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剣人  作者: はむ星
【幼年篇】
24/113

23

 合宿はいくつかのアクシデントはあったものの、無事終わりを告げた。

 春樹さんが全員に終了を告げてマイクロバスに分乗する際に、唐沢先輩が何か言いたげにこちらを見ていたけれど、結局は何を言うこともなかった。


「結局、伊織から一本も取れなかったな」


 不機嫌、というか不本意そうなのは真也。

 真也の隣に座った清奈がそれをなだめるかのように口を開く。


「私も一本も取れませんでしたし……それに神奈も」

「真也兄と姉さんと一緒にしないでほしい」

「え、取れたのか? 一本」

「取れるはずない。無謀」


 つまり一緒にするなという神奈の台詞は、僕から一本取ろうとかいうことを考える二人は無謀だ、という意味だろうか。


「……そんなことはないと思うんだけど」

「そうだぞ。もともと、ちゃんと取れてたんだし」

「そうです。今は少し差を付けられてしまってますけど」


 口々に言う真也と清奈を見ている神奈は、どことなく少し寂しそうに見えた。


「神奈?」

「なに、伊織姉」


 何もなかったかのようにこっちを見た神奈の頭を撫でる。

 途端にぱしんと手を弾かれた。


「子供じゃないし髪乱れる」

「その割に真也さんには頭を撫でてほしいっていつもせがんで……」

「姉さん!」


 真っ赤になった神奈が清奈につかみかかる。

 マイクロバスと言ってもひとりひとりが座るスペースはそんなに広いわけでもない。

 結果として、取っ組み合いを始めた姉妹の間に物理的に挟まれた真也が、何も感じるまいと石像と化していた。


「真也……やはり女難の相か」

「おまえもあれだけモテれば悩みもなかろうにな」

「てめぇ言ってはならんことを!?」


 谷ノ上さんと奈良浜さんがいつもの応酬を始める。

 そんな彼らをよそに、春樹さんが運転しながら僕に話しかける。


「伊織ちゃんは合宿中にまた少し腕を上げたようだね」

「そうかな? そうかも」


 人の多い、いつもとは異なる環境において玉響のための感覚を磨いたこと、そして何より。


(あれを見たのが、一番かな)


 安仁屋さんの技、落月。

 あの動きそのものもそうだけれど、あれを見るために極限まで集中したことによって、またひとつ感覚が鋭くなった気がしていた。

 つまり、玉響にまたひとつ近づいたということだ。


「本当ですか、父上!?」


 それは聞き逃せなかったらしく、石像から人に戻った真也が席から乗り出して叫ぶ。

 ついでにその勢いで清奈と神奈が分断されて取っ組み合いが中断されていた。

 その姉妹は面白くなさそうに真也の後頭部を見ている。


「そうだね。ただ、今の伊織ちゃんに追いつくには、今の真也たちでは難しいな。壁をひとつ隔てているから」

「壁を……? でも追いつけるんですよね、父上」

「そりゃあね。ただ、楽なことじゃあないよ、真也」

「それでも、追いつきます」

「よく言った。それじゃ、帰ったらすぐ稽古をしようか」


 うげー、という声が社会人組から聞こえてくる。

 清奈は望むところ、という闘志あふれる顔をしているが、神奈はどっちかというと社会人組と同じような顔つきだ。

 僕はといえば稽古するのに否やはあるはずもなかった。

 まあ、だからこそ神奈に剣術馬鹿とか言われてしまうんだろうけれど。


*   *   *


 三隅村に帰っても夏休みである以上、登校日以外は学校に行く必要がない。

 朝は学校に行く時間には起きて裏山を五キロほどランニング。

 午前中はお師さんと稽古をして、昼食を済ませたら夕食の仕込みをしてから鴻野道場へ。

 そこから夕方まで稽古をしたら帰って夕食にして、少しの自由時間を過ごしてからお風呂に入って寝る、というのが夏休みにおける僕の一日のスケジュールだ。

 見事に体しか鍛えていないけれど、僕の目的はそこにあるのだからいいのである。

 自由時間も瞑想したり和裁の練習をしたりもしているが、大体はひとりで型の稽古をしてることが多い。

 世の中にはすでにスマートフォンが出ていて、学校の自由時間ではそれをいじっている生徒とかも良く見る。

 僕も前世では持っていたし良く使ってもいたけれど、三隅村にはスマートフォンどころか携帯電話を持っている人すらいない。

 理由は単純で電波が入らないから。

 お陰でそういうものに気が散ることもない。


 今日もお師さんと午前中の稽古を済ませて、お昼を食べているところだった。

 暑いのでさっぱりしたものを食べようと、酢の物と焼いた川魚の身をほぐして潰した梅干しと和えたものを用意した。

 ご飯は黒峰家ではいつも玄米なのでそれはいつも通り。

 幸い口に合ったようで、健啖家のお師さんは結構な量を次々と平らげていく。


「そういえば伊織。合宿で少し腕を上げたようじゃな。何があった?」


 春樹さんが気づいたことをお師さんが気づかないはずもない。

 僕は口に頬張っていた酢の物を麦茶と一緒に飲み下す。


「海で無手だけどすごく腕の立つ人に会ったんだ。詳しくは話せないんだけど」

「ふむ」


 お師さんも武に生きてきた人なので、何があったのかは話さなくてもある程度は理解してくれたようだ。


「よほどの凄腕だったようじゃな」

「うん、安仁屋さんっていう人なんだけど」


 お師さんの箸が一瞬だけ止まったような気がしたが、何もなかったように玄米を口に運ぶのを見て気のせいだろうと流す。


「収穫があったようで何よりじゃ。おめえは今日も鴻野道場か?」

「うん」

「そうか。しばらくは夕飯は鴻野道場で頂いて来い」

「え? お師さんはどうするの」

「儂はちと用事があるからな。心配はせんでええ。なんならしばらく泊まり込んできても構わん」

「そっか。分かった。泊まるかどうかはわかんないけど」


 後から考えればそのお師さんの態度はおかしかったのだが、僕はその違和感を見逃した。

 そして僕はそれを後悔することになるのだが、このときはそれを知るよしもなかった。


*   *   *


「やあ、久しぶり、武鬼ぶき

「――その呼び名はよせ、氷上」


 とある食堂の一角。

 目つきの鋭い男が食事をしている席に、まるで少年のような顔をした青年が断りもなく座った。

 武鬼と呼ばれた男はそちらを一瞥しただけで食事の続きへと戻る。


黄昏会たそがれかい四鬼しきの称号もあなたに掛かっちゃ形無しだね」

「そもそも、そんなものを受けた覚えはない」

「それじゃ安仁屋さん。ここへは何をしに?」

「おまえにそれを言う必要があるのか」

「ないんだけど、そこは助けると思って」

「助ける?」


 そこでようやく安仁屋は氷上の方を見た。


「あはは、やっとこっち見てくれたね。うん、この辺りにちょっかいをかけるなって怖い人に言われててね。あなたがここに何をしに来たかによっては――」

「俺を殺す、か?」


 まるで周囲の温度が一気に下がるかのような剣呑な気配が安仁屋から放たれる。


「とんでもない。僕は自殺志願者じゃないからね」


 氷上はそれに一切反応せずに笑顔を浮かべて両手を広げた。


「単純にあなたがここに来た用件によっては、僕が関与していないことを証明する必要があるんだ。さっき言った通り、怖い人に睨まれてるからね」

「怖い人……か。念のために聞くが、そいつの名は?」

「先代三日月」


 それを聞いた安仁屋の腕がぴくりと震えた。

 反応を押し隠そうとして、そうし切れなかったかのように。


「なら、問題ない」

「へえ……あの噂って本当だったんだ?」

「答える必要はない」


 安仁屋は伝票を手に席を立つ。

 店を出て行く安仁屋の背を見送った氷上の前には、いつのまにかスーツ姿の女性が座っていた。


「どう思った? 観沙」

「話に聞いていた以上かと。私にも気づいていました」

「ほんと、腕が立つのばっかりで嫌になるね」


 軽薄に笑う氷上に、観沙がその表情の少ない顔に疑問を浮かべた。


「安人様。あの噂、とは?」

「ああ、気になる?」


 氷上は通りがかったウェイトレスにいくつか注文をすると、観沙へと向き直った。


「十年以上前の話になるけど、あれ、先代三日月に負けたことがあるって噂があるのさ。それも、二回挑んで二回とも、ね」

「二回も?」


 思わず疑わしげな声を出す観沙。


「そう。ただ、関係者が全員口が重いんだよねぇ。剣人が鬼人を殺さない・・・・なんてよほどの事情だと思うんだけど」

「確かに。この間見た先代三日月は、そこをためらうような人物には見えませんでした。腕が足りないということはそれこそないでしょうし、一回ならともかく二回となると何か理由があると思います」

「うん。ただ、さっきの武鬼の様子を見るに……」

「三回目の戦いがある、と」

「多分ね。そうでもなきゃこんな辺鄙な場所に彼が来る理由がないだろ?」


 その言葉にうなずいた観沙だが、再び考え込むように形の良い顎に手を添える。


「しかし、なぜ武鬼はそんなに執拗に先代三日月を狙うのでしょうか」

「ああ、そっちは調べがついてる。ありきたりで、そして重い理由だよ」


 氷上はウェイトレスが運んできたアイスコーヒーを受け取って、ストローに口を付ける。

 先をうながすように首を傾げた観沙に、氷上はにやりと笑うと、明日の天気でも話しているかのようにその言葉を舌の上に乗せた。


「復讐、さ」


*   *   *


 その日は登校日だった。

 いつものように起きて、お師さんと一緒に朝食を食べて学校へ。

 夏だろうと走って登校するのは変わらないので、到着するころには汗だくだ。

 道着を更衣室に陰干ししてシャワーを浴びて制服に着替える。

 教室で久しぶりに会うクラスメイトたちに挨拶していると、先生が来てホームルームが始まった。

 そう、普通のはずの一日。

 だというのに、違和感がずっとつきまとって離れない。


「伊織さん? どうしたんですか」


 そわそわしている僕を見かねた清奈がホームルーム終了後に話しかけてきたが、僕としても説明のしようがなかった。


「なんだろう。落ち着かないんだけど、なぜか分からない」

「珍しいですね。いつもいつ慌てるのか分からないくらい落ち着いているのに」

「へ? そんなことないと思うけど」


 割と落ち着きはない方だという自覚があるんだけど。


「そうですね、なんというか……結構おっちょこちょいなところもドジなところもありますけれど」


 え、ちょっと待って。

 そんな風に思われてたの僕?


「ただ、軽挙妄動とは縁がないのが伊織さんですし。そわそわしているのは似合いませんね」

「そっか……」


 今の自分がいつもと違うことは僕にも分かっていた。

 清奈は結構鋭いから、すぐに気づいたんだろう。


「それで、今日も夕食は鴻野道場で?」

「あ、うん」


 何かが引っかかった気がした。


「師範と真也さんがご飯が美味しいって喜んでますけれど。でも平蔵さんが寂しがるのでは?」

「お師さんがそうしてくれって」


 そう言いながら違和感が膨れ上がるのを感じる。

 喉に引っかかった魚の小骨が取れないようなかすかな苛立ちを覚えるが、違和感の正体が分からない。


「今日は私と神奈もご一緒するんですけど、できれば料理を教えて欲しいんです」

「やっぱり家じゃ教えてもらえないの?」

「ええ……そんな暇があるなら剣を振れと」


 剣人の後継者でもある清奈は親から多大な期待を掛けられているらしいのだが、本人は女らしいこともしたいと悩みの種になっている。


「いいよ。それじゃ、今日は簡単にできる奴にしよっか」

「本当ですか? 合宿では料理はできませんでしたし、楽しみです」

「ちょっと待って清奈。今、なんて?」


 鴻野道場で夕食、お師さん。

 そして今の清奈の言葉でパズルのピースの最後のひとつがはまったような……。


「え? 合宿では料理はできなかったと……」


 がたんと音がした。


「伊織さん!?」


 無意識のうちに僕は立ち上がっていた。

 そうだ。

 合宿で出会ったあの人の名前を出してから、お師さんはそんなことを言い出した。

 僕がなるべく家にいないように。


「ごめん清奈。早退する!」

「ちょっと、伊織さん!?」


 悲鳴のような清奈の声を背に、僕は窓から飛び出した。

 軽い浮遊感。

 すぐさま校舎の二階の庇を蹴って落下の勢いを殺し、そのまま校庭に着地。

 たまたま窓の外を見ていたらしい二階の生徒の悲鳴や、一階の生徒のざわめきが聞こえてきたがそれらは無視。

 三階の窓から清奈が呆然とした顔をして見下ろしているのも見えたが、今度謝ることにする。

 道着に着替える暇も惜しんで、制服のまま僕は三隅村への最短コースを選んで走り出した。


(なんで気づかなかった……!)


 思えば、おかしな点はいくつも思い当たった。

 安仁屋さんの名前を聞いたときのお師さんの反応。

 それを聞いた直後に言い出した、僕が家にいない時間が多くなるような提案。

 お師さんだけではない。

 安仁屋さんの方も、僕の名字を聞いて一瞬考え込んでいた。

 あの二人には何か関係があるのだ。

 僕のこの虫の知らせとでもいうべきものが正しいのならば、決して良くはない何かが。

 それに僕が割り込んでいいのかは分からない。

 お師さんは知らせるべきではないと判断したのだし、僕がしゃしゃり出るのは筋違いである可能性も高い。


 それでも。


 僕は一瞬たりとも足を休めることなく走る。

 この不安は杞憂なのかもしれない。

 帰ったら何もなくて、お師さんに学校をサボるなと叱られるのかも知れない。

 それならそれで構わなかった。

 いや、むしろそうであることを望んでいた。


 不安を胸に走り続けること四十分。

 スカートにはいくつもの鉤裂きができ、腕や足、顔にも枝や草による擦り傷がいくつか。

 かつてないハイペースに息も完全に上がっていたが、その代償にいつもよりタイムを十分以上縮めて三隅村に到着する。

 見たところ、村にはなんら異変は起きていない。

 ペースを落とさずに、この十二年の間何度もくぐった黒峰家の門を走り抜ける。

 途端に風景が変わった気がした。

 道場から流れ出ている恐ろしいほどの気配。


(これ、は)


 動きが止まる。

 偶然ここに来ただけだったなら、僕は迷わず逃げ出していただろう。

 まるで周囲の空気が固体化したかのように息苦しい。

 ここまで全力で走ってきて肺は空気を求めているのに、意識しなければ呼吸が止まってしまいそうだ。

 この気配の持ち主に出会えば僕程度では蟻のように踏みつぶされて終わりだということが、理性ではなく本能で理解できる。

 その本能に逆らって、道場へと歩を進める。

 たったそれだけのことに、気力と体力がごっそりと削られていく。

 永遠にも思える十数秒を経て、僕はようやく道場の入り口へとたどり着いた。


 開け放してあった道場の入り口から見えたのは、お師さんとひとりの男――安仁屋修二が睨み合う姿だった。

大体2~3日置きの更新になりそうです。

それ以上になりそうなときは後書きなりでご報告します。

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