端だ。



 放課後、体育館に見学者としてやってきた……のだが。

 僕と清奈の横にはずらっと新入生男子たちが並んでいて、遠藤先輩を熱心に見ていたり、こっちに視線をやったりしているのが多い。

 何をしにきたのだろうか彼らは。

 確かに遠藤先輩は凛とした美人だし、清奈も最近ますます綺麗になってるし気持ちは分からなくもないんだけど、部活の見学に来ているんじゃないんだろうか。

 遠藤先輩の言った「余計なのがたくさん来る」というのはこれか……と納得する。

 ちなみに事前に真也に確認したところ、剣道部主将はあの赤毛バカではなく安達あだち先輩という人だそうだった。

 良かった。

 真也が言うには、剣道部などの公式大会が存在する部活動には、剣人は基本的に参加していないのだそうだ。

 まあ確かに、真也や清奈みたいなのが剣道部にいたらとても目立つと思う。

 こちらに向けられる視線は無視してしばらく練習風景を見学していたら、やがて試合形式での稽古が始まった。

 そこで安達先輩と思われる大男が声を張り上げた。


「見学の新入生で、やってみたいという人はいるかな!」


 主将の呼び掛けに、しん、と静まり返る見学者たち。

 本当に何をしに来たんだろうか。

 まあ部員に素人が太刀打ちできるわけもないから、いきなりやってみるかと言われてもやれない気持ちは分からなくもないけど。

 あと、とってもガタイの良い安達先輩と打ち合う羽目になるのは御免だという思いもあるのかも知れない。

 まるで筋肉の鎧で、どうやったらあんなに筋肉が付くんだろうと疑問になるくらいだ。

 ちなみに僕と清奈はそもそも入部する気がないし、目立つつもりもないので挙手していない。

 誰も手を挙げないのを見て前に出てくる遠藤先輩。


「それじゃ、私の方から指名するわね」


 あ、これは予知能力がなくたってわかる。

 確率は二分の一。

 最初っから遠藤先輩が聞いていたら、男子の誰かが手を挙げたと思うんだけどなー……。


「それじゃ、黒峰さん。私とやってみましょう?」



 そういうわけで今に至る。

 こちらに素早く向き直り、竹刀による牽制を掛けてくる遠藤先輩を面によって制限された視界越しに見据えながら、どう対処するかを考える。

 古流剣術と比較して剣道の動きはダイナミックで、そして速い。

 斬ることを二の次とした剣運びは、素早く広い可動域をその剣にもたらしている。

 それにいちいち付き合っていては僕に勝ち目はないだろう。


(まあ、やることは変わらない)


 玉響による先読みは遠藤先輩には有効。

 目下の課題は、いかに目立たずに勝つかだ。

 なんでこんな変なことを言っているのかというと、目立つのは嫌だし、普通に勝って剣道部の面目を潰すのも嫌だという我侭からだ。

 負けることは別に構わないんだけど、ここまで真剣に掛かってきてる人相手にわざと負けるのも失礼な話だ。

 相手が真也みたいに同等の力量になると難しいけれど、遠藤先輩相手ならできるはず。


 正眼に構えて今度はこちらから間合いを詰めていく。

 一緒に来ている清奈には僕の狙いは分かるだろう。

 転生してから散々に繰り返してきた大毅流の最も基本である技、掌分たなわかれ

 掌分はそのままでは剣道では使えない。

 最初の動きである構えたままの牽制は、刃の付いた刀でなければ成り立たないからだ。

 ただし、基本技というのは応用してこそだ。

 構えたままの牽制の代わりに、僕は軽く竹刀を振って小手を打つと見せかける。

 初めて僕が繰り出した攻撃に、遠藤先輩は即座に反応した。


「メェェェン!」


 繰り出してきた技は小手返し面。

 その切り返しの速度は、僕が本気で小手を打っていたなら見事に面が決まっていたであろうほど。

 でもそれは僕の注文通りの動きだ。

 左へ捌いて素早く、音が立たないよう、だが遠藤先輩には打ったことが分かるくらいの強さで右の小手を打って離れる。

 大毅流一の型、掌分。

 清奈にはともかく、遠藤先輩と僕の体が近かったせいもあって、他の人たちには今の一連の動きはよく見えなかったはずだ。

 目立つのは避けたいし、僕と彼女の間で勝敗が分かっていれば良いと思ったのだ。

 さっきも言ったけれど、剣道部副将が見学者に完全に負けるのも剣道部の体面的にあまりよろしくないだろうし。


「……ここまでね」


 動きを止めた遠藤先輩が苦笑いする。

 お互いに一礼して下がると、何が起こったのか分かっていない部員や見学者たちからまばらに拍手が上がる。


「お疲れ様、伊織さん」


 清奈に手伝ってもらって防具を外していると、面だけ外した遠藤先輩がこっちにやってきた。


「完敗ね。やっぱり強いんじゃない、黒峰さん」

「あはは……でも、僕はまだまだだから」

「それでまだまだって……はあ。私が勝ったら剣道部に入ればもっと強くなれるわよ、ってカッコよく勧誘するはずだったのに、すっかり予定が狂っちゃったわ」

「ごめんなさい」

「謝らなくていいわ。こっちの勝手な予定だから。今日は来てくれてありがとう」


 うん、やっぱり好感が持てるな、この人。


「それにしても桜色の道衣って珍しいわね。お手製?」


 僕と清奈は、今はいつも稽古をするときの格好、つまり道衣に袴だ。

 その僕の格好を見た遠藤先輩が首を傾げる。

 まあ、普通の市販のものなら黒か青か白が一般的で、桜色なんて普通はない。


「僕の母親代わりの人が作ってくれたんだ」


 週末は三隅村の道場へ出稽古に行っているのだが、光恵さんがわざわざそのときに高校の入学祝いだと言ってまた作ってくれたのだ。

 自分でも作れるようにはなっているのだが、光恵さんのお手製はやはり出来が違う。

 村を離れても光恵さんには頭が上がらない。

 母親代わり、というところに首を傾げた遠藤先輩だったが、そこには言及しなかった。

 そんな感じで和やかに談笑していたのだが、不意に先輩がぴりっとした気配を放った。

 有り体に言えば何かに警戒したような。

 何気なく周囲を見回すと、どこか見覚えのあるようなないような小太りの男性がこちらに歩いてくるところだった。

 どう見ても高校生ではないし教師にも見えないんだけれど……。


「よう、理華」

「池田さん。関係者以外は学内に入らないようにと言ったはずですが」

「冷たいこと言うなよ。婚約者に会いに来て何が悪い」


 婚約者にしては遠藤先輩はあからさまに嫌そうなんだけど。

 それと、池田という名前を聞いて思い出した。

 中学に入りたてのときに絡まれた剣道部主将が池田という名前だった。

 顔も似ているから縁者であることは間違いなさそうだ、と思ったら清奈が知っていたようで耳打ちしてきた。


(あの池田先輩のお兄さんですね。確か彼の実家が経営する池田建設の取締役だったかと。遠藤先輩の婚約者とは知りませんでしたけれど)


 池田先輩は曲がりなりにも清潔感があったけど、この人からはずいぶんとだらしない感じを受ける。

 お似合いとは間違っても言えない感じだ。


「部活中です。ご用なら終わってから聞きます」

「待てねえって。何なら女子部員も連れて遊びに行こうぜ」


 女子部員と口にしたときに僕と清奈の方を見た。

 いや、僕たちは部員じゃないんですが。


 生徒に部外者が絡んでるというのに、顧問の先生は渋い顔こそしているものの何も言わない。

 何かあるんだろうか、と思っていたらそこで主将である安達先輩がずい、と前に出た。


「今は剣道部の活動中です。部外者は出ていって頂きたい」

「ああん? おまえいつもいつもうるせえよな」

「常識を弁えて頂きたいだけですが」


 強面で体格の良い安達先輩が仁王立ちしていると、本当に仁王様のようで突破できる気がまったくしない。

 ましてや、運動不足っぽく締まらない体をしている池田氏では無理だろう。


「ちっ、おい理華、後で忘れんなよ!」


 さすがに諦めたのか、舌打ちして立ち去っていく池田氏。

 ただ、その去り際に安達先輩を睨み付けた目付きがあまり良い感じがしなかった。


「ありがとう、安達」

「いや、大丈夫か? 遠藤」

「ええ」


 心配そうな安達先輩の言葉にうなずいた遠藤先輩は、済まなそうに笑って、ざわついている僕たち見学者の方を見た。


「ごめんなさい、見苦しいところを見せてしまって。普段はこういうことないから、安心して」


 割とちょくちょく来ている感じはあったけれど、それはここでわざわざ指摘することでもないだろう。

 それよりも去り際の池田氏の目付きと、先生たちが池田氏の行動に何も言わなかったことの方が気になる。

 何事もないと良いんだけれど……。


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