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剣人  作者: はむ星
【幼年篇】
26/113

25

少し難産でした。

 遥か格上を相手に僕ができること。

 それは己のすべてを駆使して全力で挑み続けることしかない。

 勝てるとはとても思えない。

 しかし、死ぬわけには行かないのだから、勝つしかないのだ。

 鬼姫を手に床を蹴って間合いを詰める。


「……!」


 動揺していた安仁屋さんはそれに一瞬反応が遅れる。


エイ!」


 最初にして最大の好機。

 僕は自分の使える最速の技で、相手の胴を貫き通すつもりで突き込んだ。

 胴を狙った理由は二つ。

 相手をなるべく殺さないためと、単純に的が大きく外しにくいからだ。

 しかし遅れてなお、安仁屋さんの反応は僕の動きを超えていた。


「はっ!」


 呼気一閃、迷いなく右に体を開いて、それでも躱しきれない分を左手を盾にして逸らす。

 普通なら左手が無事には済まないところだが、そこは鬼人としての能力が物を言う。

 皮膚に当たったとは思えない硬い感触があり、安仁屋さんは僕の攻撃を捌き切る。


「ぐ……っ!」


 それでもすでに傷ついた左腕にはダメージが入ったのか、安仁屋さんは苦悶の呻きを上げる。

 それはやはり好機だったが、以前の打ち込み稽古とは異なり、必殺の突きとして繰り出したものを回避された僕は体勢を立て直すより他はない。


「舐めてかかるつもりはなかったが……」


 左手に流れる血を手を振って切りながら、安仁屋さんがつぶやく。

 その所作には毛筋の先ほどの隙も見出せない。

 そもそも、こっちとしては今ので決めるつもりだったのだ。

 それを捌かれることを予想していなかったとは言わないが……。


「おまえの気持ちは分かった。では、終わらせよう」


 発する鬼気はそのままに、殺気は鳴りを潜める。

 僕を殺すつもりがないということなのかもしれないが、それよりも冷静になったということの方が大きいだろう。

 武人としての安仁屋さんは、鬼人でありながら元々殺生を好むタイプとは思われない。

 つまり、付け入る隙が余計になくなったということだ。

 相手が負傷していることを差し引いても、今の状況は非常に不利だと言わざるを得ない。


「行くぞ」


 宣言と同時にその姿が掻き消える。

 いや、僕のすぐ右横に安仁屋さんはすでに居た。

 狙っているのは僕の顎。

 つまり僕の意識を刈り取るつもりだ。

 完全に躱すには反応が間に合わない。

 頭を下げて打点をずらす。


「ぐぅ……っ!」


 顎を狙った一撃に対して頭を下げれば、当然それは頬にヒットする。

 頭を思いっきり左に振られたが、意識だけは保つ。

 鼻血で鼻を塞がれたため、呼吸は口でするしかない。


「妙に抵抗しても痛いだけだぞ」


 再び安仁屋さんの姿が消える。

 玉響を会得していればそれさえも捉えられるはずだが、僕はまだその領域へは至っていない。

 ただ、安仁屋さんの間合いはごく近いこともあって、空気のゆらぎなどで移動先は何とか感じ取ることができる。

 今も僕の背後を取ったようだ。

 狙いは延髄。

 これも前転することで直撃は回避するが、背中を鋭く打たれて一瞬息が止まる。


「良く躱す。だがそれだけでは先はない」


 三度みたび

 今度は真正面に現れる。


(まずった……!)


 意識を刈り取るつもりなら頭部を攻撃する必要がある。

 手もなく僕を気絶させるつもりだったはずの安仁屋さんは、僕がそれにある程度抵抗できると看取した時点であっさりと手段を変更した。

 氷鏡返しで受けるどころか、後ろに跳ぶ暇すらなくボディブローが決まった。


「げ、ぁ」


 僕程度の腹筋など関係ないと言わんばかりの強烈な打撃に肺腑の空気がすべて追い出され、胃液が逆流する。

 覚えず体がくの字に曲がるが、すぐ次の追撃が来る。

 そのまま前に身を投げだして再び前転。

 背中を撃たれたが構わずに受け身を取って安仁屋さんへと向き直り、口の中の胃液を吐き出して息を吸おうとするが。


「させん」


 即座に間合いを詰めてきた安仁屋さんの前蹴りが水月に決まり、僕は後ろに吹き飛ばされる。


「ぁ………」


 呼吸ができない。

 受け身を取れずに床に倒れ込む僕の胸を、安仁屋さんは容赦なく踏み抜いた。

 肺はこれまでにないほどに空気を求めているのに、衝撃と圧力で、息を吸う、ただそれだけのことができない。

 目の前は真っ赤に染まり、意識は遠くなっていく。


(駄目だ)


 意識を手放しては駄目だ。

 あの時と同じになってしまう。

 今度は・・・やり直しは・・・・・効かないのだ・・・・・・


「っ!!」

「なに!?」


 朦朧とした意識の中で遮二無二振った刀に驚いたのか、胸にかかっていた圧力が弱くなる。

 そこを逃さずに回転して逃れる。

 安仁屋さんが気をそらしたのは一瞬ですぐさま追撃を掛けるべく、起き上がろうとする僕の足を刈ろうとする。

 それに逆らわず、しかし自分で後ろ受け身を取りながらさらに距離を離す。

 そして今度は起き上がりながら、足を狙って刀を振る。


「むっ」


 反撃をするとは思っていなかったのか、安仁屋さんの足が一瞬止まる。

 ようやく僕は起き上がり、息を吸う。

 何度も打撃を受けた呼吸器は十全には働かないが、それでも意識をつなぎとめるだけの酸素は補給できた。

 霞む視界の中で、それでも迫る相手の動きははっきりと捉えられた。

 顎と水月を狙った、どちらを回避しそこなっても今の僕には致命傷となり得る攻撃。

 それを余裕を持って、とはとても言えないが、紙一重で回避に成功する。


「これは……?」


 訝しげに動きを止める安仁屋さん。

 そこを狙って攻撃ができれば良かったのだが、今の僕は呼吸を整えるのに精一杯で、そんな余裕はなかった。

 まるで肺が焼けているかのように熱い。


「玉響……か? 会得していたようには思えなかったが」


 喉に胃液が絡みついて呼吸がしづらい。

 さっきから腹部にばかり攻撃を受けたせいで、内臓がダンスでも踊っているかのような感覚がある。

 それより何より、酸素が足りないせいだろう、体が重い。


「試すか」


 またしても目では捉えられない動き。

 けれど今の僕の感覚は、自分のぼろぼろな状態とは裏腹に、それをクリアに把握していた。

 あのとき感じた、鳥観しているかのような、皮膚の感覚が広がったかのような、空間ごと把握しているあの感覚。


(そうか……僕は、今まで目に頼り過ぎていたのかもしれない)


 気配というものを感じる要因はいくつかあるが、大きなものとしては視覚、音、空気の揺らぎ、体温、地面の振動などだ。

 通常では離れていれば感じることすらないであろうそれを、感覚を研ぎ澄ませることで感じ取る。

 実践しているつもりで、実践できていなかった。

 玉響の感覚を思い出した今、それが実感できた。


「しっ!」


 今、安仁屋さんは僕の背後に回って脇腹を狙った蹴りを繰り出した。

 それを体を回転させることで捌き、安仁屋さんと相対する。

 まだまだ厳しいが、呼吸は少し戻った。

 朦朧としていた視界も戻りつつあったが、僕は敢えて目を閉じる。

 目に頼れば、戻ってきたこの感覚が失われてしまうような気がしたからだ。


「不可解だが……玉響を会得したようだな。簡単に会得できるものではないはずだが」

「前に……一度だけ、使えたんだ。それからずっと使えていなかったけれど」

「成る程。追い詰められたことで、その感覚が蘇ったといったところか」


 掠れて聞きづらい僕の声に安仁屋さんは納得したように頷いたが、動揺は一切見られない。

 それはそうだろう。

 玉響が使えるからと言って、五分になったわけではない。

 ようやく僕に僅かな勝ち筋が出てきたといったところに過ぎないからだ。

 今までのダメージの蓄積もある。

 僕の勝ち目は一割あればいい方だろうか。

 それでも、先ほどまでの光明がほとんど見えなかった状況よりはよほどマシだ。


「だが、それで俺に勝てるつもりか?」

「……勝つ」

「大きく出たな。できるというのならば、やってみせるがいい」


 台詞が終わると同時に繰り出される、無駄を極限まで排した右正拳。

 真正面からねじ伏せる気か。

 あまりにも実直なそれは、その速度ゆえに左右に躱すことが難しい。

 かと言って後ろに下がるのは相手の思う壺だろう。


 敢えて刀で拳を受けに行く。


 これが対人であればこの動きは正解のひとつだ。

 拳と刀、どちらが勝つかなんて小学生でも分かることだが、こと鬼人が相手であればその結果は異なる。

 鬼人の皮膚は鉄よりも硬くなり、生半可な刃など通しはしないからだ。

 鉄の塊が叩きつけられたなら、それを刀で受ける剣士などいない。

 刀が痛むどころか折れるか曲がるかするだろうし、結局攻撃も防げない。


 ただし、それはただ受けた場合の話だ。

 斬りに行くつもりで刃を立てる。

 これが僕の刀であればそれでもひとたまりもないだろうが、いま僕の手にあるのは鬼姫。

 幾多の戦いをお師さんとともに戦い抜いてきた剛刀だ。


「ぬうっ!」


 刃が肉に食い込む嫌な感触。

 鍔元近くで受けざるを得なかったため傷は浅く、安仁屋さんは拳をそのまま振り抜いてくる。

 刀を固定して振り抜いてきた分だけ体が押されるに任せ、体勢を維持する。

 自分で下がっていたらその分間合いが広がり、それを利用した追撃が来ていたと思われるが、これならそのスペースはない。

 そうは言っても近距離はやはり格闘の間合いだ。


「はっ!」


 振り抜くまで岩のように握りしめられていた拳が急に脱力する。

 拳の位置はそのままに体ごと右肘を前に迫ってくる。

 刀はまるで流水に絡め取られたかのように拳の位置のまま。


 まずい。


 この肘打ちを食らえば良くて一撃でノックアウト、悪くすれば死ぬ可能性だってあるし、刀を引戻して受けられるほど安仁屋さんの動きは温くない。

 さっきと同じで左右に躱すのも無理だ。

 後ろに跳ぶしかない道はないが、何がまずいのかと言えば、これを躱しても次に中国武術でこうと呼ばれる体当たりが連続して来ることだ。

 そこまで読めていれば大きく後ろに下がるのが対処となるが、安仁屋さんはそれを見切って初手の正拳突きの段階から、僕の後ろに道場の壁が来るよう追い込んできた。

 最初の突きを後ろに下がって躱していれば、肘打ちの段階ですでに壁を背にしていただろうが、肘打ちを左右に躱せない以上は状況は変わらない。


 つまりこの攻撃は躱せない・・・・


 刀を引戻しながら後ろに跳ぶ。

 肘打ちは回避。

 しかしその代償に背中に当たるのは道場の壁。

 それに倍する速度で迫る安仁屋さんの体当たりは回避できるはずもなかった。

 まるでトラックにでもぶつかられたかのような衝撃が全身を襲い、その鉄の塊のような体と壁に挟まれた僕の体は悲鳴を上げる。

 ひとたまりもなく床に倒れ込んだ僕の顔に、ぽつり、ぽつりと生暖かい雫が落ちた。


「おまえ……狙っていたのか、これを」


 安仁屋さんの右脇腹に、鬼姫の刃が食い込んでいた。

 その刃を伝った血が、僕の頬に落ちていた。


「……躱せない、なら……やれることをやるしか、なかった、から」


 よろよろと起き上がりながら言う。

 靠は相手に体をもたれかけさせるようにして叩きつける技の性質上、どうしても一部死角が生じる。

 本来、ほとんどゼロの距離から繰り出す技だからそれは欠点に成り得ない。

 今回は技を連続して出した関係から、本来の靠を出す間合いよりも若干の距離があったのだ。

 僕はそれを利用して引いた刀を安仁屋さんの右脇腹へと滑り込ませ、彼自身の技の勢いで斬り裂いた。


 代償として僕はその体当たりを無防備な状態で受けることになった。

 立ち上がれたのは、運良く脇腹の傷のせいで勢いが削がれたからに過ぎない。

 反撃が失敗していれば死んでいただろうし、それでもあばらが何本かやられた上に鬼姫を手から放してしまった。

 さらに、そのショックで蓄積されてきたダメージを再認識してしまったのがキツい。

 胃や腸はまるで腹の中でのたうち回っているかのように反乱を起こし、酸素不足で肺は焼け付きかけている。

 気を抜けば苦痛のあまり意識を持って行かれそうだった。

 胃液がせり上がってきたのを無理矢理飲み下し、大きく息を吸って意識を保つ。


「……なぜ、そこまでする。今のが薄氷を踏むがごとき暴挙だとは理解しているだろう」


 安仁屋さんの言う通り。

 これは技なんて大したものじゃなかった。

 僕の技は安仁屋さんにはまったく通用しなかった。

 良くて相打ち・・・・・・という勝算を無視した暴挙がその正体。

 結果として相打ちには近い結果となったものの、僕の限界は近く、そして今や手に鬼姫もない。


「理由は、さっき、言った」


 だから、相打ちでも死なないなら構わなかった。

 だから、この手に刀がなくても立ち上がった。


「僕は、あなた、に、なりたくは、ない」


 だから、最後まで、抗う。


「……そうか」


 何を思ったのか、安仁屋さんは動きを止めていた。


「俺が俺の思いを貫けば、俺をもうひとり作ることになる、か。ああ、分かってはいたのだがな」


 独白するようなつぶやき。

 その姿からは、先ほどまで発していた鬼気は感じられなかった。

 安仁屋さんは構えを解くと、僕を一瞥してから道場の壁によりかかったままのお師さんへと視線を移した。


「先ほどの俺の落月で、貴様の剣人としての人生は終わった。この娘に免じてそれで俺の復讐も終わりにするとしよう」

「修二……」

「黙って寝ていろ、老いぼれ。貴様が死ねばこいつの戦いが無駄になる」


 刺さっていた鬼姫を抜いてお師さんの方に投げ出した安仁屋さんは、道場の隅に投げ捨ててあった上着を拾い上げて羽織り、もはやお師さんに視線をやることもなく道場を出て行く。

 脇腹の傷は内臓には達していないにしてもそれほど浅くもないはずだが、その挙動に傷の影響は見られない。


「安仁屋さん!」


 思わず叫んだ僕の声に、安仁屋さんは歩みは止めずにわずかだけ振り返る。

 お師さんをこんな目に遭わせたのは彼であり、それは変えようのない事実だ。

 でも、彼が長年抱えていた正当とも言える復讐心を曲げてくれたのも確かだった。


 親しい人を傷つけられたという憤りと、彼の過去に対する同情と、その過去にも関わらず己を曲げてくれた感謝。

 僕は去って行く彼に対し、そのすべてを込めて、黙って頭を深く下げたのだった。


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